第一話「目覚めたら迷子」
気が付いたら、だだっ広い草原で寝転がっていた。どこかボーっとする頭を抱えながら立ち上がると、体を動かす度にガチャガチャと五月蠅い音と、体に干渉する存在に気付く。
身に纏うは強固な深い蒼の鎧。ゲーム中に装備していた魔竜の鎧という、最高クラスのレア装備だ。
他にも背中に背負っているのは片手半剣の様に片手でも両手でも扱える特別な大剣、光神輝剣フラガラッハ。
サブタンクとして動く時に愛用していた大盾、神盾イージスが背中を覆う様に背負われている。
更に落下ダメージなどを無効化出来る、鮮やかな紅色が特徴的な浮遊のマント等々。
少年がはっきりと覚えている装備品ばかりである。
彼は「ああ、ゲーム内で寝落ちしちゃったのか」と思い至り、ログアウトするためメニュー画面を開こうと、いつも通りの動作を行う。
実際は意識を向けるだけでも良いのだが、動作をすることで自分が今何をしているか、他のプレイヤーやパーティメンバーに知らせる意味もある為、すっかり癖になってしまっていた。
ログアウトしたら今度こそちゃんと寝よう。そう思いながら手を動かす。
だが何も起きない。
もう一度、同じ動作を繰り返す。
何も起きない。
更にもう一度繰り替えす。
腕は虚しく、空を切った。
「……え? は?」
どれだけ試しても、メニュー画面が開くことはない。その事実に彼──久我山勇利ことユウリは、ただ焦ることしか出来なかった。
彼がやっていたゲーム、<スフィア・ゲート・オンライン>略して<SGO>とは、数あるフルダイブ型VRMMORPGの一種で、比較的長寿な人気を誇るゲームだ。
限りなく現実に近い仮想現実の世界で、自由に生きる。現実より体感時間が遥かに長いお陰で、日に僅かな時間であっても存分に楽しめた。
ユウリも五年近く続けている古参ユーザーの一人で、ここ半年程は所属していた戦闘系ギルドの解散と、高校受験が重なった事で休止していたのだ。
最近ようやく復帰して、昔の勘を取り戻すべく、一人であちこち遊び回っていた筈だった。
不意に影が差す。肌で感じられる程に強い殺気と、暴力の気配。普段ならとうに気付いているはずなのに、メニュー画面が開かないと言う異常事態に焦っていたからか、完全に不意を突かれてしまった。
ユウリは咄嗟にその場を横に飛びのくと、次の瞬間には鈍い音と共に、自分の居た場所の地面が抉れているのが見えた。
「……オーガ!?」
見慣れた敵だが、ゲーム内では最早練習相手にすらならない、雑魚と切り捨てる相手。ユウリは自然と背中の大剣を抜き放ち、追撃を行おうと棍棒を振りかぶるオーガに向かって、剣を思い切り横に振り切った。
剣が青白い光を纏い、そのまま尾を引きながら、斬撃は襲い来るオーガの肉体を上下に分断し、更にその遥か後ろに広がる森の樹々を切り倒していた。ソニックスラッシャーと呼ばれる、大剣用の遠距離攻撃スキルを咄嗟に使ったのだ。因みに射程は大体二十メートルほど。
「……え?」
一拍置いて木々の倒れる大きな音が響き、両断したオーガの身体からは鮮血が吹き上がっている。
咄嗟の事でうっかり力を込め過ぎ、攻撃スキルまで発動していたのは事実。しかし何時もならここまで酷くはならないはずだった。
そうなるとオーガを斬った時の感触も何時もと少しだけ違った気がして、まるで本物のオーガを切り捨てたような気になってくる。
「いやいやいや、そんなはずない! 大体リアルの僕はこんなに強くないから! 動くことも出来ないのに!!」
自分で自分にツッコミを入れながら、ふと頭に浮かんだ自身の想像を否定する。
「第一、ゲーム内なんだからこれくらい当たり前だっての……って、フィールドオブジェクトの森ってあんなに壊せたっけ?」
薄っすらと粉塵を巻き上げる様が見える森の方を見ながら、ユウリは不可解な現象に首を傾げる。
「確か世界級のボスモンスターとの専用バトルフィールドでもない限り、あんな風に壊せないんじゃなかった……? 半年居ない間に仕様が変わったのかな?」
