この絵を、贈ります
くだらない。
何か、すごい不満がある訳じゃない。
でも、くだらない。
学校なんて行きたくない。
学校の友達なんて面倒臭い。深い所まで入り込んで、相手の気持ちを考えたり。小さな事で揉めたり、集団でいないと価値がなくなったり。
くだらない。
この場所で、時間を過ごす方が有意義だ。
この場所の、友達の方が信じられる。
だってみんな、きっと私と同じ思いを抱えているから。
「さき~! 今日、来てるみたいだよ」
「うっそ、マジ?」
呼ばれた私は、小走りで近付いてきた友人みどりの腕を掴むとせっついた。
「どこどこ?」
「あそこ!」
そう言いながらみどりが指差した先には一人の男の人がいる。その人を見つめ、つい言葉が零れる。
「本当だ……カッコイイー……」
いつものたまり場のゲームセンター。気が付けばいつもいる人間同士、繋がりが出来てた。
私さきと彼女みどりは住んでいる町も学校も違う。でも同じ年で、さばさばしている所が気に入ってこの場所で会えば一緒に行動する事が多かった。
別にゲームをしに来ている訳じゃない。確かにメダルのストックはたくさんあるし、プリクラを撮ったりもするけど、それが本当の目的じゃない。
ただ、来てるだけ。
見知った人と他愛も無い会話をして、時間を費やす。でもそんな時間が、煩わしくなくて、自由で楽だ。
「来て! 紹介するよ!」
そう言ってみどりは私の手を引っ張った。
「風月さーん! この子さき。この間話したでしょー」
「こんにちは」
年上の、しかもかなり格好良い男の人に笑顔で挨拶されて固まってしまう。どうにか同じ様に挨拶を返したけど、正面から顔を見れなくてつい俯いてしまう。
「みどりちゃんと同じ年だっけ?」
「そうですっ!」
話しかけられて慌てて顔上げて返事したけど、なんか、声うわずった気がする。
バッチリと目が合ってしまい恥ずかしくてたまらない。
「僕は風月。二十歳。よろしく」
「は、はいっ!」
今度はどもってしまって、もう嫌だ。どんどん顔が赤くなってる気がしてまた俯いてしまう。
「ね? カッコイイでしょ?」
みどりのそんな言葉が聞こえて、そんな事本人の前で言うなんて恥ずかしすぎる! って思ったらもういなかった。少し離れた所で別の常連さんと話してる。
「うん……カッコイイね」
「でしょ? 結構狙ってる子多いみたい。でも、風月さんは興味ないのかなぁ?」
「え? そっち系?」
「違うって! 好きな人いるみたいだよ。ってか草食系? あんまり自分の事教えてくれないけど。なんて言うのかなぁ、不思議さん? ちょっと変わってるかも」
「ふーん」
気になる。超知りたい。メチャクチャお近づきになりたい。でも、そんな風にみどりみたいに色々聞けない。
見た目からは意外に思われる事が多いけど、実は人見知りな私。みどりは誰とでもすぐに話しかけて友達になっちゃうけど、私は違う。
みどりと友達になったきっかけも、彼女から話しかけてきたからだったし。
私が最初にここに来たのは、ただの時間稼ぎ。学校サボって、メダルゲームしてた。
いけない事だってのは分かってるけど、その時はどうしても学校に行きたくない気持ちが強くてどうしようもなくて、気が付いたらそれが日課になっちゃってて、同じようにサボってたみどりに急に話しかけられた。
「ねぇ! メダル頂戴?」
それが初めて話した相手に言う言葉? ってちょっと思ったけど、なぜだか素直にあげてしまった私。それから話すようになって、今に至る。
最近、私は親にサボりがばれて怒られて、真面目に学校行ってたんだけど、相変わらずサボってるみどりから超カッコイイ人がいるって聞いてたんだ。
