10世紀の東シナ海を旅する少年少女たち
カイト(福沢海人)十六歳、東京都在住の高校生である。
今は一年生三学期の春、この一年、鬱々とした日々を過ごしていた。
これといった夢や希望もなく、目先のことだけに追われているのが現状だ。
部活には入っていない。スクールカースト三軍で、「コミュ障害」のレッテルを張られている。
そんなカイトが、ひょんなことから平安時代へタイムワープしてしまった。
物語の流れはライトノベルの王道、「冒険ファンタジー」である。
個性的な仲間たちと古代の船に乗り、与えられた使命を果たすため「旅」に出る。
主な同行者は美少女二人、武人で戦略家の船長と部下の船乗りたち。これも定番だよね。
だが、時代は十世紀の初め(平安時代中期)で、舞台は東シナ海と周辺の国や島々だ。
●冒頭に登場する主な人物は――
【カイト】福沢海人、十六歳。東京都渋谷区在住の高校生。
東京生まれの東京育ち。小学六年生のとき一年間、パパの故郷である徳之島で過ごす。
その後、東京へ戻り高校へ進学したが、これと言った夢も希望もなく、何となく生活している。
ところが……。
【ミーカナ】徳美華、十五歳。徳義王の娘。
霊能力が高く、「巫女の館」で修業している。徳義王の代理として船に乗り込む。
【アマミコ】徳松金、三十五歳くらい。徳義王の妹。
「巫女の館」の主で、霊能力が高く、島の巫女集団を率いる。
カイトたちを旅に赴かせ、陰ながら見守っている。
【徳義宝】徳義宝、四十一歳。徳之島にある小さな王国「トカム」の王。
船団を自ら指揮し、東シナ海沿岸諸国と通商をおこなっている。
海商王、張保皐 の孫にあたる。母親は、島の豪族の娘。
【王妃】金得曼、ミーカナの母。息子の義優を溺愛。来歴は、複雑なようだ。
【ハン】竜池繁、三十二歳。夜光貝の細工職人。
徳之島の生まれであるが、幼い時、父親とともに唐の明州へ渡り、そこで職人としての技を身につけた。今は島へ戻ってきている。船旅に同行する。
【リンレイ】田鈴玲、十五歳。唐人の豪商と、アミ族の族長の娘との間に生まれた少女。沖縄本島にある商館で生まれ育った。
海賊に襲われて連れ去られ、徳之島まで運ばれた。徳義王に救われる。行方不明となった母を捜すため一緒に旅をすることになった。
【李船長】李昌輝、四十六歳。島の船団長。義宝の盟友。
「三国志演義」の関羽に似ている。おおらかな性格。智謀に長けた戦略家としての一面も持つ。
【イサナ】海士の長。主に潜水作業を担当する。敵船への海中からの工作もおこなう。
【ムサン】船の炊事係。奴隷であったが徳義王に救われ、船の乗組員となった。
【クロ・アオ・アカ・シロ】女性の護衛兵士。
玄武(北)・青竜(東)・朱雀(南)・白虎(西)の四神を奉じて、巫術を使う。
【オモト】ミーカナの乳母。親身になって育ててきた。
【イナメ】ミーカナの指導係。主に巫術を教える。
●内容の特徴は――
奄美・沖縄を含む「環東シナ海」の歴史物語である。
この地域の古代史は、ほとんどわかっていない。
一例を挙げるならば、史書に記された「奄美人」は、大和朝廷(大宰府)を脅かすほどの組織的武力と船及び航海術を持っていた。
未開の地と見なされていた奄美の島々に、どうしてそのような勢力が存在していたのか。また、どんな活動をしていたのか?