意識的にオーガの方から目を背けつつ、ユウリは今の状況をゲームの仕様変更か、一時的なバグだと仮定して考えている。
それも当然で、確かにゲーム内で様々なオブジェクトに干渉、使用や破壊は出来た。しかしプレイヤーの能力が飛躍的に上がっても一定の破壊制限があり、また破壊したオブジェクトは時間経過で元に戻るようになっている。
そうでなければゲーム世界は、とうの昔に何もない荒野に変わってしまうのだから。
世界級と称されるボスモンスターとの戦闘では、設定上特殊な魔法が働いて専用の世界フィールドへと移動、隔離される。そこで思うさま、破壊の限りを尽くす戦いが繰り広げられた。
ボスだけでなくプレイヤーも一緒になって暴れれば、大陸など幾つも消し飛び、海は蒸発し、天変地異など日常茶飯事。何もかも、文字通り星さえも破壊し尽くし、最終的には宇宙空間でバトルなんていう馬鹿げた規模の戦いになる。
まさに世界の終わりのようなトンデモ戦闘が体験できるので、動画などで見るだけでも楽しめると評判だ。なので個人でも様々なPVやMADが制作され、<SGO>の人気に一役買っている。
最高レベルに到達したプレイヤーは、良くも悪くもこのような派手すぎる戦いに身を投じる資格があり、そしてユウリも当然そのようなダイナミックな戦いを何度も経験していた。
だからこそ、今行われた過剰な破壊に疑問符を浮かべている。素材の剥ぎ取りや解体をしない場合、いつもなら時間経過で消滅するモンスターも未だに死体が残っているし、壊れた森も一向に復活する気配がない。
まだそこまで時間が経っていないのだとしても、この血の臭いとやたらグロテスクで、本物のような内臓は見ていたくない。というか、ゲーム内だとデフォルメされているので、そこまで嫌悪感は強くなかったはずだ。
ゲーム開始当時はまだ小学生だったので、グロテスクな表現や、その他子供に相応しくない表現が軽減されるキッズフィルターが働いていた。そして高校生になって漸くそれらのフィルターが外れ、本来のゲーム世界をおっかなびっくり楽しんでいたのだが、それでもこれ程リアルではなかった。
<SGO>を始めてゲーム内時間で、既に十数年分の経験を積んでいても、本来の<SGO>になってからまだ僅かな時間しか経っていないユウリには、かなり辛い状況だと言えた。
「う~……と、とにかく移動しよう。こんなとこ、居たくないよ」
そう零しながらユウリはとある高難度クエストで入手した、魔法の多機能鞄と言う非常に便利なバッグを、どこからともなく取り出した。
これはゲーム中に捨てたり譲渡や売買不可能な、特別な専用アイテムやキーアイテムと言った物に分類される。
これがあると腐敗したり変質したりする素材や食料アイテムを、時間経過が停止した状態で保存しておけたり、見た目以上に大量に物が入ったり、入れた物の重量は一切影響なかったりと様々な機能を持つ、非常に使い勝手のいい公式チートアイテムと呼ばれるものの一つだ。
汚れや臭い、装備以外の重さなど変なところがリアル寄り、中でもアイテムやゲーム内通貨の管理が大切なゲームなので、頑張って来た上級者にのみ許された特権らしい。
一応下位互換のアイテムも幾つか存在しているし、大半のプレイヤーはそれぞれの町の施設のアイテムボックスを利用する事で、アイテムと通貨の管理をしている者が大半である。
なので不要な物を持ち歩く習慣がないのが<SGO>プレイヤーなのだ。
だがユウリはこの多機能鞄のお陰で、多くのアイテムや装備を持ち歩いている。解散したギルドのギルドホームが溜まり場だった彼は、マイホームの類は持っておらず、その為アイテムを保管するのにそちらを利用していた。
それがギルドの解散によって、ギルドホームにあった自分用の個室が使えなくなり、そこに置いていた物を引き取らざるを得なかったのだ。
そんな理由もあって、魔法の多機能鞄とその下位互換アイテムなど色々を駆使して、かなりの数のアイテムを持ち歩けるようにしている。