すっごく会いたかったんだけど、放課後に来てもいない事が多くて、ずっと会えなかった。だから今日は、久々に学校をサボって来てしまった。
マジカッコ良かったなぁ。かっこ良くて、男の人なのに綺麗だった。あんな人本当にいるんだ。今はまってる漫画のキャラに似てたな。声も素敵だったし、完璧だよ。
好きな人いるのかぁ、残念。だって二十歳だもんね、やっぱり、大人の女の人なのかな? 私達みたいな中学生じゃなくって。
「風月さん帰ちゃったみたいだよ」
いつの間にか側にいなかったみどりが戻って来た。風月さん探しに行ってたんだ。
「そっか」
残念。でもいっか。今日は初めて挨拶できたし。ちょっとだけでも話せて嬉しかった。
「私も帰るよ。今日、親父いるから……」
「そう? さきんちお父さん休みなんだ?」
「らしい。朝からうるさかったよー」
みどりにバイバイして、ゲーセンを出る。
でも、なんだかこのまま帰りたくない気分。
せっかく風月さんに会えて嬉しかったのに、すぐ帰ってまた父親の小言を聞かなきゃいけないと思うと、うんざりする。
仕事人間の父。小さい頃は遊んでもらった記憶もなんとなくあるけど、今となっちゃただうるさいだけ。
あれしろ、こーしろ。あれするな、これするな。
マジ、うざい。死んじゃえばいいのに。
「あれ? さっき会ったさきちゃん?」
いきなり話しかけられ、ビックリする。呼ばれた方を向けば、道路脇の小さな椅子に腰掛けてる風月さんがいた。
呆然と風月さんを見る。
「な、何やってんですか?」
「何って、絵描いてる」
「絵……ですか?」
「僕こう見えても美大生なんだ。ゲーセンには人間観察でなんとなく行ってるんだ」
そんな事を平然と言われ、なんて返事したらいいのか悩んでしまう。知りたいと思ってた個人情報を入手したけど、なんか違う気がする。
「今みたいに道行く人達を描くのも勉強なんだ。頼まれたら似顔絵描いたりするけどね」
「そう、なんですか」
やっぱり、ちょっと変わってるのかな。
小さな椅子に座った風月さんの隣にピクニックとかで使うシートがひかれてて、その上に折り畳み式の小さな椅子と、多分風月さんの荷物のリュックサックと筆箱とか道具が出てる。
風月さん本人は、スケッチブックを持っていた。
「なんか……すごいですね」
「そう?」
首を傾げる風月さんが、眩しく見える。カッコイイのはさっきまでと同じだけど、でも、なんかさっきまでとは違って見える。
家に帰りたくなくてブラブラしていた自分の居心地がなんだが悪くて、そわそわしてしまう。
「さきちゃん、今時間ある?」
「え? だ、大丈夫ですけど……」
なんだろう? デートのお誘い? ドキドキする。
「じゃぁ座って。描きたいな」
そう言われて、浮き足立ってた心が一気にしぼむ。デートじゃなくて似顔絵描きたいって事?
風月さんは折り畳み椅子を目の前に用意し、笑顔で私に進めて来た。それを見たら、またドキドキしてきた。似顔絵描いてもらえるなんて、やっぱり嬉しいかも。
だって、みどりも知らない事でしょ? ちょっと優越感を感じてしまう。
素直に座ると、風月さんはボードを取り出しその上に画用紙を乗せ、私の顔をじっと見る。
そして鉛筆を持って描こう、とした瞬間、なぜか鉛筆が折れた。
バキッてすごい音がしてビックリした。すごい握力。そう思って風月さんの顔を見たら……すごく怖い顔をしてた。
「ど、どうしたんですか?」
怖い顔。と言うか強張ってる? 怒ってるって言うより、何か食いしばっているみたい……。
「さきちゃん……。ごめん、僕の方から誘ったのに。今日は描けないや……」
「え?」
「さきちゃん。今日は、寄り道しないで真っ直ぐ家に帰りな」
意味が分からないままそんな風に言われてムカッと来る。何それ、なんで急にそんな事言われなくちゃいけないの?
