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竜王に捧げるエルグラス  作者: 深谷 蒼
第1章 花嫁候補編
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6.夢の氷翼


 一面銀色の氷雪の世界に、一羽の鳥がいた。その鳥の羽は淡いライトブルーで、景色によく溶け込んでいる。しかしその金色の瞳は、どこか遠くを映しており、氷雪の世界に映える一つの色だった。


 鳥の周りには何の生物も見当たらない。極寒の世界の中で、その鳥だけが、寒さを感じなかった。木々の声も聞こえない。凍ってしまった湖の声も然り。他の動物たちは遠い世界へと行ってしまった。その鳥だけが、この寒さの異変に気づかなかったから、取り残されてしまったのだ。


 鳥はただジッと、凍った枝の上に止まっていた。ちっとも春が来ないから、誰も戻ってこない。でもみんながどこへ行ったのかが分からないから、下手に動くことも出来なかった。


 しかし、ある日。その鳥はついにその世界を出る決心をする。知り合いに会えなくても、また新しい動物と新しい関係を作ればいい。そう思って、その鳥は高く飛び立った。鳥が空から下を見てみると、氷雪の世界は本当に広い世界の一部でしかなかった。東か西か、あるいは北か南か、どこに行くか一瞬迷ったが、鳥は南を選んだ。空から見て、南が一番、華やかだったからだ。そして暖かい風は、いつも南から吹いてきたからだ。


 鳥は南下した。翼が疲れるまで飛び続けた。やがて色とりどりの花の中に降り立つと、鳥は淡いライトブルーの髪に金色の瞳を持った少女の姿になった。何事かと自分の身体を確認していると、目の前に女神様が現れる。そして言うのだ。



『貴女はその姿で大切な人を見つけ、愛を手に入れるのです。そうすれば、貴女の呪いは美しい魔法へと変化するでしょう。』



 少女はただ首を傾げる。女神様はそれだけ言うと、微笑みを残して消えてしまった。鳥に戻る方法も分からず、少女が困り果てていると、目の前に息を飲むほどに美しい青年が現れる。


 そしてお互い恋に落ちてしまうが、少女は女神様の言うことが気になっていた。呪いとは一体どういうことなのか、と。


 しかし、ある日の出来事。少女は、花の咲き乱れ、森を一望できる崖の上――そこは少女が降り立ち、青年と恋に落ちた思い出の場所だった――で他の女の子と楽しそうに話す青年を見て、自分の醜い感情に気づいてしまう。更に、少女が自身のその感情に気づいた途端、突然周りの温度が下がり、雪が降り始めた。花は枯れる間もなくそのまま凍りつく。目の前の二人は驚きに目を見開き、少女をその目に映した。少女も自分の足元から世界が凍っていくのを目の当たりにして、女神様が言っていた呪いの意味を悟った。



『ロワゾー、違うんだ。これは……!!』



 少女の名を呼ぶ青年。しかし、その声は混乱する少女には届かなかった。隣の女の子はガタガタと震えている。恐怖からか、寒さからか。少女にはその一切がどうでもよかった。ここに来る前の極寒の世界。氷雪だけが景色だったあの世界。ひょっとしてあの世界も、自分が作り出してしまった世界だったのでは。そう少女は自身の罪深さを確信し、心を乱していく。自分では、もう止めることが出来なかった。


 少女は思った。愛を手に入れることなど不可能だと。こんな危険すぎる力を持つ自分を誰が一体愛してくれるのだと。愛することはできても、愛されることはない。それに気づいてしまえば、愛することすらできなくなる。


 少女は胸を掻き毟りたくなるような苦しさに襲われた。愛し、愛されることのない以前のような世界で、一生を生きることが自分の定めで、それが一番世界にとっていいのだと自覚した瞬間、自分はこの世に必要ないのだと悟ってしまった。


 目の前には、崖。まるで世界がこうなることを予見していたかのような、望んでいたかのような展開だと、少女は思った。


 しきりに自分を呼ぶ、愛していた青年の声はもう心に届かない。少女は崖際に向かって一歩を踏み出した。寄らないで、と女の子は悲鳴をあげる。その言葉だけはとても鮮明に聞こえてきて、少女の心はまた軋んだ。


