第三百十七話「魔女」
突如として、暴風が吹き荒れた。それはオーガさえも軽々と吹き飛ばし、こちらの軍にも少なくない被害を齎す。敵味方を問わない、破壊の衝撃。
「そういうのは、少しばかり困るんだ。もう少し上品に登場して貰いたいものだな」
そう言ってベリエス卿が盾を構えて展開する力の障壁が、正面から衝撃とぶつかり合う。当然の如くその力を完全に受け止め、殺しきる防御力に、同じように盾を構えていたウルツ卿が、少しだけ不満気な様子を見せていた。
「儂の出番がないではないか……。それはまあいいとして。どうやら本命がやっとこさ、食いついたと見て良さそうじゃの?」
「ハッ、神々から与えられた加護のお陰もあって、雑魚どもを蹴散らすのも飽いていたところだからな。我らの役目を果たそうぞ!」
馬から降りてウルツ卿とカーチス卿が、それぞれの聖槍と聖剣を構える。抉れた大地、その奥からゆっくりと歩いてくるのは、全身を黒い鎧で覆った、通常のオーガの倍近くはある巨人そのもの。
周囲には王級のオーガタイラントや悪魔を複数侍らせ、禍々しい巨大剣を軽々と担いでいる姿は、ただそれだけで戦意を失わせるほどの威容だと言えた。
「ひっ、あ、あれがオーガ……? あんな大きいなんて、嘘でしょ!?」
向かってくる相手の持つ気配の強大さ、威圧感を肌で感じたカペルは慌てて三人の後ろに隠れるように地上に降り、ただの幼子のように震えあがっている。
それは無理からぬことであり、妖魔王と戦うと決めていたカーチス卿やウルツ卿ですら、戦う前から冷や汗が流れているほどなのだから、無理からぬことではあった。
「あれが妖魔王……と言うやつか」
「悪魔も大概じゃが、あやつらは上手く隠しておるようで、あれはあれで嫌らしい。妖魔王の節操のない覇気の方が、まだ有難いくらいじゃわい」
「……周囲の邪魔な取り巻きは、こちらで何とかしたいところだけれど」
妖魔王の取り巻きの対処に手間を取られると言う事は、それ以外は自軍の兵が自力で何とかしなければならなくなると言う事でもある。それは神々の加護を貰った現状であっても、やや分が悪いのだ。
ただのオーガはともかく、上位種というのはそれだけの隔たりがある相手。自国の王太子であるヴィクター率いる、魔銃騎士団による火力支援だけでは少しばかり心許ない上、加護の力は魔銃の威力そのものには何の影響も与えていないのも原因であった。
何故なら魔術は魔法の再現であり、ヒトの魔力ではなく道具の魔力を使って発動させている力だからだ。この戦場に居る一般の兵士らはともかく、魔銃騎士団にとっては折角の加護もただ持て余すだけになり、無意味ではないが役立てるのも難しいのである。
「貴様らが聖剣使いか。この妖魔王の宿敵であろうとする、思い上がりも甚だしい愚か者ども」
重く響く声は力に満ちており、心の弱い者であれば即座に気を失ってしまうかのような、妖魔王の声。三人の騎士は油断なく構え、相手の出方を伺っている。
近くまで来た妖魔王は邪剣を担いだまま、逃げる様子の無い彼らを睥睨し、獰猛な笑みを浮かべていた。
「我が名は妖魔王ガイオス、全ての妖魔王の頂点に立つ者。貴様らの愚かしい蛮勇、嫌いではないぞ。我が邪剣ダーインスレイヴの贄となり、我が名を記憶に刻みつけたのち、冥府で我が名を称える事を許そう」
「我らとて負けられぬ理由がある。その首を頂こう、ガイオスとやら!」
「邪神なるものの企み、ここで阻ませて貰おうぞ!」
そう言葉を交わし合った次の瞬間、妖魔王ガイオスの姿が一瞬消えたように見え、次の瞬間には激しい衝撃波と共に、ウルツ卿とカーチス卿とぶつかり合い、鍔迫り合っていた。
同時に取り巻き達も動き始め、それらをベリエス卿が迎撃し始める。
