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追憶と慟哭と 3

 凄まじいまでの戦いを終えた長屋は、雨の音だけが支配する空間と成り果てていた。

 かつての友の喉元に剣の切っ先を据えたイヴァンは、すっかり息が上がっている。しかしそれは敗北した方も同じだ。


 エルネスタは安堵に倒れそうな程だったが、それでも気丈に二本の足で立ち続けていた。この二人の結末を見届けなければならないと、強い意志に突き動かされたまま。


「昔から、お前にはあとちょっとのところで勝てねえなぁ」


 ピクリと金色の眉間が動いた。イヴァンは厳しい視線をますます細めて、藍色の炎で真紅の瞳を睨み据える。


「いつでもいいぜ。政治犯を見逃したんじゃ道理が通らない。お前はこの国のために、俺を殺さなきゃならねえはずだ」


 イヴァンの全身が冷気を纏う。その冷たさに身震いしたエルネスタは、しかし強引に足を踏み出した。


「まって……! イヴァン、やめて!」


 剣を持つ手に縋り付くと毛並みの感触が滑らかだったが、今はそんなことに感慨を抱いている場合ではない。エルネスタは狼の顔を真っ直ぐに見上げた。


 止めなければ絶対に後悔する。出所のわからない確信が胸中を満たして、争いの間に割って入る事すら恐ろしいと思わなかった。


「この方を殺しては駄目! そんな悲しいこと、しないで!」


 ここで友を手にかけてしまったら、あの綺麗な笑顔に二度と出会えなくなるのではないか。

 既に多くのものを抱え込んでいるイヴァンが、これ以上の苦しみを背負いこむのは我慢ならなかった。そして亡霊と成り果てた彼の友が、悲しい思い出と共に再び消え去ることも。


「私、一つの怪我もしてないわ。死ななければならないような罪じゃない。貴方が背負うべきものなんて、ここには何もないの! だからお願い、そんなことはやめて……!」


 王妃として言ってはならない事と解っていても、口が、体が、勝手に動いてしまう。

 なんて情けない。子供みたいなわがままを言って、困らせて。


 瞳の端に涙が溜まっているのがわかった。エルネスタは歯を食いしばって精悍な狼の顔を見つめたが、ややあって気まずそうに目を逸らされてしまった。


「……元より殺すつもりはない。一週間前の議会で、犯罪者はまず捕らえることと決まったからな」


「え⁉︎」

「はあっ⁉︎」


 間抜けな声を上げたのはテオドルも同じだった。

 どうやら彼は政治犯の割に政治に明るくないらしい。エルネスタもひとの事は言えないけれど。


「ひとまずお前の身柄は司法局の預かりとなる。捜査と裁判には心して協力しろ」


「何言ってんだお前⁉︎ おかしいだろ!」


「おかしくない。先進国家への大いなる一歩だ。罪人を裁く権利については、活発な議論がなされるべきだ」


 イヴァンは腰に下げた鞘に剣を戻した。その途端にエルネスタは腰が抜けてしまって、イヴァンによって支えられることになった。


「んじゃ、長屋の外にいた仲間たちはどうした? 殺したんじゃなかったのかよ?」


「全員倒して拘束した。俺とシルヴェストル、あとは後処理を引き受ける戦士たちがいれば、難しいことではない」


「な……なんっだ、それ……」


 しれっと告げる国王陛下を前に、テオドルはがっくりとうなだれた。

 憎悪の行き場がなくなって拍子抜けしている。そんな様子だった。


「じゃああれか、俺は家族に会わにゃならんのか。どのツラ下げて会えるってんだ?」


「知らん。時間はあるからゆっくり考えろ」


「おいおい、嘘だろ……」


 気の抜けたようなつぶやきを落とす親友を前に、イヴァンは真剣な態度を崩さない。金色の人狼が立つその姿は、国王として誇り高く、そして雄々しかった。


「今後はお前たち同盟反対派にも理解が得られるように更なる努力をしよう。謁見を重ね、少しずつ導いて行く。俺の持てる全てをかけてお前たちの気持ちに報いるから、お前も牢獄で頭を冷やせ。そして必要なだけの時が過ぎたら、また力を貸してほしい」


 その言葉が持つ力は、一体何なのだろうか。

 聞いていると信じたくなる。先程はあんなにも遠く感じられた人狼族が、イヴァンの一言で手が届くと思えてくる。


 それはきっと、彼自身が信じているから。

 一つ一つの行動が国の礎になることを。良い方向へと進んで行くことを。


 彼の志す道は相変わらずの悪路だ。しかしそれでも、エルネスタはこの国王陛下なら辿り着くような気がしてならなかった。

 友からの返事が無いことを確認したイヴァンは、エルネスタの腰を抱く腕に力を込めたようだった。その仕草一つに鼓動を早めているうちに、久しぶりの再会を果たした親友同士の会話は終わりを迎えた。


「シルヴェストル、後は頼む。俺は妃を王城に連れて行く」


「御意に」


 イヴァンは瞬く間に人の姿に戻った。金の毛並みが人の肌になり、狼の眼光がいつもの瞳になるのを、エルネスタは呆然と見守る。


 だから、間髪入れずに抱き上げられてしまっても、反応を返すことすらできなかった。

 そのまま抵抗する事なく外へと連れ出される。最後に垣間見た長屋の中で、シルヴェストルが弟子の脳天にげんこつを見舞ったのが見えた。


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