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夢じゃない 1

 その朝はいつもと同じようにやってきた。


 ベッドの上で体を起こし、定まらない視界で自室の風景を見渡したエルネスタは、ふうと一つ息をつく。

 どうやらとんでもない夢を見てしまったようだ。願望ばかりが滲んだ内容に、恥ずかしさのあまり二度寝をしたい気分になる。


 かのひとの夢は何度も見たけれど、今日のそれは妙な現実感があった。

 本当にそろそろいい加減にしなければならない。こんなのは馬鹿みたいだ。愚かで、おこがましくて……そして幸せな、夢。


 ボサボサの頭を手櫛で整えながら二度目の溜息をつく。エルネスタは重い体を引きずってベッドを降りると、そのままの姿で自室を後にした。


 時刻は午前六時前。イゾルテも起き出す頃なので、朝食の準備を手伝わなければならない。

 なんだか頭がぼうっとして、思考回路が機能していないような気がした。妙な違和感を抱え込んだまま、エルネスタはリビングに続く扉を開ける。


「おはよー……」


「おはよう、エリー」


 眠気に曇った挨拶に返ってきた明朗な声は、ありえないはずのものだった。

 ほとんど反射だけで顔を上げる。続きのキッチンにはイゾルテがいて、苦笑気味に挨拶を返してくれている。そしてそのすぐ側、竃の前で火の番をしているそのひとは。


 ーーどうしてイヴァンがここに。


 エルネスタは目を見開いたまま静止した。淀んだ頭が嘘のような活発さで働き始めて、先程夢と断じた内容を反芻する。


 まさか、まさか、そんなはず。でも……!


 震える唇から音にならない悲鳴が漏れる。

 今着ているのは伸び切ったパジャマ。寝癖だらけの髪。国王陛下が一般家庭で火起こし。昨夜の出来事。様々な要因が絡み合い、ついには頭を爆発させた。


 混乱の渦に叩き込まれた体が勝手に動き、エルネスタは無言で扉を閉めた。

 そうして全てを放棄することを決意すると、全速力で自室へと走り出したのである。


 *


 時は遡って昨夜。ゲントナー家の居間は妙な緊張感に包まれていた。

 ダイニングテーブルには今、四人の人物が腰掛けている。そのうちの一人であるエルネスタは、目の前に座る父の様子をそっと窺った。


 ブルーノは明らかに憮然としていて、厳しい視線を斜め前へと注いでいる。その隣のイゾルテは正反対で、心底嬉しそうな笑顔を浮かべて夫と同じ方向へ視線を向けていた。


 二人の視線を一身に引き受けたイヴァンは、いつものごとく泰然とした佇まいだ。どうしても滲み出てしまう風格と美貌が、小ぢんまりとした空間にあまりにも合っておらず、エルネスタは無性に居心地の悪い思いがした。


「改めて、私はイヴァン・レオポルト・ウルバーシェクと申します。お会いできて光栄です」


 ーー何その喋り方⁉︎


 エルネスタは心の中で口をあんぐりと開けた。

 ちなみにコンラートは壁際のソファーに腰掛けて、本を片手にこちらを窺っている。あれはどう見ても読んでいない。


「イゾルテ・ゲントナーでございます。こちらこそお会いできて光栄ですわ、イヴァン陛下」


 さすが元宮殿勤めのイゾルテは落ち着いたもので、礼儀作法も完璧だ。しかしブルーノはといえばますます表情を険しくさせ、「……ブルーノだ」と呟いたきり押し黙ってしまった。


「本日はエルネスタ殿との結婚の許しを頂戴しに参りました。本来ならばもっと早くに伺わねばならないところでしたが……このことについては深くお詫び申し上げます」


 ーー深くお詫び申し上げます⁉︎


 簡単に頭を下げていいひとではないというのに、ここまで真摯な対応をしてくれようというのか。

 嬉しいのと申し訳ないのとで、エルネスタはすっかり赤くなった顔を持て余していたのだが、イゾルテは容赦がなかった。


「なんて素敵なんでしょう! うちの娘を追いかけてきてくださったんですか?」


「その通りです。私にはエルネスタ殿しか考えられませんでしたから」


 エルネスタは今度こそ本当に口を開けた。照れ屋だったイヴァンはどこへ行ってしまったのだろうか。


「きゃああ! こんなことがあっていいのかしら、本当に素敵だわ。ねえご存知ですか陛下、この子ったら、帰ってきてからずーっと落ち込みっぱなしで」


「ちょっと母さん、やめてよ! 恥ずかしいってば!」


 エルネスタは立ち上がらん勢いで制止の声をあげた。しかし話を引き継いだのは、他ならぬブルーノだった。


「その通りだな。見ていられん程だった」


 父には気付かれていないと思っていたエルネスタは、羞恥心も押し流す程の驚きに見舞われた。見ればコンラートも面倒そうにため息を付いている。

 どうやら帰ってきてからも家族には随分と心配をかけてしまったらしい。エルネスタは泣きそうな思いがして、肩を落として押し黙った。


「貴方が悪くないということは承知している。むしろ多大なる迷惑をかけ、礼儀を欠いた真似をしたのはこの国だ。……しかしな、国王陛下。この騒動にどうやってケリをつけるつもりだ? こんな横暴を働いた連中を野放しにしておいては、またどんな無理をふっかけてくるかわからん。そこを曖昧にするつもりなら、この子を嫁にはやれない」


 コンラートが「ふーん、案外言うじゃん、父さん」と呟いたが、エルネスタはもはやその声を拾うことができなかった。


 ブルーノが娘を大切に思ってくれているのはわかる。けれど、イヴァンはただこの謀略に巻き込まれただけなのだ。それなのにこれ以上余計なものを背負わせるわけにはいかない。


 しかし口を開きかけたところで、やんわりとイヴァンに制されてしまった。弱り切った瞳で見上げると、そこには確かな意思を宿した柔らかい笑顔がある。

 そうして再度前を向いたイヴァンは、その顔からすっかり笑みを消し去っていた。


「それについては、私もただで引き下がるつもりはありません。奴らには深い後悔を刻みつけ、二度と妙な気は起こさないようにしてやりましょう」


 エルネスタは怒りをみなぎらせた横顔を見上げた。

 予想をしていたことではあったが、イヴァンは今回の事件に対してかなりご立腹なのだ。国をコケにされたも同然なのだから、然もありなんと言ったところである。


 全身から滲み出る怒りに何も言えなくなっていると、コンラートが面白そうに食いついてきた。


「なにそれ、俺そういうの大好き。どういうこと、義兄さん?」


「ほう、コンラート殿もなかなか肝の据わった男だな」


「殿はやめてよ。それで、どうするつもりなの」


 馴染むの早くないかな。エルネスタは遠い目をしながらそう思ったが、突っ込むタイミングなど存在しなかった。


「今現在、臣下にブラル皇帝への親書を用意させている。それが届き次第、俺は皇帝を叩き潰しに行くつもりだ」


ここまでお読み頂きありがとうございます。

ようやくくっつきましたが、まだもう少しだけ続きます。

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