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竜王に捧げるエルグラス  作者: 深谷 蒼
第1章 花嫁候補編
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1.冷たい少女


 穏やかな小鳥の囀りが、朝の目覚めを促してくれる。ベッドから身を起こした私は、生まれ持った金の瞳を瞬かせた。ベッドのすぐ脇にある窓から外の景色を見渡せば、見慣れた街並みが広がる。故郷とは違って畑を耕す人もなく、商売が主とされている活気に溢れた街並み。安堵ともつかない溜息が、私の口から零れ落ちた。


 この街はフィルド地方を治める領主のお膝元、私にとっては第二の故郷と公言せねばならない、サフォーの街。



「なんて、嫌な夢。」



 眉を顰めて、胸の前で手を握る。握った手は微かに震えていた。怖くて怖くてたまらない、今でもまだ記憶に鮮やかな、3年前の記憶。


 3年前のあの日、あのまま気を失ってしまった私は、凍死することなく近くを通りかかった兵に拾われた。その兵に報告された領主様が私を哀れに思ってくださり、私はこの家に養女という形で迎えられた。領主様方の温情のおかげで、今日を生き延びることができている。もしここの領地の治安が悪いものであったなら、まず間違いなく、私はそこらで野たれ死んでいた。


 私はふと、手元に目線を落とす。


 そこには、私の肌の色よりも真っ白なシルクのグローブ。細長い私の手や指の形に合わせた特注であるため、ほとんど手袋をしている感覚なく手や指を動かすことができる。寝るときも湯浴みをする時も、この手袋は外さない。基本的に手袋を取り替える時や生活の上で止むを得ない場合にしか外さない。


 理由はたったひとつ。



「ルルお嬢様、朝食をお持ちいたしました。」



 突然耳に入った控えめなノックに、手元に向けていた顔を上げる。扉のすぐ脇にいつものテーブルがあるのを確認してから、私は声に応えた。



「いつもありがとう。どうぞ。」



 その言葉に扉が静かに開かれる。私はまだ寝起きの格好なのだけれど、侍女は誰1人として私を見ないから、待たせるよりもさっさと用を済まさせてしまった方が、よほど彼女たちのためだとこの数年で学んだ。


 いつものように侍女は、「失礼します。」以外の言葉を紡ごうとはせず、扉の脇のテーブルに朝食のプレートを置くと、いつものように、「失礼しました。」といって退出していく。――ほら、今日もチラリとも私をみなかった。


 衣食住を与えてもらえているだけで、私はとても恵まれている。


 私は朝食のプレートに近づきながらそう思う。


 3年前、拾われた当初も今も、領主夫妻は何も出来ない私のことを養ってくださっている。そして、あの日から塞ぎ込む私に、無邪気に元気を与えてくれた、この家唯一にして本当のご令嬢シイラ。彼女は優しく、私の心を慰めてくれていた。シイラは私よりも4つ年下でまだ15歳だというのに、人の気持ちを慮ることができるとてもいい子だ。長いこと会っていないけれど、元気にしているかしら。


 そんなことを考えながら、私はいただきますの挨拶をして朝食を食べ始める。温かいスープを先に飲み干し、それからサンドウィッチを食べようと手を伸ばした。しかしそこで、手袋が目に入った。


 手袋が汚れてしまうから、さすがにパン類などを食べる時まで手袋をしていることはあまりない。するとしたら、人前で食べねばならない時くらいだ。


 手袋を脇に置くと、先ほどまでスープを食べるために使っていた銀のスプーンに霜がついていく。無理やりその光景から視線を外し、サンドウィッチを掴むと、あっという間にサンドウィッチは冷たくなってしまった。


 これが、私がいつも手袋をする理由。


 生まれ持ったこの力。どれほど危険であるかなど、私が一番よく知っている。氷雪を扱うこの力は、気づいた時には自分で制御できなくなっていた。王都魔術師たち御用達の仕立て屋から特注したこの手袋は、封印の呪がかけられている。手袋をしている間は、よほどのことがない限り、この得体の知れない力が暴走することはない。


 サンドウィッチを食べ、すっかり冷えてしまった紅茶を飲み下したちょうどその時、またもや扉がノックされた。てっきり侍女かと思ったのだけれど、聞こえてきた声は、深いアルトの、気品に溢れる声だった。



「ルル、ちょっといいかしら?」


「はい、奥様。」



 無感動を装う私の返事と開かれた扉の前には、領主の正妻であらせられる、グローリア様がいらっしゃった。乳白色の気品あるドレスが、とてもよくお似合いだ。グローリア様は美しい金髪碧眼の持ち主で、見た目性格共に申し分なく、本当に女神のようなお方だと思う。このような方を妻に持つ領主様がいかに人格者であるかも、推して知ることができるだろう。


