第四話「異世界でお泊り」
不自然なほど静かな、野生動物すら姿を見せない湖の畔。暖かな、ともすれば汗ばむ程度の陽気の中、楽し気に水浴びをしている少年たちの声が聞こえる。
一人は小人とも呼ばれる種族、リリルト族の男の子で名をマットといい、大きな丸い耳にボサボサの赤茶けた髪に深緑色の瞳。小人の名の通り体は非常に小さく、僅か九十センチ程の身長しかない。
もう一人は人間の少年で、名をユウリという。短い黒髪に、薄紫の瞳。身長は百五十四センチほどの痩せ型で、余計な体毛は殆どない。貧弱とも言える外見で、まだまだ幼さの抜けない可愛らしい容姿をしているが、これでも十五歳になる。
しかしそんな彼は、剣をたった一振りするだけでオーガを両断でき、最強の黒竜を友とする百戦錬磨の【ウォーロード】。
ユウリは自分がプレイしたゲームの世界から、相棒のドラゴンと共にこの見知らぬ異世界へと迷い込んで来てしまった。そこで偶然マットと出会い、今はこの場所で休憩しているところなのである。
あれだけの衝撃を受け、暫し茫然自失となっていたにも関わらず、ユウリが水遊びをしているのは単純に現実逃避だ。
水温は少し冷たいくらいだったが、慣れてしまえば気にならない。水を掛け合ったり泳いだりと、思った以上に本気で楽しんでいる。
因みどちらも全裸で、水着は着けていない。マットには、と言うよりもこの世界では一般的に、水の中で衣服を身に着けるという概念がないこと。ユウリは水着を持っていたが、マットに指摘されたのもあって、近くに誰も居ないからと、思い切って裸になったのである。
鎧の着脱はゲーム内でも実際にやっていた為、手慣れたものだった。
とはいえ、相手に応じて耐性のある防具へと、瞬時に変更しなければならない場合もあって、登録してある装備に一瞬で変更できる指輪も装備している。例え無防備な今でも、何かあればすぐに戦闘態勢を取れる自信があるからこそだ。
わざわざ素っ裸で泳いでいるのはユウリなりの理由があって、ゲームの中であれば、完全な全裸になることは不可能であったことが挙げられる。十八禁に抵触するような行為や服装は出来ない仕様であった為、それを確認する意味でもマットだけでなく、自分自身も裸になってみる必要があったのだ。
結果、マットとユウリ双方に、男の子であることを示すシンボルが、きちんと存在していた事がはっきりと確認できたのである。
その時ついてるモノが、現実の自分のソレと大して変わらなかった為、ユウリはひっそりと肩を落としていた。
とはいえ、この事実に驚きながらも同時に、ユウリは本当にこの場所が異世界なのかもしれないと、否が応でも確信を強める結果になった。
水着無しで泳ぐと言うのは、普通は滅多に体験する事が出来ない。やってみると股間に水の流れを直接感じる為、なかなか落ち着かなかったが、それも遊んでいるうちに気にならなくなっていった。
「あー、裸で泳ぐって気持ちいー。この開放感、クセになりそう」
「おれもこんなに沢山の水を見たの初めてだ。水に入っても怒られないなんて、最高だぜー」
ユウリは少し深いところで泳いでいるが、マットはこのような水浴びは生まれて初めてであり、当然泳げない。なので膝くらいの深さの場所でバチャバチャと遊んでいる。
この湖には湖面から顔を出す幾つかの岩があり、その気になれば簡単に登ったりできるのでちょっとした飛び込み台のようにも使え、二人は大いにはしゃいでいた。
「あー、結構疲れたかも。体は全然平気なのに、変な感じ」
「おれもうヘトヘトだ~。ハラ減ったー」
暫くして岸に上がり、二人の少年は全裸のまま仰向けになる。暖かい日差しと穏やかな風が、程よく疲れた体に心地いい。
そんな風に口々に言いながら、いつの間にか心地よい微睡みが降りて来る。
陽は大分西へと傾き、辺りがオレンジ色に染まっていく。徐々に肌寒くなっていき、それに気が付いて目が覚める。
いつの間にかマットがユウリにピッタリとくっついてたのは、この寒さのせいだろう。
軽く伸びをしてからユウリは上半身を起こし、どこからともなく魔法の多機能鞄を出すと、中から一枚のカードを取り出した。
「今日はもうなんだか動きたくないし、この辺でキャンプだな。コイツを使おうっと」
そう言ってユウリは立ち上がって歩き出すと、隣で寝転がっていたマットも目を覚まして、慌てたようについてくる。
少し湖から離れた場所に位置を決めると、ユウリはそのカードを地面に置いた。
「えーっと、確か始動キーは……カードオープン、セーフハウス展開」
その言葉と同時に地面に置かれたカードが、周囲の地面を囲う様に光り出した。徐々に範囲を広げていき、ある程度の広さに達すると次の瞬間、そこにはコテージが一軒、姿を現したのである。
「す、す、すっげぇえええええええええええええええ!?」
