作戦会議
王城内の会議室は刺すような緊張感に包まれていた。
絨毯の上に国王軍の幹部やその他重鎮がぐるりと輪になっている。その上座に当たる部分には、国王と宰相、そしてクデラ将軍の姿があった。
イヴァンは荒れ狂う心中を押し殺して、ただ静かに腰を据えていた。危惧していた事態が現実となり、甦るのは九年前の激戦だ。
不可侵協定を破ってのこの所業、もはや慈悲は必要あるまい。そう思うのが国王だけではないことは、ここに集う男たちの顔を見ていればすぐに知れた。
「それでは、まずは状況を確認いたします」
この会議の司会を担うのは宰相ヨハンである。彼は大きな地図を輪の中心に広げると、ある一点を指示棒で差して見せた。
「此度のリュートラビアの侵攻は、金鉱山を狙ってのもの。ここまではよろしいでしょうか」
彼が指したのはコチュカ山だった。リュートラビアとの国境付近にあるこの山は、最近になって金が取れることが発覚した資源の要所だ。
どうやら隣国にまで情報が到達していたらしい。この山を狙って進軍を開始したとはあの国らしい強欲ぶりではあるが、恐らく本当の動機は恐怖そのものだろう。
自国での金の採掘によって、シェンカの国力が今後伸びることは必定。連中はただでさえ人狼族を恐れているのだから、これ以上力をつけられてはまずいと考えたのだ。
「現在はバジャント領の国境壁前に兵を集結しつつあるようです。それも三日前の出来事ですから、援軍を送った先でどうなっているかは想像するしかありません」
伝令の足で全力疾走して三日。王城に駐屯する兵力を送り込むには、六日を見ておく必要がある。
「バジャント将軍の指揮と駐屯兵力を持ってすれば、持ちこたえはするでしょう。しかし伝令によれば、敵兵力は万を超えるとのこと」
ここで初めて会議室の空気が揺れた。シルヴェストルは難しい顔をして顎をなで、将軍たちも驚愕の視線を交わし合う。
一般的に戦といえば多くても数千人程度の数でぶつかり合う。一人で人間三十人分程の力を誇る人狼族は、一つの要塞につきごくわずかな数しかいない。絶対数の少ないシェンカ国王軍は、そうして戦力を分散させているのだ。
「宰相殿、それでは長くは持ちませぬぞ! 早急に援軍を!」
臣下の一人が焦燥のまま叫ぶが、ヨハンは落ち着いたものだった。
「ええ、近隣の兵力を集めねばなりません。ただし派兵に応じた各要塞が手薄になりますから、そのうちのどこかを突かれる可能性があります」
会議室は重苦しい空気に包まれた。
戦において悩まされるのは、限られた兵力をどこに割くかということ。その判断を一歩でも間違えれば、大敗という結果が待っている。
「ここではないのか? リュートラビアの連中からすれば、ここが一番攻めやすい」
「いいや、こっちの山道をあえて狙う可能性もある」
「川沿いが危ないな。我々も音に紛れて察知しにくい」
一人の発言を皮切りに、室内は喧喧囂々の議論が始まった。
しかしイヴァンがすっと右手をかざすと、そのやかましさはすぐに静寂へと転じる。
「俺が思うに、奴らはコチュカ山への一点突破を考えている」
戦においては悪鬼の如し。欲しくもない呼び名を得てしまったのは、一体いつ頃のことだっただろうか。
先の戦にて数々の難局を才気で覆した王子の姿は、将軍たちの目に焼き付いていた。だからこの国王陛下の言を誰もが尊重し、固唾を飲んで聞き取ろうとしている。
「九年前の失敗を奴らは忘れていないはずだ。全兵力を持って攻撃を仕掛けなければ、古参兵の賛同を得られない」
リュートラビアが競り負けたのは、人狼族の個の力を見誤り、少ない兵力で戦を仕掛けたからだ。結果として出足で相当数の兵を失い、以降の苦戦を強いられることとなった。
「そこを正面から叩く。今の戦士達にはそれができる」
対するシェンカも、敵方がどう仕掛けてくるか判断できない以上、止むを得ず各要塞に戦力を配分していたために苦労した。
一つ所に戦力を結集させれば、等倍以上の力を発揮できるのが人狼族。加えて国王軍はこの九年間で練りに練った軍事訓練を叩き込まれている。当時とは比べるべくもないほど個人の力量は増し、また指揮系統も磨き抜かれた。
「我々は以前の我々ではない。リュートラビアがどれほどの数を掻き集めようと、必ずや勝利を得ることができるだろう」
それは矢のように通る声で、絶対的な力を伴っていた。内容にも納得を覚えた臣下たちは、確かにと肯首する。そこで手を上げて発言権を求めたのは、重鎮たちからも信頼を集めるシルヴェストルだった。
「そのお考えには私も賛成です。つまりこちらも全兵力を持って平原に押し寄せる敵戦力を叩く、でよろしいでしょうか」