物語の舞台となる十世紀は、とくに謎が多い。なぜなら中国大陸や朝鮮半島は混乱期で、史書に具体的な記述が少ないからである。日本もまた平安時代中期で朝廷も内向きとなり、海外や周辺地域の動きに関心が薄くなっていた。
朝鮮半島では全域を統治していた「新羅」が衰え、中国大陸では「唐」が形ばかりの存在となっていた。「五代十国」時代と呼ばれ、「雨後の竹の子」のごとく新興国がポコポコ誕生していた。まさしく梟雄や英雄たちによる群雄割拠の「戦国時代」であった。
国家支配が緩んだ時代には、国境を越えたアウトサイダーたちが活躍する。
「環東シナ海」世界は、こうしたアウトサイダーたちとっては、自分の頭と腕一本で夢を追える格好の舞台だった。
船に乗り貿易商人として、または海賊として広大な天地の下に「旗」を高く掲げて動き回った。
そうした状況の中で、南島特有の物産を主に扱う商人たちも現れた。彼らは、南西諸島の島々に拠点を設けて商売に励んだ。
「トカム(度感)」も、その内の一勢力である。奄美の徳之島に住み着き「ミニ国家」を築いた。
ちなみに当時の島々の内陸部では、集団で居住するのは難しかった。
狩猟採集の対象となる動植物は少なく、地味も農耕に適していなかった。
また、亜熱帯林に覆われ、風土病や毒蛇などの危険があった。
よって、多くの人々は海岸部で、半農半漁の生活を営むしかなかった。しかし、漁労には海の知識と技術が必要であり、誰でもができるわけではない。そうした事情から、島民の主流は、アヅミ(海に潜る者)と呼ばれる海人族であったと考えられる。
●簡単にテーマをまとめると三つ――
一つ目は、「冒険ファンタジー」である。
東シナ海の荒波を越え、仲間たちと共に目的地を目指す。
場面は、日本・朝鮮・中国と広範囲にわたり、さらに宇宙空間にまで及ぶ。
登場するのは人間だけではない。小人やカミを初め、鳥獣、虫は言うに及ばす妖怪や怪物も現れ、動き回る。まずは「理屈抜きの活劇もの」として楽しんでもらいたい。
二つ目のテーマは、「生きることの意味」と「現代人の感性」についてである。
「死」の問題を考えながら、「生きることの意味」を探っていく。
もう一つは、「感性」の問題――。「空気を読む」ことはできても、「身体で感じる」ことが苦手なのはナゼなのか?
とくに若者の心理的特徴に焦点を当てて考えている。カイトと周囲の人たちとの会話、本人の心の動きと変化に注目してほしい。
学校における「仲間意識」「コミュニケーション」「イジメ」「自殺」などを扱っている。
三つ目は、「琉球王国」成立の問題。
十五世紀、海洋貿易国家「琉球王国」が現われ、アジア全域を舞台に活躍を始めた。
突如として、そのような整った国家が出現するわけはない。前史があったはずである。
礎となったのは、何か?沖縄の正史に記されている謎の王朝、「天孫氏」とは?
そうした疑問に対して、大胆に読み解いていく。
むろん小説なので、虚実を取り交ぜて描いている。「物語としての面白さ」を優先した。そのことは、ご承知置き願いたい。
沖縄の「中山王朝」誕生に関わる「羽衣伝説」をベースとしている。
●追記――
この小説は、原稿用紙で千四百枚程度の分量がある。しかし、読者に飽きさせないような工夫はしたつもりだ。
ただし歴史的な背景説明については、関心のない人には少し重いかもしれない。読み飛ばしてもらってよい。
作者「海の太郎」は、リアル世界ではフリーの企業研修講師である。
経営学と心理学を学び、日頃は、主に二十歳から四十歳代の人たちと接し、話をしたり考えを聴いたりしている。
歴史学と民俗学も、ずいぶん勉強してきた。
また、コミックとアニメ、アイドルが大好きな「オタク」でもある。
西暦九〇三年(平安時代中期)の夏――。
まるで高原の雪景色であった。
雲の小山が、いくつもモコモコと盛り上がり、陽の光を受けて白銀色に輝いていた。
