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人狼族と満月

 エルネスタにとって驚くべき出来事が起こったのは、建国祭まであと僅かと迫ったある日のことだった。


「さて王妃様、本日はこれくらいに致しましょうか」


 シルヴェストルからの終了の合図を受けて、エルネスタは剣を鞘へと戻した。近頃はこの動作も随分と様になってきた気がする。


「ありがとうございました。クデラ将軍、どうかしら。この調子で間に合うと思う?」


「大丈夫ですとも。王妃様は実に優秀な生徒でいらっしゃる。このまま行けば遅くとも前日までには形になりましょう」


 シルヴェストルは何の表裏もない笑みを浮かべて頷いたが、どうしても不安は拭いきれなかった。近頃は夜も自主練習をしているのだが、この程度で足りない二週間を補うことなどできるのだろうか。


 難しい顔をして俯いたエルネスタは、肝心の場面を見逃すことになった。

 次に顔を上げた時、何とシルヴェストルは人狼へと変身を遂げていたのである。


 あまりに突然の出来事に、エルネスタはあんぐりと口を開けてしまった。


 シルヴェストルはいつもの黒いチョハを纏ったままで、しかし頭部は狼そのものであった。毛並みは彼の髪と同じく白と灰色が入り混じっていて、それは袖から覗く腕も同じ。指の先には鋭い爪を備えていたが、人の時と同じように道具を扱えるようで、彼もまた剣を鞘に収めて見せた。


「おっと。ああ、今日は満月でしたか。……王妃様?」


「格好いい……!」


 気遣わしげに首を傾げた将軍閣下にも気付かず、エルネスタは口から感動を垂れ流してしまった。


「クデラ将軍は、やっぱり人狼の姿も格好いいのね! まさに歴戦の英雄って感じ。すっごく強そうで、すっごく格好いいわ!」


 目を輝かせる王妃を前にして、最高の戦士は呆気に取られている。

 はしたない事だという実感もなく一息に言い切ってからしばらく、大きな声で笑い出したのはシルヴェストルだった。


「何を仰られるかと思えば……! 王妃様の度胸は、今まで相手取ってきた敵将どもにも勝りますぞ!」


 彼は狼の裂けた口を豪快に開け、心の底から面白そうに笑っている。エルネスタは今更のように赤面して、つい子供じみた反応を示してしまった我が身を恥じた。


「だって本当のことだもの。そんなに変なことを言ったかしら」


「いやいや、光栄の極みです。王妃様のようなお美しい方にお褒め頂けるとは、人狼の戦士の誉れにございますれば」


 狼の顔は表情が解りにくかったが、それでも確信が持てる。今のシルヴェストルは明らかにからかう笑みを浮かべている。


「もう。お上手ね」


「はっはっは! 本心ですとも!」


 またしても笑い出してしまったシルヴェストルに、エルネスタも何だかおかしくなって一緒に笑った。

 だからこそ、気が付かなかった。彼が遠い昔を眺めるように目を細めて、小さく呟いていたことに。


「貴女様のようなお方なら、陛下の御心すらも解きほぐすことが出来るかもしれませんな」





 部屋に戻るまでの間も、石造りの廊下を歩く者は全て人狼の姿へと変身を遂げていた。


 廊下の窓を見上げれば、紫紺の夜空を金色の満月が切り抜いている。エルネスタの知るそれより大きく感じられたのは、きっとここが人狼族の国だからなのだろう。


 満月の日には人狼になるという彼らだが、実際に見るとこうまで幻想的な光景とは。まるで絵本の中に迷い込んだかのようだ。

 エルネスタは好奇心に負けてつい顔をあちこちに向けながら廊下を歩き、いつもより時間をかけて部屋へと辿り着いた。


 ドアを開けるとそこには侍女のお仕着せを纏った人狼がいて、食事を用意しているところだった。服装もヒントにはなるが、誰なのかは一目見ればわかる。


「ダシャ!」


「ひゃっ! 王妃様!?」


 エルネスタは赤銅色の毛並みに覆われた手を握りこんだ。少女らしく小さなその手と、丸みを帯びた目鼻立ちは、何時ものダシャの面影を感じさせている。


「私ね、今日は皆の人狼の姿を初めて見たの。何だか素敵で、つい興奮しちゃって」


「王妃様は、本当に怖くないのですね……」


 どこか呆然とした面持ちの侍女が噛みしめるように呟くので、エルネスタは首を傾げた。


「当たり前じゃない。姿形が違うだけで、貴女はダシャなんだから」


「お、王妃様ぁ〜! 良かったです。私、少しだけ不安で」


「大丈夫よダシャ。心配かけたわね」


 自分より低い位置にある頭を撫でてやると、やはりその毛並みは滑らかだった。ダシャも嬉しそうな上、こちらも気持ちがいいという素晴らしい時間を過ごしたのち、エルネスタは気になる事を尋ねてみた。


「ねえ、ところで陛下は、今日もお食事を共にしてはくださらないのかしら」


 エルネスタはいつも一人で食事を取っている。イヴァンは忙しいだろうし、そもそも嫌われているようなので仕方がない。


 それが解っていても小さな期待が捨てきれず、たまにこうしてダシャに尋ねてしまうのだ。そんな時、彼女は決まって「お忙しいようで……」と顔を曇らせるのだが、今日は違った。


「本日はおいでにならないと伺っております。私も理由は存じ上げませんが、陛下は人以外の姿をお見せにならないそうです」


「……もしかしてそれは、私には、ということ?」


 鋭い指摘にダシャが息を飲んだのが伝わってきた。

 仮初の夫の行動が意味するものは一体なんなのか。いくら考えても答えは導き出せないまま、満月の夜は更けていく。


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