 しかし、もう一歩と踏み出そうとした少女を遮るように立つ姿があった。それはあの青年だった。通さないという明確な意思を持った瞳をした彼は、少女の前に立ち塞がる。



『ロワゾー、僕は君だけを愛している。君に愛していると伝えたくて、この子に花冠の作り方を教えてもらっていただけなんだ。君を不安にさせてしまって本当にすまない。』



 隣にいた女の子は、傷ついた顔をしていた。その女の子の方は、青年に好意があったようだ。氷の少女は俯くと、そのまま鈴の音のような美しい声を発した。



『けれど、私は気づいてしまった。私は万物にとって危険な存在。貴方を凍りつかせてしまうかもしれないから、貴方にももう触れられない。それなら、いっそ死んでしまいたいの。』



 胸が苦しくて、必死に呼吸をしながら少女は胸の内を明かす。愛することは、安らかであることも確かだが、このような時は辛くて苦しすぎる。少女はそれを知ってしまった。



『僕は君のためなら凍ってもいい。君が僕だけを見ていてくれるのなら、氷像になってみるのもいいな。とにかく僕は、君と離れたくないんだ。』



 少女は目を見開いた。そんな風に受け入れてくれるなんて思わなかった。しかし、自分を純粋に愛してくれる青年を動かない氷像にしてまで、自分がここにいる意味は無いような気がした。鳥になれたなら、もといたあの世界に帰るのに。もう、飛び出したりなんてしないのに。


 少女が迷っていると、青年は少女を抱きしめようと一歩を踏み出した。しかし、その刹那。


 ぐらり、と青年の身体が傾いで、宙に放り出された。雪と氷の重みで、崖際の耐久度は限界だったらしい。悲鳴をあげる隣の女の子はただ立ち尽くしている。少女は何も考えずに、何のためらいもなく、自分も崖の外の宙へと躍り出た。


 少女はそのまま眼下の青年に向かって手を伸ばす。青年も驚いた顔をしながらも、少女に応えて手を伸ばした。


 その少女は強く何かを思っていた。手を必死に伸ばしながら、強く強く何かを願っている様子だった。しかし、ただ傍観していただけの私の視界は、突然真っ白に染まった後、少女の胸の内を知ることもできないまま、すぐにブラックアウトしたのだった。






* * * * *




「……夢。」



 ガタン、と一際大きく揺れる馬車によって、私は目を覚ました。カーテンを捲って外の景色を確認すると、レオが言っていたように、王都はすぐそこらしい。青空に映える、とても大きな灰色の城壁が見えてきたからすぐに分かった。


 ホッと息を吐きながら、私はベッドから上体を起こして呟いた。昨夜、宿に着いてからは食事も湯浴みもそこそこにして、私はこの本の読めるところまでを全て読破した。開けることのできない部分、つまり物語のクライマックスの部分は、やはりどうしても見ることができなかった。気になって悶々としていたら、どうやら夢に出てきてしまったらしい。



「本当に不思議な本……。」



 私は膝の上に乗せてある本の表紙を優しく撫でた。不思議な本で、内容も童話にしては優しいものではないのに、なぜか嫌な気持ちは起こらない。氷の鳥のその後は、確かにとても気になるけれど。そもそも、童話の内容は重いものも少なくないのだ。白鳥のお姫様の話も、人魚のお姫様のお話も、少女が出てくる物語は、話の流れとしてこんな感じのものも結構見かけられる。


 そして私はやはり、内容の重さよりも、少女がとても気になっていた。何から何まで似ている私たち。さすがに私は元々が鳥だというわけではないけれど、自分の周りが白銀に染められる恐怖は未だに記憶に新しく、この少女の気持ちはよく分かるつもりでいる。決して色褪せることのない故郷テナの村の悲劇は、この誰もいなくなってしまった氷雪の世界と瓜二つだ。自分だけ残されてしまった、焦燥と悲しみはきっと生涯忘れない。


 私は徐々に近づいてくる王都に意識を向けた。日はもう高く、堅固な石の壁はもう目と鼻の先だ。高い石の壁よりも高く、周りの建物よりも頭一つ分抜きん出ている大きな建物。きっとあれが、今から私がいく場所。


 私はカーテンを元に戻して、本を胸に抱いた。レオから貰った大切な本。胸に巣食う恐怖も不安も、少しずつ溶かされていく気がする。大きく険しい氷山が溶けていくような感覚。きっと、上手くやれるはず。私が心を乱さなければ、絶対に何も起こらない。動じず、平静でいなくては。私は純白の手袋に覆われた手を握った。