英雄の賛同にそれがいいとの声が飛んで、会議室の空気が一つになった。しかしイヴァンは首を振り、その動作だけで臣下たちを黙らせる。
「いや、守っているように見える程度の数を残しておく。奴らの選択肢を減らし、コチュカ山への侵攻を断念した後の動きを抑えるためには必要だ」
「ひとまずは必要最低限の戦力を残してバジャント領に集結。足りない分は援軍で補う、と」
シルヴェストルが鋭い眼差しで国王の考えを読み取る。イヴァンは頷いて、全員と目を合わせてから口を開いた。
「援軍を率いるのはこの俺だ。今度こそ連中の喉笛を噛み切ってくれよう」
宣言と同時に戦士としての闘争心を噴出させた国王を前に、臣下たちは一様に感嘆の声を上げる。
ヨハンとシルヴェストルはこうなるであろう予感を抱いていたのか、顔をしかめただけで何も言わなかった。
戦において兵を率いるのは、それを統括する領主である。シェンカは全ての兵士を国王軍として組織しているのだから、それを指揮するのは国王の役目だ。
「おお、陛下……! 貴方様が率いてくださるなら、戦士たちもいつも以上に奮起しましょうぞ!」
将軍の一人が興奮したように拳を握りしめたのを切っ掛けに、男たちの間にも士気が湧き上がっていく。
期待に満ちた視線を浴びたイヴァンは、それでもなお鋭い眼光で、地図上の敵国を睨み据えていたのだった。
会議の結果、出立は明日ということになった。今から出兵の準備を始め、最短でも半日以上はかかるとの判断だ。
そうして長い会議を終えたイヴァンは、今は執務室に腰を据え、次から次へとやってくる仕事を片付けている。非常時ということで、傍らには敏腕宰相が文机を運び入れていた。
二つの文机の上を羊皮紙が行き交っては、訪ねてきた者がそれを受け取っていく。そんなことを延々と繰り返していると、ヨハンがおもむろに口を開いた。
「王妃様のことはどうなさるおつもりです」
イヴァンは手を止めて宰相を見た。そしてこちらを一瞥すらしない様子を確認して、また仕事を再開する。
何だかんだと気にかけてくれる友に、イヴァンは思わず苦笑を漏らした。
「そうだな。俺はどうやら信用に値しない男らしい」
今度はヨハンが手を止める番だった。疑問を含んだ視線を横顔に感じつつ、イヴァンは羊皮紙を繰る手を止めないでいる。
「核心は突かないようにして尋ねてみたんだが、はぐらかされてしまった。やはり頑として話す気は無いようだ」
イヴァンはエルメンガルトを信じるだけでなく、彼女からの信頼を得たいと思った。だからこそ覚悟を持って問うことにしたのだが、結果は惨敗に終わった。
その時に感じた痛みは跡になって、今も胸のうちにわだかまっている。
「なるほど、しかもこのタイミングで戦とは。もう半月もすればブラルに送った密偵も戻る頃合いなのですがね。こうなった以上、王妃様に真正面から問い詰めるべきだと思います。私から見てもあの方には不自然な点が多い」
厳しい言葉を連ねていても、ヨハンの言葉に棘はなかった。彼もまた王妃の言動に悪意がないことを感じ取っているのだ。
「それができないのはお前も解っているはずだ。何の証拠も無い以上、彼女は絶対に認めない。それだけの覚悟を持ってここへ来ている。そうと知って問い詰めたところで意味がないし、苦しめるだけだ」
「苦しめるだけ、ですか。……わかりました。留守を引き受けた都合上、私が王妃様を見て差し上げます」
まさしく頼もうとしていたことを、口に出す前に引き受けられてしまった。
イヴァンは手を止めて眼鏡の奥にある水色の瞳を見つめ返す。ヨハンは相変わらず仕事を中断していて、覚悟を携えてそこに座っているようだった。
「今日は随分物分かりがいいんだな」
「諦めたんですよ。戦場で気もそぞろになってもらっては困りますから」
小言宰相はため息混じりに言う。
この親友は昔から遠慮がなく物言いがきつかったが、その実誰よりも情に厚い男だった。
「頼む。お前にしか頼めないんだ」
ヨハンはしばらく無言のままこちらを見据えていたが、ややあって羊皮紙に視線を落とした。
「そんなにご心配なら、なぜ戦の指揮を買って出たのです。師匠にお任せすれば良かったのですよ」
正直に言うと、イヴァンは直前まで迷っていた。
自分のいない間にエルメンガルトに何かあるかもしれない。そう思うと突き上げるような焦燥感に駆られて、衝動のまま城に残ることを選びそうだった。
「国王軍を組織したのは俺だ。その責任を放棄することは有り得ない」
しかし、それができないのがイヴァンという男なのだ。
今までの犠牲に報いなければならない。流れた血の分だけの責任を、国王たる自分は背負っているのだから。
「不器用ですね。本当に」
ヨハンが何かをつぶやいたが、あまりにも小さすぎて聞き取ることができなかった。




