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荒波越えて針路は南!  作者: 海の太郎
13/57

オキノエラブ島の巫女が告げた預言

「帆を上げろ!」

 船長の声が、響き渡る。

 水夫たちの足音や掛け声で甲板は、一気に(にぎ)やかになった。

 カイトは舳先に立ち、船の進行方向を眺めた。

 これから船は、沖永良部へ向かうとのことだった。

 徳之島の亀徳と沖永良部の和泊間は、定期船だと、わずか約二時間弱である。

 しかし、順風ではあるが穏やかだ。

 速度は、自転車をゆっくり漕いでいるくらいでしかない。

 このままだと到着は、日暮れ近くになるようだ。

 同行の船は打ち合わせ通り、和泊で小商いをしながら到着を待っているはずである。

 遠くの水平線に、平らな島影が見えてきた。

 沖永良部は、少し曲がったナスのような形をしている。

 面積自体は徳之島の半分以下であるが、島全体が隆起サンゴで成っているので平地が多い。ハブもいないので、暮らしやすい島である。

 島全体が石灰岩でできているため、地下には、有名な「昇竜洞」に代表される鍾乳洞が三十箇所以上あり、今でもよくわかっていないという。

 地表に流れている川は少ない。だが、崖下からのホー(湧水)や鍾乳洞内にあるクラゴウ(暗川)と呼ばれる水場があり、生活用水に困ることはなかった。

 

