菅原道真って……、今は平安時代なんだ!
館の門をくぐった。
「お館さまがお待ちです」
侍女が、声をかけた。
「松金です」
奥まった部屋の入り口に立ち、応答を待つ。
「入りなさい」
落ち着いた男の声が、返ってきた。
「お帰りなさいませ。お館様」
両手の平を胸の前で重ね、軽く頭を下げる。
「おう、戻ったぞ」
男は、梔子色の麻の上下を身に付けていた。
さらに、袖なしの長羽織を着ている。
髪は頭上で束ねて折り、根元を青紫の飾り紐で巻いてあった。
太い眉毛と整えられた髭で縁取られた顔、目には強い光りが宿っていた。
年齢は、四十歳くらいに見える。
「徳義宝様だ」
アマミコが、カイトに向かって言った。
「初めまして……」
モゴモゴと、小さな声で挨拶した。
「そちが、カイトか」
義宝は、ジッと見つめた。
だが、すぐに明るく声を上げた。
「まずは、飯だ、飯だ」
続々と食べ物が運ばれてきた。
トロッとした葛餡が載った中華ガユ、川エビ・シイタケ・ネギが入ったスープ、チマキ、ゴボウと肉を炒めたものなどが並んだ。
「唐や新羅、倭国の様子は、どうでした?」
ジャスミン茶を飲んでいる義宝に、アマミコが尋ねた。
兄妹としての語りかけとなっていた。
「唐は、もうダメだな。形式だけ残っているだけだ。
近いうちに滅びる」
あっさりと断定した。
(唐といえば、歴史上の大帝国なのに……)
カイトは、そう思った。
「では、取引の方は?」
「分裂して大小の国が乱立している。群雄割拠といったところだ。
危険はあるが、うまく立ち回れば、商売の機会も増えるさ」
「新羅は?」
「うーん、こっちも危ないな。唐と同じだ」
アマミコの問いに、一つ一つ答えていった。
「帰りに大宰府にも寄ってきた。
倭国の方は、まぁ、安定している。
私貿易は認められているので、しばらくは大丈夫だろう。
昨年、亡くなられた菅原道真公の墓参りもしてきたよ」
最後に、大宰府での話を付け加えた。
(菅原道真って、あの……ということは、今は、そんな時代なんだ。
亡くなったのは、九〇三年だったはず。
平安時代の前期と中期の境目あたりということか)
「菅原道真さんと、会ったことがあるんですか?」
カイトは、質問した。
「あるよ。仕事の関係でね」
当然といった口ぶりである。
「菅原道真さんは、外国が嫌いじゃなかったですか?」
カイトの頭には、遣唐使の派遣を止めさせた人というイメージがある。
「とんでもない。
道真公ほど、唐物が好きな人はいないよ」
義宝の話によると、通詞から、竹縄床(椅子)をお土産としてもらい、喜んで、その思いを漢詩に詠んだくらいだという。
義宝のイメージは、「中小企業の経営者」といった感じである。
しかし、その言葉の端々(はしばし)には、武人らしい豪胆さが表れていた。
「そうだ、うちの息子を紹介しておこう」
義宝は席を立ち、外へ向かった。アマミコとカイトも後に続く。
赤い毛氈が敷かれた縁台があった。
腰を下ろして、庭をながめる。
豪華な尾羽を広げた孔雀が、目に入った。
その先では、小学校一年生くらいの男の子が泣いている。孔雀に追われ転んだらしい。
「ギユウ(義優)、こっちへおいで」
義宝が苦笑しながら、呼んだ。
侍女が駆け寄り、男の子を助け起こした。涙と鼻水をふく。
「まぁ、見てのとおりのやつだ。
俺がほとんど旅に出ているんで、かまってやれなかった。
あんな息子でも、後継ぎだ。来年、立太子の儀式をおこなう。
美華が、あのくらいの頃は、羽を抜こうと孔雀を追いかけ回していたんだがな」
義優を太子(後継者)として、王となるための教育を始めるのだという。
「俺としちゃあ、息子でなくても、人望と能力があれば誰が王になってもいいんだが……」
義宝は、南海の小王国「トカム」の現状についても、説明してくれた。