第三百二十六話「神剣と軍勢」
天へと向かう獣。七つの頭に十の角、十の王冠を持つソレは、新たな姿に変容していた。八つ目の頭が現れていたのだ。角も王冠も持たぬ、中途半端な獣とでも形容できるもの。
されど緋色の身体はしなやかに、気にする素振りも見せずに天へと駆け上る。憎悪を吐き出すように、身体から染み出る赤い雫は、悪魔となって零れ落ちる。
それは間違いなく八つ目の頭が関係していると、この光景を目にした男は確信していた。
「……実に迷惑な存在になったな。自身の神核は北の大陸にまだ存在しているというのに、この世界だけでなく自らの神核ごと捨てるつもりか。戦乱の邪神ジユムバーク!」
邪神の余りの身勝手さに、その光景を見たクロトが思わず叫ぶ。だが獣はこちらの事など、一瞥もしない。相手が矮小なヒトであると、そう思いあがっているのだから当然だ。
この獣は一度はこの世界を危機に陥れ、全ての神々とプレイヤーによって水底へと封じられていた存在。その上にたまたま邪神が虚無の大穴を置いていたのである。
そして虚無の大穴の封印を解いた際、長年その下で封印されていた獣の封印も一緒に解けてしまった。これには流石の邪神も予想外だったのだが、だからこそ虚無の大穴と言う、開けてはいけない牢獄を解き放ったその行動に怒りを覚えずにはいられない。
「別側面であっても、自身が生き残れればいい。獣と一体になれば生き延びれると、そう踏んだ訳か。獣に堕ちても構わないと言うその判断、絶対に後悔させてやるからな……!」
倒すべき敵。終わりを告げる獣を前に、クロトは決意を新たにする。
「さて……メガセリオンか。俺も相当に頭にキてるんだ。少しくらい、本気でぶつかってもいいよな?」
凄みのある笑みを浮かべ、クロトはメガセリオンを見る。周囲には誰も居ない。目の前には巨大な獣と、赤黒く染まった空と海とがあるのみ。
周囲を確認した次の瞬間、クロトは一瞬にして顔までも完全に覆う、重厚な全身鎧を身に纏った。それは彼の本来の武装である、神造鎧センチネル。
そして両腰に佩いている、神聖剣ゴッドブレスと魔神剣ブラックレギオンを抜き放った。背には折り畳まれた弓と風に靡く黒のマントに、更に無数に広がる剣の翼である無尽翼剣インフィニットが広がっている。
「これだけだと思ってくれるなよ……人としての範疇ではあるが、今回は少しだけ本気を見せてやる」
神聖剣と魔神剣。二振りの神剣の力を開放すると、彼の周囲に無数の天使と魔神が召喚される。しかも最上位の存在ばかりだ。本来なら呼べる数に制限があり、最高位ともなればそれぞれ一体ずつくらいしか呼べない存在。
彼は無意識ではあるが神の分身であるが故に、その辺りのリミッターが少しばかり外れているのだ。この場に居るクロトの能力自体はヒトの時のそれそのものであり、彼自身も最上位ばかり呼んだとは思っていないので気付けていない。
わざわざ見て確認などしていないのだから、当然と言えば当然ではあるのだが。
「まずはメガセリオンを抑え込む。全軍、進め!」
そう号令を発すると同時に、最高位の天使と魔神の群れは、巨大な緋色の獣に群がっていく。インフィニットが生み出す無数の魔剣が降り注ぐ中、岩と炎と氷の礫、荒れ狂う雨と風と雷が、この世の終わりの如く無軌道に力を解放する。
幸いにもここは遥か空の上、下も広大な海が広がっているお陰で、まだ各地に深刻な影響は出ていない。だが相手は世界級のモンスターであり、最大最強の一体なのである。あまり派手に暴れ過ぎれば、あっという間にこの世界が壊れてしまうだろう。
故に向かわせた軍勢は、世界を破壊するほど強大な力を有しながらも、まだ序の口なのだ。その目的は獣の動きを止める事であり、相手はまだ本気じゃない。クロトもまた本気を見せてすらいない。
クロトは左の剣で軽く空を切り、彼の騎竜であるレッドドラゴンのヴリトラを呼んだ。空が割れ、中から巨大な竜が悠々と躍り出て、目の前の緋色の獣を睥睨する。
