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第二十一話「害獣を退治しよう」


「問題なのは、畑を荒らした猪がまた西の森に戻ったってことよ。探すのが大変だから、ちょっと難しいわね」


 もうじき昼になろうかという時間帯。穏やかな風が吹き、太陽の日差しはますます強くなっていて、少し動くだけでも汗ばむ陽気となっている頃。ステラがそう零した。

 普通に考えるなら、ユウリやヘルガの武器は森の中では振り回しづらく、適していない。また森の中は視界が悪く、その土地を知り尽くした狩人や森の民であるエルフなどでなければ、狩りをすること自体が難しい。

 狩りをする側が狩られる事も珍しくない、そういう世界なのだから。


「確かに、森の中ってのはこちらも武器が限られてしまう。奥に行けば行く程、木々と草が密集して足元さえ見えなくなる事も少なくない。まあ、私の場合は自分のツメがあるから問題ないんだけど、ユウリは違う武器はあるのかい?」


 ステラの様子にヘルガはその意を汲んで、自らの細くしなやかな指先に伸びた鋭い爪を示し、己は大丈夫だと宣言する。そして自分はどうかと尋ねられたユウリはというと、少しだけ悩んでから魔法の多機能鞄を出して、中から幾つかの武器を取り出した。


「んーと、森の事を気にしないでいいんなら、今の剣でバンバン木を切ってしまうのが早いんだけど、多分駄目だよね? そうなると使える武器が限られるんだけど。僕はほら、大剣使いだし」


 そう言って自身の剣を示しながら、取り出した武器を見て悩んでいる。どれもこれも、普通の武器とは思えないほどに美しく、しかし恐ろしい力を秘めているだろう事がわかる、そんな物ばかりであった。


「あ、アンタ一体何と戦うつもりなんだい……?」

「あれだけ強力な武具を持ってて、他にもあるなんて聞いてないわよ!?」

「英雄は魔法の宝物で、色んな事が出来るんだもんな!」


 どう見ても、たかが猪狩りに使うようなものではない事が分かる物ばかりだ。

 ヘルガは冒険者としての経験で、ステラは魔力を扱う能力によって、そしてマットは英雄はそう言うものだと思っている為、それぞれの反応は微妙に似ているようで違っていた。


「僕は武器蒐集とかあんまりしてないから、そんなに持ってないんだけどね。持てる数に限りがあるし。でも流石に神剣とか最高クラスの魔剣や聖剣はとってあるんだ」


 何やら聞き捨てならない台詞が聞こえたが、今はそれどころではない。彼ら彼女らの前にあるのは、禍々しくも美しい、炎を纏った剣。どこか禍々しくすらあるはずなのに、不思議と無垢な印象を受ける木剣。奇妙な穂先をした骨の槍。何処にでもありそうにも見え、しかし圧倒的な聖性が見て取れるほどに美しい槍。

 他にも幾つか取り出しているが、どれもこれも人界にあって良いモノではないと、本能的に告げている。

 それらの圧倒的な存在感は、しかし周囲を脅かす事もなく、静かにその場にあるという、非常に不可思議な状況になっていた。寧ろそうでなければ、ユウリ以外が死滅している可能性すらあるほどに、危険な代物ばかりなのだが。


「んー、どれもちょっと使いにくい物ばっかりなんだよな。レーヴァテインじゃ森が燃えちゃうし、ミスティルテインは僕のフラガラッハとそんなに変わらないし。ゲイ・ボルグとロンギヌスは、槍だから上手く使えないし……」


 そもそもどれもこれもが、森で使う事を前提としてない武器ばかり。その武器一つで大陸どころか、世界そのものにどのような影響を及ぼすか分かったものではないのだが、当然ながらユウリに理解できるはずがない。

 この世界に来てまだ三日目なのだから当然と言えば当然なのだが、それでも自分の持っている武器の、ゲーム内基準でのレアリティを考えても十分不用心である。


「いいから、それらをさっさとしまいな!? そんなのが必要になる敵なんてまず出てこないから!」


 目の前の異常性に、ヘルガが思わず懇願するように叫んだ。昨夜ブラックドラゴンのテュポーンと顔を合わせていなければ、自分でもどんな反応になっていたか分からない程に、ユウリの行動は非常識そのものである。

