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国王について

 建国祭から一週間目の夜になって、エルネスタはようやく調子を取り戻していた。


 身代わりの役目もちょうど折り返し地点を迎えたことになる。文机に向かって溜まった分の日記を書き終えたエルネスタは、表紙を閉じるなり溜息を吐いた。


 改めて記してみて、とんでもない事をしたと実感したのだ。揉め事を起こしたり倒れたりもそうだが、まさかイヴァンに愛称を明かしてしまうとは。

 自分がここまで愚かだとは思わなかった。自らの横っ面を張ってやりたい気分だ。


 エルネスタというのはイゾルテが付けてくれた名前なのだが、幸いなのはエルメンガルトにとっても違和感ない渾名だったことか。

 しかしだからと言って許されるものでもない。エルメンガルトと入れ替わった後、知らない愛称で呼ばれたらどう思うのだろうか。


 エルネスタは暗い想像に項垂れた。羞恥との戦いと泥のような反省にたっぷり時間を使い、何とか気を持ち直して顔を上げる。

 少し散歩でもして体を慣らしておこう。今後はこんな失敗がないように、出来ることは全てやっておかなければ。


 決意も新たにしたエルネスタは、首を横に振って部屋を後にした。建国祭で大変なことをしでかして以来、自室を出るのは初めてだったので恐る恐る歩き始める。


 公衆の面前で倒れるなど、さぞ貧弱な王妃だと思われたことだろう。そもそも本当に剣舞は成功していたのだろうか。喧嘩までしてしまったし、生意気とか、やっぱり人間なんかとは仲良くできないとか、そんな印象を与えていたらどうしよう。


 しかしエルネスタの予想に反して、すれ違う人狼族たちは、今までの壁が嘘のように友好的だった。


「ああ王妃様、体調はもうよろしいのですか? よろしゅうございましたな」


「ええ、今日になってずいぶん良くなったわ。ありがとう」


 体調を心配する声をかけられたと思ったら今度はまた別の者に捕まり、話し終えたと思ったらまた男女問わずに話しかけられる。


 まさか好意的な反応が返ってくるとは思いもせず、エルネスタは目を回しそうになった。嬉しいけれど少し照れくさいし、急な変化に戸惑う気持ちも大きい。


 疲労感を募らせる結果となった散歩を終え、自室の取手に手を掛けた時のこと。背後から声を掛けてきたのは、見覚えのある侍女二人だった。


「あなた達は……」


 エルネスタよりやや歳上と見える彼女らは、気まずそうに視線を漂わせている。

 そう確か、以前ミコラーシュと散歩をしている時に世間話をしていた二人だ。その内容は美貌の国王に対しての憧れと人間の王妃に関する陰口で、エルネスタは思わず隠れてしまったものだ。


