コミカライズ連載開始記念小話・ダシャの立ち回り
奇跡の書籍化&コミカライズです。
本当に応援ありがとうございました!
時間軸は四章の後半くらい、テオドルとの対決の後のお話です。ダシャ視点。
私の元に驚天動地の報せが舞い込んできたのは、王妃様の侍女としてもようやく慣れてきた夏のある日のことでした。
そう、兄のテオドルが生きていたという、驚愕という言葉ですら言い表せないようなあの事件です。
しかも兄は敬愛する王妃様を拐かすという愚行に出て、陛下御自らの手によってお縄になったと言うではありませんか。私は兄を殺して自らも死のうと思い詰めたのですが、それは宰相様によって容赦なく否定され、実行に移すことはありませんでした。
そんな出来事があったので、私は兄の面会に行きついでにグーでお腹をぶん殴り、なんとか溜飲を下げるに至ったのでした。
さて、前置きが長くなりました。私が何を申し上げたかったのかと言いますと、あの事件以降に国王ご夫妻の仲が更に良くなったように見える、ということなのです。
兄のことはまだまだ許せませんが、ご夫婦の仲を深めたことだけは、認めてあげても良いのかもしれません。
「ねえダシャ、おかしなところはないかしら」
朝のお支度が済んだところで、王妃様は立ち上がってくるりと一回転して見せました。
今日も王妃様はとってもお可愛らしいです。何が可愛いって、陛下のお見舞いに行くために身だしなみを気になさっているご様子が、とにかく健気できゅんとくるんです。
「はい、どこもおかしなところはありません! 今日もとっても素敵です!」
「本当? でもそうよね、ダシャが整えてくれたんだもの。いつもありがとう」
王妃様はにっこりと、とても親しみやすい笑みを見せて下さいました。
こんなに嬉しいことを言って頂けるなんて。でも王妃様は、少々自己評価が低すぎるような気もします。
「いいえ、王妃様はどうしたってお可愛らしいです! 誰がお支度をしたって、そもそも支度をしなくたって、お綺麗です!」
「ええ? 嫌だわ、ダシャったら。褒め上手なんだから」
私は勢い込んでお伝えしたつもりでしたが、王妃様は朗らかに笑うばかりで本気にする様子がありません。謙遜は美徳ですが、王妃様のそれは謙遜というよりも、本気のような。
もしかして、あんなに仲がいいのに陛下は王妃様の外見を褒めることがないのでしょうか?
だとしたら酷いです。嫁いで来られた当初の適当な扱いは改善されたとは言え、こんなに優しくて綺麗なお嫁さんを貰っておいて、褒めることすらしないだなんて。
「ダシャ、どうしたの? 難しい顔をして」
王妃様が深緑の瞳でじっとこちらを見つめています。突然黙り込んだ私のせいで、何かあったのかと心配をお掛けしてしまった様です。
「い、いえ! 今日のお昼は何かなあって!」
「あら、お腹が空いたの? 果物でも頂きましょうか」
馬鹿みたいな言い訳を述べたのに、王妃様は怒るどころかこんな提案まで下さいます。
ああ、どれだけ優しい方なのでしょう。
これはもう絶対になんとかして差し上げたい。陛下とお話しさせて頂いた経験は多くありませんが……ここは不肖ダシャ・レンカ・ザヴェスキー、直談判に行って参ります!
王妃様がご朝食を召し上がられている間、私はさっそく陛下のお部屋に突撃することにしました。
入室の許可を得て扉を開けます。寝台の上に座り込んだ陛下は体に包帯を巻いていて、このお怪我が兄のせいだと思うと身が竦みました。
しかし既に陛下には家族で訪問をし、お許しを頂いております。今は別件で参ったのですから、気をしっかり持たねばなりません。
陛下は珍しい訪問者に意外そうな顔をしながらも、私が神妙な顔で膝を付くと、すぐに真剣な面持ちになられました。
「まさか、王妃に何かあったのか?」
……なるほど、王妃様に関して緊急の用事だと思われた、と。
やっぱりものすごく大切にしておられるのですね。ええ、素敵なご夫婦であることは間違いないのです。
「いいえ、何もございません」
「なんだ、そうか」
私が否定すると、陛下はすぐに肩の力を抜いたご様子でした。だったら何の用かとの疑問を言外に感じ取った私は、今更ながらに緊張し始めてしまいました。
かなり、いいえとんでもなく、差し出がましいことをしている自覚はあります。
ですが私は王妃様が大好きです。陛下のことは尊敬しておりますが、ずっと王妃様をほったらかしになさっていた件によって、ちょっと心配な方だなあ……との印象を抱いているのです。
「僭越ながら、王妃様について申し上げたき議がございます」
「何?」
うう、また怖い顔です。しかしここで引くわけにはいきません。
「近頃の王妃様は、随分と侍女達ともお話をしてくださいます。しかしまだまだ遠慮しておられるように思えるのです」
そう、王妃様はあんなに気さくなのに、ご自分のことは殆どお話しになりません。
私の話を聞いて下さるばかりで、いつもにこにこ微笑んでいらして。
「これはおそらく、我々だけではどうにもならないことなのです。陛下、貴方様から王妃様にお話頂かなくては。ここが王妃様の居場所なのだと、あらゆる手を尽くしてお伝えする必要があるのです」
