閑話 我輩は狼である その4
よう久しぶりだな、ミコラーシュだ。こんなところまで付き合ってくれて感謝するぜ。
突然だが、謁見というのは国王が民の上申を直接聞いて、治世に反映させる大切な仕事だ。
イヴァンが寝込んで十日が経ち、謁見を希望する民が溜まってきたらしい。それを聞きつけたエリーがやらせて欲しいと言い出したのも、この子の性格を考えれば自然なことだよな。
エリーにとっては初の謁見になるわけだから、かなり緊張していて気の毒だった。そんなわけで俺は今、エリーの側に寄り添って仕事ぶりを見守っている。
「つまり、あなたの領地では土砂崩れが頻発しているのね。原因は本当に雨だけ?」
「正直に申し上げますと、わかりません。雨は例年より多いですが、土砂崩れの頻度とは比例していないような気がいたします」
「地質の問題があるかもしれないわ。無理な開墾も考えられるわね。調査団を向かわせるよう検討するけど、まずは地元の者に話をーー」
けどまあ、余計なお世話だったのかもしれないな。俺はエリーの腰のあたりに張り付いて寝そべっているんだが、体が硬くなっていたのも最初だけ。今の彼女は立派に顔を上げて、貴族とも対等に渡り合っている。
お、次に入って来たのは市井の女だ。色んな奴らが来るから対応するにもそれ相応の知識が必要になる。エリー、大丈夫か?
「家畜の乳の出が悪くて……どうしたらいいのでしょう」
「乳の出ね。それはあなたの牧場で?」
「いえ、町全体でございます。このままでは、我が町の主となる産業が停滞してしまいます」
「急を要するってことね。うーん、乳の出には環境が大きく影響するわ。空気の質に、騒音なんかもーー」
おお、やるな。随分色々と詳しい……まるで普通の街で暮らしたことがあるみたいだ。
俺が感心しているうちに、次々と民がやってきては様々な上申をして帰っていく。その中にはてめえでなんとかしろよって内容のも当然あったけど、エリーは終始にこやかで丁寧だった。
「王妃様、本日はありがとうございました。こちらは今日とったばかりの鹿の肉です。どうぞお納めください」
「まあ、いいの? こんな貴重なものを」
中にはこんな気の利いた奴もいる。肉だ。俺もちょっとはもらえるかな。
「もちろんにございます。狩猟を生業とする我が村の名産品です。王妃様にお召し上がりいただけたなら身に余る光栄です」
「ありがとう。それならありがたくいただくわ。大事に食べますね」
エリーがにっこりと微笑むと、山奥から来たという青年は一気に顔を赤くしてしまった。
うん、この可愛さは山の連中には刺激が強かろう。お前さんには高嶺の花だから、惚れちゃダメだぞ。
ぺこぺこと頭を下げながら青年は帰って行き、ついに謁見は終了となった。部屋の隅からルージェナがやってきて、深々とした礼を取って見せる。
「王妃様、まことにお疲れ様でございます。恐れながら、お見事なご采配ぶりで」
「緊張したわ。ルージェナこそ付いていてくれてありがとう」
エリーは安堵のため息をついている。
よく頑張ったな。本当に立派な仕事ぶりだったぜ。
「ミコラもありがとうね。噛まずに済んだのはあなたのおかげよ」
エリーに背を撫でられて、俺は目を閉じた。そうか、そう言ってくれるなら俺もここにいた甲斐があったのかね。
「そうだわ。このお肉、ミコラにも食べてもらいましょう。お礼をしなきゃね」
肉! やったぜ! エリー、ほんとあんたはいい奴だよ!
「かしこまりました。それでは切ってからお持ちいたしますので、お部屋にてお待ちください」
ルージェナは麻布に包まれた肉の塊を抱えて謁見室を出て行った。人狼族は女でも力持ちだから頼もしいよな。
「楽しみね、ミコラ。部屋に戻りましょうか」
おう! 戻る戻る!
*
エリーの部屋に戻ってすぐ、切り分けた肉が運ばれて来た。エリーは夕飯に食べるとのことで、今のところは俺の分だけだ。
うおおうめえええ! この肉マジでうまい! さすが寒い地域の鹿は脂が乗ってるぜ!
「ふふ。美味しい? ミコラ」
多分エリーは満面の笑みを浮かべてると思うけど、肉が美味すぎて顔が上げられない。その様子から感想を察したみたいで、上から聞こえる声は軽やかだった。
「良かった。ねえミコラ、今日は本当に助かったわ。私ね、自分でも呆れるくらい緊張してたから……あなたがくっついていてくれて、本当に心強かったの。ありがとう」
そうか、そんなに緊張してたのか。そうは見えなかったけど、表に出さないよう気張ってたのかな。
「イヴァンは凄いわね、あんな事を週に三日も行っているだなんて。国王でいることは、どれくらいの重圧がかかるものなのかしら」
不意にエリーの声が切なさを含んだ。俺は肉を食べ終わって、その声音が意味するものを確かめるために顔を上げた。
「私ね、イヴァンの助けになりたかった。けれどその願いは叶うものじゃない。それがすごく寂しい……」
どうしたエリー、何を言ってる?