空は、深い群青。
雪原の上を、何かが飛んでいた。
動きからすれば泳いでいると言ったほうが適切かもしれない。
身体を波打たせながら、ゆっくりと進んでいる。
長さは、二十メートルほどであろうか。
巨大なムカデだ。
体色は赤と黒、腹は黄色。
両側に、無数の脚が並んでいた。
頭の全面には、金色に輝く両眼と鋭い鎌のような牙。
上には一本角……、いや、人であった。
五十歳前後の男だ。
腰までムカデの頭部に埋まっている。
細面、長い髪とアゴ髭、薄い唇、唐の官僚の冠と黒衣を着け、腕組みをしていた。
男の名は、吊用之 。方士(道教の術者)である。
「どこへ隠れている――」
独りつぶやく。
昨日から、沖縄諸島の上空を遊泳していた。
傍目からすれば、のんびりと散策しているように見えたかもしれない。
吊自身、とくに焦っているわけでもなかった。
この男にとって数日などといった単位は、「あってなきのごとし」であった。
(ならば、仕方がないな。無理にでもお出まし願うか)
雲海の中へ身を沈める。
雲の下は、小雨模様であった。
那覇から八十キロ沖合にある慶良間諸島が、眼下に見えた。
海上に新羅様式の船、五隻が航行している。
歌うように異国の言葉(ラテン語か?)で祭文を唱えた。
次いで、いきなり左手の人差し指をくわえ、第一関節までを嚙みちぎる。
プッと、その肉塊を吐き捨て、どす黒い血がしたたり落ちる先で、船団の一隻を指差した。
「ゴロゴロゴロッ、ドッゴ―――ン」
雷鳴がとどろき、閃光が走る。
ゼウス神の槍、ケラウノスが、船を一直線に貫いた。
船体は真二つに割れ、海中へ没していった。
それを見届けた後、再び浮上し、雲海を見渡した。
「さすがに見過ごせなくなったようだな。
待ちかねたぞ」
吊は、薄笑いを浮かべながら、呼び掛けた。
前には翼を広げた白馬が、現れていた。
女が、騎乗している。
三十歳代半ばであろう。
うりざね顔、涼しげな両眼、三日月の眉。
長い髪を高く結い、背中に流している。
頭上から薄絹のベールで、後ろ髪を覆っていた。
額には、カチューシャ状の金冠。
その輪からV字に下がる細い金鎖、先にルビーの宝玉が下がっている。
身には上衣と下裳。
その上からまとった薄衣の大打掛の裾が、風に揺れていた。
すべて純白だ。
矢筒を背負い、弓を片手にしている。
女は、静かな表情で吊を見つめていた。
「マツカネ――。
今は、アマミコと呼ばれているようだな。
久方ぶりだのう。あの小娘が、熟れ頃の女になったわ。
二十年というのは、人の変容には十分な歳月のようだ」
品定めをするような視線を送りながら、言った。
「ヌシは、変わらぬ。あの時のままだ。
とうに寿命は、尽きているはずなのにな」
アマミコは、眉一つ動かさずに応じた。
しばらく静寂が、続いた。
雲が、巻き立ち始めた。
色も灰色が掛かり、しだいに濃さを増していく。
雲の渦は、二人を中心として、大きくゆっくりと回っている。
ローマ帝国のコロシアム(闘技場)を想わせる形状を成していった。
ビョービョーという風音も激しくなった。
だが、対峙する二人の周囲は、静かだった。
「台風の目」の中であるかのようだ。
最初に大ムカデが、動いた。
頭を持ち上げ身体を前に倒しながら、勢いよく黄色い毒液を吹き掛けた。
白馬は羽ばたき、飛び退く。
「ジュマ!」
アマミコは、呼び掛けた。
馬の身体は、ムクムクっと変化し始めた。
ふくれ上がっていく。
数秒後――。
吊の眼前には異形の獣が、構えていた。
獅子だ。だが、翼がある。
大きさは闘牛くらいで、真っ白だ。
タテ髪は、白銀と表現した方が良いかもしれない。
ブルーの瞳。
「ガオォ――」
ひと声吠え、身構える。
大ムカデが半身を起こした瞬間、ジュマが跳躍した。
喉元に喰らいつき、牙を打ち込む。
だが、浅かったようだ。頭の一振りで、飛ばされた。
