約束
逃亡生活5日目。
ここまで我慢してきた女子たちに、とうとう泣きが入ったようだ。
春香が感情を暴発させた。
それは夕飯の時だった。
移動を終え、野営を始めるのは午後4時ぐらいから。暗くなると何をするにも時間がかかるし、ここには街灯などの証明も無い。俺が異世界トリップ小説などで良く見かける≪照明≫関係の魔法でも使えればよかったのだが、残念ながら『ブレタクⅢ』にその手の魔法は無い。ダンジョン探索用のアイテムならあったんだけどな。
で、馬車の中をベッドルーム――藁を敷いてシーツ代わりの布を被せただけだが――に作り替え、夕飯を作り、トイレを済ませ、湯浴みを行う。お湯は魔法で水を出して、火の魔法で沸かせば簡単に用意できる。夕飯を作るのは俺が監督をするが、基本的に女子の≪料理≫スキルの熟練度上げという事で、実作業は任せることにしている。
まあ、そんな風にルーチンを組み出した訳だが。
用意された夕飯は、不味い。
≪料理≫スキルの熟練度が低い事は別にしても、夕飯担当は日本でならそれなりに料理ができる。
だが、たき火のような火を使ったかまどでの調理経験は皆無に等しい。キャンプ料理を習熟している女子高生というのはレアなのだ。
ついでに小麦の粒を扱った経験だってない。小麦粉を使った料理であれば作った事があるだろうが、小麦そのものを使う事は俺だってやっていなかったからな。
結果、出される飯は美味しくない。
それを料理担当者に言うのは筋違いだし、飯マズ程度なら大きな不満は無い。異世界で無一文で放り出されたのだから、飢えないことに感謝するぐらいの気持ちでいる。
だが、我慢できない人間というのは当たり前のように出てくる。
つい数日前までは日本で美味しい物を食べていたのだ。暖かな部屋、柔らかいベッド、ゆったりできる風呂。それら全てを理不尽に取り上げられ、ストレスが溜まるのはしょうがない。
だから俺は、「やっぱりこうなったか」としか思わなかった。
「帰りたいよぉ……。お母さん、お父さん…………」
火を囲むように、車座になって食事を始めた。口にした飯は不味いが、我慢できない物ではない。腹が減っている事もあり、俺はパクパクと出された飯を平らげていく。その様子に料理担当だった女子ら――冬杜さんの取り巻き――は苦笑しながらこっちを見ている。
春香は最初、何をするわけでもなくじっと渡された器を見ていた。だが俺が一杯目を食べきったところで木製のスプーンを使い、麦粥を口に入れたところで泣きだした。俯き、肩を震わせて涙をこぼす。
声は小さくて押し殺すようにしていたが、それでもその声は良く響いてしまった。みんなの視線が春香に集まる。
昨日までは他に泣いている奴がいて、春香は慰める側になっていた。
しかしその子が持ち直したことで、今度は春香の精神が不安定になってしまったのだろうか? 誰かを支えようとする気持ちがあると、自分の不安を押し殺すことができるからな。「精神耐久力+支えようとする気持ち>不安」だったのが「精神耐久力<不安」になったわけだ。あとは不味い飯がとどめを刺したんだな。
それはともかく、春香は従妹なのだ。泣いているなら慰めるのが筋だろう。
「すぐに帰るのは無理だ。今の俺に、その力が無い」
俺の声に俯いていた春香がピクリと震えた。
あごに手をかけ、無理矢理こちらの方を向かせる。
「だけど、何とかする。こっちと日本を繋ぐ手段があったんだ。それを使って帰る事が出来ないなんて道理はない。
時間はかかるけど、必ず帰ることはできる」
実際に出来るかどうかなんて分からない。分かるはずもない。
ラノベ知識で言うなら、その「繋ぐ手段」があっても、「日本を特定できない」「上の世界から下の世界に行くことはできても、逆はできない」などの理由で帰還不可の設定は定番だった。
しかし、ここで希望を失ってしまえば生きる気力が無くなり、最悪自殺されてしまうかもしれない。それはダメだ。
だから「できる」「帰れる」と言い切って、偽りでもいいから希望を持たせる。
いつか反動で逆サイドに感情が振り切れるかもしれないが、それでもこの場で絶望させたくない。
春香の瞳を真っ直ぐに見つめ、力強く断言した。
春香は少し後ろに下がり、俺から距離を取ってから手のひらをこちらに向けるよう、両手を差し出した。
「約束、出来る?」
「約束する」
差し出された手を取り、互いの指を絡める。
「兄さんは、私を日本に連れて帰る」
「俺は、春香を日本に送り帰す」
「約束だよ」
「ああ、約束だ」
これは小さい頃、春香が言い出した約束の仕方だ。
指切りをするような約束の時に「指一本じゃなくて、手と手で約束」と言い出し、指を絡めるように繋いでから約束をした事が何度かあった。成長するにつれそんなやり方をすることは無くなったが、今は確かな誓いが欲しいのだろう。幼いころの記憶に縋りつつ、懐かしいやり方を引っ張り出してきた。
繋いだ手を離せば春香の精神は何とか持ち直し、置いた麦粥の入った椀を取って食事を再開しだした。
それを見ていた周囲の面々は、「面白いものを見た」とばかりにからかう気満々でいる。空気を読んで、春香ではなくこの俺を。
こいつら、いっぺん〆てやろうかね?




