第四十三話「空の旅をしよう」
広い空。眼下に広がるのは緑が続く大地。テュポーンの背でのんびりとしているユウリは、退屈そうにゴロンと寝転んで空を見上げていた。そんなユウリの真似をするように、小人の一種であるリリルト族のマットも一緒に寝転がって、あっという間に寝息を立て始めてしまった。
今朝は日の出前に宿を出たので、とても眠かった。いつもならまだ惰眠を貪っている時間帯だったので、暫く二度寝するのも悪くないとさえ考えている。
とても平和な、穏やかな時間だろう。ユウリとその一行が乗っている存在が、全長五百メートル以上はあろうかと言う、巨大な漆黒のドラゴンでさえなければ。
「なんで、こんな状況で寝ようと思えるんだい。アンタらは……」
直立した虎のような女性のヘルガは、ユウリとマットの行動に呆れる他ない。巨大な竜の背に乗って飛んでいるのだ。ヘルガとしてはこれだけでも大冒険と言えるのに、彼らは慣れ切ったような態度なのだから微妙な心境になるなと言うのも酷である。
「テュポーン様のお背中に乗せて貰えるのは、とても名誉な事なのだけれど……ちょっと、目立ちすぎよね……?」
『それなら気にするな。オレ様を見ただけで、誰もが恐れ戦くのは当然のことだ。ユウリが活動しにくくなるのも困るから、魔法でこちらを見えなくしておいたぞ』
美しいエルフの乙女であるステラが、風になびく金色の長い髪を抑えながらそう呟くと、いきなりテュポーンの声が頭の中に響いて来た。こちらの声は筒抜けらしく、心配事に対して事前に対処してくれているのはとても有難いのだが、思わず表情が引きつってしまうのは仕方のない事だろう。
その声はヘルガにも届いていたらしく、「流石だねえ」と小さく零しながら深い深い溜息を吐いていた。
今回、テュポーンに乗ってベルンから離脱すると言う結果になってしまったため、ヘルガの提案でこのまま国外に出ようと言う運びになった。
しかしテュポーンの翼ではあっという間に国外逃亡を可能にするため、ユウリがそれでは面白くないと言って、可能な限りゆっくりと飛んでもらうことにしたのである。
眼下に流れる景色と空の旅を楽しみながら、優雅な時間を過ごすことに勝手に決められ、更に決めた本人がさっさと寝ようとしているのだから、愚痴の一つも零したくなるのは当然だった。
「ヒトが空を飛ぶなんて、まさに奇跡そのものなんだけどね。そりゃあ、高名な魔法士や天族や魔族、フェアリーなんかは自力で結構自由に飛べるって話だし、とある国には天馬を駆る剣士様なんて居るらしいんだけどね。まさか伝説のドラゴンの背に乗って飛ぶなんて、誰が想像できるんだって話だよ」
「わたしは、地に足がつかないのは落ち着かないわ。本来の姿になったテュポーン様の背中は、走り回れるほどとても大きいけれど、やっぱり地上とは勝手が違うと言うか……」
「まあこんな訳の分からない高さを飛んでるんだから、不安になるなって方が無理ってものさ。それを差し引いても、ここで寝られるおチビちゃん達の神経を疑うけどね」
「まったくだわ……」
二人揃って大きなため息をついて、遠くに見える人の町や村らしきものに目を向ける。ヒトや獣が食べ物にたかる小さな羽虫よりも小さく見えるというのは、新鮮を通り越して軽い恐怖すら覚えたものだ。
移動速度も馬や船の比ではなく、点々と存在する村々を次から次に通り過ぎていき、大きな町もすぐに遠く離れてしまう。ユウリがゆっくりと、と注文を付けた上でこの速度なのだから、この世界で誰が彼らを追いかけることなど出来ようか。
「しかし意外と、この空の上から見下ろす景色も悪いもんじゃないね。地べたを歩き回っている時とは、まるで見え方が違ってくる。ああほらステラ、アレを見て御覧よ。ありゃあ、フィンダート王国と西のセタジキス王国を別つ、国境渓谷なんて呼ばれてるとこだよ」
「……随分深い谷のようね」
「下に落ちたら一巻の終わりさ。深く幅も広いもんだから、橋を渡るのも命懸け。おまけにセタジキス側にある森は魔物の宝庫と来ているから、お互いに手出しできずに戦争になった事も無いんだそうだよ」
「人間の国は戦争とか言うのを起こして殺し合うって聞いたけど、本当なの? なんで自分達の首を絞めるような真似をするのかしら……」
質問にヘルガが苦笑で返すと、理解できないとばかりにステラは息を吐いた。ヒトの世界と言うのは様々なしがらみが存在するが、まだまだ森を出たばかりの彼女では理解するのは難しい。
