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小話 ピクニック1

最終話から数日後の出来事です。

ほのぼの日常小話をどうぞお楽しみ下さいませ。

 実際のところ、王城に帰りついてからは激務が続いた。エルメンガルトが述べたことそのままに、本当に仕事が溜まっていたのだ。

 必死で目の前の仕事を片付け、ようやくの休みを明日に控えた夜。入浴を終えて寝室のラグの上で本を読んでいたエルネスタは、ドアの開く音を聞きつけて顔を上げた。

 そこには人狼の姿で寝巻きを着たイヴァンがいた。今日は満月なので、彼もまた例外なく変身している。


「イヴァン、お疲れ様」


「ああ、エリーも」


 狼の顔が穏やかな笑みを浮かべているのがわかる。以前はエルネスタの前で人狼の姿を取ろうとしなかったイヴァンだが、今はこうして安らいだ表情を見せてくれる。


 エルネスタは幸せな気持ちになって、心の底から微笑んだ。


「あのね、明日はお休みでしょう。天気も良さそうだから、もしイヴァンさえ気が向くならピクニックに行かない?」


 この提案は明日の休みが決まった瞬間に思い付いたものだった。

 ヨハンに休暇を与えたこともあってか、イヴァンはエルネスタよりも更に忙しそうにしていた。

 近頃はあまりゆっくりと話をする機会もなかったから、せめて久しぶりの休日くらいは気分転換をしてもらいたいと思ったのだ。


「ピクニック?」


 イヴァンが不思議そうに首を傾げたところを見ると、どうやらシェンカには存在しない単語だったらしい。彼らは戦地では外で食事を取るのが当たり前なので、わざわざ外に出て食べるという感覚がないのかもしれない。


「お出掛けをして、景色を見ながら食事を取ることを言うの。どうかしら……?」


 エルネスタは持ち出すための食事を作るつもりでいるのだが、驚かせるためにこの場では言わないことにする。イヴァンは外で食事をする清々しさを想像したのだろう、狼の目を細めて頷いてくれた。


