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使者は誰ぞ 2

 どうしてそんな顔をするの。

 エルネスタは妙に胸が締め付けられるような想いがして、疑問を言葉にすることができなかった。


「承知致しましたわ、陛下。こちらの親書はわたくしがお預かりいたします」


 さあ騎士団長、副団長、帰りますよ。男たちに声をかけたコンスタンツェは淑女の見本のような礼をして見せる。


「この度は、私共の勝手により多大なるご迷惑をおかけしましたこと、深くお詫び申し上げます。どうぞ寛大なお心でお許しくださいますよう」


「許すかどうかは皇帝の返答次第だ。……エルネスタ、君はどう思う」


「えっ……!」


 急に話を振られたので驚いてしまった。展開が早すぎてついていけないが、回らない頭で必死に考える。


「まず……母を治して下さったことに、お礼を申し上げます」


 イヴァンが驚いたように目を見張って、それからすぐに苦笑を浮かべた。テオドルも同じような顔をしていて、どうやら場違いなことを言ったらしいと悟るが、伝えるべきことはまだいくつかあった。


「私は、許すか許さないかの立場にはおりませんので、これ以上は何も言いません。……関係のない話ですが、もう一つだけ。一度でも貴女にお会いできて良かった。皇帝陛下にも、お元気でお過ごしくださいと、お伝え下さい」


 エルネスタはゆっくりと頭を下げた。


 産みの両親とは既にあまりにも距離が離れすぎていた。直接感謝を伝えるには、今までの人生の経過が複雑で、何よりも本当の両親と慕う二人がいて。

 しかしそれでも、元気でいて欲しいと思う。例え二度と会うことがなかったとしても。


「貴女は……」


 コンスタンツェは茫洋と呟いた。その無防備な表情に胸が痛んだが、彼女はエルネスタが何かを言う前に頷いて見せる。


「ええ。……貴女も、お元気で」


 最後に静かな笑みを浮かべて、皇后は踵を返す。背筋の伸びた後ろ姿に騎士団長たちが追従し、やがて店の向こうへと消えて行った。



 ***



「私には挨拶もなしですか。薄情ですねえ」


 イゾルテは店を出ると、通り過ぎようとしていたその人に声をかけた。苦笑まじりの呼びかけに足を止めたコンスタンツェは、護衛二人に控えるように言い置くと、ようやく振り向いてくれた。


