帰省 1
「行ってきます」
俺は引手に手をかけると一言呟くように言い残し、ガラガラと音を立てながら引戸を開けて敷居を跨いだ。
すぐに鍵を閉めると今更ながらに持ち物を忘れてないか不安になってきた。とはいえ1度鍵を閉めてしまったので家の中に入って確認するのも面倒臭い為、ボストンバックを1度玄関ポーチに置くと中身を確認した。財布、洋服、下着、水着etc。
ショートパンツのポケットにはスマートフォンにイヤホン、それと交通費の入ったICカード。
そして半袖の麻シャツの胸ポケットにオーバーグラスをかけ、日除けのために麦わら帽子も被っている。
良かった。何も忘れていない。
しかし、それにしても何か忘れている気がする…
そこで俺はふと腕時計を見るとはっと気づいた。
今の時刻は7時50分、電車の発車時刻が7時55分…。電車に乗り遅れてしまう。焦りながらも俺は改めて心の中で「行ってきます」といい、すぐに駅へと走り出した。
電車に間に合うかな…
俺の最寄りの駅は20分に1本しか来ないため、事前に調べておいたものに1本乗り遅れると新幹線に乗れなくなってしまうのだ。
家を出て近くの公園の角を曲がり、いつも3分は確実にかけて登る坂道を体感1分ほどで駆け上がる。既に身体は汗でびしょびしょだ。坂道を登ると住宅街の路地に入り、入り組んだ道を抜けると下り坂を全力疾走する。そしてなんとか駅に着き改札を抜けると、まもなく電車が参ります。と書かれた蛍光板にオレンジ色の光がリング状に光っていた。腕時計を見ると7時55分ジャスト。
どうやらギリギリセーフだったようだ。
1度ホームのの薄汚れたベンチに腰をかけ息を整える。汗がTシャツに張り付き全身がベタベタになる。頬に汗が滴るのを手で拭うも全く意味が無い。汗はひっきりなしに出てくるので、スポーツタオルをバッグから出し、額の汗を拭う。その後全身の汗を拭おうとすると、「まもなく電車が参ります」という機械音声とともに、ガタンゴトンと車輪がレールの上を滑る軽快な音を鳴らしながら電車がやってきた。電車がホームにとまるとプシューという音を出しながら扉が開く。俺は身体を拭くのを諦め電車に乗り込んだ。
電車に乗るとクーラーのガンガンに効いていた。さっきまでの汗で身体の体温がどんどん冷えていくのがわかる。寒い。またも仕方なくバッグからウィンドブレーカーを出した。バッグからものをいちいち取り出すのがあまり好きではない。昔から面倒くさがりと言われるが他の人はそう思わないのだろうか。
夏休みのだからだろうか列車内はいつもよりかなり人が少ない。俺のいる車両にはブレザーを着た学生と学ランを着た学生、それに旅行と思われる家族連れが1組しかいなかった。
学生らは夏期講習に行くのだろう。俺も最近学校に夏期講習に行ったが、教師の授業中話を聞くには聞くものの、どこかぼんやりしたように窓から青い空と動く様子の見えない入道雲を眺めているだけで5日間の講習は終わってしまった。
この夏期講習で一つ覚えたことは教師がとにかく進路についてうるさく言っていたことぐらいだった。
「進路ねぇ……」
俺は電車の隅で頬杖をつきながらそんな愚痴のような独り言をこぼした。電車にゆられること10数分、京成千葉で下車すると千葉駅でJR総武線に乗り換える。
改札を出て、スマートフォンで乗り換え情報を見ると、7番線に快速の久里浜行きが来るそうだ。
千葉駅は最近新しく改装されわかりやすくなっていた。ただ、昔と比べてなんだか雰囲気が明るく空気が都会っぽくなったような気がしてあの穏やかな空気はどこへ行ったのだろうと少し悲しい気もした。
久里浜行きの電車に乗ろうとホームに行く。
ホームに着くと電車は既に来ていた。列車内の空席はやはり京成線に比べて少なかったものの、全くないという訳ではなく空いていた席に座ることが出来た。
こちらの電車の中でもクーラーはガンガンに効いていた。なので、また俺はバックからウインドブレーカーを羽織り約1時間持ってきた小説を読み時間を潰した。
千葉駅では空席であった席も駅に停車する度に人がどんどん座っていって、次第に立つ人も増えて行った。
約1時間後、俺は品川で新幹線に乗り換えて乗車券を買い、ホームの売店で柿ピーとドクターペッパーを買った。新幹線に乗り指定座席に座るとすぐに発車した。ここから40分程で熱海につく。
車窓を眺めていると途中から海が見えてきた。海は青いと言うより、太陽の光が反射し瑠璃のようにキラキラと白く輝いて見える。
JR伊東線に乗り換え、熱海からゆっくりと電車に揺られること約1時間ようやく伊豆高原駅に着いた。