私が黙っていると、真面目に、頼んできた。
「お願いだから、今すぐ家に帰って」
あまりに真剣な様子に、なんだか怖くなって来た。やっぱりちょっと変な人なのかも……。いくらカッコ良くても近づかない方がいいかな。
とりあえず適当に返事して、慌ててその場から離れた。
そんな私を、たぶん、ずっと風月さんは見てたと思う。
そして、なんとなく、泣いていた気がする……。
家に帰ると、すぐに違和感に気付いた。おかしいな、父親も母親も今日は家にいるはずなのに、電気がついてない。
別に風月さんに言われたからって訳じゃないけど、遅くなって親父の小言が増えるのも嫌だったから、そのまま帰宅したんだけど……。
ただいまと声をかけるけど、返事はない。
静まり返った家の中。薄暗く、人のいる気配はない。
六月、梅雨の時期。締め切った室内は蒸し暑いはずなのに、何故だかヒンヤリとしている。その不気味さに、自分の家のはずなのに怖くなる。
……とりあえず、電気をつけよう。
リビングの電気をつけるけど、やっぱり誰もいない。変なの。どこかに出かけるなんて言ってたっけ?
マンションに住んでるからニ階なんてないし、誰かいたらすぐわかる。
なんか変だけど、気にしてもしょうがない。喉渇いたからジュースでも飲もう。そう思って台所に行くと、テーブルの上に手紙が置いてあった。
それは手紙とはとても呼べない、慌てて書かれた一枚のメモ。
『お父さんが倒れたので、市立病院に行きます。』
たったそれだけ。
でも、体が震えた。倒れた? 倒れたって……いつ?
「何で携帯つながらないの? 学校に連絡もしたのよ? でも、今日来てないって言うし。お友達にも聞いてもらって、でも、誰も知らないって」
そう、泣きながら母は言った。
私は何も言えない。母の言葉も半分以上聞こえてない。ただ、目だけは動いてる。ベットに横たわり、まったく動く事のない父親を凝視している。
「お父さん、最期にさきって呼んで……」
そんなの知らない。どうして? なんで?
どうしてこんな急に? なんで今日? どうして? なんで?
泣きじゃくる母親、動かない父親。その二人から逃げるように、私は病院を飛び出してた。
訳分かんない。何? どういう事? なんで? どうして?
……死んだ? 親父が? あの親父が? どうして? なんで?
死んだ、の?
死んだ……。死ぬって何? どういうこと?
もう動かない。もうしゃべらない。そういう事?
違う、それだけじゃない。もういない。もうあいつはいない。
私を怒ることも、ない。もう二度と、私に怒鳴る事もない。
いいじゃん、別に。死んじゃえって思ってた。うざい、マジいなくなればいいって思ってた。
でも、違うよね? 違うよね?
そんな事望んでなかったよね? 本当は、そんなんじゃないよね?
違う。違う違う違う! 別に、いなくなってもいい。別にいなくなってもいいじゃん、私には何も関係ない。
「さきちゃん……」
どうして、なんで現れるの?
まるで私がここにいる事がわかってたみたいに、自然に、なんでいるの?
「ごめん、ね」
なんで謝るの? あんたが殺したの?
違う、病気って言ってたよ。
「もっと、早くに気付いていれば、間に合ったのに……」
間に合った? 何に? あいつが死ぬ瞬間に?
私の事呼んだ……その時、側にいれたって事?
……そんなの別に、どうでもいい。
その時そこにいたからって、なんか変わった訳?
死ぬあいつを見て、どうにかなるの?
「別に、どうでもいいです」
「……今度こそ。描かせてもらってもいい?」
今、絵? 何考えてるの? バカじゃないの? なんでこんな時にこんな場所で似顔絵描いてもらわなきゃならないの? 意味が分かんない。バカじゃないの?
