第三百二十五話「城と大陸」
妖魔帝国軍を完全に滅ぼした。その報せに浮かれる暇もなく、彼らは驚きと絶望を突きつけられる。
遥か西の空に見える、赤黒い空。禍々しい雲に覆われ、世界を覆い尽くそうとしているかのような、恐ろしい光景であることは間違いない。
「……邪悪なる獣、メガセリオン。それが目覚めたと?」
全く隠すことなく頭を抱え、心底嫌そうにルグト女王マルガレータが口を開いた。他の王達も同様であり、誰もが幾重にも降りかかる難事に対して、すっかり疲れ果てているのが見て取れる。
「ええ、残念だけれども。今はクロトちゃん……いえ、神官のクロト殿が抑えているので、我らはこれから獣の討伐に向かうつもりです」
各国の王と高官たちが居る中で、ハッキリと告げたのはネクロであった。優雅でありながらも堂々とした立ち居振る舞いに、すっかりこういった場に慣れてしまったことが嫌でも分かる。
流石にユウリではまだまだこういった振る舞いは出来ないので、立場上ネクロかレイがその役を負うことになっているのだ。単にユウリのやる気と態度の問題でしかないのだが。
「それで天空城は、どうするつもりじゃ?」
「えっと……怪我人はまだ沢山いると思います。全員を乗せて向かってもいいけど、何か出来る訳じゃないし……」
「であれば、ユウリの連れている黒竜。テュポーン殿の翼で、討伐に向かうのだな?」
女王の言葉に、ユウリも思わずそうだと答えそうになる。だがそれよりも先に口を開いた者によって、彼が言葉を発することは無かった。
「天空城も、現場に向かうべきであると主張します。この世界の浸食から、少なくともこちら側の大陸を守るためにも、この城を盾にするべきかと」
「それってどういう事、レムリアさん?」
突如として話に割って入って来たレムリアに、各国の上層部が思わずギョッとしたような表情を浮かべ、ユウリも不思議そうな表情を見せる。
それも当然の話で、この天空城は現在外部からの危険に対して、「世界で最も安全な場所」に他ならない。当然他国との対策会議など意識のすり合わせなどが必要なので、頻繁に各王がや高官たちが話し合いをしているが、彼らがここに居るのは何もそれだけが理由ではない。
この場所の安全性と、どの王宮をも超える快適性。寝心地のいいベッドや清潔で臭くないトイレなど当初なかった設備も、今や立派なものが取り揃えられている。
ユウリの持つセーフハウスカードの物と比べるとまた一段落ちるが、この世界ではまだまだ十分過ぎる代物だろう。当然ながら料理も非常に美味であり、王族ですら早々お目に掛かれない珍味ばかりでもある。
そんなこの城の贅沢を知った今、普段自分たちの住んでいる場所に戻るのも、少しばかり勿体ないと感じるのも当然の事。可能な限りあれやこれやと理由を付けて、滞在できる状況を作っているのだ。可能ならばそれを自国で再現できないかと、各々が企んでもいる。
それが最も危険な、邪悪なる獣との戦いの最前線に向かうとなれば、自分たちの住むレシアーテ大陸を護るためとはいえ、面食らうのも仕方がないだろう。
「この城自身には、ギルド【ユグドラシル】を護るための防壁が存在しています。それならば生半可な攻撃では、ダメージにはなり得ません。しかも群島となったことで防御範囲が広がっており、現在の出力ならば浸食やメガセリオンの攻撃に耐える事は、十分に可能であると考えられます」
「……そうなると、私の国がある西の大陸が守られない事になる。どうしようもない事は理解できるから、ここは割り切るべきなのかもしれないけれど」
レムリアの説明に、西のノルム大陸に国を構えるレイとしても、少しだけ苦言を呈さずにはいられない。だが天空城は一つであり、またこれはレシアーテ大陸に住まうユウリの持ち物でもあると理解しているからこそ、割り切るしかないと言っているのだ。
「わたくしも、何か力をお貸しできればいいのですが。お姉ちゃんが治めるあの国の人々に累が及ぶのは、こちら大陸の方々が傷つくのと同じくらい胸が痛みます」
