赤井の事情
素直になった古藤はいろいろと教えてくれたが、状況がかなり悪くなっていたことを知る結果になった。まあ、今ここでそれを知れたのは幸運だ。やる事をやってしまえば問題にもならない。
半ば廃人になった古藤。無力化できたとは思うが、それでも安全だと思い込むには不安がある。
とりあえず水中ダンジョンの5階にでも放り込んでおき、俺はすぐに戻る事にした。
「おかえりなさい、こうちゃん」
出迎える赤井は満面の笑顔。
守ってもらえたことに感謝しているのと、その役が俺というのが良かったのだろう。過度のストレスから解放された事もあり、非常に嬉しそうだ。
「これで地上は片付いた。しばらくは来ないだろ」
今回は敵を全滅させず、地上でカタを付けた。
今までは全滅していたこともあり、その結果が戦力不足だったのか別の要因だったのか、判断できなかっただろう。
しかし今回は召喚した勇者(仮)も一緒だった事もあり、これ以上の戦力を簡単に投入するなどできないだろう。それに、出た被害を考えれば兵士たちに厭戦気分が広がっている可能性も高い。
つまり、赤井が逃げる時間が出来たと考えて問題ない。
赤井が逃げず、ここにいた理由で最大の物は「逃げる間に殺されかねない」というもの。ダンジョン製作ができてもモンスターを連れ歩くことが出来ないからだ。数日置きという襲撃間隔を考えればその警戒は間違っていない。
俺が来た時点で逃亡の為の戦力は確保できたと考えていいが、他の連中も連れて逃げるつもりなのだ。相手の手札は減らせるだけ減らすべきである。
「そうかなぁ? 前回と前々回は全滅させたのに、すぐ来たんだよ。今度は全滅していないし、またすぐに来るんじゃないかな?」
「おいおい、物資の問題を忘れているぞ? それに最大戦力を以って挑んで返り討ちにあったんだ。それ以上の戦力を、どうやって確保するんだよ」
「あ、そっか」
戦闘とは、兵士に命令すれば済む話ではない。
物資の用意をしないと武具も無ければ食料も無い、一般人の集団が出来あがるだけだ。兵士というと毎日鍛錬をした屈強な戦士を思い浮かべる人間も多いが、その大半は徴用された一般人の集団だ。戦闘の専門家という事は、まず無い。そんな連中に装備も無く戦場に行けと言ったところで、何が出来るという事も無い。
逃げ出した兵士たちは食料や武具などを置いて撤退してくれたので、それらを再び揃えようとすれば長い時間が必要だろう。お金を出せば何でも買えるゲームと違い、在庫を抱えた武器屋など無いのだ。そもそも戦争で劣勢な国だから、素材すら足りないはずである。
ついでに、殺してはいないがあの兵士たちはもう戦えないだろう。あれだけの経験をすればトラウマを植え付けられても間違いないのだし。
異常体験というか、まぁ、あれだけの非日常に巻き込まれてまだ戦えるというなら、殺す以外の対処などできないだろうな。
「そんな事より、早く寝たい。もう3時だぞ」
「そうだね。それでね、こうちゃん……」
「おやすみ」
「え、あ、うん。おやすみ……」
古藤が来たのは夜の9時だったが、奴のダンジョン攻略とその対処、処女と童貞を捨てたあの一件の待ち時間などで深夜になってしまった。
この世界に来てから起床と就寝は太陽を基準にしている。今だと朝の5時から6時に起きて、夜の10時には寝るようにしていた。そのため、非常に眠い。
赤井が何か言いたそうにしていたが、それを無視して横になる。
ベッドはちゃんと2人分作ったし、問題ないだろ。
ああ、本当に疲れた…………。
翌朝。
ダンジョン内で太陽が見えない事もあり、起きたのは9時を回った所だった。
身体の方がずいぶんすっきりしていて、疲れは完全に取れている。オーバードライブの反動が怖かったが、1回だけで済んだから、体に痛みはない。……3回も使えば、翌日も死ぬからな。あれは二度とやらん。
「おはよう、こうちゃん」
「うぁー。おはよー」
ただ、どこか体の動きが鈍い気がする。
って、ああ。水分と栄養の補給をしてないからか。HPが減らないチートを使っていても、水分や栄養の補給をしないと動けなくなるのは変わらないんだよな。
一回だけ試してみたが、空腹状態では身体がフラフラするし、まともに思考することもできなかった。「死なない」が「動けない」とイコールじゃないって話だ。状態異常と言えば状態異常なのかもしれないが、生理現象の面で見れば正常な反応だし。そもそも、「空腹」や「飢餓」なんて状態異常は『ブレタクⅢ』に無かった。古藤を水中に放り込んで放置しているのも同じ理由で、酸素が無くなれば意識不明になり行動できなくなるからだ。
赤井は俺より先に目を覚ましており、とても機嫌がいい。肌艶も増していて、気力が充実しているように見える。
きっと、機能の晩飯におにぎりを食べたからだろう。久しぶりの日本食、それがただの栄養摂取を超えた活力を生み出したに違いない。
腹が減っては戦はできぬ。
二人でちゃぶ台を挟み、朝ごはんにおにぎりを食べる。朝はこってりした物よりさっぱりした物がいいので、梅干しのおにぎりだ。コーヒーの空き缶をコップ代わりにお茶を飲み、一息つく。
おにぎりの在庫を見れば在庫がずいぶん減っているので、三加村が王都の連中に振る舞ったようだ。他にも消耗品がいくつも無くなっている。王都組がこちらに就くメリットとしてそれらをばらまくように言ってあったが、ようやく行動を開始したみたいだ。すぐに動かなかったのは古藤の事があったからか? どうでもいいが。
王都組の連中は、王城にいる者たちと仲が良くなっているだろう。ハニートラップのような強烈な罠を仕掛けるより、長期的に見ればその方が有効な手段だから。
だがそうやって出来てしまった縁で、王都にクラスメイトが一人でも残るのは、こちらとしては避けたい状況だ。1人でも残ると言い出せば、連鎖的に他の奴らも残ると言い出しかねないからな。
女子にしてみればこの国の縫製技術、美容や健康管理面のレベルの低さに辟易していると思いたいが。たまーに現代以上の技術力を見せかねないからな、魔法ありの異世界は。
頼むから満場一致で移住に賛成してくれよ?