そう、思ったのに、なぜか頷いてた。
病院のベンチに隣りあわせで座り、風月さんは私の事を真剣な眼差しで見つめる。
「君は、信じないかも知れないけど……。僕は、絵を通じて、人の内面が見える時があるんだ」
「…………」
「その人に、まつわる生や死、そんなものが見えてしまう時もある」
「…………」
「できたよ」
そう言って、風月さんは私に一枚の紙を差し出す。
受け取った私は、何も言葉に出来ない。
本当は分かってた。本当はそう、わかってた。でも、素直に認めることができなかっただけ……。
だって、大っ嫌いだと思ってた。あんなやつ、死んじゃえって思ってた。
だってそう思わなきゃ、寂しくてたまらなかった。
本当はきっと、昔みたいに優しくしてほしかった。昔みたいに、一緒に遊んで欲しかった。
普通に会話をしたかった。普通に今日あった事を。楽しかった事。悔しかった事。なんでもいいから普通に話したかった。
でも私は馬鹿で、愚かで、情けなくて、そして弱虫で、そんな簡単な事も出来ずにただただ反抗する事しか出来なかった。
本当は、大好きだったのに……。
「風月さん……これ……」
そう言って、彼を見た。けど、そこにはもう誰もいなかった。
ついさっきまで私を描いてくれていたはずなのに、誰かいた気配はなく、私一人がその場に座っていた。
私はもう一度、貰った絵を見る。
風月さんが描いたその絵は、鉛筆の優しいタッチだった。温かい雰囲気で、私と、あいつと、母親が、仲良く楽しそうに笑い合っていた。
父親の葬儀の時、私は泣いていた。
もう話が出来ない。今までの溝を埋める事がもう出来ないんだ……そう思ったら素直に涙が出ていた。
「うるさい親父死んでラッキージャン」
そう言ったのは、みどりだった。
「いなくなってから気づいても、遅いんだよ」
そうみどりに言ったけど、彼女はわかってくれなかった。きっと私だってそう、そんな事言われても理解出来なかった。全然わかってなかった。
「さきちゃん。元気出してね。また一緒に遊ぼうね」
そう言ってくれたのは、昔仲が良かったクラスの友達だった。
その友達は涙ぐんでて、言葉が優しくて……それが少し嬉しくって、私は頷いた。
「さき。今、綺麗な男の方がお焼香してくださって……、これをさきに渡して下さいって言われたの」
友達に手を振る私に、母はそう言うと小包を手渡した。
なんだろう? 誰かな? 綺麗な男の人と言われて、思いつく人は一人ぐらいしかいない。
心臓が早鐘を打つ。持つ手が震えながら、包装を開けてみる。
「まぁっ」
それを見て、母が感極まったように涙ぐんだ。私の視界も歪んで行く。
私を中心に、右側に母、そして左側に父。みんな笑顔で、寄り添って、楽しそうに嬉しそうにこっちを見ている。そんな素敵な絵が飛び出してきた。
『素晴らしい家族に、この絵を贈ります……風月』
素敵な絵だ。あの日、あの時、あの場所で描いてもらった絵の、何倍も、何十倍も、素敵な絵だ。
私はその絵を持って、母と二人、抱き合い泣いた。声を出して、わんわん泣いた。今までの色んなもの、全部吐き出すみたいに、力一杯泣いた。
もう父はいないけど、話したい事いっぱいいっぱいあったけど、大丈夫。
私、大丈夫だよ。お母さんと二人で頑張るよ。
ねぇ、お父さん。
天国で見守っててくれるよね?
まだまだ心配かけるかもしれないけど、お母さんと二人で、この絵みたいに笑顔で寄り添って過ごして行くから、お父さんも怒らないで、笑顔で見守っててね。
ね、お父さん。