 私は素早く手袋を着用して食事用のテーブルから立ち上がり、奥様を迎えた。奥様は美しい所作で入室すると、私の目の前で歩みを止める。私は奥様が淑女の礼を取るよりもワンテンポ早く淑女の礼をした。礼は身分の低い者から行うのがマナーであるから。しかし、私のその様子に奥様は気のせいほど微かに眉を顰めてしまう。眉を顰めるというのはあまり美しい表情とは言えないため、淑女として完璧な奥様がそういった様子をみせるのは本当に一瞬であったが、私は何かしてしまったのだろうかと不安になった。



「……どうして貴女は、わたくしよりもそんなに早く礼をするのでしょうね。図りかねますわ。貴女の瞳は、わたくしに出ていけとおっしゃってるわけでもないようですし。」


「出ていけなんてそんな! 私は奥様が様子をみにきてくださることは嬉しい、です。」



 どうやら早すぎる礼も失礼に当たるらしい。私は脳内にそうインプットした。奥様が礼を返してくださったところで、話は始まる。


 奥様は侍女たちと違って私を見てくれているけれど、そのガラスのような瞳に、本当に私が映っているのかはわからない。反射しているだけなんじゃないかと思うこともよくある。ただ、私に目を向けてくれているのは確かなことだから。私も真っ直ぐに奥様をみて、話を聞く態勢をとった。



「今日は王都より、現竜王様の花嫁候補選出のために王都軍がいらっしゃいます。」


「王都……軍。軍、ですか?」


「ええ。ここから王都までは少しばかり遠いので、花嫁候補として選ばれた御姫君を護衛するための軍です。」



 現竜王様には花嫁がいない。たしか人間年齢換算で、御歳22を迎えられるはず。花嫁候補選出の話は、現竜王様が人間年齢換算で20を迎えられた――残念ながら、私には竜の歳の数え方がよくわからないのだが――とされている2年前から出始めていた。


 花嫁候補に選ばれるのは、貴族の生まれが第一条件である。王妃になるのだから、当たり前といえば当たり前なのだが。よって育ちでなく生まれが必要である以上、養女の私は花嫁とはなり得ず、この選定に私は関係ない。この公爵家で花嫁候補になりうるのはシイラだけ。アレクスファー子爵家は雪に沈んだ。生みの親がいなくなった以上、私の生まれを証明できる人はないのだから。


 そんなことを考えていて、奥様の話に注意を向けることを忘れてしまっていた私は、奥様の声で我に返った。



「ルル? ……余計なことは考えなくていいの。わたくしの話をお聞き。人の話を聞かないのは無礼ですわよ。」


「申し訳ございません、奥様。」


「その呼び方も、いつになったら……。いえ、この話はいいわ。」



 奥様が言いかけたことがよく分からず首を傾げる。奥様という呼び方でいけないのなら、何と呼べばいいのかが私には分からない。一つだけ可能性が掠めたけれど、私などがおこがましいとすぐに打ち消し、奥様の話に今度こそ集中する。



「貴女はここの娘ですから、王都軍がいらしている間もいつも通りお好きになさい。けれど、決してその手袋を外してはいけませんわ。おわかりですわね?」


「はい、奥様……。」



 私のこの力は、奥様だけでなく領主様もご存知だ。ただしほとんどの侍女は知らないはずだから、私は自分で食事のプレートを受け取ったことはない。シイラは、3年前に見たことを覚えていれば、知っていると思う。私は最初にこの力を暴走させてしまった3年前のあの日からずっと、この手袋をはめて何事もないように過ごしてきた。


 この力のことを知らない人にとって、この力は危険すぎる。それは私もよく分かっているし、奥様達からしてみれば、知っていることさえ疎ましいのではないだろうか。本当に多大な迷惑をかけてしまっているのだから。



「いいですか、ルル。何があっても感情を昂らせてはなりませんわよ。できる限り王都兵を避けるか、……本当は今日一日ここにいてもらうのが一番良いのですけれど、強制はしませんわ。貴女のお好きになさい。」


「はい奥様。私は、今日はずっとここにいます。」



 これ以上、迷惑をかけたくない。だから一日部屋に籠るくらいのこと、なんてことはない。しかも夜になれば王都兵は領主家の晩餐に参加するはずだから、夜以降は出くわす心配もなく散歩ができるはず。私は晩餐や舞踏会といった公的な場には、出ることを禁止されているから。