 どこの世界にこんな、一目で強力だと判る魔法の武具を地べたに並べて、どれにしようかと悩むヤツがいるというのか。


「他にもあるんだけど、ヘルガさんの言う通りだよね。じゃあ、素手で殴った方が楽かな?」


 目の前に広げた武具をしまいながら、ユウリは気軽に答える。何処の世界にたかが猪相手に、ヒトの世界に在ってはならないレベルの聖剣魔剣の類を使おうという輩が居るのか。例え魔物の類であっても、それらを使う程の相手ではない。絶対に。

 既に先行きが不安に満ちているこの状況で、常識のある女性陣は遠い目をせざるを得なかった。


「全くもう、寿命が縮むかと思ったわよ。膨大な魔力や生命力の塊みたいな物を持って、なんで平然としていられるの……」


 そう零したステラは、不意に森の方へと視線を向けた。

 精霊が騒がしい。何らかの異常が起きている。それは間違いなく、先程ユウリが取り出した奇妙な武具の力によって、引き起こされた事は確実だった。

 ただ在ると言うだけで、あれらの武具は森にも少なくない影響を与えてしまったらしい。


「何か来るわ。みんな気をつけて!」

「……ったく、言わんこっちゃないね。確かに何か来てるみたいだけど、ただの獣じゃなさそうだ」


 ステラが剣を抜き、何時でも魔法を使えるように備える。彼女の前に立つように、ヘルガは愛用の大きなモールを構えた。その隣には既に大盾と大剣を構えたユウリが並んでおり、何時でも戦えると笑っている。

 ただ一人、マットだけは彼らの反応から随分と遅れて、慣れない剣と盾を構えている姿が、妙に微笑ましかった。

 しかし誰一人として油断はしていない。ヘルガも相手が只の猪であるならば、手出しをするつもりはなかったのだ。それが迷わず武器を構えたと言う事は、相手は間違いなく魔物の類。


「ステラさんが最初に魔法を掛けたら、僕が盾で相手を抑えて動きを止める。マットは敵の攻撃を避ける事に集中して。僕がトドメを刺せなかったら、ヘルガさんは追撃よろしく!」


 瞬時に指示を出す姿は、今までの世間知らずで幼げな少年というイメージから掛け離れた、戦い慣れしている武人のそれだ。全体への指示出しをしながらも、戦った事のないマットへの気遣いも忘れない。この少年の普段と比べて、余りにも不自然であり、そして余りにも自然過ぎた。


(なるほどね。あの黒いドラゴンがくっついてるのも、納得がいく。あの一瞬で戦い方を組み立てる切り替えの早さ、自分の実力に自信があるからこそ、分からない相手に真っ先にぶつかりに行こうとする度胸。全く、本当に先が楽しみな子だよ)


 そんな風にヘルガが微笑みを浮かべていると、森の方から轟音と共に巨大な影が、物凄い勢いで飛び出してきた。



 姿を現したそれは、大人よりも遥かに大きい猪だった。その巨体を支えるに相応しい、太く逞しい四肢。まるで金属のような光沢を見せる黒い毛皮。余りにも大きく、そして鋭く頑丈そうな牙。爛々と燃え盛る瞳は、狂気の色に染まっている。

 土煙を上げて猛然と突撃してくるそれは、ファングボアと呼ばれる初心者向けの弱い魔物なのだが、少々様子が違っていた。


「あれ、まさかレア個体? うーん。無駄にタフなだけだし、僕なら一撃で終わっちゃうなぁ……」


 誰にも聞こえないよう、小さく零す。幾らレアなユニーク個体とは言えど、所詮はゲームの最序盤に狩る程度の相手。ユウリとしては雑魚どころか、うっかり蹴飛ばしただけでも倒せてしまう程度のモンスターでしかない。

 これがもっと強力なモンスターのレア個体であれば、より強力な攻撃や特殊能力を備えており、一筋縄ではいかなくなるのだが、この程度ではその辺は全く期待できないのである。

 ハッキリ言って不満なのだが、ヘルガやステラの反応を見るに、そうでもないらしい。


「……まいったね。あんなファングボア、見た事ないよ。倒せない相手じゃないけど、ちょいと時間がかかりそうだ」

「まったく、同じファングボアなら普通のにして欲しいわ。あの手の変異種は生命力だって高くて、手を焼かされるんだから」


 確実に倒せる相手だが、面倒だ。そんな風にぼやく二人を横目で見ながらマットの方へと視線を向けてみると、初めての戦闘でガチガチに緊張しているのが分かった。

 そうこうしている間にも、あの猪はこちらに向けて突進してくる。ユウリとしてはサクッと終わらせたいところだが、ここは最初の作戦通りに動くことにしようと、大きく削がれたやる気を感じさせぬよう、しっかりと盾を構えた。