唐突に始まった、常人にはとても手出しが出来ない戦いに、他の者たちは巻き込まれないようにするのが精一杯であった。魔銃騎士団を率いるヴィクターも、その戦いを遠目で見ることしか出来ずにいる。
「くっ……これが、妖魔王と呼ばれる存在の力か。魔銃騎士団よ、他の魔物を聖剣使い殿たちに近付けるなっ。効果が薄くても構わん、撃て!」
離れていてもその衝撃の強さに圧倒されながら、しかしヴィクターは迷うことなく指示を出す。この戦場において、妖魔王は必ず討たなければならない、最重要目標。そしてそれを討つ役目は聖剣使いに託されている。
自分たちのやるべき事は、聖剣を持つ者たちが妖魔王との戦いに集中できるよう、他の魔物を寄せ付けない事。魔銃騎士団の面々は各々が魔銃と呼ばれる杖を構え、狙いを定めてはオーガタイラントや他のオーガの上位種に魔術弾を放っていく。
この際ベリエス卿に対して、配慮は一切しない。そんな余裕などないし、彼ならば大丈夫だと言う信頼もある。また残念ながら悪魔への対処はベリエス卿任せになるが、それは仕方のない事だと割り切るしかない。
それはルグト王国の鉄剣騎士団や鋼壁騎士団も同様であり、更に言うならば他の国々の兵士たちにも出来ることは無い。更に言うならば、妖魔帝国の軍勢は依然としてこちらに押し寄せてきているのだから、それどころではないと言う部分もあるにはあるのだ。
「妖魔王とやらが出てきたようですが……ハッ、この感じは!?」
ベリエス卿の後を引き継いで、急造の魔術部隊を指揮していたネスティーナは、何事かを感じ取って慌ただしく周囲に視線を向ける。
その間は当然ながら魔術部隊は機能不全に陥るが、そもそも彼らは直接的な戦闘を余りしない上に、急に降って湧いてきた神々の加護とやらのせいで、魔術による支援自体が殆ど意味の無いものになってしまっている。
なので元々士気も高くない彼らには、そろそろ負傷者の撤退支援をさせて、適当に下がらせようと考えていたところなのだ。なので非常に都合がいいと、そんな事を考えたネスティーナは即座に実行に移すことを決め、部隊に指示を出す。
そしてそのまま彼女は飛行魔法で宙を舞い、前線へと向かって飛んでいくのであった。
「う、うわああああああっ」
妖魔王と聖剣使い達がぶつかり合う力は凄まじく、一見してそれらは魔法による破壊にも似ているとすら感じられる。
カペルなどはその衝撃に耐えきれるはずもなく、為す術もなく吹き飛ばされるしかなかった。幸い衝撃そのものにダメージを受けることは無かったが、このままでは地面に激突するなりして、怪我をすることは間違いない。
満足に姿勢を整える事も出来ず、ましてや飛行や浮遊の魔法も、こんな状態で冷静に詠唱できるはずもなく、なすがままの状態で吹っ飛ばされるしかなかった。だからこそ少年は目を閉じて、地面にぶつかる衝撃に恐怖しながら、その時を待つ。
しかし予想に反してその時は訪れることなく、何かにぶつかりはしたが、柔らかく受け止められたような感覚によって、自身が助かったことをカペルは知った。
彼を優しく抱きしめるようにして、窮地から救ったか細い手。小柄とはいえ難なくその身体を受け止め、激しく打ち合う妖魔王と騎士たちの戦いを前に、小動もしない堂々とした姿。それが誰であるかと気付くのに、カペルは随分と時間が掛かってしまった。
「……はあ、手間のかかる子。カペル、この程度の衝撃は君なら、どうにでも出来るでしょう? 魔法士の心得を忘れたの?」
「へっ? えっ? あっ、おっ、お師様っ……!?」
呆れたような声を聴いて、漸く自分を抱き止めて守ってくれた相手が、誰であるかを悟る。
魔族の少年の表情には驚きと安堵、隠しきれない喜色が滲んでいるのが分かった。だからこそ彼を受け止めた相手、彼の師であり、仕えるべき国の王でもあるレイは、一段ほど声のトーンを落とす。