 だいぶ陽が傾いた頃、港が見えてきた。

 同僚船も、停泊していた。船と港との間を丸木舟が、何艘か行き来している。おそらく荷物を運んでいるのであろう。

「何を仕入れているの?」

 甲板で、一息入れている海士に尋ねた。

「ヤク貝と、タイマイだ」

「タイマイ?」

「海ガメの甲羅(こうら)だ」

 島の周囲は浅いサンゴ礁の海となっているため、鼈甲(べっこう)の材料となる海ガメ、タイマイがやってくる。

 島のアヅミは、浅瀬(あさせ)(えさ)()んでいるカメの背後にそっと近づき、両手で甲羅を捕まえ、海面方向へ頭を持ち上げる。すると、自分で浮上していくとのこと。

「へぇ――、そうなんだぁ」

 そんな話を聞くのが、とても楽しい。

 船は、同僚船の近くに碇を降ろし、連絡のための小舟を出した。

 カイトたちは、美しい海岸線と作業の様子を眺めながら、建物の影で涼んでいた。

「ハンさん、僕たち上陸しないの?」

 カイトは、ずっと船に揺られていたので、固い地面が踏みたくなっていた。

「うん、ここではしないみたいだよ」

 カイトは、残念な気持ちで、また港の方を見た。

 すると、一艘の舟が、近づいてくるのに気づいた。

 白い衣装をまとった女たちが、八人ほど乗っている。

 甲板に上がると、ミーカナの前で膝を突き、平伏した。

 いきなりのことだったので二人は、顔を見合った。

「なんでしょうか?」

 ミーカナが、尋ねた。

「張美華様でいらっしゃいますでしょうか?」

 白髪の女が、少し顔を挙げて言った。


「そうですが……?」

 ミーカナは自分の名前を知っていることに驚きつつも、落ち着いて答えた。

「生きて高貴なる姫神様のご尊顔を拝することができましたこと、この上もなく有り難く、胸打ち震える思いでございます。

 吾は、当地を()べる『水のカミ』に仕える西目(にしめ)と申します。

 この度、御来臨なさる旨の預言を受け、まかり越しました」

 仰々(ぎょうぎょう)しく申し述べた。

「頭を上げてください」

 ちょっと困ったような口調で、ミーカナは言った。

 女たちは、上体を起こした。しかし、両手を突き、目は伏せたままだ。

 島の巫女たちらしい。年齢層は、お年寄りから少女までマチマチのようだ。

「吾らが奉ずるカミによれば、この旅は、聖なる王国の(いしずえ)を築かれるためのものとのこと」

 ニシメの巫女は畏敬の念を込めた語り口で、きっぱりと言い切った。

「えっ?」

 眺めていたカイトとハンは、同時に声を上げた。

 ミーカナも、驚いた様子であった。

「カミは、運天の港までお守りするよう眷属(けんぞく)陰供(かげとも)を、お命じになりました。

 道中、陰ながら見守らせていただきます。

 ですが、お気になさらずにいてください。

 何事も起こらぬならば、姿を現すこともござりません」

 ニシメは、少し笑顔を見せながら、そう語った。

「『水のカミ』の眷属とは?」

「当島の地底湖で何千年もの間……」

 言っていいものかどうか、ためらう様子が見られた。

 だが、意を決したようで声を潜めて話し始めた。

 その話によると、この島には海からつながる地底湖があり、そこで暮らしながら島の安全を守っている存在であるとのことだ。

「身の危険を感じましたなら、これをお吹きくださいませ」

 そう言いながら、ニシメは、小さな巻貝製の笛を差し出した。

「ありがたくいただきます」

 ミーカナは礼を言い、受け取った。

「では、私どもは、これで失礼致します」

 ニシメは、退去の挨拶をした。

 後には、手土産と思われる果物や野菜のカゴと、水の入ったカメが残されている。

「あっ、ちょっとお待ちください。

 これをお持ちください」

 船を下りようとしている一行へ声を掛け、脇に積まれた木箱を指差した。

「装身具と化粧道具、それに身の回りの日用品なんかなんだろうな」

 興味深げに見ているカイトの隣で、ハンが教えてくれた。

 たぶん今後のつきあいを考えてのことであろう。

(気配りができる子なんだ)

 カイトは、意外な一面を見たような気がした。

 巫女たちは、喜色を満面に表してお土産の品々を手に取り、下船していった。

「ミーカナのこと、『姫神』と言っていたけど、どういうことですか?」

 カイトは、(そば)にいた海士頭のイサナに尋ねた。

「詳しいことは吾もわからぬ。

 だが、巫女様は、海の民とともにある。漁には、欠かせぬからな。

 亀卜(きぼく)や鳥使い、魚招(いをまね)きの祈祷で、漁を助けてくださっている。

 また、「風直(かざなお)り」の儀式で、船旅に必要な風を招く。

 島々の海人族は、吾らと同じく壱岐島の辺りから来ているようだ。

 巫女様方も同じ流れではなかろうか。だとしたら、(つな)がりがあってもおかしくない。

 だが、美華様は、吾らが姫。()せぬな」

 勇魚も、首をひねった。

「亀卜、鳥使いって、何なの?」

「ああ、亀卜は、海ガメの甲羅を焼いて、表れたヒビ割れで、吉凶を占う。

 漁や船旅には、欠かせない。

 鳥使いは、鳥を(あやつ)ることだ。

 巫女様は、『鳥山(とりやま)』を見つける。鳥たちが海上で騒ぎ立てておれば、その下には魚の群れがいる。

 また、鳥になって漁に出た吾らを見守ってくださる」

 いかにも感謝しているといった様子で語った。

 「風直り」とは風を操る呪法で、巫女が頭帯に挿している鳥の羽は、その力の象徴であるようだ。


 対馬・壱岐島をはじめ九州の沿岸一帯を含む区域は、古くから海人族である倭人が住み暮らす地であった。そこから安曇(あづみ)宗像(むなかた)といった海の神々を祖とする氏族が、出ている。

 壱岐島を出自の地とする壱岐氏は、「亀卜」をもって朝廷に仕えていた。

 これは、倭人が古くから持ち伝えてきた卜占技術である。天皇と、海人族の近さがうかがわれる。


 カイトたちは、夕凪(ゆうなぎ)の海を楽しみながら甲板で食事をとった。

 会話は(はず)んだが、なぜかミーカナの将来に関する預言(よげん)には、誰も触れることはなかった。

 カイトも、何か軽々しく扱ってはいけないもののような感じがして、あえて口にしなかった。

 いつしか月明かりが船上を照らしていた。

 カイトは、欠伸(あくび)をしながら船室に戻ろうと歩きかけ、何気なく島の方を見た。

 潜望鏡のようなものが、ポコッと海面から突き出るのが目に入った。

(なんだろう?)

