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荒波越えて針路は南!  作者: 海の太郎
14/57

ムサン爺の話――糞拾いの子どもたち

 新羅は、飢饉(ききん)のため子や孫を売ったり、海賊が村を襲って人々を連れ去って中国へ運び、奴婢として売ったりといったことが横行していたという。

 ムサンの母親も、奴婢であった。

 最初の記憶は三歳頃、兄や姉たちの後に付いて道に落ちている馬糞(まぐそ)を拾って麻袋ヘ人れている光景だった。

 当時、馬糞や牛糞は安手の燃料として重宝(ちょうほう)されていた。

 貧家や奴婢の子どもたちは、夏冬を問わず外へ追い出され、糞拾いをさせられた。

 馬車や荷車の後を追ったり、家畜小屋へ忍びこんだりして馬や牛の糞を集めた。

 子供同士の競争が、激しかった。

 乾いたものを拾うというよりも道に落ちた瞬間、争うようにして飛び出し、湯気の立っているものを両手ですくい取り、袋へ入れるといった状態だった。

 馬に蹴られて死んだり、馬子に棒で殴られて大怪我を負ったりといったことも珍しくなかった。

 子どもたちは、命がけで得た糞を天日に干してから売ったり、雇い主の家へ持ち帰ったりした。

 厳冬の最中であっても、糞を求めて裸足で凍った道をさまよい歩き、霜柱を踏んだ。

 極暑の夏は、(のど)(うるお)す水もなく炎天下を歩き続け、道端(みちばた)の泥水をすすって病に倒れた。血の混じった糞小便(くそしょうべん)を垂れ流しながら、死んでいく子どもも数しれなかった。