すかさずムカデは、迫ってきた。
巨体の割には、素早い動きだ。
押しつぶそうとするかのように圧し掛かる。
獅子は、斜め上に身を移す。
背後にまわる。
人の部分を目がけて、突進する。
吊は、刀子(環頭型、房付きの小刀)を数本同時に、投げる。
まるで意思があるかのようにジュマの顔面に向かった。
スレスレで、かわす。
しかしながら、獅子の勢いは多少緩んだ。
アマミコの眼前まで、ムカデの牙が迫った。
ガチガチという歯がみの音さえ聞こえる。
大きく開かれた口から毒液が、したたり落ちた。
素早く弓を弾き、スパッと矢を射る。
「グギャ――」
片目を貫いた。巨体が、跳ね上がる。
身をうねり、くねらせた。
残りの目が、赤く変色した。溶鉱炉のようだ。
怒りの念が、放射される。
うごめくムカデの脚が、ジュマの前脚を擦った。
毒爪の先が当たり、数本の筋が残った。
「グルル――」
ジュマが、うなる。痛むのであろう。
左前脚が、動かなくなった。マヒしたようだ。
闘技場の空間を上下左右に飛び回り、交差する。
二匹の巨獣が、火花を散らす闘いを繰り広げる。
小一時間ほど、続いただろうか。
体格差は、獅子を窮地に追いやっていた。
アマミコは荒い息をつき、汗に濡れた顔を手でぬぐう。
疲労の色は、隠せなかった。
一方、吊用之は、余裕の表情を見せていた。
「そろそろ決着をつけようかのう」
酷薄な笑みを浮かべ、言い放つ。
ムカデは身体を起こし、「Sの字」の態勢をとる。
アマミコからすると、二階建ての建物の屋根から見下ろされるかたちとなった。
吊が、左の人差し指を高く挙げていた。
祭文を唱え始める。
ケラウノスを再び放とうとしているのであろう。
「九天応元雷声普化天尊!」
アマミコも、印を結び真言を唱える。
道教における雷神の最高神の名だ。雷帝とも称される。
「バリバリバリッ――、ドゴン、ドゴン!」
渦巻く黒雲の二か所から稲光が、走る。
相対する二人と二匹の獣は、強烈な閃光に包まれた。
一つの影は、粉微塵となった。
もう一つの影は、落下していく途中で宙に消えた。
校庭の桜。蕾もふくらみ、開花の時期が迫っていた。
ここは、東京都の私立高校。
黒板の前で、担任教師が、通知表を一人ひとりに手渡している。
窓からの風が、心地よい。
のどかな日の午後ではあるが、カイトの心は晴れているとは言えなかった。
頬杖をつきながら考えている。
「ふぅ――」
長いため息をついた。
「福沢海人!」
いらだった声が、耳へ飛び込んできた。
「あっ……、はい」
顔を上げると、眉をひそめた教師の顔があった。
あわてて席を立ち、通知表を取りにいく。
(散々な一年だった)
すべてをパアッと投げ捨て、逃げ出したい。――そんな気分の毎日を過ごしていた。
クラスメイトの甲高い話し声や笑い声が、癇に障る。
中学時代は、それなりに楽しかった。
成績も学年で、上位三十番くらいには入っていた。
部活も剣道部に所属し、仲間たちともうまくやっていた。
「リア充」だったと言ってよいだろう。
有名私立高校へ合格した。
一学期の中間テストの物理と数学で、いきなり「赤点」を取ってしまった。
だが、「次は、がんばろう」という気力は、さっぱり湧いてこない。
逆に「これが、本当の実力なんだ」という諦めにも似た納得感があった。
部活も剣道部の厳しい練習風景を見て怖気づき、入部しなかった。
迷っているうちに機会を逃し、「帰宅部」となっていた。
クラスの雰囲気にもなじめず、独りで過ごすことが多かった。
期末テストの成績も振るわず、暗い気持ちで一学期を終えた。
二学期を迎えたときには、「コミュ障」のレッテルが貼られていた。
下校途中、渋谷駅前のスクランブル交差点にさしかかる。
信号が変わるたびに千を超える人の波が行き交う。
外国からの観光客が、その風景をカメラに収めていた。