 目をこすって、もう一度見たときには、すでに姿を消していた。

(見間違いかもしれない)

 カイトは、首を傾げながら船室の中へ入っていった。

 翌朝は晴天で、午前中から気温がグングン上がっていった。

昼近くには、文字通り「うだるような暑さ」となった。

 風も弱く、船はほとんど動いていない。

(亜熱帯なんだから、仕方がないか……)

 カイトは建物の陰でクバ扇を使いながら、空を見上げた。

 甲板の日陰では、手空きの水夫たちが座り込んだり転がったりしている。

 ハンは建物にピッタリつくようにして、寝入っていた。

「通り雨が来るよう」

 ミーカナの声が、耳に飛び込んできた。

 少し風の勢いが、増したようだ。

 その声を聞いたとたん、男たちはガバッと身を起こし、我先にと船室の中へ駆け込んでいった。

 再び甲板へ上がってきたときには、一升升(いっしょうます)のような木製の容器を二つ持っていた。

「カイト君、行こう」

 ハンが、ぼんやり座っていたカイトの手を引いた。

「どこへいくんですか?」

 手を引かれながら、カイトは尋ねた。

「準備だよ」

 そう短く答えると、船室の中へ降りていった。

 すぐに手荷物の箱から、みんなと同じような四角い容器を四つ取り出し、二つをカイトへ手渡した。

「手ぬぐいも忘れないでね」

 そう付け加えて、自分も首に掛けた。

「……?」

 カイトは、わけもわからぬまま、ハンの言葉に従った。

「さぁ、急ごう」

 ハンは、先に立って階段を上がっていく。

 甲板へ戻ると、一転して曇り空となっていた。

 男たちは、前に容器を置き、褌姿で天を仰いでいる。中には、褌も外して手拭いだけを手にし、両手を広げて構えている者もいた。

 海上を見ると、黒雲から垂れ下がった水のカーテンが急速な勢いで近づいてくる。

「シャ――、ザザザッ――」

 それは、すぐに船に達し、甲板に当たって激しい雨音を立て始めた。

「ゴロゴロッ、ドゥーン!」

 頭上では雷鳴がと(とどろ)き、稲妻(いなづま)が走る。

「ウオオッ――」

 獣のような叫びが、あっちこっちから上がっていた。

 待ちに待った雨を迎えての雄叫びであった。

 ハンとカイトも、すぐに着物を脱ぎ捨て裸となった。

 シャワー並みの豪雨が、天から降り注ぐ。

 夢中で髪を洗い、手拭いで身体をこすった。

 身体を洗い終えた水夫たちは、水の溜まった容器に褌や着物を浸け、ザブザブと洗濯を始めた。カイトたちも、それに(なら)った。

 カイトは、絞った着物を屋根のある所へ置こうと、容器を持って建物の方へ行った。

「キャッ、キャッ」

 裏の方から、少女たちの楽しげな声が聞こえてきた。

(ミーカナとリンレイも水浴びをしているんだな)

 胸が、ドキドキと高鳴った。

 足音を忍ばせるようにしながら、そっと歩いていく。

 建物の陰から片目だけのぞかせると、ミーカナとリンレイの背中が目に入った。

 ミーカナは白い布を腰に巻いていたが、リンレイは何も身に付けていなかった。

 引き締まった身体、滑らかな肌を水滴が玉となって流れ落ちる。

 さらに忍び寄って木箱の陰に隠れ、そろそろと頭を上げた。

 ミーカナが竹製の柄杓(ひしゃく)を手に取り、ヒョイと肩越しに投げた。

「イタッ!」

 柄杓は、勢いよく飛んで来て、カイトの頭にコツンと当たった。

「ダメよ」

 ほぼ同時に、頭の中でミーカナの声が響いた。

(バレた)

