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竜王に捧げるエルグラス  作者: 深谷 蒼
第1章 花嫁候補編
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3.選ばれた花嫁候補は


 カーン、カーン……。そんな聞き慣れた鐘の音で目が覚めた。どうやらうたた寝をしていたようで、窓の外をみてみれば、赤かった空はもう無く、濃紺の世界が広がっている。 星々が瞬き、月は想像していた通りの明るさ。


 ――領主家の鐘が二回鳴った。きっと晩餐が始まったんだ。


 私はベッドから身を起こすと、クローゼットを開けてみる。中身は、私の全体的に薄い色素に合わせた薄い色彩の服ばかり。


 私は昼間の奥様と同じ色の、しかしデザインは奥様のものよりもずっとシンプルな乳白色のドレスを着る。奥様は晩餐では、色の濃いドレスをお召しになっているはずだから、見咎められる心配もない。むしろ晩餐でこのような薄い色にシンプルなドレスは目立たないものだと奥様から聞いたことがある。私はそれくらいでちょうどいいのだ。


 コルセットなどをつけることもせず、化粧もすぐ落とせる程度の薄さにして、私は部屋を出た。どうせ誰にも会わないのだから、着飾っても仕方ないのだ。もしすれ違っても夜だから誰かなんてわからないだろうし、これ以上のことをする必要はない。


 クローゼットからヒールのほとんどないドレスと同色のパンプスを選んで履き替える。履いていたミュールはクローゼットに仕舞い、着ていたワンピースは朝に侍女が持っていくはずのカゴの中に畳んで置いた。


 部屋をそっと出て、階段もそっと降りていく。玄関に行くためには晩餐が行われているメインホールの入り口前を通らなければならないが、人々は晩餐中のはずだからきっと気づかないだろう。


 案の定、そっと音をたてないよう足元に注意して通り抜ければ、気づいた人はいないようだった。重い玄関の扉を開けて、晩餐ホールのテラスがある側とは真逆にある、私の大好きな庭園へとやってきた。


 ちょうど今の季節は、淡い色合いの花が多い。ふと、晩餐を楽しんでいるであろう人々を思い出していたら、シイラの笑顔が恋しくなった。シイラは極彩色の花が大好きだった。彼女の好きな花は、もう少し暑くなってからでないとみられない。


 シイラと最後にあったのはいつだろう。領主様は私からシイラを遠ざけるようになっていた。奥様は無表情すぎて、いまいちよくわからないところがあるが、領主様は私の力を恐れているのだと思う。シイラはこの公爵家にとって大切な一人娘だから、当たり前の反応だとは思うけれど。


 きっと花嫁候補も、領主様の推しでシイラが選ばれるんだと思う。この花嫁候補選出というイベントは、貴族の生まれであればという条件が第一にあるが、一つの領地につき一人の花嫁候補という条件が第二にあるため、実質はその地方を治める領主の口添えで領主家の令嬢が選ばれることがほとんどだ。領主の口添えであるから、他の貴族は異論を唱えることが出来ないため、花嫁候補選出というビックイベントをより円滑に行えるというのが主な理由とされている。


 とにかく私は、そんな難しいことを抜きにして、敬愛する竜王様が幸せになってくださればいいと思う。幸せになって、長い賢治をしてくださり、また賢いお世継ぎが生まれて、正しくこの世を治めてくれればそれでいいと思っている。そうしたら私もテナの村のみんなも報われるはず。テナの村の人々は、私も含めてみんな竜王様が大好きだったから。


 庭園の花壇のふちに腰掛けて、淡い綺麗な花を撫でながら、空を見上げる。雲ひとつない夜空は、星がよく見えてとても綺麗。けれど空を見上げる度にあの嵐の日を思い出して、あの日の空もこんな風だったら良かったのにと思わずにはいられない。


 過去に縛られ続けているこの状態はよくないということは自覚しているが、時が流れてみんなを忘れてしまうくらいなら、ずっとこのままでもいいんじゃないかと思う。痛みがあるからこそ、その過去が鮮明だというのなら、痛むままでもいいんじゃないかと思う。


 ふと、風もないのに花が小さく揺れた。すぐ近くに人の気配がして、警戒を怠っていたことを悟る。ハッとして振り返ると、昼間にみた赤茶色が視界の端を流れていった。



「貴方どうして――!?」


「シッ、静かに。大声出さないで。」



 咄嗟に大きな手で口元を覆われ、真剣な表情でそう言われれば、私は頷くしかない。私が首を縦に振ったのを確認した昼間の師団長様は、私の口元からそっと手を離した。


 どうして、と目で訴えかければ、昼間とは一転してとても真剣な眼差しを向けられる。思わず目を逸らそうとしたが顎を掴まれて真正面を向かされてしまった。



「今からとても大切な話をする。そのために、ストーレンス家御夫妻に頼んで、君とこうして話す時間を作ってもらった。」


「領主様達に……?」


「ああ。君のこれからの人生に関わることだから、よく聞いてほしい。」



 この、ひどく重い前置きは何。どうして領主様たちが許可したの。私は師団長様に話されなきゃいけないことなんて何もないはずなのに。


 夕刻前の、奥様の言葉を思い出す。あの時には既に話がついていたってこと、なの?