通行人同士が、ぶつからずに行き交いしているのが珍しいらしい。
「青」になった。
横断歩道上に押し出され、駅に向かって流されるように足を運ぶ。
ふと、忠犬ハチ公の銅像に目をやる。
人待ち顔の人々が、周りにたむろしている。
スマホを手にしている人が多い。仲間連れ以外は、誰とも視線を合わしていない。
(お前は、どうして待ち続けられたんだ)
心の中で、ハチ公に語りかける。
「飼い主に会いたい!」という一途な心で十年間、雨風や寒暑に耐えながら待ち続けた。
その熱い思いは、「忠犬」などといった評価では計れないものであったはずだ。
(『期待、信じる力』かぁ……、わからない)
これといった夢や希望があるわけではない。
ただ時間を消費するだけの毎日であった。
心の中に、何か「欠けているもの」がある。
空っぽな心の中を、風が吹き抜ける。
――そんな感じだ。
薄曇りの空を見上げる。
胸の一点が、チカッとした。
ペンダントが肌に当たっている部分だ。服の上から握り締める。
これは、夜光貝の殻から削り出され磨かれた一品。
小ぶりの勾玉である。灰乳色の地に波打つ白線、緑と薄茜色が一筆掃いたように浮き上がっている。
前山洞から出た。
乳白色の霧が川面を流れ、カイトの視線をさえぎっている。
先は、薄ぼんやりとしているが、潮騒の音も聞こえる。
(もうすぐ浜に出られるな)
川に沿って、河口に向かう。
川幅は二メートル、深さは、二十センチくらいだ。
腕時計を見た。針が、止まっている。
明るさが増し、視線を足元から正面へと移した。
歩を進めるに従って霧は薄れ、陽の光りが、何本もの筋となって射し込んできた。
春休み――。
カイトは、鹿児島県に属する奄美群島、その一つである徳之島にいた。
父親の故郷である。小学六年生のとき一年間、住んでいた。
実家のある徳和田集落には、不思議な言い伝えのある洞窟があった。
「前山洞」である。
「正月三が日以外は、絶対に入ってはいけない」とされている。
カイトは、その禁忌を破ったのだ。
渋谷で夜光貝のペンダントを握り締めてから、なぜか「前山洞へ行かなければならない」という思いが、湧き上がっていた。
これは島で、親族のノロ(沖縄系の巫女)から「お守り」として貰った品だ。
島に着いた翌日、洞窟内へ足を踏み入れた。
紺色の作務衣、濃紺の帯。
かかと部分にバンドがあるタイプの黒いゴムサンダルを履いていた。
リュックを背負っている。
「ゴン!」
鈍い音が脳裏に響き、激しい痛みが襲った。そして、気を失った。
後頭部が、ズキズキと痛む。
背中にチクチクとした痛みが走った。
起き上がろうとしたが、肩の辺りを強い力で抑え込まれており、身動きができない。
「ザクッ!」
砂をえぐる音とともに、鈍色の金属が突きたてられた。
思わず目をつぶり、首を縮める。
両脇を抱え上げられ、座らされた。
見上げると、半裸の男たちが五人。
顔の頬、赤銅色の肌……そこには文身があった。
ギザギザの波や連なった三角模様、太い線が、盛り上がった筋肉の動きにつれて、うねっていた。
髪はボサボサで海草のようだ。潮に焼け、赤茶けている。
色あせた赤い鉢巻き、同色のフンドシを締めていた。
銛を手にし、切っ先をカイトに突きつけた。
「やぱー、どくぁむ、ぴた!」
問い詰めるような口調で、声を発した。
何を言っているのかわからない。
「……」
カイトは恐怖で、言葉も出ない。首を振るばかりだ。
「どくゎむ、ぴたぁ!」
「あくゎなぁ、むんやぁ?」
顔が、さらに険しくなっていく。
「怪しいものではありません」
震える声で、言った。
通じない。
銛が、いっせいに上がる。
「まちょうれ(待ちなさい)!」
女性の声だ。
よく通り、威厳に満ちている。
動きは、ピタリと止まった。
男たちは振り向きざま、地に伏し、額をこすりつけた。
「だいじょうぶか?」
声の方にカイトは、顔を向けた。