「クロくんの力で、どうにか出来ないかなぁ?」
「……そもそもの話、獣はこの世界を浸食していると言う。その影響を切り離すため、神官クロトは向かったのだから、彼を信じるしかないんじゃないかな?」
自分たちも全く無関係ではない、レイメシア国の人々の安否が気にかかるからこそ、ユナも自身の力でどうにかできないか、そう考えているのだ。
だが実際に今、最前線に向かっているのはクロトただ一人。彼の境界神としての力が必要である以上、只人でしかない彼らには信じて待つ以外に他はない。だからこそユウリやベリエスは、希望的観測でしかない言葉を持ち出すのが精一杯なのだ。
「そうね。ここはクロト殿を……信じましょう。いえ、信じます」
「アタシもレイ陛下に同意するわ。神様で無理だっていうのなら、アタシ達みたいなのに、どうにか出来る訳が無いじゃない」
仲間たちの気遣いが嬉しかったのか、レイは僅かに微笑み、前を向いた。各国の王もそれを見てほっと胸を撫で下ろし、ここで不毛な論戦にならなかったことを喜ぶ。実際そんな事に掛ける時間が勿体ないのだ。
ただし約一名、お前が言うなと言いたくなる存在がいるが、気にしてはいけない。碌な事にならないのだから、絶対に無視するしかないのだ。
あの魔王バルバシムでさえも、溜息を吐きながらも、何も言わないでいるのだから。沈黙は金である。
「ユウリ様。如何いたしましょうか?」
レムリアの言葉に、皆がユウリに視線を向ける。この天空城に関して全ての決定権があるのは、城主であるユウリのみ。少年は一つ頷いてから、口を開いた。
「うん、行こう。でも一緒に戦った皆の手当てが終わって、残りたいヒトだけで向かう。それでいいよね?」
時間は掛かるが、こればかりはどうしようもない。それを予見していたからこそクロトも、一日はどうにか持たせると言ったのだと思うしかない。
「……ここで逃げては、王の名が廃ろう」
「邪悪なる獣が如何ほどのものか、見ておくのも悪くはない」
そんな事を王達は口々に言い、しかしすぐにこの新たな決戦について周知するよう、即座に手配している。
こうして彼らの方針は決まった。およそ半日ほどかけて天空城に残る者、天空城から避難する者が分かれ、そしてレシアーテ大陸の西へと動きだすのであった。
あの後ユウリ達は移動の手伝いや荷物の運搬など、プレイヤーたちもその有り余る技能や身体能力を駆使して、忙しく働いて回った。そうして全てが終わり、天空城が移動を開始して漸く休めると、夜遅くに自室で腰を落ち着けた時であった。
アトラシア帝国の皇太子であるテオドールが、面会を求めてきたのだ。こんな時間に不思議に思いつつも、何かあったのかとユウリは快く彼を招き入れると、テオドールの傍らには見慣れない二人の少年が控えていたのであった。
「改めまして、ユウリさん。ぼくはクロトさまの従者、セシルと申します」
「おれ、エミルだよ」
突然現れた二人を見て、ユウリだけでなく【ユグドラシル】の面々も、不思議そうな表情を浮かべている。
ユウリ達は彼ら二人の事を、全く知らないわけではない。この城が十分に稼働するため裁縫や調理、農業や調薬といった作業をしつつ、ユウリの従者たちにもそれらの技術、アビリティを教えてくれていたのだ。恩人であって、邪険にする理由すらない。
だがクロトの従者である事はいいとして、何故このタイミングで彼らが来たのか。その理由がよく分からないのだ。
しかもテオドールを伴って、なのである。彼を通してユウリと面会したいとの申し出だったので、少しだけ繋がりがよく分からない。
「……まあ、色々とあってね。実はクロト殿よりも彼ら二人との方が少しだけ、個人的に付き合いが長いのさ」
そう苦笑するテオドールに、誰もがただ首を捻る。しかし今はそれを気にしている場合ではなく、時間も無いのだ。なので来訪者であるセシルとエミルの真意を問うべく、代表者としてユウリが先を促した。
「ええと、この城の主のユウリです。それでセシルとエミルは、どういう用できたの?」