在庫確認と朝食が終わればその先の話をしよう。
俺は赤井に向き合うと、ここに来た本題を持ち出すことにした。
「じゃあ、移住の話でもしようか」
「移住?」
「ああ、クラスメイト全員を集めて、日本に帰る計画を立てている。半分はこの国への嫌がらせだけど、みんなを集めて協力すれば帰る手段も見つかるさ」
「……日本に、帰る?」
「ああ。ここで日本から俺たちを召喚した魔法の情報さえ手に入れれば、不可能な話じゃないはずだ」
「嘘の情報を、教えられるかもしれないよ?」
「対策アリ。そこは任せてもらっていい」
赤井は俺の発言を信じきれない様子。何か考え込んでいて、納得できないといった顔をしている。
ただ、これは仕方がない事だ。そんなに簡単な話ではないと思うのが当たり前で、この世界に来るまで何も魔法について知らない俺が断言できるのがおかしいと思うのは不思議じゃない。
俺だって心からできると信じているわけじゃない。
口に出す時はこうやってポジティブな言い方をあえてすることで自分に自信をもとうとしているだけだ。
「出来ない」などと口にし続ければ、いずれ諦めてしまうだろう。
見栄とか空元気を無意味と言う奴もいるが、俺は無意味などと思っていない。
姿を無理にでも整えて、中身を揃えていくのも有効な手段なのだ。
赤井は断言する俺の顔を見続け、少し言いにくそうに口を開いた。
「ごめんね。私はまだここにいるよ」
赤井は、俺の提案を断った。
理由の方は不明。俺には日本帰還の方法を見付けることなどできないと思っているのか、それとも他の理由か。
日本食などのメリットを提示しようと、それを覆すだけの理由とはならなかったようだ。
「理由を聞いていいか?」
理由が分からないなら、聞くしかない。考えてみようにも、今の赤井のことなど俺は何も知らないのだ。
俺の質問に対し、赤井は美味しい朝食で自然とこぼれた笑みを消し、無表情になった。
「こうちゃん、誰か、他の女と付き合ってるよね」
そして、意図して笑顔を作る。
笑顔だが、目だけは笑っていない。危険な光を湛えている。
「私の気持ちは知っているよね? なのに、他の女と付き合ってるところを見せつけるのかな?」
「いや……それは……」
なぜだ?
どこから情報が漏れた?
「嫌がらせかな? かな?」
微笑む表情は変わらないが、赤井から放たれるプレッシャーが増す。
こちらも表情を取り繕うとするが、どうにも上手くいかない。頬が引きつっているのが分かる。
俺が上手くしゃべれないでいると、赤井からのプレッシャーが急に消えた。
「まぁ、言ってもしょうがないんだけどね。私は振られちゃった訳だし。
でもね、辛いんだよ? 好きな人が他の女といるのを見るのは」
一変して赤井の顔が穏やかな表情に変わる。
どこか諦めたような、疲れた顔にも見える。
「赤井……」
「理屈では分かるんだよ? でも、感情が追いつかないの。悪いけど、私はこのままここにいるのがいいかな」
俺から言える事は何もない。
振られた時の事はまだ引っかかっているし、赤井とまた付き合ってもいいとは、とても思ってない。
俺は説得材料を考えてみるが、言えそうなことは何も無い。
相手の要求を呑むわけにもいかないのだからしょうがない。
諦めるか?
王都に残るわけでもないし、デメリットは薄い。
ただ、やっぱり気に入らない話だ。
煽るか?
それで駄目ならあきらめよう。
「ああ、そういう事なら仕方がないか」
立ち上がり、この場を去る様子を見せる。
しかしその程度で赤井の様子は変わらない。煽るのはここからだし、なぁ。
「実際、瑶子と同棲しているわけだし」
「瑶子ちゃん?」
「あ、誰といたかは分からなかったのか?」
「そう……。瑶子ちゃんなのね……。あの、泥棒猫」
うわ。いきなり赤井の雰囲気が変わった。般若のような顔つきに気圧される。
「うふふ。瑶子ちゃん、こうちゃんには興味ないって言っていたのに。嘘だったのね? 嘘だったのね?」
ちょ!?
なんでここまで反応してるのさ!? まだ煽ろうともしていないのに!
赤井も立ち上がり、天を仰ぎ何かぶつぶつ言っている。
はっきり言って、かなり怖い。
赤井はひとしきり何か言い終えた後、ぐるりとこちらを向き、俺の肩を掴んだ。
「ごめんね、こうちゃん。予定変更。付いて行くよ。うん、ちゃんとお話しないとね?」
「どういう事だ!?」
「大丈夫だよ。女の子同士のお話をするだけなんだから」
「ちょ!? 怖いんだけど!」
両肩を掴まれ、凄みのある顔を見せつけられる。
なんで、と思う事もできない。
俺に拒否権は無かった。