「来るわよ! 『土に微睡む精霊よ。さあ、悪戯の時間よ。間抜けの足を絡めとれ。スネア!』」


 歌う様に魔法を行使する姿は、とても神秘的な光景であった。とはいえ使った魔法自体は、非常に地味で嫌らしい類のモノ。

 ボコンと突然足元に穴が開き、丁度その地面を蹴ろうとしていたファングボアは、ものの見事に穴に嵌ってすっころんだ。そこへすかさずユウリが駆け寄り、暴れようとするファングボアの鼻面に、勢いよく盾をぶつけた。

 その衝撃で自慢の牙が片方折れ、鼻血も出ているし頭がくらくらとするほどの大きなダメージを負っているのだが、ユウリとしては相手を倒さないよう、慎重に手加減した結果なのである。


「ヘルガさん!」

「任せなあっ!」


 ユウリの声に合わせて、ヘルガが左から回り込み、掬い上げるようにモールを振るった。上からではないのは、ファングボアの毛皮の堅さや耐久力に対して、柔らかい腹の側を攻撃した方が効率的だからである。同様に頭を狙わないのは、ユウリが盾で抑え込んでいるからだ。



 骨が砕けるような鈍い音を幾つも立て、巨体が僅かに浮くほどの衝撃がファングボアを襲う。その一撃で正気に戻り、怒りのままに暴れようとヘルガの方を向こうとした直後。

 猪の視界は、突如下へとずれ落ちた。


「じゃ、これで終わり」


 そんな気の抜けた台詞を理解できたかどうかは分からないが、ファングボアと呼ばれる猪はその頭と胴体が離れた事で、ぷっつりとその意識を途切れさせる。


 一瞬の出来事だった。ヘルガが猪に一撃を見舞った直後、体勢を立て直そうとするファングボアの首を事も無げに、ある意味で雑に振り下ろしただけの剣によって、綺麗に切り落としたのだ。

 それを目の前で見ていたヘルガは思わず開いた口が塞がらず、その剣の持ち主を凝視してしまった。

 彼女の視線の先に居たのは、当然ユウリだ。幼げな少年は大剣を軽々と片手で振るい、恐ろしく硬いはずの魔物の首を、一振りで切り離してしまったのである。

 頭を切り落とされた胴体からは、どくどくと絶え間なく血が噴き出し、ビクビクと痙攣していたがそれもすぐに納まった。

 辺りに血の匂いが漂う。それが今この瞬間、誰もが命のやり取りをしたのだと、ハッキリと理解させられる。


「ふう。これでおしまいだよね?」


 軽く剣を振ると、ユウリの持っている大剣に付いていた血が、綺麗に払われる。そしてファングボアの様子を確認した後、少し周囲を見渡してから剣を鞘に納めた。

 少年の動作に迷いはないが、その視線が少しだけ動揺に揺れているのを、ヘルガは見逃さなかった。明らかに死体や流れ出る血液から、目を逸らしている。

 まるで家畜を屠殺する場面さえ見た事のない、貴族の子弟のような反応だ。


「……ユウリ、何かを殺すのは慣れないかい?」


 ヘルガに指摘され、ユウリは思わず俯く。盾を握る手にも、自然と力が入った。


「うん。思ったより、あんまり気分は良くないよ。でも皆がケガをしたりする方が、もっと嫌だ」

「優しいのは良いことだけどね。それでも勘違いしちゃあいけないよ。こいつら魔物は、こちらが何もしなくても襲ってくる。そんな外敵その物なのさ。変に情けを掛けたら、他のヒトが傷つくかもしれないって事を、忘れるんじゃないよ」

「……うん」


 彼女の言葉にゆっくりと頷くユウリを、ヘルガは優しく抱き寄せる。どれほど剣の腕があろうとも、中身はまだまだ幼い少年なのだ。


「それにしても、見事な戦いぶりだったよ。私が手を出すまでも無かったね。ステラが足を止めた後、ユウリ一人で十分片は付いただろうさ。大したものだよ」


 そう笑ったヘルガに、冒険者パーティとしての初勝利を収めた彼らは、穏やかにその事実を再確認するのであった。


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