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愛しき者たちへ

「まったく、本当に信じられません。女子の身で、そのように無謀なことをなさるなど。陛下が紳士的なお方でなかったら、どんな目にあっていたかわかりませんよ。それを理解しておいでなのですか」


「はい……ごめんなさい、ルージェナ」


「謝っていただく必要はありません。私がお聞きしたいのは、今後無茶をしないというお言葉だけです」


 エルネスタはすっかり身を縮めてうなだれていた。久方ぶりの王妃の間に戻るなり、待ち構えていたルージェナに説教を食らってしまったのである。


「はい、もう心配かけるようなことはなるべくしません」


 正直すぎる答えを聞いたルージェナは、身に纏う空気を氷点下まで急落させた。


「なるべくとは何です。まさか、まだ何かしでかすおつもりなのですか」


「そ、そうじゃなくて……! やっぱり、どうしても必要なら、私は無茶をしてしまうと思うから」


 要するに、エルネスタはそういう性格なのだ。


 イヴァンの、彼らの役に立ちたいと思う。もし今後足手まといになったり、必要を感じたら、エルネスタは躊躇なく自らを切り捨てるだろう。出自と育った環境が育んだ価値観は今更どうすることもできない。


 ただ、ここで生きていくならばそう悪くない心構えなのではないか。そう考えていることが伝わったのか、ルージェナはあからさまなため息をついて見せた。


「貴女様にそうしたところがあるのは、今までのことでよくわかりました。こうなれば仕方がありませんので、私も今後は何事もないように尽力いたしましょう」


 ルージェナが背中を押すようなことを言ったのは、これが初めてのことだった。

 もしかしたら彼女にも認めてもらえたのだろうか。だとしたらこんなに嬉しいことはない。


「とは申しましたが、ご自身でもお気をつけ頂きませんと。だいたい、このような計画を企てるなど浅はかにも程がーー」


 感動している間にも説教は続く。しかしエルネスタは彼女の説教が心配からくるものだと知っていたので、ただ温かさを感じるばかりだった。


 最終的に様子を見にきたシルヴェストルによってその場は取りなされた。ちなみに、彼も既に事の顛末を把握していたのには驚いてしまった。


 良くお戻りくださいましたと微笑む英雄に、エルネスタもまた無事で良かったと笑う。

 謝る機会をもらえて良かったと、心からそう思う。再び彼らに会えたのだから、これからは少しずつでも恩を返していかなければ。




 エルネスタは背筋を伸ばすと、気合も新たに王城の玄関へと立っていた。


 そうして時間差で戻ってきたイヴァンを臣下と共に出迎えたのだが、自然なやりとりができずにお互い顔が引きつってしまう。


 思わず顔を見合わせて苦笑していると、背後から咳払いが聞こえてきた。二人して振り返った先には、おそらく今回の騒動でもっとも苦労をかけた男がいた。


「お帰りなさいませ、陛下。お元気そうで何よりでございます」


「ヨハン、今戻った」


 エルネスタにとっても宰相閣下とは久方ぶりの再会だが、それをこの場で口に出すわけにはいかない。ひとまず口を噤んでいると、水色の瞳に睨みつけられてしまった。


「……色々と言いたいことはありますが、今度にしておきます。ひとまずこれをどうぞ」


 手渡されたのは見覚えのない鍵だった。まさかと思いヨハンを見返すと、めんどくさそうに目を細める、いつもの表情がそこにあった。


「大使殿の部屋の鍵です。最近は体調がお悪いようで、鍵を閉めてゆっくりお休みですからね。お見舞いして差し上げてはいかがです」


 どうやら軟禁をごまかすのにそうした理由づけをしていたらしい。

 本当に彼には色々なことを取り計らってもらった。どれだけ感謝しても足りない程だ。


「ありがとうございます、スレザーク卿。私、これからはもっと頑張ります」


 エルネスタは鍵の重みを握りしめて、力強く頷いた。その表情にはヨハンもそれなりに満足したのか、かすかな笑みを見せてくれる。


