閑話 魔法陣解析部隊
「だるい、頭痛い。頭痛が痛いレベル」
「もー。もっとシャキッとしてよ。私たちまで気が緩むじゃない」
「そうだぞ。真面目にやれ」
「えー。正解があるかもわからないパズルを延々と繰り返してもう100時間以上なんだよー。総当たりとか、四方堂マジ鬼畜なんですけどー」
「瑪亜莉、お前は日本に帰りたくないのか?」
「恋人いないしー。親に感謝もそんなしてないしー。ここの生活快適だからさー、新しい刺激が少ない事を除けば、日本より快適じゃね? アタシ永住するわー」
「瑪亜理……」
ノース村の一角。そこで5人の少女が延々と木の板を並べ替えていた。
木の板はおよそ100枚。少女らはそれを並び替えるたびに手元にある用紙へ何かを書き込み、記録していく。
最初は黙々とやっていた作業だが、1時間ぐらい過ぎたところで、1人の少女が音を上げた。
周囲が注意するものの効果は無く、その少女は机に倒れ込み、作業の手を止めてしまった。
彼女たちは魔法陣の解析部隊。無数に刻まれた文字の意味を、正しい理論を探る知的労働者だ。1日5時間、30分ごとに10分の休憩を挟みながら魔法陣に書かれていた単語を組み合わせ、文にならないか、全く違った意味を持たないかを確認している。
単語を一通り確認した四方堂が「これだけで日本から俺たちを召喚できるはずがない」と言い出したのが彼女たちの苦難の始まりだった。
なお、彼女らとは別に「文字を入れ替え新しい単語を探す」難事に挑む者たちも存在し、どちらかといえば単語探索部隊の彼女たちの方がよっぽど精神的に厳しい職場だった。最低でも「召喚」の対語として「帰還」「送還」に相当する単語が見つかるまで終わらないからだ。
スキル『バベル』は万能に見えて万能ではない。
漢字を例にするが、「明」の字を見て、人はまず「あかり」の意味を連想するだろう。「日」の場合であれば時間単位の「ひにち」もしくは日光から「太陽」の2通り。この2文字を組み合わせて「明日」になる。
英単語も似た様な言葉があるし、文にすることで単語本来の意味から外れる事もある。
『バベル』は便利だが、さすがにそこまではフォローしてくれない。万能の翻訳機であっても教科書や辞書ではないのだ。
100ある単語板にナンバリングを行い、全ての組み合わせを確認し、記録する。
それで終わりかというとそうではなく、新しい単語が見つかったと言われるたびに仕事は増える。たぶん彼女らは泣いていいはずだ。
これだけ苦労が続くと、彼女たちの中にはある考えが浮かんでしまう。
――もう、日本に帰らなくてもいいんじゃないか?
と。
日本に帰りたい思いは否定できないが、今の苦難から逃げ出したい思い、本当に帰る事が出来るのかという疑心、そしてなによりこのままでも幸せになれる事実が心を狂わせる。
悲しい事だが、日本に帰っても幸せになれるとは限らない。就職難が続き、将来への不安が付きまとう。社会に出てもやりたい事がやれない、認められなくても認められないのではないかという不安の強さは日本の高校生だった彼らの中に根強くある。
だがこの異世界なら周囲よりも優秀な能力を持っていて、他の誰からも尊敬される立場になれる。ステータスやスキルという形でその保障がある。だからこちらで生きていく方が幸せじゃないのかと考える。
親兄弟、親類友人などといった繋がりから帰りたいという思いが消える事は無いだろう。
しかしそれを、人と人との絆を前面に押し出し続けられるかというとそうでもない。この世界でも、絆というか、柵が増えていくからだ。
何よりも日本に帰りたいと思い続けるのに厳しいのは、時間が経つ事だ。
人はどんな環境にも慣れてしまう。胸を斬り裂くような辛い思いも次第に癒され、傷跡になり、想いが風化してしまうのだ。
それは薄情などと責められる事ではなく、自然な成り行きでしかない。
なお、そういった「帰らなくても」という考えは村にいる日本人のうち半分ぐらいがたまに考えてしまう事であり、少数意見でなくなるほど広まっている。
誰か一人でも口にしてしまえば誰もが考えてしまう内容であり、いずれ必死に帰ろうとする方が少数派になるだろう。
だからこの場で「倉本 瑪亜理」――魔法陣解析部隊の一人――が言いだすのも不思議な事ではなかった。
「ま、お仕事だし頑張りますかねー」
ただ、四方堂は二つの可能性を示唆していた。
一つ。俺たちのギフトは維持されるのか?
二つ。行く手段と戻る手段が確立できれば、自由に行き来できるのでは?
この世界で得た能力を日本に持ち帰る事が出来れば。
日本での生活で絶望しても、この世界に戻って来れるなら。
これは悪魔の誘惑の如く、日本人たちを誘惑した。
この世界ではなく、日本で超人級の能力を発揮できるなら、瞬く間に英雄になれるだろう。
またこの世界に来ることができるなら、この世界の人間と別れを悲しむ事も無い。日本に残してきた身内相手にも不義理ではない。
それなら、と日本帰還に協力する気持ちを維持できる。
文句を言いながらも、ノルマだけはしっかりこなす。
魔法陣解析部隊は短い休憩を終えると、再び作業を開始するのだった。




