皇帝の娘
今しがた受け取ったばかりの書状に目を通したカールハインツ帝は、にんまりと口角を上げた。
身代わり作戦は無事完遂された。エルメンガルトは見つかり、エルネスタは故郷へと帰還したとのこと。
しかしシェンカとリュートラビアの間で戦まで起こったというのはいただけない。同盟を結んでいる都合上、人狼どもには申し訳程度でも兵と支援物資を送らねばならないのだ。
自分の妻が入れ替わったことにも気付かん間抜けめ。あんな蛮族どもと対等な同盟を結ばねばならなかったとは、今になっても憤懣やるかたない思いだ。
皇帝は手元の葉巻に火を付けると、深く吸い込んで気を落ち着けるようにした。
それにしても捨てたはずの娘が今になって役に立つとは。
どうやらあの学者ーー名前は忘れてしまったが、あの女は随分と良い親だったらしい。これだけの役目を遂げられる娘に育ててくれたとは嬉しい誤算だ。
もしかすると今後も利用できるかもしれない。あのはねっかえりのエルメンガルトのことだ、今後もいつ逃げ出すか分かったものではない。
「いつでも入れ代われるよう、確保させておくか」
思いつきと共に煙を吐き出すと、傍にいた皇后コンスタンツェが目を細めた。
「どういうことですの?」
「あの娘のことだ。これだけやれるなら、今後も働いてもらうとしよう」
騎士団長を呼び出して指示を出す。ヴァイスベルクにいるというその娘を確保し、人狼どもの目につかないどこかで、いつでも入れ代われるように待機させるのだ。
「もちろん監視付きでな。では行け」
しかし騎士団長は信じ難いとばかりに目を見開いたまま動こうとしない。カールハインツは苛立ちを感じるままに、葉巻を灰皿に擦り付けた。
「お言葉ですが、陛下。これ以上、無関係の者を巻き込むのは……」
「無関係? 誰が無関係だ。あれは余の娘ぞ」
一度は捨てた子供を、必要があればまた娘と呼んで見せる。それがどれほど身勝手な行いなのか、カールハインツは気付いていない。
「無茶を重ねれば、それだけ露見する可能性も高くなります! 何卒ご再考を……!」
「黙れ、世間知らずの姫一人探し出すのに莫大な時間を費やした無能が! 貴様などに進言を受ける謂れはないわ!」
騎士団長め、なぜ命令を聞こうとしないのだ。
コンスタンツェが口を開いたのは、カールハインツが衝動的な怒鳴り声を重ねようとした時の事だった。
「では、陛下。わたくしが参りますわ」
突拍子も無い提案を受け、男二人は困惑の視線をコンスタンツェへと向ける。
皇后は常の無表情を崩さず、静かにそこに腰掛けていた。
「このわたくしが、その娘を身代わり……いいえ、永遠の影武者に仕立て上げて見せましょう。わたくしの提案ならば、イゾルテも納得するはずですわ」
この城をほとんど出たこともなくいつも政治には口を挟まない皇后が、娘一人を捕えに辺境に向かう。晴天の霹靂とでもいうべき、考えられないような事態だ。
「よろしいでしょう、陛下。わたくしにお命じくださいな」
コンスタンツェは美しい微笑みを浮かべて見せた。それは騒動の火種となった長女によく似た笑みであった。