「だって、合わせる顔が無いんだもの」


 バツの悪そうなその表情は、かつて教育係として接した時に良く目にしたものだ。イゾルテは苦笑を深めて首を横に振った。


「そんなことはありません。だって貴女は、エルネスタを助けに来て下さったんでしょう。姫様」


「……いつから見ていたの?」


「貴女の意図が理解できる頃から、ですわ」


 コンスタンツェはおそらく、皇帝の命を受けたふりをして、エルネスタを逃しに来たのだろう。望むなら家族ごと国外にでも亡命させる腹積もりだったはずだ。


「あの宮殿がどれほど女にとって生き辛い場所なのかは、よく知っているつもりです。勇気を出して下さったんですね」


「ようやくよ。あなたと違って十八年もかかってしまったわ」


 コンスタンツェは自嘲を隠そうともしなかった。彼女の胸の内に去来するものが何なのかはわからないが、一つだけ確かなことがある。

 この皇后は、姫君だった頃と根っこの部分は変わっていない。無表情なようでいて、本当は心の中で泣いていたあの日と、何一つとして。


「あの子はきっと大丈夫ね。きっとイヴァン王ならよく守ってくださるわ」


「ええ。私もそう思います」


 誰のことを指しているのか、聞かずともイゾルテには分かりきっていた。だからはっきりと頷いて見せる。


「イゾルテ、ありがとう。貴女の人生を曲げてしまったと、ずっと思っていた。けれどそうではなかったのね」


「もちろんです、コンスタンツェ様。私は自分で選んでここにいるのですから」


 イゾルテはさっぱりと笑った。

 あの時エルネスタを育てることを決めて良かった。心の底からから幸せだと思う。

 素直な気持ちが伝わったのか、コンスタンツェもまた懐かしむような笑みを浮かべた。


「イゾルテ、私ね。貴女の授業が一等好きだったのよ」


「あら、それは光栄です! 講師としては何よりのお言葉ですわ」


 過去は消せない。それは全ての者に共通する絶対的事実。

 だからこそ得難いものがある。心を持つ者ならば、消し去るべきではない何かをそれぞれ抱えて、苦しくとも生きていかなければならないのだから。


「ごきげんよう、イゾルテ。幸せにね」


「はい。コンスタンツェ様も」


 挨拶を最後に、コンスタンツェは優雅な身のこなしで踵を返した。壁際で待機していた護衛たちが合流して、すぐ側の馬車へと乗り込んでいく。

 大通りをゆっくりと進む馬車が見えなくなるまで、イゾルテは見送りを止めることはなかった。


 ***




「ふーん、そんなことがあったんだ。残念、俺も連中が悔しがるところが見たかったのにさ」


 夕食の席にて、コンラートがパンをちぎりつつそんなことを言うので、エルネスタは曖昧に笑うしかなかった。


「悔しがったりはしてなかった気がするけどね……」


「そうなの? まあどうでもいいけど。とりあえず俺は我が国のトップがお馬鹿だってことがわかってがっかりだよ」


 弟は生意気なことを言いつつも、どこかすっきりした顔をしている。彼も今回の件では怒っていたから、これである程度の折り合いがついたのかもしれない。


「言うねえ少年。ま、あんまりかっかしなさんな」


 豪快な笑みを見せるのはテオドルだ。そう、今日は彼も招待したため、非常に賑やかな夕食と相成ったのである。


 イヴァンは以前の事件を忘れてはいなかったようで、彼とエルネスタが同席するのを反対していた。テオドルも一度は招待を固辞したのだが、本当にもう気にしていないからぜひ来て欲しいと言うと、二人とも苦笑気味に頷いてくれたのだった。


「ほれ、子供は肉食え肉。イヴァンのとってきたイノシシだぞ」


 テオドルは近場にあったイノシシの香草焼きをコンラートの皿に勝手に盛り付けた。二階から椅子を引っ張り出しての食卓はさながら祭りの様な豪華さで、料理が所狭しと並べられている。


 友の通常運転ぶりに渋面を作るイヴァンを尻目に、エルネスタは小さく笑った。

 こんなに楽しい食事は久しぶりだ。それに何と優しい光景なのだろう。かつて同盟反対派の首領だった男と、人間が同じ食卓を囲んでいるだなんて。


「ちょっと、俺子供じゃないよ! 来年から研究者として、近くの天文台に勤めることになってるんだからね!」


 しかしコンラートはそんな事情など露知らず、いつもの如く気に入らないことを口に出しては相手を威嚇する。イヴァンに対して今のところこの棘が向けられていないのは、気難し屋の弟にしては大変珍しいことなのだ。