朝日を背に受けて、その人は立っていた。
隣には、少女が立っていた。
背後には、警護の者らしい女性が並んでいる。
短槍を持ち、あるいは刀剣を腰にし、弓矢を背負うなどしていた。
中央の女性が、カイトの方へ近寄ってきた。
白絹の上衣、足首まで覆うプリーツ・スカートを想わせる水色の下衣。
紺の地に銀糸で縫い取られた模様がある帯に、金細工の留金。
白と薄紫の袖なし長羽織。精巧な刺繍が、施されている。
胸元には、精巧な夜光貝製ペンダントが揺れていた。
結い上げられた豊かな黒髪、銀または貝製の櫛や髪飾りで形が整えられている。
少女も、似たような服装だ。色調は、薄桃色と白である。
頭には、小粒真珠を連ねた髪飾りが載っていた。
カイトより一つか二つくらい下の齢のように見えた。
少女は、海の方ばかりに気をとられていた。
「よく来たな。
待っていた」
三十歳半ばくらいのように見える。
その女性は笑顔で、そう語りかけてきた。
「どなた……、ですか?」
初めて見る顔であるはずだった。
「吾は、松金」
「皆の者からは、アマミコと呼ばれている」
護衛兵に命じて、カイトを立ち上がらせる。
「キュワ、キュワ、ピリュルル――」
甲高い鳴き声が、聞こえてきた。
すると、アマミコの横で俯き加減に欠伸を噛み殺していた少女が、パッと笑顔になってクルッと振り向き、そのまま駆け出した。
「あっ、姫さま!」
護衛兵の一人が声をかけたが、足を止める様子もない。
岩礁近くの海面に三頭のイルカが、上半身を見せていた。
「あの子は、姪っ子だ。
名前は、美華。十五歳になる」
駆けていく少女を見送りながら、言った。
改めて周囲を見回す。
映画の撮影現場のようであった。
(どうなっているんだ。
夢を見ているのか)
だが、身体は、ここがリアルな世界であることを感じていた。
楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
少女が、イルカの背びれにつかまって泳いでいた。
薄い下着を身につけただけの姿である。
水に濡れ透けて見える肌がまぶしかった。
カイトは、思わず顔を伏せる。
護衛兵の一人が、乾いた布を持って少女の方へ、駆け寄っていく。
「さあ、行くぞ」
アマミコは、カイトを促した。
太い樹を刳り抜いた丸木舟のようだ。板を接ぎ足して周囲を高くしてある。
舟の前後に漕ぎ手が、櫂を手にして座る。
次いで護衛兵、ミーカナ、カイト、アマミコ、護衛兵の順で腰を下ろす。
少女は、イルカたちの方に視線を向けたままだ。
舟は、引き潮に乗ってリーフの外へ向かった。
振り返ると、カイトをつかまえた半裸の男たちが並んで座り、頭を浜につけていた。
「あの人たちは?」
振り向いて尋ねた。
「アヅミたちだ。
海に潜って、魚や貝を採っている。
むやみに乱暴なことをする者たちではないのだが……。
妖魔だと思ってしまったらしい。
すまぬ」
アマミコは、謝った。
リーフの外へ漕ぎ出た舟を迎えたのは、大きな木造船であった。
男たちが、甲板から見下ろしていた。岩礁の切れ込み部分に、小舟が係留されている。
太い樹を刳り抜いた丸木舟のようだ。板を接ぎ足して周囲を高くしてある。
舟の前後に漕ぎ手が、櫂を手にして座る。
次いで護衛兵、ミーカナ、カイト、アマミコ、護衛兵の順で腰を下ろす。
少女は、イルカたちの方に視線を向けたままだ。
舟は、引き潮に乗ってリーフの外へ向かった。
振り返ると、カイトをつかまえた半裸の男たちが並んで座り、頭を浜につけていた。
「あの人たちは?」
振り向いて尋ねた。
「アヅミたちだ。
海に潜って、魚や貝を採っている。
むやみに乱暴なことをする者たちではないのだが……。
妖魔だと思ってしまったらしい。
すまぬ」
アマミコは、謝った。
リーフの外へ漕ぎ出た舟を迎えたのは、大きな木造船であった。