 そんな暮らしの中でムサンは、十歳になった。

 年少の子どもたちは、年長の子どもたちに対抗するため、団を組んだ。

 面倒見のよかったムサンは、そのリーダーにまつりあげられていた。

 三歳から十歳までの少年少女七人。みんなボロ布の(かたまり)のような子どもたちばかりだった。

 ムサンは、誰かを贔屓(ひいき)するようなことはしなかったが、妹のようにかわいがっている女の子がいた。

 その七歳の女の子は、ファンラン(花欄)という華やかな名前を持っていた。

 だが、服は同じ団の中でも、とびっきり粗末であった。

 もう(つくろ)いようもないほどボロボロで、雑巾(ぞうきん)の方が、まだマシなくらいだった。

 ファンと、仲間内で呼ばれていた。

 少女は(ほほ)がこけ、寒さと栄養失調で、いつも青洟(あおばな)を垂らしては、すすり上げていた。

 でも、クリクリとよく動く目でムサンを見上げ、笑みを絶やすことがなかった。

 唯一のオシャレは、肩までの短い髪をウサギの耳のように束ねてピョンと立て、根元を(あか)(ひも)(くく)っていることくらいだった。

 一日の仕事が終わるとファンはムサンの横にやってきて、手を恥ずかしそうに差し出す。

 ムサンが手を握ってやると、嬉しそうな笑顔を浮かべる。

 そのまま手をつないで家路(いえじ)をたどるのが、習慣となっていた。


 その日も、みんなを率いて街の大通りへ出た。

 年末のせいか、いつもより人や荷車の通行量が増えていた。

 ムサンは子どもたちに指示して糞を拾わせ、自らもタイミングをはかって飛び出した。

 正月には大量の燃料がいるため、よけいに拾わなければならなかった。

 それで、つい自分のことだけで頭がいっぱいになってしまい、年少の子どもたちの行動にまで気が回らなくなっていた。

「ガラ、ガラ、ガラ――」

荷物を満載した一台の馬車が、勢いよく目の前を過ぎていった。

「キャ――」

 悲鳴が聞こえた。

 とっさに、声のする方へ目を向ける。

 道の真ん中で、馬糞を手にしたまま立っているファンの姿が目に入った。

 二頭立ての馬車が迫っていた。

「危ない!」

 ムサンは、叫んだ。

 しかし、疾走する馬車の轟音(ごうおん)に、その声はかき消された。

 ファンの身体が、宙に飛んだ。馬に()り上げられたのだ。

 口から血しぶきが放たれた。

 皆が駆け寄ったときには、道端の泥水の中に横たわっていた。

 その瞳は大きく見開き、口元からは鮮血が流れ落ちていた。

「ファン、しっかりしろ!」

 ムサンは、その身体を揺さぶった。

 何の反応も示さない。

「ファン!」

「ファン、死んじゃ(いや)!」

 泣きじゃくりながら、それぞれ声をかけた。

 だが、その身体が再び動くことはなかった。

 糞まみれのボロ(きれ)集団――。

 通りすがりの人間は鼻と口に手巾を当て、足早に過ぎ去っていく。

 雪が、舞い始めた。

 ムサンが、ファンの小さな身体を両腕に抱え、皆その後に続いて、トボトボと彼女の雇い主のもとへ向かった。

 館の裏口に着き、(とびら)を叩く。

 中年男が顔を出した。

 ムサンは、経緯(けいい)を口ごもりながら話し出した。

 だが、最後まで話し終わらないうちに男の拳骨が頬へ飛んだ。

 ムサンは、雪交じりの泥の中に倒れ込む。

「この忙しいときに面倒を起こしやがって!」

 男は、さも忌々(いまいま)しそうな顔で、吐き捨てるように言った。

「ファンの母さんと会わせてください」

 ムサンは、頼み込んだ。

「ダメだ!

 お前らで始末しろ」

 そう言い捨て、男は館の中へ入り扉をバタンと閉めた。

 雪が、本格的に降り出した。

 扉の前に残された子供たちは、うなだれて立ち尽くしていた。

「行こう……」

 ムサンは、皆を(うなが)した。

 一行は、川べりの空き地へ行き、ファンの身体を下ろした。

 男の子たちは棒きれや石で地面を引っ()き、穴を掘り始めた。

 しかし、凍りついた地面は、なかなか掘り進めることができなかった。

 ムサンは、思いっきり両手の爪を立て、地を掻いた。

 指先から血がしたたり落ちる。それでも止めようとしなかった。

 ようやく小さな身体が隠れるくらいの(くぼ)みができた。

 ムサンが、そっとファンの身体を置く。

 顔は、女の子たちの手によってきれいに拭われていた。

 髪も結いなおされ、紅い紐で括られている。

 血の気は失せていたが、両目が閉じられ眠っているかのようだった。

 小さな手を胸元で組んでいた。

「ファン、今度生まれてくるのは、金持ちの家にしろよ」

 ムサンは、布団をかけるように足もとから土を掛けていった。

(もうこれで(こご)えることもないし、飢えることもないよな)