「カペル。魔法士の心得、その一は?」
「ひっ、ひゃいっ。ま、魔法士は、常に全体を見通し、冷静で在らねばならない、ですっ」
「今の君は、その心得を守れているの?」
「……ごめんなさい」
流石に国でもトップクラスの魔法士がこの体たらくでは、幾ら何でも情けないにも程がある。だがそこで冷たく見放せないのは、育ての親としての情が強いからでもあり、彼女自身も内心、この場に居合わせられてよかったと胸を撫で下ろしていた。
「実戦経験が乏しいとはいえ、それでは国を守る魔法士としては失格。だからこそ今ここで、経験を積みなさい」
「は、はい……お師様」
分かりやすく落ち込む弟子を見て、レイはあえて表情に出すことは無い。この戦場が過酷であるからこそ、何時か自分たちの国でも似たような事件が起こるかもしれないのだ。
その予行練習としても、この戦いは都合がいい舞台なのである。
カペルが浮遊の魔法を使ったことを確認してから、レイは彼から手を放す。そして少年にやるべき事を、指し示さなければならない。
「さあカペル。君の力で、聖剣の担い手に」
「お師匠様!!」
「……」
レイの言葉を遮るように、女の声が彼女の耳に届く。小さく息を零し、振り返った視線の先には、彼女のよく知る女の姿があった。
「……ネスティーナ。貴女、自分が任された部隊はどうしたの?」
「神々の加護のお陰で、魔術はほぼ無意味であると判断し、負傷者の撤退支援に回しました。撤退支援にはネスティーナは不要。戦力的に考えても、このネスティーナは前線に出るべきであると判断しております」
堂々と、そして誇らしげに胸を張る彼女の主張に対して、レイもそこまで間違っていない気がすると、納得するしかない。
事実、彼女ほどの魔法士を遊ばせておくには、この戦場は過酷すぎる。しかもあの妖魔王との戦いが始まったのだから、彼女こそ参戦するべきであろう。それが可能なだけの、実力がある魔法士なのだから。
「そこの未熟者はともかく、このネスティーナはお師匠様のお手伝いに参上しました」
「だ、誰が未熟も……もががっ」
こんな状況でも、ネスティーナに食って掛かろうとするカペルの口を、レイが即座に塞ぐ。状況が状況だと言うのに、いつも通りな弟子たちに頭を抱えつつ、育て方を間違えただろうかと、レイは少しだけ遠い目をしてしまう。
「……私の手伝いは不要。それよりもカペルと共に、聖剣使いの方々を助けてあげて」
「承知いたしました、お師匠様」
レイの言葉にネスティーナは、優雅にお辞儀をして応える。そんな二人を見て、カペルは慌てて口を開く。
「お、お師様!? ぼくもっ! ぼくも頑張りますから!?」
「……ん、任せる。私は悪魔の相手をするから、近寄らないように。……それと、その前に」
「?」
少年の必死な様子に、少しだけ表情を緩めるレイ。だがネスティーナは彼女の様子に、少しだけ首を傾げていた。
「他の兵が少しでも楽になるよう、邪魔者の掃除もしてからね。二人とも、私に合わせなさい」
「は、はい!」
「畏まりました。お師匠様の仰せのままに」
少しでも自軍の被害が減るようにと考え、レイは魔法の詠唱を始める。それに合わせて、カペルとネスティーナも続く。
朗々と魔法が編み上げられていく間でさえ、自分たちに群がろうとする魔物の数々。それらを軽く蹴散らしていくのは、何時の間にかレイに召喚された霊獣たち。
「蹴散らす。二人とも、続きなさい。『ホーミング・レイ』」
「行きます。『トルネード』!」
「はいお師様。『エクスプロージョン』!」
光が、風が、炎が。妖魔帝国軍を、容赦なく薙ぎ払う。広範囲かつ圧倒的な破壊は、妖魔王ガイオスが現れた時の比ではなく。
立て続けに放たれた破壊の力に、悪魔達ですら震撼せざるを得なかった。