「ふふーん、簡易拠点型便利アイテム、セーフハウスカードって言うんだぜ? こいつの効果範囲内ならモンスターに見つからないし、モンスターは入れない。その上攻撃も受けない。こういう安全地帯を作って休める場所なのさ」
驚くマットに気分を良くしたユウリが、饒舌に語る。
このアイテムは街の外で安全にゲームからログアウトや、再びログインする為の一時的な拠点となる特殊なアイテムである。
ドロップなどで手に入る事もあるが、通常の物だとアイテムなどを保管出来ない。しかし最上位の物はアイテム類の保管が可能という、なかなか便利な仕様であった。
それ以外にも通常の物よりも広く、普通は一つのパーティが休める程度の広さしかないところ、二、三パーティが寛げるだけのスペースを実現している。
ユウリが使っているのは当然、後者のアイテム保管が可能で通常よりも広いタイプである。またこのカードは壁に貼る事で扉だけが出現し、異空間に部屋を作るような事も出来る為、ダンジョン内でも展開可能という優れもの。
ただしダンジョン内ではログアウトや再ログイン機能は使えず、主に休憩や作戦会議をするためのセーフハウスとして使われていた。
また自分のパーティや指定したメンバーのみ結界内に入れる為、他のプレイヤーに荒らされる心配もないという特徴もある。探知魔法や特殊な知覚能力を持たないプレイヤーには見えず、存在を感づかれにくいというステルス機能も搭載。
基本的には高難易度のクエストからの報酬品だが、最高クラスの生産特化プレイヤーならほぼ同等の物を作り出せる。この為そこそこ市場に出回っているが、当然のように超高額アイテムであった。
これを使えば自身のアイテム所持数枠を単純に増やせるのだから、それも当然であろう。
「さ、中に入ろう。僕、この中にも色々アイテムしまい込んでたはずだし、食べる物もあったと思うけど……」
『ほー、こいつも久しぶりだな。オレ様も入っていいよな、ユウリ』
「うわぁ!?」
「って、テュポーンっ。お前みたいな大きい奴が入れるわけないだろ!?」
いつの間にか二人の背後にいた黒竜に驚きつつも、ユウリはツッコミを入れるのを忘れない。
『分かってるって、癪だがお前らの邪魔にならない大きさになってやるさ。中にはいくつもベッドってのがあるんだろ? こんな宝も無い場所の地べたで寝転ぶなんざ、至高の竜であるオレ様に相応しくないだろうが』
そう言ってテュポーンは次の瞬間、ユウリの肩に乗れるほど小さな竜へと姿を変えた。
「えぇえ!? テュポーンって、そんな能力あったっけ!?」
『魔法だよ、魔法。高位のドラゴンってのは総じて魔法の達人だってこと、忘れたのかよ。言っとくが小さいからって、オレ様の強さまでは変わってないからな。そこは安心しな』
「そ、そうなんだ……」
悠々と自身の頭の上に乗った小さな黒竜に、ユウリはどこか呆れたような声で返す。ここまで普通に会話し、またゲームの仕様にはない姿へと魔法で変身するのだから、最早驚くよりも諦めのような感情を覚える。
その後すぐに気を取り直して、ユウリはマットを連れてコテージの中へと入っていった。
コテージの中は見た目とは違って非常に広く、十人以上が余裕で寛げるほどであった。リビングやダイニングキッチン、二階にはベッドが置かれた個室が複数。
このアイテムをデザインした人間の妙な拘りなのか、魔道具と言う扱いだがウォシュレット付きのトイレや全自動洗濯機、広々とした浴場までついているという、なんとも無駄に贅沢な造りでなのである。しかもそれらは全て魔法による保護が施されている為、汚れる心配がない。
「すっげーなにこれ!? お城の中!?」
「ただのコテージだって。まあ、見た目よりは広いけどね。マジックアイテムの効果ってところかな?」
「魔法の宝物……やっぱりあんちゃんは、本物の英雄なんだ!」
キラキラと目を輝かせるマットに、ユウリは苦笑する。自身はこんな風にストレートに羨望の眼差しを向けられた経験など無い、単なる子供だったのだ。
ゲーム内であっても中級者以下と接する機会は少なく、周りにいたプレイヤーは自分とほぼ同レベルの者ばかりであった。互いに切磋琢磨し、また散々馬鹿をやってきた、対等の立場で遊んできたフレンドたち。
その事を不満には思っていないし、寧ろ恵まれていたとすらユウリは思っている。だからこそマットのような反応には、どうしても違和感を感じてしまう。
「僕は英雄なんかじゃない。何もしたことなんてない……全部、ゲームの中だけの話だ」
そう呟く彼の言葉は、小さな少年には届かなかった。ユウリに向けられていた羨望の眼差しは、部屋の内部への興味と好奇心によってせわしなく移り続けていたからだ。
