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次の季節が来たら

 アニータとの会談を終えたイヴァンは、会議室のある生活棟を出て、エルメンガルトを置いて来た工房へと向かった。訪ねてこなかったということは退屈はしていないのだろうが、どう過ごしているだろうか。


 先程後にした扉を開いて工房内を覗き込むと、そこには満面の笑みを浮かべるエルメンガルトがいた。職人たちに囲まれて機織りをする様は、遠目にも華やかで楽しそうだ。

 彼女は工房の奥にいたのに、不意にこちらに気付いて微笑みかけてくる。


「陛下、お疲れ様でした」


 何故なのだろう。この人が笑うと、胸が温かくなるのは。


「おや、陛下呼びですか。遠慮なさることはないんですよぉ?」


「もう! からかわないで」


 遠くてよく聞こえなかったが、エルメンガルトは職人たちと気安い様子で言葉を交わす。こちらへ歩いてきた彼女の笑顔は、楽しい時間の余韻を感じさせるものだった。


 また連れてきてやろう。イヴァンはそんな事を頭の片隅で考えていたのだが、それは以前の自分ならばありえない思考だとは気付いていない。


「お話は終わったの?」


「ああ、お陰で実りある話が出来た。最後に君の意見を聞きたいんだが、来てくれるか」


「わかったわ」


 エルメンガルトは朗らかに頷いて、後ろを振り返った。


「皆さん、お忙しいところをありがとう。お仕事を頑張ってくださいね」


 明瞭な声で礼を述べる王妃に、職人たちも「また来てくださいね」などと気楽に言葉を返す。どうやら短い時間で随分と打ち解けたらしい。


「妃が世話になった、礼を言う。今後も励んでくれ」


 イヴァンも礼を述べて、何故か頬に朱を差したエルメンガルトを伴って外に出た。


 この一拍後のこと。国王陛下の二度目の笑顔と、夫婦のお似合いぶりに悶絶した職人たちが一斉に転げ回るのだが、それを本人達が知ることはついに無かった。



 ***



 イヴァンに案内されたのは、隣の棟の一室だった。

 中に入った瞬間に飛び込んでくるのは、木の軸に巻き取られた織物の山。中央には見事なアラベスク模様の絨毯が敷かれていて、アニータが座った姿勢で待ち構えていた。


「ああ、王妃様。お呼び立てして申し訳ありません」


「どうか気にしないで。私は何をすればいいのかしら」


 エルネスタは笑みを浮かべて頷いて見せる。この疑問にはイヴァンが答えてくれた。


「次の輸出品を決めかねているそうだ。そこで君の意見が聞きたい」


「私の……⁉︎」


 まさかの大役に、エルネスタは思わず驚きの声をあげた。


「私の意見なんて参考にして良いの?」


「君の好みからブラル人の感性を探りたいそうだ。気楽に構えて教えてやって欲しい」


 そう言われても、とエルネスタは口ごもった。

 自分の好みなんて完全な庶民のもの。芸術に秀でるというエルメンガルトに代わっての大役は、いささか荷が重い気がする。


 しかし目の前には期待の眼差しを向けてくるアニータがいるのだから、さすがに断りようがないのも確かだ。


「……わかりました。本当に主観だから、あまり参考にしすぎないでね」


「ええ! ありがとうございます、王妃様」


 早速アニータに案内され、織物の山の前へと向かう。よく見ると織物たちは専用の棚にきっちりと収まり、どんな柄か確認しやすいように整頓されていた。


「そうね……あ、これはさっき見たものだわ。この若草色がすごく素敵だと思ったのよね」


 実はエルネスタは、待っている間に稼働中だという棟を一通り見学していた。フェルトに絹、更には麻布まで様々な織物が造られていたのだが、そのどれもが独特で素敵な品物だった。


