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運命の双子

 姫君に続いてエンゲバーグが部屋に滑り込んでくる。彼はどうやら疲れ切っているようで、青白い顔に汗を滲ませていた。


「ようやくたどり着きました……辛くもといったところですが」


 どうやらここまでの道中でかなり神経をすり減らしたようだ。しかしエルメンガルトはどこ吹く風で、まるでよく知る場所を散歩してきたかのような調子だった。


「大丈夫さ伯爵。私が歩いていても、王妃様が早起きしたとしか思われないと言ったのは君じゃないか」


「それでも普通は緊張するものです。此度の戦で見張りの衛兵が減っていなかったら、危ないところだったのですぞ」


 エンゲバーグは額をぬぐいつつ、呆気に取られて立ち尽くすエルネスタに向き直った。苦労性の大使はいつにも増して心労を溜め込んだ様子で、すっかり背筋が曲がっていた。


「エルネスタ様、お分かりかと思いますがこちらがエルメンガルト様です」


「はじめまして。いや、生まれた時以来だから、久しぶり……かな。本当にそっくりで驚いたよ」


 驚いたと口にしつつ、彼女の顔には落ち着いた笑みが浮かんでいた。エルネスタは差し出された手を反射的に握ったが、未だに現実だと信じきれなかった。


 いくら噂に聞いていても、実際に目にすると驚きなどという言葉では済まされない。自分が双子だったことを今更のように理解した頭が、ようやくの思考を生み出し始める。


「……ご無事でよろしゅうございました。お会いできて光栄です、エルメンガルト様」


「随分かしこまるんだね。まあ、無理もない」


 エルメンガルトは瞳に後悔を滲ませた。自分と同じ顔が表情を変える様は、何とも新鮮で不思議だった。


「済まなかったね、エルネスタ。何を言っても意味を成さないと思うけど……私はね、妹の存在を知らずに育ったのだよ。だから私が出奔したからといって、こんな無茶な計画を実行するとは想像もしなかった」


 まっすぐな瞳に嘘はなく、その言葉は素直に納得できるものだった。抹消された妹の存在など、知っている方がおかしいというものだ。


「そもそも私は此度の婚姻に反発していたのだが、その理由はこの性格だった。何せ私は身勝手な自由人でね、どう考えても王妃になんて向いていないから、婚姻を結ばない方が同盟が揺らがずに済むと思ったんだよ」


 エンゲバーグが姫君の後ろで無言で頷いている。かなり失礼な相槌だと思うのだが話の腰を折るわけにもいかないので、エルネスタは黙って話の続きを待った。


「だから、イヴァン王が訪問してきた時も、部屋にこもって出ないようにした。それなのに婚約が決まってしまってね。どうやら皇帝陛下は同盟の礎を得ると同時に厄介払いを果たすつもりだったらしい。私はこの通り聞かん坊だから」


 エルメンガルトは面白そうに言った。両親との不和を語るにはあまりにもあっさりとしたその態度に、エルネスタは彼女の背負う苦しみを垣間見たような気がした。


「だから、一度くらいあの人たちの度肝を抜いてやろうと思ったのさ」


 しかし次に放たれた言葉には、思わずぽかんと口を開けてしまった。

 エンゲバーグが頭を抱えている。おそらく彼にとっては既に聞いた話なのだろうが、もう二度と耳にしたくないという態度だ。


「計画はこうだ。とりあえず宮殿を出て絵を描きながら旅をする。それで満足したら、輿入れへの出発日から数日遅れた頃に戻る、と。それくらいの遅れなら無理をすれば取り戻せるし、あの人達の泣きっ面を拝むにも丁度いいかなと思ってね」


「しかし絵を描くのが楽しすぎてすっかりその計画を忘れたそうです。……まったく、言葉もありませんぞ」


「私の集中力に感動してくれたのかな?」


「呆れているのです。基本的に野宿でお過ごしとは、何かあったらどうするおつもりだったのか」


 本当に何も言えないとばかりに、エンゲバーグはため息をついた。エルネスタはとんでもない真実に呆れを通り越して、もはや清々しい気分すら抱いていた。


 確かにエンゲバーグが語る印象と合致する。天衣無縫にして天才肌で、常に毅然としており無闇に驚くことはしない。どうやらエルネスタの実の姉君は、想像よりも随分と面白い人らしい。