 ぐるぐると混乱し出す頭と心を必死に落ち着ける。乱されてはいけない。平静を保たなければダメ。私は自分に必死で言い聞かせた。


 まだ頭も心も追いついていないというのに、師団長様は私に止めを刺すというに相応しい発言をされた。



「俺たちが今回、竜王の花嫁候補として選んだのは君だ。アレクスファー子爵令嬢、ルル姫。」


「な、に言ってるの……。どうしてその名前を知ってるの……!?」



 言葉を理解することを拒否した頭は真っ白になっていく。花嫁候補になってしまったということですら理解できないのに、どうしてテナの村でずっと呼ばれ続けたその名を知っているの。この街で、私を子爵令嬢だと知っているのは、領主家の中でも領主様と奥様だけ。質問せずとも、彼らが教えたとしか考えられなかった。なぜ、なんのために、そんなことを教えたの。


 彼は私の質問に、答えはわかりきってるという風に首を横に振ると、そっと私に囁いた。感嘆の溜息と共に。



「まさか、テナの村の生き残りがこの街にいたとは。陛下はあの大災害で失った多くの命にひどく心を痛めておられた。」


「同情か、それともテナの生き残り見たさのために、私を花嫁候補にしたのですか? 師団長様って随分と薄情なんですのね。」



 いい人だと思ってた。師団長であるならば、竜王様のこともよく考えている人なんだと思ってた。もう家もないのに、子爵位の話を持ち出されても困るのに。貴族でもなんでもないのに、たとえ正妃に選ばれる確率が0%だとしても、私なんかが花嫁候補でいいはずがない。


 ――師団長のくせに、そんなこともわからないの。私なんかが花嫁候補になったって、竜王様を困らせるだけなのに。


 不穏な私の空気を悟ったのか、師団長様は私の目を覗き込んで、真剣な表情で事の経緯を説明し始めた。



「違う、君が子爵令嬢だとわかったのは本当に後付けのことなんだ。」


「それって、どういう……?」


「ストーレンス家のような有力な花嫁候補がいる家には、一度調査が入る。主に臣下共が煩く言う生まれの問題についてな。その際、ストーレンス家には出自不明の養女がいることが発覚して、少し問題になっていた。」



 私は思わず眉を顰めた。その問題の養女は間違いなく私で、やはり私は領主家のお荷物になっていたのだ。


 けれど、私は確かに難ありかもしれないが、シイラは何の問題もないはずだ。どうして花嫁候補に選ばれたのが、シイラでなく私なのかが未だにわからない。浮かんだ疑問を、私はすぐに彼にぶつけた。今、自分の中に溜めてしまうと、何もかもわからないことだらけで本当にパンクしてしまいそうだったから。



「どうして私なのです……? 私はそんな風に問題だらけなのに、どうして選ばれるのがシイラじゃないのですか。」



 その質問はこの問題の核心をついたのか、彼はとても言いにくそうな表情をする。一度天を仰ぐと、深い溜息をついて、観念したとでもいうかのように渋々語り始めた。



「君だと思ったんだ。竜王が見初めるとしたら君だなって。」


「……は?」


「だから俺は領主家御夫妻に相談しにいった。この家の長女は養女らしいが、ぜひ花嫁候補にしたい。とな。だがそのためにはまず生まれの問題があって、それは俺が口添えすれば正直なんとかなるかなと思ったんだが。」


「ちょ、ちょっと待って……!!」


「グローリア様が俺に教えてくださったんだ。"ルルの生まれは、テナの村の、アレクスファー子爵家ですから、わたくし達の娘はどちらも、この竜王様の花嫁候補という名誉をいただくに不相応ということは決してございませんわ。"ってな。」


「……。」



 奥様が。もしかして、私の名誉を守るために教えてくれたのかな。竜王様に見初められる発言は可能性として0%、つまり皆無だからこの際横に置いておくとして。私にとって今の話で何よりも重要だったのは、私を領主家の娘だと思っていてくれたこと。


 今まで、お互いの思いを交わすことはなかったから、すれ違ってばかりいたのかもしれない。今なら、もっと近くに歩み寄れる気がする。


 けれど、私はそこでもっと重要なことを思い出した。王都の使者に選ばれた花嫁候補者は、原則としてその名誉を断ることはできない。実は身籠っていたとか、実は既に結婚していたとかは別であるし、本当にどうしても嫌な場合は申告して花嫁候補者を辞退することもできる。しかしその場合は、周りから不実な者と言われることを覚悟しなければならない。竜王様の治世への忠心を疑われるのだ。


