国王様釘を刺される
エルネスタは家の裏庭にて、昨日採集した薬草を並べていた。こうして天日干しにした後、物によっては煎じたり練ったりして、薬にするのだ。
綺麗に並んだ薬草たちに満足を得てから後ろを振り向くと、そこでは一国の主が薪割りに精を出している。
エルネスタは未だに信じ難いこの現実に、しばしの間微笑んだまま動きを止めた。
今日のイヴァンもブルーノの若かりし頃の服を着ている。チョハを纏っていないと一般のブラル国民に見えなくもないが、あまりにも際立つ美貌と存在感がそれを否定していた。
「ねえイヴァン、もういいのよ」
朝も竃の面倒を見ていたし、何というか恐縮を通り越して真実味がない。家族も国王陛下に対してフランクすぎやしないだろうか。
「いいや、まだ大した数をこなせていない」
「十分な量だと思うんだけど……」
既に傍らには薪の山が出来上がりつつある。昨日まで超強行軍での旅を敢行していたというのに、この体力は一体何なのだ。
「泊めてもらっているんだ、これくらい当たり前だろう」
イヴァンは首に掛けていた布で汗をぬぐいつつ、疲れを感じさせない動作で振り返った。
エルネスタはその笑顔に目を細めたが、心配する気持ちが勝ってすぐに眉を下げた。
「親書が届き次第、行ってしまうんでしょう? せめて今のうちに休んでいたらいいのに」
宮殿に乗り込みに行くだなんて、とても危険な旅になるはずだ。
本当は共に行きたかったが、それは言ってはならない我儘だと理解していた。雪で山道が閉ざされる前に用を済ませて、シェンカに帰らなければならないのだ。エルネスタは足が遅いし、何より付いて行ったところで何の役にも立ちはしない。
「父さんはああ言ってたけど……私の感情だけで語るなら、皇帝陛下のなさったことなんて、どうだっていいの」
けれどこれはイヴァンが命をかけて守ってきた、シェンカという国の立場をかけた問題だ。エルネスタに口を挟む権利などない。
「それだけ知っておいてね。まさかとは思うけど、私のことを慮ることはないんだから」
「エリー、君は勘違いをしている」
しかし精一杯の勇気を出しての進言は、優しげな声に遮られた。
いや、違う。イヴァンは一見微笑んでいるが、目が全く笑っていない。
「正直に言おう。俺はブラル皇帝に対して、切り裂いても気が済まないほどの怒りを感じている。シェンカを舐め腐ったこともそうだが、何より君に働いた非道についてだ」
「えっ……⁉︎」
エルネスタは唖然とせざるを得なかった。仕事第一、政治に感情を持ち込まないことを信条にしているイヴァンが、まさかそちらを優先して怒っているとは。
「シェンカの立場なぞ、奴を叩きのめしたついでに上げておく程度の認識だ。いや、上げるというよりは、礎にさせてもらうと言った方が正しいか。これだけのことをしでかしておいて、このまま同盟を結んでやる義理はないからな」
「あ、あの、イヴァン?」
「奴が見上げたクズであることがはっきりした。人狼族を、この俺を敵に回したらどうなるか、連中は骨身に沁み込ませなければならない」
イヴァンは不敵な笑みを浮かべている。ここまで怒ってくれたことを嬉しいと思いつつも、その威圧感を肌に感じたエルネスタは顔を引きつらせた。
なるほど、これは確かにおっかない。しかも全く許してくれそうにない。ああ、戦場で畏怖されていたというのも、今なら簡単に想像がつく気がする……。
「わ、わかったわ! 待ってるから、気をつけて行ってきてね! あと、やりすぎないでね!」
エルネスタは強引に話を断ち切った。
心配したこと自体が愚かだった。これはむしろ、この計画に加担した人々を心配するべき局面だ。
「そろそろお昼にしましょう? ほどほどのところで手を洗って、ダイニングに来てちょうだいね」
とにかく美味しいものでも食べて和んでもらおう。そう結論付けたエルネスタは、イヴァンの返事に笑顔ひとつ残してその場を後にしたのだった。
***
これは現実なのだろうか、とイヴァンは思う。
常に手の届くところにエルネスタの笑顔がある。おまけに、待っているなどと。ここが外でなければ抱きしめていたところだ。
「かわいい……」
溜息交じりの独り言は素直な感想そのもの。
昨夜は本当に危なかった。あれだけ緊張して震えていたエルネスタに、とんでもない無体を働くところだった。そうでなくともここは彼女の実家であり、自身は居候の身だというのに。
もう一度溜息を吐きつつ薪を叩き割ったイヴァンは、背後からの気配に気付くのがすっかり遅れてしまった。
「俺の娘は可愛かろう」
危うく斧をすっ飛ばしそうになり、固く握り直してから後ろを振り返る。
そこには憮然と両腕を組んだブルーノがいた。一体いつからこちらの様子を窺っていたのだろうか。
「知っているか、うちの娘は街一番の器量良しなんだ。本人に自覚はないみたいだが」
「ああ、それは……まず間違いないでしょうね」
あれだけ可愛いのだからそれも当然だ。十八という年齢を考えても、未だ結婚していなかったのは奇跡的と言えるだろう。
「適齢期になった一昨年くらいから縁談は引きも切らずだったが、俺が吟味して今のところ全部断っておいた。妻は呆れていたが、下らない男ばかりでな」
「そうでしたか」
イヴァンは表面上は真顔で頷きつつ、心の中では義父に感謝を捧げた。
ーー義父上、ありがとう。おかげで俺はエリーに会うことができた。
「明るくて素直ないい子だ。それがシェンカから帰ってからはすっかり落ち込んでしまった。……だが、貴方が来てからは、前以上に表情豊かになったな」
その言葉にはすぐに頷くことが出来なかった。
傷付けてしまった罪悪感と、様々な表情を見せてくれる彼女を思い返して胸が詰まる。
「……二度とそのような顔はさせないと、お約束することはできません。私は、一国の王ゆえに」
これからも戦は起こるだろう。進む道の上、困難は口を開けて待っている。
その度に悲しませてしまうことは避けようがない。
「ですが、必ず最後まで守り抜きます。それだけは信じていただきたい」
ブルーノはしばらくの間、目を細めてこちらを見つめていた。やがて深いため息をつくと、目をそらしてがりがりと後頭部をかく。
「まあ、貴方は下らない男ではないことは確かなようだな」
「光栄です」
「だが、わかっているんだろうな」
しかし認めてもらえたかと安堵したのもつかの間、ブルーノは剣呑な目つきで詰め寄ってきた。
「娘とはまだ正式な夫婦ではない。国に帰って誓いを立てるまで、指一本触れることは許さん」
「は……」
イヴァンは珍しくも呆けたような声を出した。
そんな酷なことがあるか。反論しようと口を開きかけて、ブルーノの目に宿るものに何も言えなくなる。
「うちの国が全て悪いことを承知の上で言う。貴方は書類上とはいえ他の女と婚姻を結んだ状態だ。せめて人狼の神の前で誓いを立てて欲しい。……それくらいのものを、あの子にくれてやったって、いいだろうが」
絞り出すようにして紡がれたブルーノの言い分は、納得するに十分なものだった。
改めて結婚の誓いを捧げることを考えていたというのもある。
何よりエルネスタには数え切れないほどのものをもらった。少しずつでも報いるために、彼女の家族の願いくらい叶えてやらなければ。
「……わかりました。確かに、貴方の言う通りです」
まあ正直に述べるとするならば、頷いた瞬間に後悔に襲われたのだけれど。




