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夏のホラー

ある人は語る

作者: うさぎ

※同人誌にしました。詳細は活動報告を読んでください。

 きっとこんな話をしたところで、現実にそういうことがあるだなんて、信じない人はいつまでも信じない。実際にそういう目にあった人であっても、時が経つにつれて忘れていって、「あれは何かの間違いだった」で済ませて流してしまう。しかし、似たような話はいつでもごまんと散らばって絶えない。恐怖体験とは、どれもそういうものだと思う。

 それでも、私はあえてこの話をする。心霊現象を、少しでも多くの人に知ってもらいたい。霊界があることを。それは、みんなに悔いのない人生を送ってほしいから。


 もしもこのページを開いたあなたが、包丁を持った血みどろの霊が首を絞めてきた話とか、いわく付きの部屋で金縛りにあって呪われたかもしれない話とか、そういうものを望むなら、まったくの期待外れだ。私の語る話はあまり怖いものではない。ただ、前半はちょっと薄気味悪いかもしれない。

 できれば、あまり強烈なものは書きたくない。悪霊現象を起こす彼らは寂しい感情が強いため、こういうことを書くと気にかけてくれていると思って寄ってきてしまうこともあるからだ。


 私は生涯で二度、心霊写真を撮影したことがある。かれこれ三十年前の話だ。

 和歌山県の三段壁へ、当時入っていたサークルのメンバーたちと観光に行った。三段壁は風光明媚で有名な観光地であるが、崖の近くまで行くと、思わず足がすくむほどに見事な断崖絶壁のため、自殺の名所でもあった。当時、崖の周辺にはロープがところどころに張られ、どこかの宗教団体が「思いとどまれ」とか「悩み事相談所の連絡先はこちら」といった内容の立て札を立てていた。ネットで調べてみたら、最近ではあまりに自殺者が多いために、パトロールを強化したともあるくらいだった。

 そのときの私たちは、ふーんという軽い気持ちで、「ああ、落ちる~」とかふざけあいながら記念写真を撮影した。現像して返ってきたその写真は、一見楽しそうな記念写真だ。私はにこにこしながら楽しげに写っている彼らを見ながら、喜びにひたっていた。

 すると、写真の中のある一人の見知らぬ女性と目が合った。サークルメンバーたちとは少し離れたところに写っている。はっきりとこちらを見ており、きれいに上半身のみが写し出された姿で、一見しただけではわからないくらいに鮮明なものだった。

 ――これは心霊写真だ。

 わかった瞬間に鳥肌が立ち、毛が逆立った気がした。

 恐くなった私は、サークルメンバーの中でも仲の良い友人に相談をして、結局みんなには知らせずに、発見した人のみで、その女性の成仏を祈りながら、フィルムと現像写真を燃やした。

 何も知らないメンバーの中には、「あのときの写真がほしい」と言う人もいたが、「ピントがずれていて上手く撮れていなかった」といろいろごまかしておいた。


 それからそう間を開けずに、二度目の心霊写真を撮影した。とある映画村へ、友人たち数人と遊びに行ったときのことだ。

 今思えば、実は写真撮影禁止のところだったかもしれない、わりと細い見学コースだった。記念にと思って後ろから一枚、パチッと撮影をし、後日、現像した写真を見ると、仲間ではない男性がまわりとは反対方向に向かって歩いていた。

 その道は一方通行で、逆行はできないくらい狭いところだったので、もしそのような人がいたのならすぐにわかるし、注意もするだろうから記憶に残るはずなのだが、私にその男性の記憶は一切なかった。そのことが明確になったときに、背筋がぞっとした。そして、そういう浮かばれない霊がいるのだと思った。


 以上が私のいわゆる恐怖体験であり、それ以降は一度も心霊写真に遭遇していない。

 いずれにせよ、この体験から私は霊界というものの存在を意識するようになった。


 さて、以降は明るい話を二つしよう。こういう体験もあったのだと、興味のある人は読んでみてほしい。


 ある日、知人に誘われて説法をききに行ったときのこと。睡魔に襲われた私は、一番後ろの席なのを良いことに、こっくんこっくん舟を漕いでいた。すると突然、背中を杖か何かで思い切り叩かれた。あまりに強い衝撃に驚いて、叩かれた瞬間に振り返ったが、誰もいない。