「あの、一つだけ伺いたいことがあるんです。よろしいでしょうか」


「いいよ。なんだい?」


「エルメンガルト様は、人狼族が怖いとお思いですか」


 エルネスタは自分と同じ深緑色の瞳を見据えて問うた。

 二度の瞬きののち、双子の姉はからりと笑って見せたのだった。


「全然。道中で出会ってきたけど、私たちと何にも変わらないんだね」


 この時、胸の内にわだかまっていた不安が溶けて消えた。

 この人はシェンカの皆を傷つけるような人じゃない。それを知ることができたなら、罪を重ねたわが身には十分に過ぎる。


 エルネスタは笑みを浮かべて、その手に携えていた日記帳をエルメンガルトに差し出した。


「どうぞ、こちらをお役立てください」


「これは?」


「私がこの一月半で書いた日記です。こうしたものもご入用かと思いまして」


 エルメンガルトは少なからず驚いたような顔をした。手に取った日記をパラパラとめくった彼女は、その瞳を更に丸くしている。


「驚いたな、随分と細かく書いてあるんだね。勉強した内容に、その日の出来事や、周囲の人の特徴まで。……君、なかなか絵も上手じゃないか」


「や、やめてください! 直接感想を言われるのは恥ずかしいです! 後で読んでください、お願いします!」


 両手を前に掲げて横に振ると、エルメンガルトは出会ってから一番の笑顔を見せてくれた。その表情は随分と魅力的で、きっと自分ではこうはいかないだろうと頭の片隅で思う。


「不思議だ、初めて話した気がしないよ。……ねえエルネスタ、私は君と一緒に育ってみたかったな。そうしたら一体どんな運命が待っていたんだろう。あるいは産まれてくる順番が逆だったなら、どんな人生を歩んでいたんだろうね」


 もし姫君として育っていたら。その可能性を初めて考えて、エルネスタは瞠目した。


 もし双子の因習などなかったら、エルメンガルトと仲のいい姉妹になれたのだろうか。もし姉として産まれたのなら、姫君として何不自由なく成長したのだろうか。


 最初から高度な教育を受けて、必要なだけの素養を身につけて……堂々とイヴァンの元に嫁ぐことができたのだろうか。

 そこまで考えたとき、押さえつけていたはずの胸の痛みが主張を始めた。


「貴女と暮らせたなら、きっと楽しかったと思います。ですが、それは考えても仕様のないことです」


 エルネスタはひっそりと微笑んだ。

 今までの人生、確かに幸せだった。心から家族を愛している。彼らに出会わなかった可能性なんて、ほんの少しでも考えたくはない。


 この人は幸せだったのだろうか。この世のものはなんでも手に入るような環境で育まれながら、どこか空虚さを秘めた瞳を持つこの姫君は。


「そうだね、君の言う通りだ。詮無いことを言ってしまったね」


 静かな笑みを浮かべたエルメンガルトが、しなやかな腕を伸ばしてくる。

 エルネスタは生まれて初めて血の繋がった人の腕の中にいた。その温かさに滲む視界が、呪わしくも愛おしかった。


「何から何までありがとう。君のためにも、私は頑張ってみるよ」


「はい。お会いできて良かったです。どうかお元気で」


「うん。君も体には気をつけて。二度と会うことはないと思うけど、私はいつも君のことを想っているよ」


 それが最後の言葉になった。どちらからともなく体を離すと、ついにエンゲバーグが焦った声を上げた。


「そろそろ参りましょう。衛兵の交代の時間を狙います」


「わかったわ。行きます」


 扉が閉まる直前、エルネスタは背後を振り向いた。そこには自分をそのまま映した姿があって、寂しそうな笑顔で見送っていたのだった。


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