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工房へ 2

 機織り工房は想像よりもずっと立派な佇まいをしていた。

 漆喰で塗り固められた壁は高く、灰色の屋根瓦に良く映える。横にも広いその建物はひとつではなく、同じ作りのものが何棟もそびえ立つ様は壮観だ。


 まさかここまでの規模だとは思ってもおらず、エルネスタは驚きのまま視線を左右に振った。


「ここは民間の工房だが、工芸品の生産は国策として支援している。近頃は同盟国にも売り込んでいて、徐々に認知度を上げている最中だ」


「すごく広いのね。工房ってもっと小さなものだと思っていたわ」


 エルネスタにとっての工房とは、ブルーノが親方を務める北極星の鍛冶場が全てだ。三人の弟子を擁する工房内は、金属の熱気のせいもあっていつも手狭に感じられた。


「ここはシェンカの中でも老舗中の老舗だ。この規模も元々で、ウルバーシェク王家との付き合いも深い」


 日々の勉強を続けているエルネスタだが、まだまだ知らない事は多いようだ。感心しきりで頷きながら、慣れた様子で歩を進めるイヴァンに着いて行くと、棟の入り口の前で一人の老婆が待ち構えていた。


「ようこそいらっしゃいました」


「今日はよろしく頼む。これは皆で分けてくれ」


 イヴァンが手提げをぶら下げているのには気付いていたのだが、どうやら工房への差し入れだったらしい。

 あらあら、と言いながら老婆は中身を取り出して、布袋に詰め込まれたアプリコットに顔を綻ばせた。


「美味しそうですこと。いつもありがとうございます、陛下。王城で採れる果物はどれも美味しいですから、皆喜んでおりますよ」


 王族と平民なのに、やはり随分と気楽な付き合い方をしているものだ。好ましく思って微笑んでいると、老婆が柔らかい眼差しをエルネスタへと向ける。


「王妃様。御目通りが叶いまして、光栄にございます。私はアニータと申します。この工房の親方を務めております」


 ということは、彼女が一番の責任者であり、経営のトップということになるのか。

 ブラルでは女性が何かの長を務める事は極端に珍しい。エルネスタは内心で随分驚いていたのだが、顔に出さないよう努めて笑った。


「はじめまして、エルメンガルトです。お会いできて本当にうれしいわ」


「まあまあ、なんて可愛らしいお方でしょう。陛下、王妃様、ご結婚おめでとうございます」


 アニータはまるで孫の結婚を喜ぶ祖母のようだった。

 エルネスタは祝福を受けてまた一つ痛む胸を持て余しつつ、早速中を案内してもらうことになった。



 工房の中には広大な空間が広がっており、所狭しと機織り機が並べられている様は壮観の一言だった。


 一台では大した音を発しない機織り機だが、これだけ数が揃うと常にぱたんぱたんと鳴っている状態で、その喧騒は高い天井に反響している。天窓が備え付けられた室内は明るく、そこで働く職人は老いも若きも全員が女性たちだ。


「相変わらず盛況だな。親方」


「陛下と王妃様のお陰ですよ。近頃はやはり、ブラルでの需要が高まっておりますからね」


 アニータの言葉にエルネスタは気持ちを浮上させた。やはり同盟は経済にも良い影響をもたらしているのだ。


「アニータさん、ブラルで人気の生地が見てみたいです」


「ええそれなら、この辺りの生地でしょうかね。どうぞご覧下さい」


 現在進行形で作業中の機織り機を示されたので、遠慮しつつも覗き込む。するとそこでは繊細なアラベスク模様が織り込まれているところで、エルネスタは感動するままに声を上げた。