 敬愛する竜王様のことで、そんなことを言われるのは、残り少なくなってしまった私の矜持に反する。私は絶対に、そんなの堪えられない。


 だが、どうしたって事実として、王都へ行くのは無駄足になってしまうのである。私自身、見た目よし器量よしとはお世辞にも言えない。一番大切な器量なんて、その辺りの人よりもむしろ小さいのではないだろうか。そんな私が花嫁に選ばれるわけがないし、その上私には秘密がある。この手袋の内側に隠されたこの力。こんな危険な力を竜王様の近くに持っていくことはできない。


 そんなことを、押し黙って悶々と考える私に痺れをきらしたのか、師団長様は空いている方の手も使って、私の両頬に両手を添える。すると私の意識はいとも簡単に、刺激的な現実へと戻された。顔に熱が集中しているのがわかり、それが更に羞恥を煽る。


 私と目をしっかり合わせると、師団長様はまた話を始めた。……どうやら私は目を逸らしてしまうクセがあるのを見抜かれたらしい。観念した私は、彼が話している間、ジッとその赤茶色の瞳を見つめることにした。



「昼間、君は栞に何かを見ていたな。掴まなければいけない何かに必死で手を伸ばして、まあ俺が少し手伝ったにしろ、君は結果的にそれを掴んだ。」


「それと竜王様と一体なんの関係が……。」


「君は無くしてはいけないものを掴んだ。もう無くさないと誓っていた。なのに、まだ君は遠い場所にある何かを見ている。俺と初めて会ったときからずっと、今も、君の瞳は何かを映して、複雑な色をしている。」


「……。」



 ズクリ、そう心臓が嫌な音を立てて疼いた。私はそれに気づかなかったふりをして押し隠す。


 そもそも彼の話はさっきから、奥様の話を除いて聞けば聞くほど、私が欠陥だらけのお嬢さまだと言っているようにしか聞こえない。やはり師団長様の目は節穴なのではないだろうかと本気で思ってしまう。


 私は両頬を挟まれながらも大きな溜息を一つ零すと、これはガツンと言ってやらねばなるまいと、夜に紛れる夕焼け色を真正面から見据えて、彼と出会ってから初めて毒を吐いた。



「あのね、貴方さっきから何を思って勘違いしているのか知らないけど、竜王様ともあろうお方に、私なんかを花嫁候補として推薦するなんてどうかしてるわ。」



 私は本当に本気で竜王様を敬愛してる。素晴らしい方だと思ってる。そして私なんかよりもずっとずっと素晴らしい令嬢やお姫様はたくさんいる。そういう人たちと幸せになってほしい。私みたいな卑しい人間は、竜王様の治世に生きられるだけで十分恵まれている。


 そんな気持ちを込めながら、私は師団長様を睨みつけた。師団長様はそんな目つきも口もキツくなってしまった私に微笑みかけてくる。本当に意味がわからない。どうして、嫌だと思わないの。どうして、いつもなら誰でも追い払えるのに、今日に限って、この人に限って、離れていってくれないの。



「君は竜王をとても大切に思ってくれている。竜王の幸せを本気で考えてくれている。」


「そんなの、この国の人みんなが、竜王様を大切に思っているわ。」



 至極当たり前のことをきっぱりと言うと、師団長様は昼間のようにクツクツと笑った。どうして笑われたのかわからないし、この人はわけのわからない行動ばかりする。少しだけムッとした風を装うと、膨れた側の頬を添えられている手で撫でられ始めたから、私は慌てて頬の内側の空気を抜いた。これ以上、羞恥心を煽るのはやめてほしい。


 けれど、不思議とこの心の揺らぎは、力に悪影響を及ぼさない。何がプラスで何がマイナスなのか、はっきりとは分からないけど、この力の制御が効かなくなるのはマイナスの感情の時の方が多いように思う。不安、嫉妬、恐怖、どちらかといえばそういったものに、よく反応するように思う。


 そんなことを考えている間に、師団長様の控えめな笑いはようやく収まったようで、清々しい顔で、彼の夕焼け色の瞳は柔らかく細められる。



「そうだな、君を連れていく理由は、竜王のための理由が半分、俺のための理由が半分ってとこかな。」



 その言葉と共に、頬にかかっていた左手が離れたかと思ったら、暗闇でも目視できるほどの淡いライトブルーの髪を、一房手に取られる。そして彼は右手を私の腰に回して固定すると、そのまま私の髪に口付けた。しばらくそのまま動かない彼に、私の脳はショート寸前だった。


 何が起こってるの。何してるの。たしかに竜王様に見初められる可能性はないけれど、仮にも竜王様の花嫁候補にしようとしてる人に、こんなこと。



「忠誠のキスです、ルル姫。俺はレオ、よろしくな。」



 濃紺の夜空を背景にして、夜に紛れた夕焼け色の師団長様は、驚くほどの至近距離で綺麗に微笑んだ。捕まってしまった、私は無意識にその言葉を頭に浮かべていた。





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