ユウリは小さく溜息を吐いたものの、すぐに気を取り直す。二人ともずっと裸だった為、鞄から衣服を出して着替えた。マット用の服は無かったので、コテージの中にあった自分の上着を貸すことにする。
マットが元々纏っていたボロ布は奴隷用だからか、異臭が酷かった事もあり、臭いを消せたとしても服として機能していないので、流石に廃棄するしかなかった。
なので何かの季節イベントで貰えた、世界観を若干無視したプリントTシャツを着せている。
防御力は皆無だが、レアドロップ率が若干上昇するというもの。マジックアイテム扱いではないので、サイズの自動調整機能はなく、マットの膝くらいまで隠してくれている。
欲しいアイテムが出ずに行き詰った者達が縋るように、半ば苦行の如く防御力を削って、このシャツを着ていたという悲しい逸話があるが、それは割とどうでもいい。
ユウリは素材などを収めた倉庫へと向かおうとすると、頭の上にいたテュポーンが、何かを感じたように頭を高く上げる。
『この隠れ家、豊水の無限石をつけているのか。またはそれに近い術式でも組んでいるのか? あっちこっちから水の気配がしやがる』
「そうなの?」
このコテージの中限定で、無尽蔵に水を使えるのは知っていた。だが一度に使える量に限りがあったし、調理アビリティ持ちなどがたまに利用するくらいで、滅多に使った事はない。
ゲーム的な意味で定期的に水分を必要としても、他のプレイヤーが作ったジュースなどが安価に売られていた事もあり、そちらを好んで飲んでいたという理由もある。
酷い時はポーションで誤魔化す事さえしたこともあるが、それもゲームならではと言えよう。
『ああ、間違いねえな。まあ水が幾らでも使えるってのは、お前らにはいいことだろ。オレ様は酒の方が良いんだがな』
「うわ、贅沢……」
『たまにはお前が溜め込んでいる神酒を飲ませてくれても、バチは当たらないぜ。相棒?』
図々しい要求をしてくる相棒に、ユウリは「考えとく」と素っ気なく返す。黒竜はそれも予想済みとばかりに、ギャアと一声鳴いた。
「すっげーっ、これ全部食べ物なの!?」
そう声を上げたのは隣にいた小さな少年。
倉庫内には様々な魔物の肉や魚、野菜が置いたあった。ほっと胸を撫で下ろすのも束の間、ある問題にユウリは気付く。
「……食べ物の素材だけあっても、僕は料理なんて作れないんだった……」
がっくりとうなだれている横で、マットは大量の食糧に目をキラキラと輝かせている。
ユウリは今まで料理やそれに類する作業を、一度もやったことがない。肉を焼く事すら出来ないと、自負しているほどに。
現実世界の彼は、そう言った作業とは全くの無縁であったし、ゲーム内であっても冒険に夢中で、興味すら持たなかった。
実際ゲーム上では、ユウリのような冒険をメインとしたプレイヤーが大半を占める。殆どは緩く冒険しながら、街や拠点でお喋りや観光を楽しむスタイルが多い。
その中でユウリは戦闘がメインの、武闘派と知られるギルドに所属していた事もあり、あらゆる技能が戦う事に特化しているのだ。これでは料理など経験するはずもない。
『ま、オレ様はこうなるだろうと思ってたけどな』
どこか呆れたように、テュポーンが首を振る。当然ドラゴンが料理など出来るはずがない。
「他のは知らないけど、果物は食べられるんでしょ?」
「そ、そうか。そうだよね。果物を食べればいいんだ!」
同じく料理などしたことが無いマットの言葉に、ユウリが復活する。
その後、倉庫内の果物を掻き集めてリビングに運んでいくと、それをテーブルに並べていく。
「よし、とりあえず食べよう」
「やったー!」
こちらに来て初めての食事は、ユウリには物足りなく感じるものだった。果物の味は悪くないし、一定の満足感はある。だが果物のみではどこか、おやつ感覚が抜けないからなのだろう。
隣ではマットが腹を膨らませて、満足そうに大の字で床に寝転がっている。
「マット、寝るならちゃんとベッドで寝なよ。二階の部屋、好きなの使っていいから」
「……」
ユウリがそう言葉をかけるが、マットからの返事はない。不思議に思って彼の様子を見ると、すやすやと寝息を立てていた。
『ま、今日は住処にしてた町から逃げ出して、オーガに追われてたんだ。小さな生き物ってのはすぐ疲れるものなんだろ? 全く面倒なもんだよな』
そう言いながら、あらゆる生物をダメにすると恐れられる、最高に座り心地のいいクッションの上で寛いでいるテュポーン。こちらも動く気はないらしい。
「……そ、そっか。もう、しょうがないなあ」
呆れたようにテュポーンを見つつ、ユウリはマットを抱き上げて二階に上がる。昼間も抱いていたが、とても軽い。こうやって誰かを抱き上げるのは、彼にとっては初めての出来事だ。
うっかりと落として怪我でもさせたらと思うと、少し怖くなって、ユウリは壊れ物を扱うような慎重さで、寝室へと向かって行った。