あんたは十分過ぎるほどあいつの助けになってるよ。だってさイヴァンのやつ、笑うようになったんだぜ。皆あんたには感謝してるし、敬愛の念を抱いてる。
仕事の面でも今日みたいに頑張ってるし、何よりもあいつの心の支えになってるんだ。自覚がないのか?
「ねえミコラ。私ね、イヴァンのことが好きみたい」
俺は心臓が止まるような気分を味わった。
どうしよう、とんでもない事を聞いちまった。知ってはいたけどはっきり本人から聞くのは初めてだ。
そうかそうか、エリーがねぇ。良かったなあイヴァン、これで両思ーー
「イヴァンが私のこと、何とも思ってないのはわかってるんだけどね」
……んっ⁉︎
ちょっとまて、今なんつった。
おいおい嘘だろ。あのこっちが恥ずかしくなるくらいわかりやすい態度を、エリーだけは理解してなかったってのか⁉︎
「けど、それでいいんだわ。このままでも十分すぎるくらい。……あはは、ごめんね。何言ってるのかな。こんな話をされても、意味がわからないわよね」
エリーは悲しそうに笑ってこの話を締めくくった。
いやすまん、がっつり理解しちゃってるんだが。
え、ちょっと待って勘弁してくれよ……マジなのか。衝撃が強すぎてぼーっとしてるぞ。
なんていうか、鈍さ加減がそっくりな夫婦だ。何なのお前ら。幼児なの?
俺が半ば呆れて固まっていると、エリーが無言でもたれかかって来た。寝そべっている俺の腹あたりに抱きつくような形で、自慢の毛並みに顔を埋めている。
「聞いてくれてありがとう。ミコラは、温かいわね……」
エリーはそれっきり押し黙った。しばらくしてから静かな寝息が聞こえてきたので、俺もそっと目を閉じる。
イヴァンのやつ、エリーを悲しませやがって。どうやらこの子はそうとうの鈍ちんなんだから、しっかり言葉で伝えてやんなきゃ。
くそ、やきもきするぜ。なんとかしてやりたいけど、俺が勝手に伝えるわけにもいかねえし……。
遣る瀬無い想いを抱えた俺は、結局すぐに考えを放棄した。エリーが気持ちよさそうに眠っているから、俺も眠くなってしまったのである。
*
ドアの開く気配で目を覚ました。
まどろみながらも必死で目を開ける。やっとこさ明確になった視界では、寝間着を纏ったイヴァンが仁王立ちになっていた。
なんだこいつ。なんでそんなに不機嫌そうなんだよ。
訝しみながら視線をめぐらして、俺は唐突に納得した。そこには俺の毛並みに埋もれるようにして眠り姫と化したエリーがいたのだ。
「謁見を行なったというから心配して来てみれば……いいご身分だな、ミコラ」
はいやっぱり怒りの矛先はこっちだよ。その低い声、めちゃくちゃ本気を感じるぞ。
[ふーんだ知らねえよ、俺たちは仲がいいのさ。嫁さんの前で狼にならないお前が悪いんだ]
「ほう。何を言ってるかわからんが俺に喧嘩を売っているのはわかるぞ」
イヴァンはますます眼光を鋭くしている。やっぱりこいつ俺の言うことまあまあわかってるよ。
だんだんイライラしてきた俺は吠えた。細かい意味が伝わらないのをいいことに、好き勝手ぶちまけることにする。
[ほんとお前いい加減にしろよめんどくせえな! 獣相手に嫉妬するくらい好きなら、とっとと男見せろってえの! 愛してるって言ってキスして、交尾するだけだろうが! 噛みちぎるぞ!]
「ううん……ミコラ?」
眠り姫が目をこすりながら起き上がったのはその時のことだった。
いかん、寝起きの可愛い声で俺を呼ぶのはまずい。そんなことしたらイヴァンがーー。
「おはよう、エリー」
「……え? イヴァン?」
あ、おれ死んだわ。
やめろ、その怖い顔をやめてくれ。なにその威圧感?
「どうしてここに……? 怪我は⁉︎」
「もう治った」
「嘘でしょう⁉︎ ていうかちょっとまって……やだ、私、寝てたの⁉︎」
エリーは真っ赤になって狼狽していて、どうやらイヴァンの怒りの原因を勘違いしたようだ。色んなことに焦っているみたいだが、そいつにとっちゃどうでもいい事だと思うぜ。
「ごめんなさい……! 私に言われても腹が立つだけだと思うけど、イヴァンはまだ寝ていないと……っきゃああ⁉︎」
体調を心配する言葉の途中で、エリーはイヴァンによって抱え上げられてしまった。
「何するの⁉︎ とにかく降ろして! 傷が!」
「うるさい。少し大人しくしていろ」
こうして、エリーは寝室へと連れ去られた。
あいつのことだから、いかがわしいことは何もしてないと思うけどな。いやしろよ。
結局、イヴァンはこのまま仕事に復帰することにしたらしい。ちょっと無理してる気がするんだが、エリーをほっとけないと思ったんだろう。
ったく。ほんとしょうがない夫婦だよな。やれやれ。
ミコラーシュ、言いたいこと全部言ってくれるので有難い存在です笑
ここまでお付き合い頂きありがとうございます。
そろそろ物語も佳境になって参りました。この先もお楽しみ頂けましたら幸いです。