エルフのステラにとって、ヒトの世界は未知の事ばかりなのだ。
そんな風になんだかんだと緩い空気のまま、一行は悠々と国境を超えるのであった。
進行方向からその馬車の一団は、北から続く街道に沿ってやって来た事がわかる。数台の馬車からなる隊商のような雰囲気であったが、それが普通ではない事は一目瞭然であった。
何故なら彼らの商品はヒト。所謂、奴隷商と呼ばれる存在だったからだ。
檻のような馬車に詰め込まれている人々は当然だが、馬車を率いる者達の顔色は特に悪い。馬車のいくつかは横転し、完全に立ち往生している。しかしその事を好機とばかりに、ソレらは狩りを開始した。
黒っぽい毛皮を持ち目を爛々と輝かせ、口からは時折チラチラと赤い炎が漏れ出ている。──フレアウルフという、炎を吐き、数を生かした狩りを得意とする、凶悪な魔物であった。
その戦い方は野生の狼とほとんど変わらず、しかし炎を吐くと言う特殊能力を持っている為に、生半可な実力と人数では太刀打ちできないとされている。
この日、隊商は運悪くこの魔物と鉢合わせ、獲物と認識されてしまった。
獲物が逃げられぬように囲い込み、一人一人確実に仕留めていく。護衛の者が剣を揮うがそれを軽々と避け、お返しとばかりに炎で軽く炙ってやれば簡単に隙だらけになる。それを別の仲間が死角から襲い掛かれば、また一人その命を儚く散らす。
悲鳴が止まず、あちこちから断末魔の声が響く。じきにこの一団は全滅する事だろう。既に大半が事切れた中で、誰もがそう希望を捨てた。
アイリスという女は、人間ではなかった。人間の姿をしながら猫の耳、猫の尻尾を持つ混血の亜人として生まれたからだ。
しかし長い灰色の髪に琥珀色の瞳の貧相な小娘から、類稀な美貌と、男好きのする適度に豊満な天性の肉体へと成長した事で、一奴隷に過ぎなかった彼女の人生を変えた。
故郷である小さな都市国家。そこである時王族の目に留まり、彼女は一夜の夢を売る仕事から、後宮の妾の一人となった。
立場こそ高貴な生まれである后たちの世話役であったが、読み書きなどの最低限の教育を受け、礼儀作法を学び、そしてかつての仕事で学んだ、男を悦ばせる技を彼女たちに伝授する事で、アイリスは一定の信頼を得て、奴隷と言う立場から解放されたのだ。
後宮ではあくせく働くでもなく、しかしそれなりに充実した日々が訪れたと思ったのも束の間。今度は後宮から焼け出されてしまった。
何が起こったのか理解する間もなく、ただ逃げなければという本能に従って、自然と体が動いていた。男達の怒声と女達の悲鳴があちこちから聞こえてくる中、アイリスは王が討たれ、国が逆賊の手に堕ちたのだと思い至る。
命からがら逃げ延びたはいいが、アイリス自身は何かと目立つ。後宮に入れるほどの美貌を持つ彼女は、商品の目玉としてあっという間に奴隷狩りに捕まってしまい、頑丈な箱のような馬車に押し込められ、そして他国で売られる商品として連れ去られてしまったのだ。
そして今。魔物の群れに馬車が襲われ、外に居る男どもは誰も彼も逃げる事さえ出来ずに死んでしまった。魔物は今も馬車をこじ開けようと、ガリガリと嫌な音を響かせている。
違う馬車がまた一つ、壊されたようだ。再び悲鳴と断末魔が聞こえてくる。
自分と同じ檻には、一人の小さな少女が居た。ルナと言う名の少女は、肩に掛かる程度の美しい金髪に透き通るような碧い瞳。人間よりも長い耳とくれば、恐らくはエルフの娘なのだろう。小人のリリルトだと耳が丸く大きいし、ここまで鮮やかな美しい金髪の者は殆ど居ない。
エルフ自体はとても珍しい種族ではあるが、ルナの場合は恐らく混血から生じた、取替子の類だとアイリスは考えている。
互いにそこまで仲良くなったわけではないものの、それでも誰かとコミュニケーションを取らない方が苦痛だ。これまでの旅の中で、少しだけ彼女と仲良くなれたと思った矢先にこの出来事なのだから、どこまでも自分は運が無いのだとアイリスはひっそりと嘆いた。
ルナは感情表現こそ乏しいものの、微かに震えている事から怯えているのだとアイリスは気付いた。短い時間ではあるが、四六時中一緒に居たお陰か、多少は理解できるようになったのだと、不思議と感慨深いものを覚える。
だが状況が状況だ。自分達に出来る事は殆どない。だからか、アイリスは思わず彼女を抱きしめる。こんなことをしても何の意味もないが、せめてヒトとして、年長者として恥ずかしくない最期でありたいと言う、ほんの少しの見栄であろう。ルナもそれを知ってか知らずか、アイリスにしっかりと抱き返してくる。少しだけ、救われたような気がした。