 カイトは、コソコソと逃げ戻った。

 二十分もたたないうちに雨は、通り過ぎていった。

 暑さも、一気に拭われた感じだ。

 甲板は、洗濯物でいっぱいだった。

 水夫たちの顔も、気持ち良さそうな表情となっていた。

 さっぱりとした衣服に着替えたミーカナとリンレイが、前甲板へ姿を現した。

 カイトは、とっさに(うつむ)く。

 上目遣いで、そっと様子をうかがう。

 ミーカナは、プイッと顔を(そむ)ける。

 リンレイは、何も気づいていないようだ。笑顔をカイトに送ってきた。


 船長は地図を広げ、副官、航海長と話している。

(沖縄本島が、近いのかもしれない)

 カイトは、船の先にある水平線を眺めた。

 確かにボンヤリとではあるが、島影らしきものが見える。

辺戸岬(へどみさき)かな。やっと上陸できるかもしれない)

 ちょっと嬉しく思った。

 やがて船長は地図を丸め、二人に向かってうなずいた。

「今より戦闘態勢に入る。

 各自、準備を整えよ」

 副官が、号令を発する。

 水夫たちが、弾かれたように立ち上がった。

 干していた洗濯物を小脇に抱え、駆け出す。

 伝声管で指令を伝える甲板長、武器庫へ走る兵士、漕ぎ座へ飛び込む水夫、帆柱へ猿のように登っていく見張りの者、みんなキビキビと行動していた。

 カイトは、ウロウロするばかりだった。

「大型船二隻、速舟(はやぶね)三十艘!」

 見張りの怒鳴り声が、頭上から降ってきた。

 僚船が近づいてきた。

 信号旗が、交わされる。

「カイト君、これ――」

 ハンに声を掛けられた。

 防弾チョッキのような革鎧を身につけ、同じものを差し出していた。

「いったい何が始まるんですか?」

「見ての通りだよ。海賊が襲って来るんだ」

 あわてている様子もない。

「ええっ、でも、海賊と決まったわけじゃ……」

 船は、まだ遠くに見えるだけだ。

「ここは、海賊の巣だからね」

 驚くほどのことでもないといった感じだ。

 この付近は南島交易の要所で、商船が行き交っている。

 船を隠しておくのに便利な湾もあることから、海賊が根城(ねじろ)にしているのだという。

「前に島を襲った奴らなの?」

「たぶん違うと思う。

 奴らなら、正面から襲ったりはしない。こちらの実力を知っているからね。

 ふつうの商船だと思っているんじゃないかな」

 船室から吐き出されてくる水夫たちも、革鎧を着込んでいた。

 兵士たちは、さらに兜をかぶり、楯と槍を持つなど重装備であった。

「僕らは、邪魔にならないように屋形の中へ入っていよう」

 ハンは、屋形へ向かった。カイトも、後に続く。

 窓から眺めると甲板の戦闘態勢は、ほぼ整ったようだ。

 木柵に沿って兵士が楯と槍を並べ、弓を構えている。

 船倉から水夫たちが、ドヤドヤと出てきた。

 担いだ木箱を置いていく。

 ソフトボールくらいの素焼きの球とビンが入っていた。

「あれは、何なの?」

「火球だよ。

 硫黄と木炭粉、『燃え土』を混ぜたものが入っている。

 『燃え土』というのは、豚や鶏の糞を枯れ草に混ぜて寝かせて置いて、土みたいになったのを乾燥させたもの……発火しやすくするものなんだ。

 もう一つは、火炎ビン。

中には、油が入っている」

 ハンは、中身について教えてくれた。

「トーン、トーン、トーン、トーン」

 太鼓が伸びやかに鳴り出した。

「エイヤッ、エイヤッ、エイヤッ、エイヤッ」

 丸木舟の群れは、顔が見えるくらいにまで近づいてきた。

  