「凄いわ、本当に綺麗! 職人技ね」


 恰幅のいい職人の女性は、忙しいだろうにこちらを振り向いて会釈してくれた。その間にも手は止めないその技術には拍手を送りたいぐらいだ。


「王妃様にお褒めいただくと、皆が喜びます。この生地は民間で流行しつつあるようですね」


「そうなのね。とっても素敵だもの、みんなが気に入って当然だわ」


 エルネスタは知らなかったことなのだが、故郷ではシェンカの織物が流行り始めているらしい。やはり綺麗なものは誰が見ても綺麗なのだろう。


「左様でございますか? 輸出量を増やしてみましょうかね」


「そんな、私の意見なんて参考にしたらだめよ」


 親方の冗談にエルネスタは笑った。そんなほのぼのとしたやり取りをしているうちに、イヴァンが工房内を一周して戻ってきて、アニータと真剣な視線を交わらせる。


「親方、最近の輸出傾向について教えてくれ。いかに輸出路を整備すべきか検討したい」


「かしこまりました、陛下」


 二人は難しい話を繰り広げながら歩いて行ってしまう。しかしイヴァンは数歩進んだところで足を止めて、エルネスタを振り返った。


「エリー、君は好きに見学して構わない。俺は隣の棟にいるから、終わったら声を掛けてくれ」


「わかったわ」


 公務とはいえ今はまだ見学しかできることはなく、王妃は国王の添え物程度の存在でしかない。

 そんなことは百も承知なのではっきりと頷いて見せると、イヴァンは小さく笑みを浮かべて工房を去って行った。


 扉が閉ざされて一拍の時が過ぎる。


 その刹那、室内を黄色い悲鳴が満たしたので、エルネスタはひっくり返りそうになってしまった。


「へ、陛下が笑ったああああああ! ちょっと見た、今の⁉︎」


「見た見た! あーもうなにあれ、ずるいわあ!」


「ちょ、ちょっとこれは……これはやばすぎる。もう無理」


「こうしちゃいられない、お茶よお茶! もう二時なんだから、早めの休憩したって構わないでしょ!」


 先程まで真剣な眼差しで機織りをしていたはずの職人たちは、今はすっかり乙女の顔になってはしゃぎまわっている。


 変わり身の早さに呆然としていたエルネスタだが、彼女らによってあっという間に取り囲まれてしまった。中央の絨毯の上に座らされたと思ったら、既に準備が整いつつあるお茶会に強制的に招待される。


「王妃様、私たち感動しました! まさか陛下の笑顔が拝見できるなんて!」


 三十代も半ばかと思われる女性が、拳を握って力説した。いつのまにか全員がそこに集まって、同意とばかりに頷いている。


「色々とお聞かせください! 陛下とはどんなお話をなさるんですか?」


「普段からあんな風にお笑いになるんですか? それとももっと?」


「陛下のこと、どうお呼びになっているんですか〜?」


 質問の波状攻撃に晒されたエルネスタは、うろたえるままに視線を巡らせた。答えを期待する瞳が四方から降り注いでおり、どうあっても逃げられないことを悟って引きつった笑みを浮かべる。


「……先ほどは、街の様子について、話してたけど」


 かなり当たり障りのない答えだというのに、またしても黄色い歓声が上がって一気に場が沸き立った。

 今更実感する。イヴァンはかなりの人気者らしい。


「続きを、ぜひ!」


「ええと……笑顔については、ちらほら、と。呼び方は……」


 答えを口に出すたびに、様々な記憶が蘇って頬が熱くなってくる。今朝のことまで思い出しそうになって、エルネスタはついに顔を覆った。


「ご、ごめんなさい。もう勘弁して……」


 またしても歓声が上がった。彼女らは「やだ王妃様、かわいい!」などと持て囃しつつ、はしゃぐこと自体が楽しいといった様子だ。

 王城の女性たちを見て薄々勘付いてはいたのだが、人狼族の女性は全体的に押しが強いらしい。


「なーんか本当に可愛らしい方だね!」


「想像と全然違うのねぇ!」


「あ、王妃様、これ食べて下さいね」


 絨毯の上に置かれたのはジャムのかかったヨーグルトと、湯気を立てるチャイだった。この国の定番おやつであるそれらを、エルネスタはありがたく頂くことにする。


 ヨーグルトは王城で出されるものとはやや味が違って、これもまた美味だった。ダシャによれば家庭によって味が違っていて、全ての民が我が家のものが一番と思っているらしい。


「美味しい! ヨーグルトってこちらに来てから初めて食べたけど、凄く美味しいわよね」


「王妃様、話のわかるお方じゃ〜」


 最長老らしき女性が愉快そうに笑い、工房を笑い声が満たしていく。

 賑やかで力強い女性たちだ。彼女らが働き手として存在することは、この国にとって大層心強いだろう。


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