「近頃の貴女様は酷いものだったので、そうしていただけると助かります。……さて、陛下。旅のお話をお伺いしてもよろしいでしょうか」


「ああ、留守をよく守ってくれた。特別手当を取らせねばな」


「それでしたら欲しいのは休みです。ご検討いただけますね、陛下」


 主君と臣下はいつもの調子で歩いていく。その頼もしい後ろ姿を見送ってから、エルネスタもまた一歩を踏み出した。




 ノックすると思いの外元気そうな返事が聞こえてきたので、逸る気持ちを抑えて鍵を開ける。

 エンゲバーグは以前と変わらない姿でそこにいた。唯一違うところがあるとすれば、無精髭が伸びていることくらいだろうか。


「エンゲバーグ伯爵! 無事で良かった……!」


「エルネスタ様! 本当に、貴女様なのですね!」


 唯一の共犯者たる二人は、手を取り合って再会を喜んだ。

 本当に無事で良かった。どんな目に遭っているかと心配したが、これもおそらくイヴァンの計らいなのだろう。

 鍵はかかっていても部屋の中は暖かく居心地がいい。食事もきちんと供されていたらしく、特に体型にも変わりがないようだ。


「……私は、貴女様に何もして差し上げられなかった。この国に残ることを望んでおいでなのは、存じておりました。しかし私には勇気がなかった。エルメンガルト様と入れ替わらなくともいいのではないかと、提案することができなかったのです」


 沈痛な面持ちで俯くエンゲバーグは、あの別れ際のように正直な気持ちを吐露していく。

 相変わらず、実のところは人情家で心優しい人だ。彼のような人が政治の世界に身を置いているのだから、能力はあっても数々の苦悩に苛まれたことだろう。


「私こそ、エンゲバーグ伯爵には謝らないといけないわ。身代わりが知られてしまったせいで、こんな目に合わせてごめんなさい。あなたの忠告に従わなかった私が悪いの」


「いいえ、それは違いますぞ。どうやら我々は人狼族の皆様を甘く見ていたのです。いつのまにかこれだけの人数に気づかれてしまったのですから、遅かれ早かれ露見していたことでしょう」


「……ふふ。それは、本当にそうね。私、びっくりしてしまって」


 二人は同時に苦笑を浮かべた。そう、今思えば計画の無茶っぷりが清々しい程だ。

 後でイヴァンに聞いたところによると、建国祭で倒れた王妃のうわごとから疑念を抱いたらしい。そんな頃から勘付かれていたのかと青ざめたものだが、つまりはかなりの温情をかけてもらっていた訳で。


 彼らはエルネスタが思っていたよりもずっと、エルネスタを知ろうとしてくれていた。あっさりと許してしまうくらいには、信じてくれていたのだ。


「滑稽ですな。必死になって嘘を隠して、立ち回って。……ですが私は、これで良かったと思っているのです」


「良かった?」


「ええ。先程挨拶に来てくださったエルメンガルト様も、今の貴女様も、実にお幸せそうですから」


 優しい瞳と視線がぶつかって、エルネスタは瞠目した。

 いつだって彼はエルネスタのことを考えてくれていた。そう、まるで両親のように。


「でも……私は、エンゲバーグ伯爵がこれからどうなるのか、心配で」


 本当に彼にもひどく苦労をかけてしまった。イヴァンは大丈夫だと言っていたけれど、カールハインツ帝に条件を突きつけたせいで、彼の立場は危ういものとなったはず。

 任務に失敗した大使は、祖国でひどい冷遇を受けるのではないだろうか。


「大丈夫、そう悪いことにはならないはずです。イヴァン陛下は私を解任しないことを親書の条件に入れてくださいましたし、大使を処刑しては同盟に失敗したことを諸外国に晒すようなものですからな」


 考えてみるとその通りだ。表向きはただ貿易同盟を結び直しただけの今回の件で、大使が処刑されるはずがないのだから。


「陛下は、どこまで考えていたのかしら」


「さあ、私には計り知れません。宰相閣下共々、本当に頭の切れる恐ろしい方々ですよ」


 エンゲバーグは諦めたように笑った。それは基本的に難しい顔をしている彼としては、珍しいほどに清々しい笑顔だった。


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