 大型船が、その背後を押すようにして迫ってくる。

 半裸の男たちが、刀や槍を手にして船首部分に鈴なりとなっている。

 味方の船からは海士たちが、海中へ滑り込んでいった。

 船長は、斜め方向への回頭を命じた。

 その過程で、船腹をさらすかたちになった。次々と矢が飛んでくる。

「放て!」

 副官の指令が、下った。

 手拭いに素焼きの球を包み、ブンブン振り回し、その勢いで丸木舟へ投げ込んでいく。

 目前に迫った舟には、手で投げつけた。

 火球は当たると割れて、中身がこぼれ出る。その近くに火炎ビンが落ちたり火矢が刺さったりすると、引火してボワッと燃え上がるのだ。成分は黒色火薬に類するが、まだ爆発するまでには、至っていない。

 弓手は、火矢を打ち込んでいく。

 船腹に漕ぎ寄せて鈎縄(かぎなわ)を木柵へかけ、よじ登ってこようとする者もいた。

 だが、上から矢を射掛けられ、海へ落ちていった。

 手前の海上は、大混乱となっていた。

「ワアッ――」

 火ダルマとなり、海へ飛び込む者が続出した。

「突っ込め!」

 号令が、響いた。

「トン、トン、トン、トン」

 太鼓のリズムが、急テンポとなった。

「エィヤッ、エィヤッ、エィヤッ、エィヤッ!」

 漕ぎ手の掛け声も、勢いを増す。

(このまま進めば、衝突する)

 カイトは、恐怖で心臓が止まりそうだった。

「メキ、メキ、メキッ!」

 船首が、相手の腹を突いた。

「戻せ――」

 船は、ゆっくりと退いていく。

 船首が突いた箇所の下部が、大きく裂けていた。勢いよく海水が流れ込んでいる。

(ぶつかっただけで、あんなに大きな穴が開くものだろうか?)

 船首まで行き、身を乗り出す。

(あれは?)

 海面の下辺(したあた)りに鉄板を張った突起物が見える。

 サイの(つの)か、もしくは巨大な(のみ)のようだ。

衝角(しょうかく)だ)