 心の中で、そう語りかけながら首のところまで土で覆っていった。

 しかし、それからが、どうしても手が動かなかった。

 女の子の一人が(ふところ)から手巾を取り出し、ファンの顔にそっと掛ける。

 薄汚れてはいるか洗ってあり、花柄模様が刺繍(ししゅう)してあった。たぶん大切にしていたものだろう。

 ムサンは、その上から丁寧に土をかけていった。

 ファンの顔の輪郭が手の平に感じられた。

 小さな唇、痩せこけた頬、鼻、目……。

 全身を覆った後、その上に川原から運んできた石を積んだ。

 ファンの墓は、完成した。だが、供える花もなかった。

 雪は降る勢いを増していた。見る間に石積みは、白い雪で化粧されていった。

「さようなら……」

 ムサンは両手の拳をギュッと握りしめ、くるっと振り向き歩き出した。

 皆も墓に向かって手を合わせ、後に続いた。唇を噛みしめ、黙々と歩みを進めた。

 もう日、暮れかかっていた。

 手にした麻袋には、半分も糞が入ってなかった。

 それぞれの家では、厳しい仕置きが待っているはずだった。

 ムサンは、麻袋を引きずりながら(あるじ)の家へ戻った。

 袋を見た使用人頭(がしら)は、ものも言わずに拳で頭を殴りつけ、思いっきり腹を蹴った。

 ムサンの身体は後へ二メートルほど飛んで、ドサッと土間に落ちた。

 身体を「く」の字に折り曲げ、痛みに苦悶(くもん)しながらも(うめ)き声ひとつ上げなかった。

「飯は、抜きだ」

 雇い人頭は、何の感情もこもっていない声で、そう告げた。

 それで、解放されたわけではなかった。いつもの日課である豚の餌やりや薪割りなどの雑務が待っていた。

 痛みの残る腹をさすりながら、ムサンは庭へ向かった。


「わしは、屋敷で飼われている豚が、ほんとにうらやましかったよ。

 食べちょるもんも、そんなに変らんかったし、何もせんでも食えるんじゃからな」

 ムサン爺は、フゥーと大きな息をついた。

 カイトは、首にかけていた手拭いで顔を何度もぬぐった。

 それでも、あふれでる涙は、止まらなかった。

 ムサン爺の話は、さらに続いた。

「父親は、誰だかわからん。

 兄弟姉妹は、七人いた。

 じゃが、わしが二十歳(はたち)くらいのときには、四つ下の妹が残っているだけじゃった。

 その妹も、娼家へ売られちまった」

 三十歳近くになっても、その境遇が変わったわけではなかった。

 重い商品の荷運びや馬車への積み下ろしといった重労働に明け暮れる毎日だった。

 ある日、商品の包みを背にして主の後に付いて歩いていた。

 街角で、走ってきた馬車と出合い頭にぶつかりそうになり、転倒してしまった。

 背負っていた荷物が、路上に散乱した。

 怒った主は持っていた杖で、ムサンを叩き出した。

 ムサンは手で頭を覆い、丸くなって耐えるしかなかった。

「やめなさい!」

 声が頭上で響き、打擲(ちょうちゃく)()んだ。

 若い男が、主と正面から向き合っていた。

 屈強な男たちを数人引き連れている。

 船乗りを思わせる上下を身に付けていた。

 荷物を背負わせているところからみると、買物の途中であるらしかった。

「うちの奴婢を、どうしようと勝手だろう」

 主は、「どこの馬の骨だ」という顔で、言い返した。

 次の瞬間、ムサンがこれまで聞いたことがないセリフが耳に飛び込んできた。

「奴婢だって、同じ人間なんだ。

 それくらいにしておけ」

 落ちついた語り口であった。

「同じ人間だって?」

 主は、キョトンとした様子だった。

「こいつは、わしの屋敷の家畜小屋で生まれたんじゃ。

 ヘッ、牛や馬とどこが違う?」

 すぐにバカにしたような表情となり、言い放った。

「生まれに尊いも卑しいもない。

 お前が、奴婢として扱っているだけだ」

 若者は、まっすぐな視線を投げかけ、言い切った。

「そんな青臭(あおくさ)い話に、付き合っている(ひま)はない。

 行くぞ」

 呆れ顔の主はフンと鼻を鳴らし、ムサンの尻を蹴っ飛ばした。

 背を向け、立ち去ろうとした。

「待て!

 その奴婢を引き取ろう」

 再び、若者の鋭い声が飛んだ。

 地面にドサッという、物が落ちる音がした。

 主は、立ち止まって振り向いた。

 目の前に重そうな巾着(きんちゃく)が落ちていた。

「確かめてみろ」

 若者の脇に立っていた長髭の大男が、野太い声で言った。

 主は、不審そうな顔で巾着を手に取り、広げた。

 その顔が、驚きの表情に変わった。相場の倍近くの貨幣が入っていたからだ。

「これで、決まりだな」

 雇い主の顔に(うなず)きを見た男は、ムサンを片手で引き起こし、若者の前へ連れて行った。

「これで、お前の身体は、お前自身のものだ。

 好きにするがいい」

 若者は、笑みを浮かべ、涼やかな声で言った。

「……?」

 何が起こったのか理解できなかった。

 ボーと立って、若者を見上げていた。

                                    