「それは楽しみだ。是非行こう」


「本当? 良かった!」


 断られなかったばかりか、楽しみとまで言ってくれるとは思わなかった。

 エルネスタは嬉しくなって微笑むと、本を閉じて立ち上がった。


「それじゃあ、明日に備えて早く寝ましょうか」


「ああ、そうだな」


 同時にベッドに入るのは旅の間以来だろうか。

 寝台に横たわったエルネスタは、仰向けになったイヴァンの凛々しい鼻筋を見つめ、つい欲望を口にしてしまった。


「ねえ、イヴァン。鼻筋に触っていい?」


「は……⁉︎」


 珍しくも心底驚いたような声が返ってきたところを見るに、どうやら本当に脈絡のないことを言ってしまったらしい。

 しかしエルネスタは引かなかった。もう口に出してしまったのだから、後はどうにでもなればいい。


「鼻なんか触って何が面白いんだ⁉︎」


「だってあまりにも見事な鼻なんだもの。触りたくもなると思う」


「よくわからない理屈だな……まあ、別に構わないが」


 ほら、と触りやすいように横を向いてくれたあたり、やっぱりこのひとは優しい。


 エルネスタはそっと手を伸ばしてすっと伸びた輪郭に触れた。鼻のあたりはやはり毛が短く張りがあって、すぐにその触り心地に夢中になってしまう。


「わあ……!」


 イヴァンは目を閉じて、何やらじっと耐え忍んでいるようだった。特に反応が無いのを良いことに、エルネスタはますます調子に乗った。

 ふわふわの毛が生えた頬も触らせてもらう。極上の感触に時間すら忘れていると、不意に大きな口が開いた。


「……君は、人狼の姿と人間の姿、どっちがいいんだ」


「え? どっちも好きよ?」


 ついでに言えば狼の姿も大好きだ。またいつか見せてもらえたら、思う存分抱きつかせてもらいたい。

 エルネスタは手の中の感触と素敵な妄想で頭がいっぱいになっていたので、イヴァンのくぐもった苦笑に全く気が付かなかった。


「……まったく。人の姿だと、触ってこないくせに」


 *


 次の日。早朝から起き出したエルネスタは、料理人に許可を貰った上で厨房に立った。

 服装はシンプルなアークリグの上に前掛けをつけ、傍には同じ格好をしたダシャが付いている。


「朝からありがとう、ダシャ」


「いえいえ! 私もブラル料理に興味があるので、楽しみです!」


 朝の支度にやってきたダシャは、今から食事を作りに行く旨を伝えると笑顔で手伝いを申し出てくれた。


 随分と気を遣わせてしまったと思ったが、どうやら料理に興味があるのは本当らしい。女二人で料理をするなんて久しぶりで、エルネスタはイゾルテを思い出して懐かしい気持ちになった。


「さて、まずは卵を茹でていこうかしら。ダシャ、お願いできる?」


「お任せください!」


 ダシャはまるで紙の箱でも運ぶように鉄鍋を持ち上げて竈の上に置くと、その中に柄杓で水を投入し始めた。やはり彼女もまた人狼族らしく力持ちのようだ。


「卵は二つ残しておいてもらえるかしら」


「承知しました! うふふ、ゆで卵サンドってどんなものなんでしょうか。楽しみです!」


 ダシャは溌剌と笑っており、見ているとこちらまで楽しくなってくる。

 エルネスタは機嫌よく竈門に火を入れる侍女を眺めながら、メインの準備も始めることにした。


 このメニューは本来は牛肉を使うのが正式なのだが、唯一入手できた鹿肉で作ることにする。薄切り肉と溶き卵、そして小麦粉をそれぞれ器に出し、パン粉については昨日のうちに作って乾燥させておいたので準備万端だ。


「わあ! 王妃様、一体何をお作りになるのですか?」


 卵を鍋に投入し終えたダシャが、物珍しさに目を輝かせながら戻ってくる。エルネスタは肉をまな板に並べつつ、笑顔で応じた。


「シュニッツェルよ。薄く伸ばしたお肉に衣をつけて揚げた料理なの」


「お肉の揚げ物っ……⁉︎ 美味しそう過ぎます!」


 ダシャの瞳が獣の輝きを帯びたような気がしたが、エルネスタはあえて気にしないことに決めた。


 本来は子牛の肉を使う料理だが、庶民育ちのエルネスタにこだわりはないし、そもそも今日の厨房に牛肉は存在しない。この調理法なら大抵の肉は美味しく仕上がるので、癖のある鹿肉でも問題なしだ。


「まずはお肉を伸ばしましょう。フォークで刺して、そのあとは麺棒で叩くのよ」


「わかりました! では、どんどん伸ばしちゃいましょう!」


 肉を叩く鈍い音が厨房に反響する。楽しそうに作業を進めるダシャはやっぱり力持ちで、エルネスタよりも一枚多く担当してくれたのだから驚きだった。


「うん、いい感じね。あとは香辛料と塩で下味を付けて……」


 肉は元のサイズの二倍程度にまで広がっていたので、外で食べやすいように切り分けることにした。興味津々の眼差しを受け止めながら、エルネスタは塩と香辛料を肉にすり込んでいく。香辛料にはもちろん臭み消しの意図がある。