 王都兵と選ばれた花嫁候補がこの地を出立するのは明日の朝だけれど、宿泊には領主家が宿屋を用意しているはずだから、この家で出くわす心配もない。


 うんうん、全く問題ない。と一人で頷いていると、奥様からお声がかかって顔を上げる。奥様はいつも基本的に無表情だから、雰囲気を感じるしかないけれど、今はとても真剣な空気を感じて居住まいを正す。



「貴女の力はとても危険なものですわ。貴女自身がその力の解除方法を知らないとなると、その危険は計り知れないのです。わたくしも夫もシイラも、貴女の危険の中に身を置いていることを忘れないで。だからしっかりと、油断なく、その手袋をして心を落ち着けていなさい。」


「は、い。奥様……。心得ています。」


「よろしい。それでは、わたくしはこれで失礼しますわ。ご機嫌よう。」



 言葉が終わると同時に流れるように一礼した奥様に、慌てて私も一礼すると、奥様は部屋を後にした。退室の礼だけは、先にさせてもらえない。奥様の動作が違和感なく言葉の終わりにつけたされていて、私の処理速度では追いつかないか、ぎこちなくなってしまう。だから私は最後の礼だけ奥様より少し遅い。なんとかしなければといつも思うのだけれど、やはり奥様ほど経験がなく、話の終わりに自然にできないのがネックなのだ。


 二階にある私の部屋の窓から、街の人々のいつもよりも賑やかな声がする。私はとても気になって、ベッドに近寄ると、そっと窓を開けて外を覗いてみて、眼下の光景に息を飲んだ。



「これが……王都の軍。」



 数にして20人程度だろうか。先頭をいく旗手の手には旗が握られており、紫色の生地に金の竜が刺繍で描かれている。皆が皆、騎士というわけではないのだろうが、私は思わずそう思ってしまうほどに、王都の軍は皆、光を受けて銀色に反射する鎧を身につけていた。今は差し詰め、王都軍のお披露目というところだろうか。


 大通りを王都軍が進んでいき、ようやく見えなくなった頃、私は詰めていた息を吐き出した。これから王都軍はこの街の貴族邸を順番にまわって花嫁候補を探すはずだ。フィルド地方の端にいる貴族は、娘を花嫁候補にしようと意気込んで、今日のためにサフォーの街の別荘にきているはず。街がいつもより賑わうのも頷ける。


 今日はここで大人しくしていると約束したから、私は本を読もうと自室の壁際にある大きな本棚に手を伸ばす。基本的に私は本を読んで過ごすことが多く、外にはあまり出ない。奥様たちがあまり良い御顔をなさらないから。


 私はこの国の初代竜王即位についての物語を引っ張り出した。表紙にお気に入りの栞がいつもついているその本を、何度も何度も飽きることなく読んでいる。


 私は現竜王様はもちろんのこと、初代竜王様から現竜王様まで、とにかく竜王様を敬愛している。竜王様の治世はまさに賢治。人が王であった時と比べて、竜王様の治世は本当に安定している。どうひっくり返っても、竜には敵わないからか、王座を簒奪しようとするものも全く聞かない。謀反の噂も、二代目竜王様の時代の話の一度を最後に聞いたことがない。もちろん、竜王様直々に謀反を問題なく平定なされたということである。ざっと500年前らしいということが本には記されていた。ちなみに現竜王様の治世はだいたい100年を過ぎたあたり。



「あっ……!!」



 突然、強い風が窓から吹いてきた。知らずと立ち読みしていた本のページがパラパラと音を立てて勢い良く捲れていく。そしてフワッと何が小さなものが舞い上がった。この本に挟んであったお気に入りの栞。シイラが本を良く読む私に手作ってくれた、とても大切な――。


 型紙とはいえ、紙で出来たそれは風に誘われて窓の外へ飛んでいく。白地に淡いライトブルーのリボンのついたそれが飛んでいく様は、私に一つの光景をまた思い出させた。



「……っ。」



 白い白い雪景色の中、嵐に舞い上がる私の淡いライトブルーの髪。自分は雪の冷たさを感じないのに、周りの人の冷たさばかりが鮮明なっていく。


 誰も、驚く者はいなかった。テナの村の人々は、みんな私だけが生き残るであろうことを知った目をして、哀れな者に向ける目をしていた。一人を残して逝くことを申し訳ないと思う、優しくて悲しい目をしていた。



「……栞。」



 ――拾わなくちゃ。拾ってあげなくちゃ、あの頃の私を。


 過去の記憶が蘇ると共に、朝交わした約束は私の中から消えていた。あの栞を失ったら、あの時の兵士に、領主様たちに、私は拾ってもらえないような気がした。過去と現実が頭の中で境界線を失っていく。


 私は白いワンピースのまま、靴を履くことも忘れて裸足で家を飛び出した。幸い、誰の目にも触れなかった。





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