私は改めて礼の姿勢を取りました。深く腰を折って、繊細な折り目の絨毯をじっと見詰めます。
「どうかご考慮下さいますよう、お願い申し上げます」
言い切ってからしばらく、陛下はじっとこちらを見下ろしているようでした。
……ちょっと沈黙が長くないですか? もしかして私、陛下のご不興を買ってしまったのでしょうか。
「楽に」
私がそろそろ青ざめ始めたところで静かな声が聞こえました。恐る恐る顔を上げれば、陛下の藍色の瞳が優しい光を湛えています。
あら? 本当に、いつの間にこのようなお顔をなさるようになったのでしょう。
以前は抜き身の刃のようで、もっと近寄りがたい印象だったのに。きっとこれも、王妃様の——。
「お前の進言、感じ入った。俺も言われた様なことは気になっているから、何とかすると約束しよう。よく王妃に仕えてくれているな」
「も、勿体無いお言葉です……!」
陛下はやっぱり寛大なお方です。こうして臣下の意見をきちんと聞いて下さるからこそ、皆が陛下を慕うのです。
「それに随分と大きくなった。テオドルを殴ってきたと聞いたが」
「え! は、はい!」
突然の話題に思わず元気に返事をしてしまいました。すると陛下は、ほんの小さくお笑いになられたようでした。
「それでいい。あれも殴られるくらいの方が気が楽なんだ。また気分が向いたら、会いに行ってやれ」
「……はい! 陛下のご厚情に、心より御礼申し上げます!」
私はもう一度深く腰を折りました。
陛下。兄様を許してくださって、本当にありがとうございます。
今まではただ凄い方だなあとしか思っておりませんでしたが、今回の一件によって、陛下にもお仕えするべき個人的な理由ができました。
だから私は王妃様と陛下に幸せでいて欲しい。ずっとずっと平和に暮らして頂けたらと、そう願ってやまないのです。
「時に、ダシャ。お前の主観で構わないのだが……王妃には、一体何を伝えればいいと思うか」
はい、待ってましたよ、その質問!
好きとか愛してるってお言葉は、きっと伝えておられますよね? だって私から見てもあんなにわかりやすいほどですもの。
ですからここは、私の一番の目的を果たすことといたしましょう。
「それならば、お褒めになるのは如何でしょうか!」
「褒める、と言うと」
「はい、どんなことでも良いのです。服装とか、仕草とか、お顔立ちですとか! 良いところを何でも褒めて差し上げるのです!」
そうです陛下、頑張ってください。王妃様とて今はまだ緊張しておられるだけなのでしょう。
ですからベッタベタに褒めて甘やかして、愛を伝えれば! いつかはきっと、この国に馴染んで下さるに違いありません!
「……わかった。善処する」
陛下は少しの間を置いて、しっかりと頷いて下さいました。
何だか困ったようなお顔をなさっていた気がするのですが……。まあ、無表情なお方の表情の変化は良くわかりません。ですから多分、気のせいですよね?
陛下のお部屋を後にした私は、気分良くそれ以降の仕事にあたっておりました。しかし廊下を歩いていたところ、にっこりと爽やかな笑みを浮かべた宰相閣下と出会してしまい、顔を引き攣らせることになりました。
「ダシャ。今日も調子が良いようですね」
ヨハン・オルジフ・スレザーク様。幼い頃から死んだ兄の幼馴染として——いえ、兄は生きていたのですけれども、とにかく何かにつけて力をお貸し下さった恩あるお方です。
しかしながら、いかんせん私はこの宰相閣下が少々苦手なのです。
だって、あまりにも容赦がないんですもの。この間なんて本の角で殴られたんですよ。まああれは私がいけなかったことは解っておりますが……。
「宰相閣下、ご機嫌麗しく」
「はい、貴方も。陛下に直談判したと聞き及びましたよ」
ふあああああ⁉︎
なんということでしょう。不気味な笑顔の理由はこれですか!
私は一気に恐慌状態に陥りました。まずいです。こんな生意気な行動に出たとこの方に知られれば、どんな嫌味を言われるのかわかったものではありません。
「な、ななな何を仰いますか宰相閣下! わ、わた、私は決してそのようなことは!」
「誤魔化さなくてもよろしい。陛下ご本人から伺いましたので」
あ、だめでした。もうどう足掻いても隠し通すことは不可能のようです。
いいえ、そもそも宰相閣下を誤魔化そうとすることが無謀でした。私みたいな小娘が、圧倒的政治手腕を持つこのお方に太刀打ちできるはずが——。
「良くぞ言いました。私も焦ったくていい加減にイライラしてきたところだったのです」
「……へ?」
あれ? 私、空耳をしたでしょうか。
多分人生で初めて、宰相閣下に褒められた気がしたのですが。
「私に言われるよりも王妃様周りからの助言の方が素直に聞けるようでしてね。助かりました」
「は、はあ……」
「今後も何かあったらお願いしますよ。では、私はこれで」
宰相閣下は実にいい笑顔で言いたいことを言い終えると、颯爽と去って行かれました。
ええと、良くわからないのですが。
これは私、いい仕事をしたということで、よろしいでしょうか……?