男たちが、甲板から見下ろしていた。
綱が投げられ、舟を固定したのち、縄バシゴが下ろされた。
護衛兵がスルスルと猿のように上り、腕を差し出す。
ミーカナも、難なく上っていく。
カイトも後に続いたがハシゴが揺れ、次の段に足が掛けられない。
最後は片手をつかまれ、ヒョイと引っ張り上げられた。
船は、長さ十七メートル、横幅五メートルくらいだ。
全体的にずんぐりとした印象だった。
マストは二本あり、窓に懸けるブラインドのような帆が取り付けてあった。
甲板は磨き上げられ、水夫たちが、忙しそうに動き回っている。
「グワーン、グワーン」
銅鑼の音が、響き渡った。
「エイヤ――、エイヤ――」
綱を引く掛け声とともに、帆が上がっていった。
帆は、横木と横木の間に編んだ竹の網が張られ、横長の面が上下に何層か連なっている。
船は、ゆっくりと動き出す。
沖に出ると、黒潮の濃いブルーが広がっていた。
少しうねっているが、荒れているというほどではない。
島の方を眺めると、青空をバックにして井之川岳がくっきりと全容を現していた。
徳之島の中央に位置する秀麗な山だ。
船の舳先にはミーカナが立ち、海面に向かって手を振っている。
その先には、船と並んで泳いでいる数頭のイルカがいた。
「へぇ――」
思わず感嘆の声が出た。
広い海でイルカを見たのは、始めてだった。
「キュィ――、クルックヮ、クルックヮ!」
進み過ぎるとUターンし、立ち泳ぎをしながら、せきたてるように鳴き立てた。
ジャンプしたり、背面泳ぎをしたりして、遊んでいるとしか思えない動きもする。
「ミュー、キュー、チュラー、船が遅くてごめんね。
先に行っていて!」
三頭は、それぞれにコクッ、コクッ、コクッとうなずいてサァ――と、泳ぎ去ってしまった。
船は、島影を右手に見ながら、進んでいた。
自転車で散歩しているくらいのスピードである。おかげで揺れも少ない。
樹木が海岸近くまで生い茂り、荒々しい自然のままの姿を見せていた。
川の流れ込む浜近くには、茅葺の家があった。
浜辺には、丸木舟やイカダが並ぶ。
浜で半裸の人々が、こちらを指差している。
(なんか弥生時代に来ちゃったみたいだ)
船の探索を始めた。
カイトは、帆船マニアである。
後部にはお社のような建物があった。屋根は、木の皮で葺かれている。
正面の扉は開いており、中からアマミコが、手招いていた。
入ってみると中は、三畳ほどの板張りの間となっている。
赤い毛氈(薄いジュータンのようなもの)が敷かれ、アマミコが、片ひざを立てて座っていた。
家具は小机と、日用品を入れておく手箱だけだ。
大カジの「ギーッ、ギーッ」という音が聞こえている。
屋形船に乗っているようだった。
「気分は、どうだ?」
お茶の用意をしながら、アマミコが、尋ねる。
「ええ、乗り心地はいいですね。
思ったほど揺れないし――」
正直な感想を述べた。
船は好きなのだが、揺れると酔ってしまう。
「それは良かった」
そう言いながら、カイトの前へ茶椀を差し出した。
「この船って、どこで造ったんですか?」
見たところ、遣唐使船に似ている。
「ここで造った。
形は新羅様式だ」
新羅は、朝鮮半島で五世紀から九世紀にかけて栄えた国である。
造船技術と航海術が発達していた。中国大陸はもちろん、今のタイやベトナム辺りまで進出していたらしい。
日本の遣唐使も、新羅船を雇ったという記録が残されているほどだ。
「どんな工夫がしてあるんですか?」
「船底に島の巨木を使っている。齢降る大樹を山の神様からいただいた。
ゆえに、小さな隠れ瀬(海中の岩礁)にぶつかったくらいでは壊れたりしない」
「へぇ――、頑丈に出来ているんですね」
おそらく数百年を経た大樹から削り出した分厚い一枚板を使っているのだろう。
お茶を飲みながら、移り変わる島の風景を眺めていた。
家が立ち並ぶ浜が見えた。