ここで漸く彼の持つ最大戦力が、この場に集結したことになる。更にそこから追加とばかりに、クロトの持つゴッドブレスとブラックレギオンが、激しい轟雷と凄まじい爆炎を帯びたのだ。
「大神雷霆ケラウノス、開闢焔源リットゥ……どちらも実体を持たない、神象武装。それらをそれぞれ、神聖剣と魔神剣に纏わせる。喜べ、神剣クラスの大盤振る舞いだ!」
クロトの全力。それは様々な状況に柔軟に対応し、パーティを的確にサポートする魔法戦士としての彼が、滅多に見せる事のない切り札を見せる事をも意味する。
かつてゲーム内で彼がこれを出さなければならないと事態とは、彼がソロで強大な相手と戦うか、状況的にはジリ貧になりかけている場合に限定されていた。
つまり彼の全力を知る者は、決して多くはない。大抵の場合は他のプレイヤーの中に紛れているため、一プレイヤーとしての戦術、技量は把握されていても、彼の持つ個人の戦力までは完全には知られていないのだ。
「それとゲームではないからこそ、境界神だからこその使い方も見せてやる。来てくれシュル、イグ」
彼がそう言うと、何もない虚空から突然、二振りの剣が現れる。それは非常に刃の薄い、湾曲した片刃の刀身を持つ二振りの、シミターに分類される剣。
それらがひとりでに踊るように宙を舞い、そしてその柄には徐々にそれを握る手と、人の姿のようなものが見えてくる。やがてそれは確かな実体を得て、二人の裸の少年が姿を現した。
「シュル・シャガナ。神剣シュルシャガナ、ここに推参」
「イグ・アリマ。神剣イガリマが来たよ、マスター」
日に焼けた褐色気味の肌、美しい青い瞳、短くもぼさぼさに乱れた黒い髪。少年らしい薄い胸板に、しなやかに伸びるか細い手足。筋肉など殆どなく、華奢な見た目をしているというのに、手にしたシミターを自在に操る姿は、舞台で舞う美しい踊り子を想起させた。
手にした剣以外だと、手足や首元の装飾品以外は何も身に着けておらず、可愛らしい局部を堂々と晒しており、この異常な戦場では不釣り合いにも映る。
現れた二人の年の頃は十前後、優雅に、しかし内から溢れる元気の良さ、快活さを隠すことなく、クロトに向かって頭を下げた。そしてクロトも全く動じることなく、二人に対して小さく頷き返す。
「ああ。二人には悪いが、暫く一緒に戦ってくれるか?」
「もっちろん! な、シュル兄?」
「例え遊戯の役割、真の神でなかろうとも、ニヌルタ神の子の名を与えられたこの身。ならばその名に恥じぬよう、我らの仕えるマスターと、共に戦う事こそが誉。喜んでお供します」
シュルの言うように、彼らはニヌルタ神の子とされる男児であり、またニヌルタ神と同一視されるザババ神が振るう二振りのシミターが彼らなのである。シュルシャガナが兄で鷲モチーフの左手の剣、獅子モチーフの右手の剣であるイガリマが弟となる。
そしてこの二柱の少年神は、自分たちはあくまでもゲーム内での存在、役割であったことに自覚的であった。
神話的には彼らの伝承は決して多くはなく、その名には門の守護者と言う意味合いもあるようだが、弟のイグの態度はこの世界でかなり自由奔放に過ごしているからこそだろう。そもそもが自分たちは本物ではない、と理解しているからこそでもあるが。
「もーっ。かたいなー、シュル兄はー!」
「……お前が軽すぎるんだ、イグ! もうちょっと神剣としての自覚を持て!」
「そんなこと言っても、いつもは神の城で一緒に遊んだり、お昼寝してるじゃーん。こんな時ばっかカッコつけようとしても、無駄なんだぞー?」
「うぐっ……」
戦いの場だからこそ、きちんとするようにと兄であるシュルは言うが、弟のイグはどこ吹く風だ。弟に痛いところを突かれて、シュルは苦い顔をしている。
そんな彼らのやり取りを微笑ましく見つつも、クロトは表情を引き締めて口を開いた。
「二人とも。そろそろ始めるぞ」
「は、はい!」
「よっし、がんばるよ!」
本来ならこの二振りの神剣を常時、独立したNPCとして扱う事は出来ない。ゲーム中では本来、実体のない薄ぼんやりとした姿の少年のような影が、それぞれの神剣を手に一定時間戦ってくれる、と言うものに過ぎなかったのだ。
