片道切符に愛すべきラジオを
昔ながらの音を立てて蒸気を吹かしながら、あの汽車がついに僕の夢の中にやってきた。
その汽車は、毎日必ず誰かの元へ線路を敷いてやってくる。運賃はいらない。その代わり、どこに連れていかれるのかも分からない、二度と戻ってはこれない片道切符。乗客は赤ちゃんからお年寄りまでさまざまだ。
「ライブ!」
正真正銘、僕の名前だ。振り向くといつの間にかママがいた。少し目が腫れていて、泣かせてしまったのかもしれないと僕は思った。
「ちゃんと荷物は持った?」
「持ってるよ。……お気に入りのラジオもこの中に入ってる。あっちで役に立つか分からないけど」
「やめてよ、ライブ。いい? 何があっても捨てちゃダメよ。絶対役に立つに決まってるから」
「どうかな。……ごめんってママ、そんな顔しないで」
10歳の誕生日にママが買ってくれた赤いラジオ。「エブリバディ、エブリバディ。ディス・イズ・ハーミー・ナンバロックタイム」。雑音と渋い声が相まってすごく聞き取りにくかったけれど、いつもこれで大好きなパパの声を聴いていた。無事に大人になったら、パパみたいなラジオDJになってみたかった。
続々と車内に乗りこんでいく知らないおじいちゃんおばあちゃんたちを眺めながら、僕は精いっぱい強がってみせる。
「いやぁ、よかったよ。時間通りに来てくれて。この汽車の運転手はニホン人か?」
「ライブ……」
「人によっては、急に予定より前に来ることだってあるらしいよ。可哀想に、そうなったらお別れなんてできっこないよね」
だから、少なくとも僕は恵まれている方なんだ。
「そんなこと、あってたまるもんですか」
固い抱擁をされた後、ママが頬にキスをした。幼いころから変わらないホットチョコレートのーーママの好物なのだーーいい匂いがする。唯一変わっていたのはママの頬が濡れていたことだけだ。
汽車は二度とここには帰ってこないけれど、それでも僕は乗りこまなくちゃいけなかった。
「早いか遅いかの違いだよ。誰だってみんな、いつかはこの列車に乗らなきゃいけない日が来るんだから。たまたま……たまたま僕は、その順番が早く回ってきただけ……」
自分で言う度に涙が溢れてきた。なぜ、僕でなければならないのか。普通に考えれば、少なくともあと70年くらいはここにいられたはずなんだ。パパとママや妹のジェリーと談笑する時間や、バスケに夢中になる時間、好きな女の子の隣に居られる時間を、なぜ今ドブに捨て置かなければいけないんだ。
「愛してるよ、ママ」
「私もよ、ライブ。おばあちゃんによろしくね」
「うん」
ママが目の前で崩れ落ちた。
「ごめんね。貴方をこんな体に産んでしまってごめんね…………」
「何言ってるのさ。こいつとは16年間うまく付き合ってきたんだぜ? ママのせいなんかじゃない。絶対に」
遺伝子は憎んでも家族は憎めない。当たり前のことじゃないか。
僕はママに背を向けて、重い足取りで車内へと進んだ。無慈悲にもドアはすぐに閉まった。
『車内の皆様、お別れは済みましたか? 間もなく発車しますーーーー』
もう戻れないんだぞと言わんばかりに、甲高くベルが鳴る。
「いきたくない。いきたかったよ」
涙にまみれた僕の最後の負け惜しみは、延々と続く蒸気の音にかき消されていった。まるで汽車ごと泣いているみたいだ。
どうしようもなくなって、席に座った僕は持ちこんだラジオのスイッチをつけた。幸いにも彼は何かしら喋ってくれた。「エブリバディ、エブリバディ。ディス・イズ・ハーミー・ナンバロックタイム」。これからどこへ行くのか、どうなるのか分からない不安で震えている僕を、聞き覚えのあるパパの温かい音声が慰めてくれる。いつもの渋い声とノイズで、まだ僕と現世を繋ぎとめてくれている。