普通はそんなことをすると、他のプレイヤーからスリやPKなどを受けてアイテムや金品を奪われかねないが、魔法の多機能鞄は奪う事も開ける事も出来ないという、公式チートアイテムに相応しい機能まで付いている。
また彼は受験もあってゲームを離れていた事で、アイテムを紛失する危険もなく今まで過ごせていたのだ。
「えーっと、どこに入れたかな……なんか、前より少しだけ使い辛くなった?」
そんな独り言を零しながら、ユウリはゴソゴソと鞄の中を漁って目当てのアイテムを探す。
「あったあった。騎獣携帯ボックス。……よーし、出てこいテュポーン!」
ユウリが手にした小さな箱を開くと、眩い光が溢れ出して彼の目の前で巨大な何かが姿を現した。
ゆっくりと瞳を開けば、目の前には見た事もない景色。大気に漂うマナは、今まで感じていた物よりも濃く感じられ、何かが違う。
身を覆う闇を具現化したかのような鱗は、太陽の輝きさえも反射することはなく。巨大な一対の翼を軽く広げれば、一帯を影が覆い尽くした。
呼ばれた事は解っている。少し視線を下に向けると、まだまだ幼さを残した容姿の少年が、自分を見上げていた。
『何用だ、ユウリ。久しぶりにオレ様を呼んだと思ったら、また随分と変なところに居るじゃねえか』
そう言葉を投げかけると、ユウリと呼ばれた少年は驚いたように目を丸くする。その様子に不思議そうに首を傾げながら、その黒い巨体──エンシェントドラゴンと呼ばれる高位の竜は大きな欠伸をしていた。
「しゃ、喋ったぁああああーーーーーーーー!?」
『アン? 喋るくらい当たり前だろーが。暫く見ねーうちに、更に頭が悪くなったんじゃねーだろうな?』
「なんでだよ馬鹿じゃねーし!」
『だったらオレ様が喋ったくらいで騒いでんじゃねえよ。ったく、大方こんな変な場所に来ちまったから、この【純色の鱗】の中でも最強たる【純なる黒の竜】、テュポーン様の知恵を借りたくなった。そうだろ?』
驚くユウリを小ばかにするように、テュポーンと呼ばれた漆黒の竜は笑う。少年はこの巨大な竜をただ見上げるだけでも、首が痛くなる思いだ。
何故なら強靭な四肢と尻尾、翼を備えた全長五百メートル以上はあろうかという、巨大なドラゴンだ。高さも相応にあり、遥か上から見下ろされるだけでもその威圧感は相当な物。
実際ビリビリと肌で感じるなんらかの力は、魔力やオーラといった物の類だとユウリは直感している。
ブラックドラゴンはゲーム内では竜王や神々を除けば、最強種の一角である古竜であり、更にその中でも特に強大な力を持つ【純色の鱗】と呼ばれる六色の古竜の一柱だ。
とはいえ、ユウリがかつて在籍していたギルドでは主要メンバー全員が、戦闘に特化したこのブラックドラゴンを騎獣として従えていたのだが。
そうでないエンシェントドラゴンを騎獣にするプレイヤーも増えており、【純色の鱗】でない古竜を騎獣とする者も少なくない。
「いや、移動したかっただけなんだけど……変な場所って、どういうこと?」
『ハァ? まさか気付いてねえのか? ったくガキンチョの癖に脳味噌まで筋肉で出来てるんじゃないだろうな?』
「う、うっせーな! 魔法系は取ってないんだから察しろよ!」
『やれやれ、戦う時は良い顔するくせに、こういうのはオレ様がついてやってねーと、てんで駄目駄目だな。まあいい。最強のオレ様は慈悲深くて寛容だからな。頭の足りてない相棒の補佐くらい、どうってことないぜ』
自分の騎獣に好き勝手言われて面食らいつつも、碌に反論できないのが悔しくもあり、そして今の状況がとてもおかしなことになっているのだと、嫌でも理解させられる。
「あーもうっ、わかったから変な場所ってやつについて早く説明しろよ!」
『仕方のない奴だ。少しは頭を使え。……どうやら、オレ様達は他所の世界に迷い込んじまったようだぜ?』
「……は?」
余りに突拍子の無い話に、ユウリが呆けてしまったのも仕方のない事だった。