それがこの世界でクロトが神と成ってから、それぞれが実体と人格を持って、顕現するようになったのである。今回はその部分を利用した、神剣の六刀流とでも言うべき破格の状況を作ったのだ。
更に無尽翼剣の効果で無数の魔剣が敵に降り注いでいるので、最早その数は数える事さえできない。
「相手はメガセリオン。こちらはアイツを抑え込みつつ、この世界から切り離す。俺が『ユニバース・クリエイション』を使い、アイツを移動させる為にも、あまり過度にダメージを与えないよう気を付けてくれ」
「はーい!」
「手加減かぁ……うーん」
これは境界神クロトとしての仕事でもある。そう言う彼に対して弟のイグはともかく、兄のシュルの反応はあまり芳しくない。
その様子をクロトが少しだけ不思議に思っていると、相棒である赤竜のヴリトラが口を開いた。
『……クロト。我らには本気で戦うなと言う事か?』
「一応そういうことになるな、ヴリトラ。本番はアイツを限定世界に封じ込め、俺たちがその中に突入してからだ」
「なるほど。でも僕ら、手加減って苦手なんだよね……」
「じゃあぼくたちも、その限定世界ってとこでなら、本気出していい?」
すっかり普段の調子に戻ったシュルの反応が、あまりよくなかった理由は理解できた。
あれほどの邪気を撒き散らす存在を相手に、神剣が力を発揮しないわけにもいかず、またこの世界で実体を得て戦う経験が少なかったこともあり、手加減する事が難しいのも当然だとクロトも苦笑するしかない。
それならばとイグが、獣を封じ込めた後なら暴れられるかと聞いてきたので、苦笑しつつ首を横に振った。
「残念だけどそっちに行くのは、俺とヴリトラだけになる。事が済んだら、二人は神の城に戻っておいで」
「えーっ、折角来たのに!?」
「そんなっ、やっと役に立てると思ったのに!?」
クロトの言葉に二人はあからさまにガッカリしただけでなく、子供らしい柔らかな頬を風船のように膨らませた。役に立ちたくて来たのに、まともに働けないのは嫌だと不満を漏らす二人を見ては、クロトも仕方なく折れるしかない。
「……わかったよ。だけどユウ君たち、援軍の皆が来るまでだからな?」
「やったー!」
「よし、やる気アップだ!」
「やれやれ……」
自分の武器ではあるのだが、それ以前に人格と肉体を与えられた存在なのだ。泣き、笑い、喜び、悲しむ。喜怒哀楽がある存在を道具のように扱うのは、クロトとしても気持ちの良いものではない。
それに二人は幼い少年の姿をしながらも、神剣そのものでもある。神双剣児シュルシャガナ・イガリマとしてその力を発揮して貰わなければ、目の前の獣をクロト一人で抑え込むのは難しい。その為にも彼らには気分よく協力してほしいのだ。
「そうだな……メガセリオンの相手は今、天使や魔神が引き受けてくれている。シュルとイグは、メガセリオンから零れ落ちた赤い雫。悪魔モドキの殲滅を優先してくれ。ヴリトラもな」
そう言ってクロトが指し示した先には、赤い悪魔が生まれ、蠢いている。幸か不幸か、半数以上は虚無の大穴に飲み込まれたせいで身動きが出来ず、あのまま放置していても問題なさそうだ。
だがやはりそれなり以上の数が生まれている以上、放ってはおけない。
世界級とされる魔物は、この世界を埋め尽くすほどの雑魚をも、無尽蔵に生み出すもの。ベヒモスの時は傷ついた自身から生まれているが、今回は自身が喰らう世界を材料に生み出しているようで、早急にやめさせる必要があるだろう。
雑魚と言えどもこの世界では、かなりの強さを誇るバケモノでしかなく、この数を放置すればこの世界が残ったとしても、ヒトと言う種は例外なく絶滅しているであろう強敵である。
クロト達は即座に現状をどうにかするべく、行動を開始するのであった。
クロト周りはどれだけ設定を盛ってもいい……じゃなくて、なんでも出来過ぎるが故に扱いが難しいです。
まあ神様になった後の彼なので、なんでもありなのは仕方がないんですけど。