 船マニアのカイトには、すぐわかった。

 衝角とは、『船の一本角』である。

 古代の戦闘艦に、付けられていた。

 接近戦で闘うことが多かったので、効果があった。

 少し距離を取って船は、停止した。僚船も攻撃を止めていた。

「これくらいでいいだろう」

 カイトの背後で、李船長の声が聞こえた。

「味方の死傷者は?」

「死者は、ありません。

 十名ほどが傷を負いましたが、いずれも軽傷です」

 副官が、ただちに答える。

「では、しばし休憩を取らせよ。

 その後、運天港へ向かう」

 船長の表情は戦闘前より、厳しくなったようにも見えた。

「何か、呆気(あっけ)なく終ったね」

 刀剣を抜いて、激しく打ち合うのかと思っていた。

 だが、そんな光景は、見られなかった。

「そりゃそうだよ。海賊たちだって命は惜しいからね。

 不利だと感じたら、すぐに逃げ出すよ」

「でも、島を襲った奴らと遭ったら、そうはいかないはず」

 ハンの表情が、引き締まった。

 「奴ら」は運天港周辺で、網を張っているはずだという。


 船は、本来の目的地をめざして再び走り出す。

 黒雲が、進行方向の空を覆い始めていた。

 しだいに波が、高くなってきた

 塩屋湾に退避し、夜が明けてから目的地の運天に入ることとなった。

 湾の内側には、集落があるという。

 船は湾内へと進み、碇を下ろした。

 夕暮れを迎えた湾内は波静かで、今夜は、ゆっくり眠れそうだった。

 船長とミーカナは、集落へ向かった。

 甲板では、夕食の準備が始まった。

 バーベキュー台を大きくしたような木箱。内側に粘土が塗ってある。

 中には、真っ赤な炭火。その上に、金網が置かれた。

 エビ・カニ・アワビ・サザエ・アジなどの魚介類、塩漬けのイノシシ肉、田イモ(里イモ系)のスライスが隙間なく載せられた。

 肉や魚からしたたり落ちる汁で、炭火がバチバチと音を立てている。

 大皿には、タイ・コブシメ(イカ)・夜光貝などの刺身が盛られていた。

 浜の集落から小舟で届けられたばかりの新鮮なものだ。

 食事の準備に駆け回っていたのは、五十歳代後半くらいの小柄(こがら)な水夫だった。

 船の炊事を一手に任されているムサン爺だ。

 ムサン爺はカニのような顔をしていて、髪の毛とモジャモジャの髭は、半分以上、白くなっている。

「これは、ご馳走だねぇ」

 ハンは、舌なめずりしながら、焼き台の前にドカッと座り込んだ。

 船を走らせている間は、凝った料理などできない。

 海が荒れているときなどは、干し(いい)に水をかけ、漬物で()き込むといった状態だった。

 集まって来た乗組員たちは、「我先(われさき)に」と席に着いた。

 酒を飲むことも許され、宴会気分が盛り上がっていた。

 警備担当の兵士を除く全員が、焼き台を囲む。

 酒が注がれた木の椀を片手にして、「合図」を待った。

 甲板長が、椀を手にして皆の前に現れた。

「今日は、大変な一日だったが、みんなよくがんばってくれた。

 明日も、わしらにとって本当に厳しい一日となるかもしれぬ。

 だが、わしらのクニと家族のために全力を尽くしてもらいたい。

 そのためにも今夜は、大いに食って飲んで英気を養ってくれ」

 椀を高く掲げた。

「では、乾杯!」

「おおっ――」

 喚声があがる。

 ゴクゴクと喉をならしながら、一気に飲み干す。

 「プファー」とか「フゥー」といった声が、聞こえる。

 焼き上がったイセエビをわしづかみにしてパキッと頭を折り、ミソをすすってからホクホクした白い身にかぶりつく。または、熱いアワビと格闘したりといった光景が、あちらこちらで展開されていた。

 むろんカイトとハンも、夢中でほおばっていた。

 汗だくとなりながら黙々と食べ続け、島ミカンを絞り込んだ水を飲み干した。

「もう食えない」

 カイトは、そういいながら後へ倒れ込み、大の字になった。

 夜風が心地よく甲板の上を吹き渡っていく。

 カイトは、目を開けた。いつの間にか眠り込んでいたらしい。

 まだ宴会は続いていたが席はまばらとなり、あっちこっちで談笑の輪ができていた。

 そんな様子を濁り酒の入った椀を手にして木箱に腰掛け、チビチビ飲みながら眺めている人の姿が見えた。

(ムサン爺だ。仕事の区切りがついたので、ひと息入れているんだな)

 カイトは立ち上がって、その方へ近づいていった。

「ムサンさん、お疲れさま」

 ちょっと離れているところから声をかけた。

「ムサン爺でいいがね」

 ただでさえ細い目が、笑顔で、さらに細くなっていた。

 ムサン爺はカイトと同じくらいの背丈(せたけ)()せている。

 だが、さすがに働き者だけあって、肩や足腰の筋肉は盛り上がっている。

 額に汗じみた頭帯を巻き、裸の上半身に()り切れた麻布(あさぬの)(そで)なし、下には、ヨレヨレの短袴といった服装だった。

 カイトは、隣の木箱に腰をかけた。

「ムサン爺は、新羅の人ですか?」

 身なりから推測して尋ねた。

「……そうじゃ」

 ちょっと考え込むような仕草(しぐさ)をしてから、答えた。

「どこで生まれたの?」

「登州(中国の三東半島の海岸沿いにある都市)じゃよ」

「……?」

物心(ものごころ)ついたときには、唐の商人の奴婢じゃった」

 ムサン爺は、ポツポツと語り始めた。


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