「ここからは衣を付けるわ。小麦粉、溶き卵、パン粉の順番ね」


「わざわざ三種類も使用するのですか?」


「小麦粉と溶き卵はパン粉をつけるための、言わば下地なの。どちらが欠けても満足にパン粉がくっつかないのよ」


「へええ……! 王妃様、本当にお詳しくて凄いです! すっごく勉強になります!」


 ダシャの何の面裏もない瞳に、尊敬という単語が映し出されている。

 ここまで素直に賞賛されると照れ臭さよりも相手の可愛らしさの方が勝るもので、エルネスタは思わず笑ってしまった。


「衣、付けてみる? ダシャ」


「はい、是非やらせてください!」


 二人はせっせと衣を付けていった。エルネスタは途中でゆで卵が仕上がったので竈に向かったのだが、戻ってきたときにはダシャは指を衣まみれにして、困り顔になっていた。


「こんなにくっつくとは……これは両手でやったら駄目でした。顔がかゆいです」


「ふふ、何も触れなくなっちゃうのよね。言っておけば良かったわ」


 今度は銅製のフライパンを火にかける。乳製品が豊富なこの国ではバターには困らないので、在庫の中から塊を取り出して、大胆に投入していく。

 手を洗って戻ってきたダシャが、思わずといった調子で歓声を上げた。


「うわあ、いい匂いです!」


「バターって本当にいい匂いよね……」


 厨房内に芳醇な香りが充満し、年頃の乙女二人はうっとりと目を細めた。

 今回はバターを使った揚げ焼きだ。しっかりと仕込みをして、更には贅沢に食材を使った今回の料理は、間違いなく美味しいことが約束されているように思う。


 ——イヴァン、喜んでくれるかな……?


 衣を纏った肉をバターの中に投入すると、小気味よい音と共に気分が高揚するのを感じた。

 そうだ、きっと喜んで食べてくれるはず。場所はどこだって構わない。イヴァンが笑ってくれるのなら、ただそれだけで十分なのだから。




 そのあとは全ての肉を揚げ終わって、ゆで卵のサンドイッチを作った。

 こちらは葉物野菜とハム、そしてチーズと一緒にハチャプリに挟み、特製のソースをかけて完成だ。


「んん〜! 美味しいいい〜!」


 サンドイッチの試食をしたダシャがたまらないとばかりに悲鳴を上げる。先程も揚げたてのシュニッツェルを食べて悶絶していたが、どうやらこちらも気に入ってくれたようだ。


「本当? 良かったわ」


「王妃様、これ、本当に美味し過ぎます! 戦が起きかねないほどですよ!」


「そ、そんなに……?」


 拳を握って力説するダシャの勢いが嬉しくて、エルネスタは笑った。これならシェンカのひとたちにも気に入ってもらえそうだ。


「手伝ってくれてありがとう、本当に助かったわ。ダシャの分もバスケットに包みましょうね」


「えっ⁉︎ そんな、陛下と王妃様のお食事を頂くなんて……!」


「あら、もともとダシャの分まで含めた分量よ? 迷惑でなければ貰って欲しいのだけど」


「お……王妃様あ……!」


 ダシャが神様にでも出会ったように両手を組んだので、落ち着いてと宥めておくことにする。

 大小二つの蓋付きバスケットを取り出して、美しく見えるように並べていく。最後にカットした林檎を隅に詰め込み、ついに完成を見たところで、二人は掌を叩き合って互いを労った。


「ようやく完成ね! お疲れ様、ダシャ!」


「はい、王妃様も!」


 時計を見ると既に二時間以上が経過していた。片付けまで含めてのこととはいえ、慣れない環境で随分と時間がかかってしまった。

 そろそろイヴァンも起きるだろうか。一緒に軽く朝食を取って、すぐに出かけることになるはずだ。


 エルネスタはバスケットを手に、ダシャを伴って厨房を後にした。しかし世間話をしながら廊下を歩いていると、何やら行先がざわざわと騒がしい事に気づき、二人して足を止める。


 前方から歩いてきたのはイヴァンとヨハンだった。満月の夜が明けて人の姿に戻り、いつもの黒いチョハを身に纏っている。


 ダシャが慌てて礼を取る。エルネスタは同じようにする必要はないので、立ち竦んだまま国王と宰相が歩いてくるのを見つめていた。

 イヴァンが王妃に気付き、驚いたように目を丸くして、すぐに気まずそうな表情になる。全てを悟ったエルネスタは、言葉が出てくることもなくただその場に漂うしかなかった。


「すまない、エリー。急ぎの仕事が発生してしまった」


ネット小説大賞様のイラストプレゼント企画に当選しました。

イヴァンとミコラーシュを描いていただきました。素敵なので是非ご覧ください!

https://www.cg-con.com/topics/25120/

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