リーフの内外に、丸木舟が浮かぶ。
「ここは、ウンノウ(面縄)という。
吾の母が生まれ育った集落だ」
「先代のアマミコは母の姉、伯母上だった」
「ムラの人は漁だけで、生活しているんですか?」
「いや、そうではない。
ヤク貝を獲り、貝殻を集めている。
それを吾らが仕入れて唐や新羅、大宰府や喜界島の官衙(役所)などへ運んでいるのだ」
棚に飾ってあった大きなサザエのような貝殻を手に取った。
夜光貝だ。
表面が、きれいに磨かれている。光彩を放つクリーム地に緑や赤が浮き出ており、とても美しい。
「もうかるんですか?」
気安くなってきたので、そんな質問もできた。
「まあな――。
南の海でしか採れない貝だからな。
吾らの利益の大半は、このヤク貝から得ていると言ってもよいくらいだ」
胸元を飾るペンダントや髪飾りを、手にとって見せた。
(家族旅行で、奈良の正倉院へ行ったときも見たよなぁ。
螺鈿細工だ)
正倉院で見た琵琶には、夜光貝を薄く削った螺鈿が貼られていた。
修学旅行で、中尊寺金色堂に行った。
数千枚もの螺鈿細工で、柱や仏壇が飾られているのを見て、その荘厳さに感動した。
先生の説明では、夜光貝に費やされた金額は、「現在価値に直すと二千億円あまり」と試算する学者もいるほどだという。
「掛かった!」
二人の男が、細いが丈夫そうな綱を海から手繰り寄せていた。
綱はピンと張られ、ブルブル揺れている。
力いっぱい綱を引いた男たちの前に、一メートルほどの魚が飛び込んできた。
甲板でビチビチ跳ねている。
「マグロの子どもだ」
カイトにも、すぐにわかった。
しばらくして、マグロは刺身となって部屋に運ばれてきた。
脚付き膳の上には刺身の他、熱々のご飯と磯海苔の汁も添えられている。
朝御飯を食べていないので、とてもお腹が減っていた。
アマミコの方をチラッと見た。
「遠慮せずに食せ」
箸を手渡してくれた。
「いただきます」
手を合わせてから、お膳の周囲を見回す。
「これが、欲しいのだろう」
手箱から小さなビンを取り出し、木のセンを抜いて小皿に垂らした。
「……?」
醤油のようだが、茶色で濁っている。刺身につけて口に入れた。
「おいしい」
家で使っていた醤油とは違うようだが、複雑な味わいがある。
大事そうに取り出したところをみると、貴重品らしい。
「吾は、祈りの時間だ」
アマミコは席を立ち、下の船室へ降りていった。
カイトも、甲板へ出る。
船の前方には、ゴツゴツとした岩で縁取られた岬が見えていた。
岬の上には、草地が広がっている。
左手に目を移すと、海面近くを何かが泳いでいるのが見えた。
(クジラの子どもだ)
四メートルほどのザトウクジラが、船に寄り添うように泳いでいる。
下を支えるようなかたちで、大人のクジラが泳いでいた。
おそらく母親なのであろう。
若い水夫が、パイナップルに似たアダンの実を投げつけた。
仔クジラは、驚いたように、サッと潜っていった。
「ドッゴン!」
次の瞬間、鈍い音がして船が持ち上がり、右に傾いた。
甲板の荷物や道具がザァ―と動き、または転がる。
水夫たちは、あわてて木柵や帆柱にしがみついた。
カイトも、柵を握り締めた。
何かが、船の底に当たったらしい。
沖を進んでいるので、隠れ瀬に乗り上げるはずもない。
「オオォ――」
驚きの声が、船首の方から上がった。
巨大なクジラの上半身が、出現した。
まるで黒く先の尖った岩山が、突き出てきたかのようだ。
沈み込んだかと思うと、また船の下へ潜り込む。
船は、グラッと左へ傾いた。
「ザッバァーン、ザザッ――」
大波が襲い、甲板を洗っていく。
船上の者たちは、ただひたすら柵や綱、柱などにしがみついているしかなかった。
(もう一度、衝撃がきたら沈没するかもしれない)
カイトは、思った。
頭を上げると、眼前に壁のような尾ビレが迫っていた。
(やられる)
目を固く閉じ、身を縮める。