 ムサンの「語り」は、終わった。

「若様が何を言っているのか、サッパリわからんかったさ。

『同じ人間』なんて言葉は、世迷言(よまいごと)にしか聞こえなかったからな。

 行くところなんてないから頼み込んで後についていき、今日まできたんじゃ」

 髭に付いた濁り酒の(しずく)を拭いながら話の最後を締めくくった。

「さあ、わしゃぁ、寝るぞ」

 ムサン爺は、立ち上がって大欠伸をした。

 カイトも、船室への階段を降りた。

 ふと振り返ると、雲の切れ間から(おぼろ)な赤い月が見えた。

 寝床では、ハンが手荷物の整理をしていた。

「今まで話していたのかい?」

 泣きはらした目をしたカイトを見て、そう話しかけた。

「……」

 カイトは、黙ってうなずく。

「ムサン爺が、あんなに語るなんて珍しいな」

 興味深げにハンは言った。

 カイトは、話の内容をかいつまんで伝えた。

「へぇ、そうなんだぁ。知らなかった……」

 ハンにも、初耳(はつみみ)なことばかりだったらしい。

「まぁ、船に乗っている連中は、みんな似たり寄ったりの境遇だけどね」

 ハンは、腕を組んで少し考え込んでいた。

「たぶん明日は、激しい戦いになりそうだ。

 誰かに語っておきたかったんだろうな。自分が死なないとはかぎらないからね」

 ゴロッと寝転がりながら、ハンは言った。

「えっ?」

 カイトは、ハンの言葉に衝撃を受け、絶句してしまった。

 そこまで深刻な事態だとは、思っていなかったからだ。

 そういえば宴会で、やけにはしゃいだり、逆にしみじみと語り合ったりしていた。

 みんな明日のことを思ってのことだったのかもしれない。

(明日、死ぬかもしれない)

 そういう切迫(せっぱく)感をカイトは、今まで一度も味わったことがなかった。

 だが、みんなは、これまでに何度も戦闘の修羅場(しゅらば)をくぐりぬけてきた。

 よって明日、自分の身に起こり得ることを想像できたのであろう。

「ハンさん、どうしよう?」

 急に恐怖に襲われた。

 すがりつくような目でハンを見た。

「なるようにしかならないよ」

 当たり前ではないかといった顔で、ハンは答えた。

 床に就いたが、なかなか眠れない。

 イラブンドウでも危機と直面したが、あまりにも現実離れした出来事だった。

 だからか、それほど恐怖は感じなかった。

 しかし、今回は、現実感があった。

「白兵戦になる可能性が高い」

 ハンは、言った。

 非戦闘員であっても、無事に過ごせるとは限らない。


 よく眠れないまま夜が明けた。

 その日は、快晴だった。

 カイトが甲板に上がると、ムサン爺が朝食の準備をしていた。

「おはようございます」

 カイトが挨拶すると、いつもの笑顔を見せた。

「昨夜は、わしのつまらん話に付き合わせて悪かったな」

 抱えていた汁鍋を下ろすと、背を伸ばしながら言った。

「そんなことないですよ」

 カイトは首を横に振り、すぐに否定した。

「今日は、大変な日になりそうですね」

「船に乗っちょれば、いつものことじゃよ」

 あっさりとムサン爺は、答えた。

「とにかく腹いっぱい食っちょけ」

 握り飯が盛られたカゴを、汁鍋の横へドカッと置いた。

 水夫や兵士が、集まってきた。

 互いに挨拶をした後、床に座り込んで汁椀や握り飯を手にして食べ始めた。

 いつもと変わらぬ朝の光景であった。

 握り飯を片手にして浜の方に目をやると、船長やミーカナたちが小舟で戻ってくるのが見えた。

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