「へーえ、だったらなおさら肉食え、少年。そんなヒョロヒョロじゃモテないぜ?」


「いやありがたく食べるけどさ! ねえ何なのこのひと⁉︎ 俺、こういう知性の欠片も無さそうなひとってほんと無理なんだけど!」


「何だと⁉︎ 俺だって賢いガキは苦手だよこのやろう!」


 ついに喧嘩が勃発してしまった。水と油のようでいて、彼らは案外似た者同士なのかもしれない。

 どうやら両親も同じ気持ちでいる様で、全員が生温かい笑みを浮かべていた。


「テオ、よさないか。むきになってみっともない」


 苦笑まじりのイヴァンが一応止めに入ったところで、イゾルテによってテオドルのマグカップに酒が注ぎ込まれた。


「かなりの酒豪とお見受けしますわ。飲み比べといこうじゃありませんか」


「おお、これはこれは。俺は強いですよ、奥方」


 こっちはこっちで始まってしまった。ブルーノは既に限界突破しているし、最早しっちゃかめっちゃかだ。


「おおい……コンラート、水くれ、水」


「もうっ、父さんも最低! ちょっと待っててよ!」


 コンラートが怒った勢いのまま立ち上がろうとしたので、エルネスタは手元のポットから、父のマグカップに水を足してやった。


「はい、父さん。飲めるだけ飲んでね」


「ああ……」


 ブルーノはうつらとしながらもマグを傾ける。しかし全て飲み干したところで、耐えきれずに突っ伏してしまった。


「ああもう、父さん大丈夫? 寝るならせめてソファに行かないと」


「いいんだよ……最後くらい、どうだっていいんだ」


 うつ伏せになった父から漏れ聞こえてきた台詞は、ところどころ掠れて聞き取ることができなかった。エルネスタは肩を叩いて起こそうと試みたが、残念ながら反応がない。

 するとイヴァンが静かに立ち上がる。父の様子に呆れ果てて猪を口に運んでいたコンラートも、どうしたのかと顔を上げた。


「どれ、部屋にお連れするか」


「えぇ? ほっときゃいいのに。しょーがない、手伝うよ」


「大丈夫だ、コンラート。何も問題はない」


 イヴァンは人狼の姿になると、その言葉通り軽々とした動作で大男を肩の上に担ぎ上げてしまった。

 一国の王に酔っ払いの世話をさせるというとんでもない状況に、エルネスタは俄かに青ざめる。


「ご、ごめんなさい! こんなことまでさせてしまって……!」


「気にするな、軽いものだ」


 筋骨隆々の男を担いで軽いと言い切るとは。やはり人狼族の膂力は半端ではないらしい。


「おお、やっぱ凄いね。かっこいいや」


 コンラートも珍しく感嘆の声を上げて、水の入ったボトルとマグカップを手に立ち上がる。


「俺、父さんに水を届けついでにそのまま寝るよ。おやすみ、姉さん」


「おやすみ、コンラート」


 三人になった居間では、常識を超えた酒豪の二人が静かに飲み比べをしていた。ワインボトルとマグカップを机に置く音がやけに大きく聞こえ、リビングはさながら何かの試合のような緊張感で満たされている。


「ふふ……やっぱりやるわね、あなた」


「酒は久しぶりでね。いくらでも飲める気がするぜ」


 底知れぬ笑みを浮かべる二人は、酒への耐性もまた沼のようだ。

 エルネスタは最早この二人は放っておくことにしてリビングを後にした。すると、廊下で人狼の姿のままのイヴァンと行き合うことになる。


「イヴァン、本当にありがとう。大丈夫だった?」


「ああ、ぐっすりと眠っている。二日酔いは少々心配だが……最後だからな。羽目を外すことにしたんだろう」


 イヴァンの真剣な眼差しを受けて、エルネスタは寂しげな微笑を浮かべた。

 そう、家族で過ごすのはこれが最後になる。


 大勢が国王の帰りを待っているのだからと、明日にもシェンカに帰ることを提案したのは、他ならぬエルネスタだった。

 イヴァンはもう少しゆっくりしたらどうかと言ってくれたが、エンゲバーグが軟禁されていることを筆頭に、早く帰らねばならない理由が多すぎる。


 急な出立に家族は驚いた顔をしたものの、すぐに納得してくれた。


「いい家族だな。君が大事に育てられたことも、君が皆を大事に想っていることも、見ているだけで伝わってくる」


「……うん。うん、そうね。大好きだもの」


 目を細めて頷いていると、金の毛並みの手が頭を撫でた。今までなかったはずの仕草に顔を赤らめたエルネスタは、意味を問う視線を彼へと向ける。


「……まあ、これくらいなら許されるだろう」


 イヴァンはどこかバツの悪そうな顔をしていた。謎のつぶやきに首を傾げていると、彼は一層力強く頭を撫でてくれる。


「また会いにきたらいい。今生の別れではないよ」


「……でも、そんな我儘は」


「我儘などではない。むしろ我儘なのは俺だ。だから絶対にここへと連れてきてやる」


 このひとが優しいのは、誰よりも悲しみを知っているからなのだろう。

 エルネスタは微笑み、小さな声で礼を言うのだった。


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