閑話 我輩は狼である その2
おっす、ミコラーシュだ! 皆元気にしてたか?
近頃の俺はすこぶる機嫌が良い。何故かって? それは……。
「あっ、ミコラ! おいでおいで!」
このエルメンガルト王妃と仲が良いからだ。
彼女は寝台に伏せってはいるものの、腕を広げて手招きしている。俺は遠慮なく歩いて行って、花の顔に頬を寄せた。
「わ、くすぐったいわよ。もうミコラってば、ふふ!」
エリー(イヴァンがそう呼ぶことになったので俺も勝手にそう呼んでる)は嬉しそうに笑って、俺の頭をかき混ぜた。どうやら彼女は自慢の毛並みがお気に召したようで、出会うといつも頭を撫でてくれる。
ちょっと変わってるけど、いい子だよな。風邪が治ってきて良かったよ。ものすごく苦しそうだったから、本当に心配したんだぜ。
「ねえミコラ、あなたは人狼族のみんなとなら話せるんでしょう」
俺はこの九年の間に、ひとの言葉をすっかり理解してしまっている。
かと言って喋れるわけじゃないけど。俺の言葉は人狼族には伝わっても、人間のエリーには届かない。あんたと会話ができないのはちょっと残念だよな。
「いいなあ。どんな感じがするのかしら。あなたと話せるなんて、私みんなが羨ましい」
前言撤回。ちょっとじゃなくて、すごく残念だ。
切なげに微笑むエリーを前に、俺は尻尾を下げた。すると彼女はすぐにそれに気付いて、顎の下も撫でてくれる。
「ああごめんごめん、苦しいわけじゃないの。今度通訳してもらおうかな」
大丈夫、ちゃんとわかってるよ。
実は俺さ、イヴァンに頼まれてるんだ。風邪で伏せっている間は気にかけてやってくれって。
でもな、もともと面倒見てやろうと思ってたんだ。イヴァンの嫁なんだから、俺の妹分みたいなもんだろ?
早く元気になりなよ。そしたら一緒に遊ぼうぜ。
その時、ノックの音が室内に響いた。エリーの返事を待って入室してきたのは、何を隠そう俺の相棒だった。
[よう、イヴァン。見舞いに来たのかよ!]
俺は思わずイヴァンに語りかけたが、こいつは今は人間体だから意味が通じないんだったな。けどイヴァンは不思議な奴で、なんとなく俺の言っていることを理解している節がある。わしりと頭を撫でる手のひらは、労いの気持ちに満ちているような気がした。
「エリー、調子はどうだ?」
相変わらずこいつは仏頂面だなあ。自分の嫁にくらい愛想良くできないのかよ?
「あ……え、えっと、うん。だいぶ熱は下がって来たみたい。ありがとう、イヴァン」
エリーの方は真っ赤だな。多分敬語なしの名前呼びが恥ずかしいんだろうな。可愛いよな。
「あの、前にも言ったけど、風邪が移っちゃうわ。あんまり来ない方がいいと思う」
「移るならもう移っている。体は丈夫だから気にするな」
そう言いつつ、イヴァンは果物が載った籠を差し出した。
さっきから気になってはいたんだが、本当にプレゼントだったのか。案外やるじゃん。
「好きに食べるといい」
いやお前言い方! もうちょっとマシな言い方あるだろうが、この朴念仁! 稀に見る美形のくせしてその不器用ぶりはなんなんだよ⁉︎
そもそも、これはイヴァンが直々に採ってきた果物なんだぜ。そういうことをさらっと伝えりゃ、会話の内容が違ってくるのにな。ほんと不器用なやつだよ。
ああそうか、こいつ照れてやがるな……よく見ると耳が赤くなってる。イヴァンのこの特徴は、それなりに親しくならないと気付けないものなんだ。
「ありがとう……!」
それにしてもエリーのこの嬉しそうな顔ときたら。
ほんと、いい子だよな。他者の思い遣りをきちんと受け取れる子だ。貰うものの貴賎関係なしに、贈り主の心を喜んでくれる。
まあ、好きだから喜んでんのかもしんないけどな。果物か、イヴァンのどっちかが。どっちもかねぇ。
「美味しそう。すごく立派な果物ね」
エリーはアプリコットをひとつ手にとって香りを楽しんでいる。俺の鼻にも近づけてきたけど、狼の鼻には匂いがきつすぎたので顔を背けたら、ごめんと言って笑ってくれた。
なあイヴァン、狼を見た人間は、悲鳴をあげるか狩ろうとするかのどっちかなんだ。話しかけてくるだなんてそんな子なかなかいないんだよ。
この子を手放したら駄目だぜ。わかってんのか?
「後でダシャに剥いてもらうわ。楽しみにしておくわね」
「ああ。栄養をとって、早く治せよ」
その時、俺は仰天することになった。
ずっと笑顔なんて忘れちまってたような男が、薄く微笑んでたんだからな。
なんだよ。こいつら、思ってたより仲良いじゃねえか。イヴァンは人間を信用してないから心配したけど、とり越し苦労だったって事か。
あーあ、見つめ合っちゃってまあ。
夫婦喧嘩は犬も食わないって言うけど、仲良し夫婦は狼だって食えやしないぜ。