「竜王様にだけは、ご迷惑をおかけしてはならないわ。」



 私はそう決意した。 カーテンを元に戻す瞬間、馬車が減速するのを感じていた。もうすぐ馬車は止まり、私は正式に王都に到着することになる。


 馬車がゆったりとした速度になるのを感じた。そしてそのすぐ後、馬車が完全に止まる時の小さな衝撃を私は感じた。ああ、着いてしまった。もう後戻りはできない。レオに頼ることも難しくなるだろう。ここから先は、私一人で乗り越えて行かなければならないことが多くある。



「アレクスファー子爵家ご令嬢ルル姫様、王都に到着致しました。どうぞお出ましを。」



 レオの声が聞こえる。ここは関所だからだろうか、師団長としての声と言葉だった。昨夜、就寝する前に聞いた話だと、ここから王都の馬車に乗り換え、そのまま城へと向かうそうだ。王都の馬車は、旅馬車と違い、大きなガラス窓が付いているらしく、お披露目の意味もあるらしい。私は不安が残る心を押し隠し、毅然と顎を引いて顔を上げた。



「はい。」



 その一言で十分だった。レオは私の一言を聞き、扉を開ける。外から零れてくる眩しさにも、私は目を細めることなく耐えた。レオに手を差し伸べられ、私は落ち着いた自然な動作でその手を取る。以前の私だったら、あの村での出来事がなかったら、私はきっと恐怖で振り払っていただろう。


 あの道中での出来事は、予行演習としてレオが気を利かせてくれていたのかもしれない。そう考えると、師団長として距離を置いて彼と接しているにも関わらず、自然と微笑みが漏れた。微笑みをそのままに、私はレオに導かれるまま旅馬車を降りる。周りの人が息を漏らす音がたくさん聞こえたけれど、その意味すら私は気にならなかった。


 降りてすぐ、関所の番人の前で、私は淑女の礼をする。領主様の邸宅で、誤解からとはいえ散々練習してきたこともあり、淑女の礼には自信があった。堂々と、臆することなく、私は淑女の礼を終える。あの荒んだ心のまま過ごした3年間も実は無駄ではなかったのだと、自分でも驚くほど洗練されていた淑女の礼を終えた後に気づき、とても清々しい気分だった。



「アレクスファー子爵家ご令嬢ルル姫様。花嫁候補様でいらっしゃいますね。確認致しました、すぐに開門いたします。」



 番人がそう言うとすぐに門は開き始める。最初に見えたのはこれから乗るであろう王都の馬車。旅馬車よりもやはり豪華だ。次に見えたのは王都の街並み。サフォーの街など足元にも及ばない、たくさんの大きな建物。私はそれらへの興奮をグッと抑える。開ききった門、最後に見えたのは、街道にズラリと並ぶ人々。きっと、竜王の花嫁候補を見物しにきたのだろう。


 視線が私に向けられるのを感じるけれど、私は動じない。平静でなければならない、心を乱してはならない。



「こちらへどうぞ。」



 レオの声を導き手として、私はゆっくりとした動作で歩を進める。馬車へと促すレオを一瞥すると、彼は私を安心させるように頷いた。私はそれにとても安心し、口元に微笑みを浮かべる。本当に、私はよく笑うようになったと思う。


 私は微笑みを携えたまま、好奇の視線を向ける人々に身体を向けた。何事かと更に強くなる視線を受け止めながら、私は淑女の礼を行う。



「ルル=アレクスファーと申します。よろしくお願いします。」



 私は最低限の礼儀として、新しい街の人々に挨拶を行うと、レオに促されるまま馬車に乗り込んだ。未だに突き刺さる視線を感じるけれど、私は気にしないことにした。


 馬車に乗り込むと、扉が閉じられる。窓は大きいが、きちんとカーテンも付いているようで安心した。私は乗り込んで早々にカーテンを引く。カーテンが私の勝手で操作できるようになっているということは、きっとカーテンを引く引かないは本人の裁量に委ねられているはずだから。



「陛下の花嫁候補様が、これより王城へ向かわれる。道を開けよ!」



 レオの声が響いた。正直言って、こういった仰々しいことは苦手である。しかし竜王様の花嫁候補ともなると、きっと体裁というものがあるのだろう、さすがに私の要望は受け入れられそうにないと踏んだ。


 しばらく大人しくしていると、馬車が動き出すのを感じた。王都の馬車は旅馬車よりもずっと快適で、腰掛けもとても上等でふかふかとしているのに、全く眠気が襲ってこなかった。私は終始手に持っていた皮表紙の本を、胸に抱いてみたけれど、やはり結果は同じである。


 王都の馬車での移動中、ずっと目に入っていたのは、本を強くかき抱く震える純白の手袋だった。





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