 だがそのとき私は、亡くなった祖母が来たのだと感じた。

 ――神仏の尊いお言葉を学ぶのに、寝ぼけちゃいけないよ。

 そう言われた気がした。


 最後に、ある川の側に建っている研修センターに、同僚たちと数日間泊まったときのこと。

 研修二日目の朝、そこの所長が言うには、昨日の夜中二時半頃に、風呂場から水を被る音がしたが、誰か入った人はいなかったかとのことだった。気になって見てみると、消したはずの電気がついている。誰かが風呂に入っている? だが、さすがにこの時間はルール違反……余程の事情があるのだろうか。女子風呂だったので、所長は覗けなかったのだそうだ。

 だが、私たちの中には誰も入っいた者はいなかった。

 数日後、同じことが起こり、所長はしばらくしてから再び様子を見に行った。すると風呂場前あたりの廊下に白装束の女性の後ろ姿がスーッと消えていったとのことだった。

 修行をしている高級な女性の霊だったのだろう。後にわかったのは、研修センターの近くを流れていた川の名前が、いかにも修行を積んだ人がいたのだと思わせるようなものだったから。

 あの人はきっと、昔そこで修行をしていた人で、生前のように水垢離みずごりに来ていたのだと思った。


 他にも恐ろしい話を知ってはいるが、上述したように無闇やたらに語ることはしない。私がしたいのは、ただの恐怖体験を語ることではない。だから、心霊写真までで充分だ。

 この世に怖い話はごまんとある。その中で、私のこの語りは埋もれてしまうだろう。

 だが、霊界はたしかに存在しているのだ。死後の世界が、私たちには用意されている。

 生きることは、きれいなことばかりではない。ときに自分の醜さに愕然として、消えてしまいたいと思うこともあるだろう。

 しかし、絶望したままに一生を終えても、その先に待っているのはさらに永遠と続く苦しみの闇である。死があなたを救うことはない。また、強い憎しみや恨みが人を救うこともない。

 反対に、永遠に肉体が生きることもない。人間、死はみんな平等に百%である。

 生きることをまっとうする。それが一番、人生を悔いなく終えられる手段であるが、現代人は「生きる目的」を見失っている人が大半であると感じる。

 私自身、常日頃意識していなければ、目的なくふらふらしていることがある。人生の目的が見出せずに、もう死んじゃった方が良いかもと感じてしまうときもある。

 それでも一番忘れてはいけないことが、自分たちは「生かされている」ということ。

 のうのうと怖がっている場合ではない。それは、自分の成れの果てかもしれない。同じ人間なのだから、誰にでも起こり得ることなのだ。

 特に低級な霊界には、決して引きずられてはいけない。彼らには喜びがない。悲しみと、苦しみと、怒りと、憎しみ、恨み……人はマイナスに傾きやすいのだから、なおのこと気をつけるべきである。

 できれば、すべての霊が救われることを願うのだが、残念なことにそれは簡単なことではない。

 ただ、一人ひとりが自分をしっかりと持って、生きていくしかない。

 苦しむのは、一人でも少ないほうが良い。

 いつか怨恨が溶けて消えていき、人類がみんな幸せに暮らせる、そんな時代が来るだろうか。

 切に願ってやまない。

 そんな思いを胸に抱きながら、私は今、このように語っている。

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― 新着の感想 ―
[一言] ご無沙汰です。 数ある夏ホラー作品の中で、このような形は新鮮でした。フィクションなのか、ノンフィクションなのか、その境界線があいまいで、怖さを増幅させます。 ……と思ったら、活報を拝見させ…
[一言] 一羽の兎さま、読ませて頂きました。   文章が上手になりましたね^^ 書き手の伝えたいことがそのまま頭の中へ入ってきます。リーダビリティが高くなっている証拠です。 そして、しっかりとした考え…
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