「これも涼しげな生地で可愛いわ。あ……こっちは冬の外套にもってこいね。素敵」


 その時の様子を思い出しながら選別していく。どれもこれも美しい織物たちは、並んでいるのを見ているだけで心が躍る。


 ざっと二十程の織物を選んで絨毯の上に並べた。アニータとイヴァンは黙ってその様子を見ていたのだが、作業が終わって彼らと目を合わせてみると驚いたような顔をしていた。


「王妃様、もしや全ての棟を見学してくださったのですか?」


「ええ、そうよ。すごく興味深いものを見せてもらったわ」


「まあ……そうでしたか。それは、ありがとうございます」


 アニータは垂れ気味の目を丸くしていた。そんなに驚かなくとも、出来うる限りの務めはこなすべきだし、本当に面白かったので苦にもならない。


「この無地の赤などは、どうしてお気に召したのですか?」


「それは見たことがない色だと思ったの。ブラルには無い何かで染めているのよね?」


「こちらはグンコウムシから抽出した染料で染めております」


 なるほど、虫か。たしかにこの山間部では、ブラルにいない虫などいくらでもいることだろう。

 エルネスタが一人納得していると、今まで静観していたイヴァンが口を開いた。


「グンコウムシの染料はここでは一般的で、どちらかといえば安物に分類されている。君は、この生地がいいと言うのか」


「ええと、はい。綺麗だったから……」


 すみません、庶民なもので。

 心の中で謝罪をしてうなだれたエルネスタは、「違う」と珍しく慌て始めたイヴァンに再度顔を上げた。


「馬鹿にしたわけではない。……そうか、西の文化圏のブラルでは使わない染料だったのか」


「左様で。私も驚いております、陛下」


 二人は腕を組んだり顎に手を当てたりして、何かを噛みしめているようだった。

 なんだろう、この世紀の大発見をして戸惑っているかのような雰囲気は。


「いいかも知れない。エリー、君のおかげだ」


 かと思えば、今度はイヴァンが両手を握りこんできたので、エルネスタは肩を跳ねさせる羽目になった。


「輸出は他国にないものを選別してこそだ。君の選んだ織物は、それに該当する」


「そ、それはそうね。見たことのないものって、やっぱり素敵に映るから」


「大陸の西の国々とは近頃交流を持ち始めたばかりなんだ。やはりまだまだ知らないことが多いらしい」


 エルネスタはようやく話が掴めてきた。

 つまり異国の目で見れば同じものでも全く違った見え方をする、ということだ。もしかすると選んだ織物の多くはこちらでは一般的なものだったのかもしれない。


 イヴァンはエルネスタの手を解放し、アニータと固い握手を交わした。


「親方。近いうちにまた来るから、検討をしてみよう」


「ええ、陛下! お待ちしております」


 二人は力強い微笑みを交わしている。大した力にはなれなかったけれど、なぜかこちらまで胸が温かくなってくるから不思議だ。


「エリー。礼というわけじゃないが、何か買っていくか」


「何かって……」


「織物だ。冬物のアークリグなんかは早めに仕立てておいたほうがいい。夏が終わればすぐに寒くなってくるからな」


 その優しい気遣いに、直ぐの反応を返すことができなかった。


 夏が終わって秋が来る頃には、エルネスタはとっくにいなくなっている。存在すら無かったことになって、誰も知らないうちに消え去るのだ。


「でも、私……」


 頭が真っ白になって何も考えられなかった。

 エルメンガルトとは体型も殆ど同じみたいだから、仕立ててしまっても問題はない。笑顔で好意を受け取るだけで良いのに、エルネスタにはそれができない。


「自分用となると、どうしたら良いのかよくわからなくて……」


 陳腐な言い訳を並べる己に嫌気がさす。

 今までは嘘をついているという罪そのものに打ちのめされていた。しかし今ここで、エルネスタは明確な感情を抱いてしまった。


 この地に未来を持たないという現実が、苦しくて仕方がないのだと。


「何だ、それなら俺が選んでやる。親方、借りるぞ」


 暗い思考を断ち切るような力強い声が発して、エルネスタは離遊しかけていた意識を取り戻した。

 はいはいと笑顔で応じたアニータを尻目に、イヴァンは集めた織物の一つを手に取っている。


「こういう時は遠慮するものじゃない。妻なら夫を立てて喜んでおけばいいんだ」


 織物はそれなりの重さがあるのだが、イヴァンはまるで雲を扱うように捌いて、次々とエルネスタにかざしていく。


「君が凍えるのは忍びない。そんなことは当たり前なんだから、受け取ってくれないと困るな」


 そっけない言葉。それなのに心に深く沁み渡るのは、彼の思いやりが伝わるから。


「あ……ありがとう」


 エルネスタはようやくそれだけを言った。気を抜けば涙をこぼしてしまいそうで、唇の裏側を噛んで耐えなければならなかった。

 何枚目かの布が積み上げられた頃、イヴァンは満足げな溜息をつく。


「これがいいんじゃないか。鏡を見てみろ」


 それは一番最初に選んだ若草色の織物だった。言われるまま鏡の前に立つと、確かにエルネスタの持つ色に違和感なく馴染んでいるように見える。


「親方、どう思う」


「ええ、とってもお似合いでございます」


 アニータにも太鼓判を押され、改めて鏡の中の自分を見つめた。


「……そうね、やっぱり素敵」


 エルネスタは鏡のおかげで、違和感のない笑顔を浮かべることに成功したのだった。

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