二人が互いを守るように抱きしめあう。それは長い長い、しかし本当はとても短い時間だったのかもしれない。突然、悲鳴の種類が変わった。
暴風が吹き荒れる音と、何かを叩き潰すような鈍い音が聞こえる。獣たちの吼える声が、怯えと混乱に変わり、新たな来訪者の存在を告げた。
「ヘルガさん、馬車が襲われてるよ!」
そう言ってユウリは眼下の街道で、横転した幾つもの馬車を指さす。火の手も上がっている事から、普通の野盗とはまた違うとヘルガは判断する。
「魔物にでも襲われたんだろうね。もしかして、助けたいのかい?」
「だ、だって……」
「本当にお人好しだねえ。でもちゃんと覚悟しなよ。今から助けに行っても、全滅している可能性は高いからね?」
鋭い牙を剥きだしにするような、凄みのある笑みを浮かべるヘルガ。それに対しユウリは少しだけ気圧されながらも、しっかりと頷いた。
「火を吐く獣の群れって言うと、フレアウルフじゃないかしら? あれを相手にするのは凄く大変よ」
「その程度なら大丈夫。僕も昔は苦戦したけど、もうあいつらの癖はわかってるよ」
心配するように、ステラがユウリの顔を覗き込む。相手がフレアウルフだと聞いて、少年は胸を張って大丈夫だと返した。それもそうかと、誰もが息を吐く。あの不死身の魔獣を素手で投げ飛ばし、たったの一振りで切り伏せたのがこのユウリなのだ。今更火を吐く獣もどきに後れを取る訳がない。
狼型モンスターのフレアウルフは、幻獣種のヘルハウンドに似ている。だが種族としては動物系で、強さもゲーム内では初心者向けの、序盤の難関モンスターとして名前が挙がる相手の一つだった。
防御力こそ低いが回避力は高く、更に基本攻撃が炎属性。数匹以上の群れの時は獲物を取り囲んで、炎のブレスを吐いて広範囲にまき散らすのだ。回避も難しく、十分難敵と言えるだろう。
「魔物と戦うの?」
「……わたしとマットは、下りない方がいいかも知れないわね。平地でフレアウルフの群れは、流石に荷が重いもの」
マットとステラの二人は、大人しく留守番する事を決める。この世界だとまさに命取りとなり得るし、彼女が言う様にフレアウルフの群れが相手では、足手まといになる可能性の方が高いのだ。
「じゃ、私とユウリの二人で行こうじゃないか。準備はいいね?」
「うん! テュポーン、あそこに近付いて」
『……ったく、オレ様を便利な乗り物扱いしやがるのはお前くらいだな。近付きはするが、自力で飛び降りろよ?』
「わかってるって」
自分達を背に乗せ空を舞う、巨大な漆黒の竜。テュポーンと呼ばれるその竜と気安く言葉を交わし、ユウリはヘルガが自分にしっかりと掴まっている事を確認すると、一気に飛び降りていくのだった。
すぐに浮遊のマントが効果を表し、ゆっくりと地上へと降りていく。ある程度降りたところでヘルガはユウリから手を離し、一足先に地上へと飛び降りる。
これまでならそんな無茶をすれば大怪我間違いなしだったのだが、彼女が正しく習得した気功スキルを使うことで、以前とは比べ物にならないほどに身体能力が向上させることが出来る。それを利用した強引な方法で、ヘルガは難なく地上に着地するのであった。
「そんじゃあ、まずは軽くぶっ飛ばそうか!」
馬車から少し離れたところに降り立ち、ヘルガが重たいモールを振り上げて走り出す。
突然の事にフレアウルフもほんの僅かだが、思わず動きを止めてしまったことで運悪く、ヘルガの近くに居た一匹が頭から潰されてしまった。
「ヘルガさん、一人で先に行かないでよ!」
後を追う様に降り立ったユウリが、大剣を抜き放ちながらぼやいている。少年にとって、今更フレアウルフはちょっと面倒臭いだけの雑魚でしかなく、周囲を取り囲もうとする相手を目に見えぬほどに速い斬撃で、数匹纏めて切り伏せていた。
馬車と周囲の惨状を目にし、ユウリは少しだけ怯んだものの、すぐに思考を切り替えて目の前のモンスターを排除するべく動き出す。ヘルガとユウリが暴れ始めると、まるで嵐のように次々と肉片が踊り、血が舞い上がる。
片や一流の冒険者であるヘルガと、片やゲームの中で延々と戦い続けてきたユウリを前にして、フレアウルフの群れの命運も風前の灯火となってしまうのであった。
第二章開幕です。
開始早々、色々やらかしてますし、早速面倒ごとに首を突っ込んだようですが……