 なんだろう、ついに直接苦言を呈しに来たのだろうか。

 エルネスタは身構えたが、放たれた言葉は予想を大きく外れていた。


「あ、あの……! 剣舞、とても素敵でした!」


「是非、また拝見したく存じます!」


 顔を真っ赤にして叫んだと思ったら、二人の侍女は脱兎のごとく走り去っていった。

 後に残されたエルネスタは呆然とするしかない。何が何だかわからないが、彼らもまた歩み寄ろうという気持ちを持ち始めてくれたのなら、何より嬉しいことだと思う。



 部屋に戻ってすぐにルージェナが訪ねてきたので、エルネスタは安堵を覚えてそっと息を吐いた。


「お元気そうでようございました。本日からは主寝室でお休みになられますか」


 しかし早速の台詞は、由々しき問題を思い起こさせるものだった。

 全身の血の気が下がっていく。色々あってすっかり忘れていたが、この事について考えなければならなかったのだ。


 そう、「いかにして初夜を延期するのか」という大問題。


 今まで何もなかったのだから今日も同じかもしれないが、その保証はどこにもない。再びイヴァンと眠る事を考えると、どうしても緊張してしまう。


「え……ええっと……」


 つい口ごもってしまったのを、察しのいい侍女長は見逃さなかった。


「どうなさいました。まさか」


 しまったと思った時にはすでに遅く、ルージェナはいつになく視線を厳しくしていた。エルネスタは続く言葉を想像して身を固めたが、それは杞憂に終わる。


「まさか、陛下に何か酷い事をされたのですか」


 ルージェナが切羽詰まった形相で詰め寄ってくる。

 全く予想外の反応に固まりかけて、しかしこれはこれでまずいと考え直したエルネスタは、慌てて首を横に振った。


「そ、そんなわけないわ! 陛下に限ってそんなこと」


「誠でございますか。このルージェナに気を遣う必要はないのですよ」


「本当です! お願いだから信じて!」


 エルネスタは鋼鉄の侍女長の鋭い視線に耐えた。そのまま見つめ合ってしばらく、溜息をついたルージェナによって、やけに張り詰めた時間は終わりを迎えた。


「左様でございますか……それならば良うございましたわ。時に王妃様は、陛下の事をどう思っておられるのですか」


 予告なしで正面から爆弾を投げつけられたエルネスタは、思わず絨毯に蹴躓いてしまった。


「ど、どうって、どういうこと?」


「恐れながら、陛下をお慕いしておられるのかということです」


 真顔での追及に、エルネスタは動揺しきりだった。

 こういう話は嫌いじゃないけれど、今回は状況が悪すぎる。ルージェナ相手ではボロが出ないように立ち回るのが精一杯だし、イヴァンの事は個人的な感情論で語るわけにはいかない。何せエルネスタは身代わりなのだ。


「そうね、素敵な方だわ」


 なるべく客観的に答えを述べたら、鋼鉄の侍女長はすっと目を細めた。


「それだけですか? 最近は随分と打ち解けていらっしゃるようにお見受けしましたが」


 エルネスタは視線を左右に彷徨わせた。

 確かにイヴァンは寝込んでいる間よく見舞いに来てくれたのだが、別段どうということもない。冷え切った関係から普通に会話をする関係になった、ただそれだけのことなのだ。


「ええ。良くして頂いているし、感謝しているわ」


 できる限りの神経を顔に総動員して微笑んだお陰か、ルージェナはひとまず追及を諦めたようだった。


「左様でございますか。あの陛下もついに安らげる場所を得られたかと喜んでいたのですが」


 エルネスタはルージェナの言い回しに引っ掛かりを覚えた。あの陛下、の部分には一体どんな感情が込められているのだろう。


「ねえ、ルージェナは陛下をどんな方だと思ってる?」


 かの国王陛下のひととなりを全て理解したつもりなどない。しかし、ここで三週間の時を過ごして知ったのは、彼が不器用な優しさを持ち合わせているということだった。


「ご立派な賢君であらせられます。今の平和も、全ては陛下のお陰なのですから。私達は皆、陛下を尊敬していますわ」


 ルージェナの反応は思ったよりもずっと敬愛に満ちていて、エルネスタは胸が温かくなるのを感じた。

 シェンカの国王は悪鬼のごとき強さと冷酷な心の持ち主。エルネスタの元まで届いていた評判を、ルージェナもまた知っているのだろうが、そう考えている筈がないことが伝わってくる。


「国外で悪いお噂が流れているのは想像がつきます。陛下の政策のいくつかは、冷酷と取られても仕方のないものでしたし、シェンカの派兵に憂き目に合った国も多いのですから。ですが、陛下のなさりようは全て国の為を思われてこそです」


 ルージェナは優しい声で言葉を紡ぐ。それはイゾルテが息子のやんちゃを語る様子によく似ていた。


「私は、王妃様ならば陛下をお支えくださると思っております。お仕事だけではなく、あのお方のお心こそをお支え頂きたいのです」


「買いかぶりすぎよ。私は大した者ではないわ」


「いいえ、そんな事はございません。私が言うのですから」


 無表情で言い切る様は、誇りと自信、そして若き国王を心配する優しさに溢れていた。エルネスタはその力強さと切実さに何も言えなくなってしまう。


「これまでの陛下は、成人と同時に戦争にお出ましになり、終結後は直ぐに先王様が崩御され、それからずっと身を粉にして働いてこられました。古参の者ほど心配しております。陛下には果たして真の意味でお休みになれる場所があるのかと」


 ルージェナは淡々と語るが、その言葉の端々には苦い思いが浮かび上がっていた。


「……差し出がましいことを申しました。どうぞ、老婆心からのご進言とご理解ください」


 静かに頭を下げたルージェナだったが、彼女の誠実な親愛の情によって、エルネスタはひそかに胸をえぐり取られていた。

 本当に罪深いことをしている。この嘘を許すものなど、きっとどこにも居はしないだろう。


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