「はい。クロトさまに仕える者として、クロトさまからのお言葉を届けに参りました」
「クロくんからの言葉?」
その意外な内容に、誰もが驚く。そもそも自分にメッセージを寄越すだけなら、折角作った魔法の通話具があるのだ。それを通して行えばいい筈なのに、それが出来ないほどに手が離せないのだろうかと、思わず考えてしまう。
だがそれ以上に不自然なのは、彼らがどうやってクロトから伝言を受け取ったのか。彼は事前にこの事態を予想していたのだろうかと、勘ぐってしまうのも当然である。しかし返ってきた答えは、予想とは全く違うものであった。
「おれもセシルも、クロトさまの神官だよ」
「従者としてお傍にお仕えするのですから、主が神で在らせられるのなら、その言葉を賜る神官となるのは当然です。なのでこれは境界神様から、ぼくたちに直接与えられた神託と役目そのもの。心して聴くように」
エミルからの意外な、しかし考えてみれば当然とも言える理由に、一同は納得するしかない。そして厳かな空気を醸し出すセシルを前に、誰もが思わず背筋を伸ばして彼の言葉を待った。
「それではクロトさまからのお言葉を、ユウリさんに伝えます。「邪神の別側面が、獣の一部となった。そのせいでこの世界から切り離すのに時間が掛かっているから、もう少し遅れても構わない」と。そして「他のプレイヤーの面々とも共有するように」とのお言葉です。すぐにやるべき事を行ってください」
そう告げられた神託に、一同唖然とするほかない。テオドールさえも知らなかったらしく、驚きを通り越して無表情になっているのだから、相当な衝撃だったことが伺える。
「では確かに境界神様からのお言葉、神託をユウリさんにお伝えしました。ぼくらはもうこの城で働く必要はありませんが、クロトさまの従者として、クロトさまのお帰りをこの城で待たせてもらいます」
「うん。ユウリさんの従者とも、たくさん仲良くなったもんね。みんなを守りたい」
淡々と話を進めるセシルに、穏やかなエミルの言葉はこの場に居る者としては、とても有難かった。なんとか現実に引き戻された面々は、すぐにでも動こうとそれぞれが部屋を出ていく。
ユウリはそれらを見送った後、改めてセシルとエミルに向かい合った。何故なら先程のエミルの守りたいと言う言葉に、少しだけ気になったことがあるからだ。
「えっと、うん。クロくんの従者の二人は、どれくらい強い? 見た感じ、そんなに強くはなさそうだけど……」
「ぼくらはこの世界に来てからですが、クロトさまから戦いの手解きを受け、見合った武具を賜っています。直接この戦いに出る事は禁止されていますが、有事に城を守るくらいなら、多分お手伝い出来るはずです」
「うーん……」
セシルの言葉を聞いて、ユウリは考え込む。ぱっと見、二人の実力はテオドールと比べても、相当に見劣りするレベルだ。マットよりは強いかもしれないが、それでも誤差の範囲だろう。
しかし武装の方も加えた場合は、その限りではないはずだ。わざわざクロトが二人に持たせた装備ならば、まず間違いなく魔法の武具に違いない。だがそれでもやはりテオドールどころか、ステラにも届くか怪しいと言うのがユウリの見立てだ。
「えっと、無理せず、安全なところに居て欲しいな。クロくんが悲しむのは嫌だし……」
「……っ! お気遣い、ありがとうございます」
「ユウリさん、ありがとう!」
セシルとエミルが、感動したようにユウリに頭を下げる。自分たちよりも、主であるクロトの心情を優先してくれたことに対して、二人は従者として喜んだのだ。
そうして二人はテオドールと共に退室したのを見送って、ユウリはぼんやりと天井を見上げた。
「……皆とまた話し合わなきゃ。急に忙しくなっちゃったなぁ」
次から次に厄介ごとが現れる。しかし今度こそは自分たちが戦うしかなく、この世界の行く末が掛かっているのだ。その重圧を自分が背負えるのか、自問自答するが答えは出ない。
ただ同じようにこの重圧を分かち合える、友人たちが居る事が、何よりも有難かった。




