第6話 慌ただしい旅立ち
ラスティート王国領・王都ラスティート――
柔らかな日差しが窓から降り注ぐ。外では小鳥が囀っており、既に日が昇っていることを知らせている。傷を癒すためにこの宿に泊まってから既に三日が経っていた。安宿ではあるが日当たりのよい部屋であったために、非常に寝心地が良かった。このままベッドに身を預けていたら、再び眠りへと落ちてしまいそうだ。
だが、いつまでも寝ているわけにもいかない。レオンハルトは軋む身体に鞭打つと、ゆっくりとベッドから身を起こした。
(戦闘に支障は無い、か)
多少は痛むものの、戦いになったとしても問題なく動けるだろう。それよりも、ずっと剣を握っていなかったために、身体が鈍ってしまっていないか、レオンハルトは不安に思っていた。
(そろそろ仕事に戻らないとな。色々と報告しなければならないし)
フレーナに助けられてから、レオンハルトは王都の安宿にて療養していた。転移魔法の呪符が生きていたために、何とか早く戻ることが出来たのだ。その際に、コーネリアを初め多くの部下がレオンハルトのもとに押し寄せたのは言うまでも無い。
また、国の要人達もレオンハルトのもとへと訪れ、彼から話を聞いていた。その際に、部屋にいたフレーナを怪しむ者もいたのだが、レオンハルトが彼女を連れて後に詳しい報告に向かうということで、その場は治まった。
寝間着姿のまま出掛けるわけにはいかないため、レオンハルトは着替えを始めた。
布の擦れる音と共に、彼の引き締まった身体が露わになる。やや細身ではあるが、不思議と病弱さは感じさせない肉体は、今まで彼が数々の戦場で剣を振るうことで造られたものだ。逞しさこそないものの、まるで何かの彫像のような美しさがある。
「呼び出しがかかるまで剣でも振るうか、それともゆっくりとお茶でもするか……」
オフの間どのように過ごすか、背伸びをしながら考えるレオンハルト。パキパキと乾いた音が部屋の中に鳴り響く。
と、その時。ギィィィィ、と不景気な音を立てて古びた扉が開いた。
「む?」
どうやら鍵を閉め忘れていたらしい。尤も、街中のためにそこまで用心することはないのだが。
そこには、一人の女性が立っていた。うなじが隠れる程の長さの緑髪に、澄んだ青い瞳。可愛らしいというよりも、気丈さや活発という印象を受けるような顔立ち。
見覚えのある――というか、レオンハルトの無事を知った時に真っ先に宿屋に飛び込んできた相手――コーネリアだ。普段着ではなく武装していることから、訓練の合間か、何処かの戦場へ赴こうとしているのかが窺える。
「え? あ、ああ……?」
思わず息を飲むコーネリア。彼女は自分の顔が急速に熱くなっていくのを自覚していた。
そう。今のレオンハルトは着替え中であった。しかも、上半身は裸で、ズボンへと手をかけようとしていたところだ。つまり、コーネリアの目の前には半裸の若い男性の姿があったわけで。
「す、すすすすすすす……」
何かを喋ろうとしているのだろうが、極度の緊張のためか言葉になっていない。
「ごめん、コーネリア。ちょっと着替え中なんだ」
微苦笑を浮かべる幼馴染みの言葉が、コーネリアの緊張を解くと共に、彼女に残酷かつ恥ずかしい現実を思い知らせた。
「すすすす、すみません隊長! わ、わわわ、私ったら! わわわわ、私ったら! し、しししし、失礼しましたああああああっ――!」
泣き叫ぶように、コーネリアは物凄い勢いで部屋から飛び出ていった。
あまりに強い勢いで扉を閉めたためか、部屋の中がギシギシと嫌な音を立て、壁に立てかけてあった二振りのブロードソードがその拍子で転がった。
「……少し、慌てすぎじゃないか?」
一人部屋に残されたレオンハルトは、軽く溜息をつくと着替えを再開した。
手早く着替えを終えて、鎖帷子とブロードソードを身につけると、部屋から出た。向かうのは、一階にある酒場だ。
不景気な音を立てる階段を降りて、酒場へと辿り着く。流石にこの時間帯から酒を飲んでいる者はおらず、客の姿は疎らにしか見られない。
「おお、レオンハルト。こっちだ」
角刈りの壮年の男――ラグナスが手を上げ、レオンハルトを呼んだ。レオンハルトはすぐに彼のもとへと向かい、胸の前に手を置き敬礼をした。
ラグナスの周りには、コーネリア、フレーナの他、二人の男性の姿が見られた。コーネリアは気まずそうに、レオンハルトから視線を逸らしている。偶然とはいえ、着替えを見てしまったのが相当恥ずかしいようだ。
一人は肥満体の男性だ。豪奢な軍服を着ており、腰には一振りのサーベルを帯びている。如何にも身分の高そうな雰囲気を醸し出しており、決して美しいとはいえぬ顔立ちにも堂々たる威厳が満ちていた。見る者によっては、この男はその場にいただけで厭味に思えるだろう。
この肥満体の男の名は、フロッシュ・ビアホフという。ラスティート王国の大臣であり、現在国のトップである女王が幼いために、政治全般を請け負っている。その気苦のためか、あるいは歳のためか、短めの髪の毛には白髪が目立つ。
「ビアホフ大臣、シュターム殿。若輩者の私のためにご足労おかけして――」
「よいよい。君の活躍はしっかりと聞いている。それよりも、病み上がりで悪いのだが、早速頼みたいことがあって此処まで足を運んだのだ」
厭味な外見とは裏腹に、何処か気さくに話すフロッシュ。
「任務……ですか?」
「ああ。実は……」
「これこれ、ラグナス君。その辺りは宮廷魔術師のシュターム殿に任せた方が早いだろう」
「はは、そうですな大臣。では、シュターム殿」
そう言って、ラグナスとフロッシュは、一人の華奢な男性に目で合図を送る。それに答えるかのように、その男性は一歩前に出て、羽根付きの帽子を取って一礼した。
背中まで伸ばされた、癖のない美しい金髪に、エメラルドを思わせるかのような澄んだ緑色の瞳。街中を歩いていると、女だけではなく男もその美麗さに惹かれてしまうような、そんな出で立ち。まるで御伽噺に出てくる王族や、吟遊詩人を思わせるかのようなものだ。
だが、美しいだけではない。彼の出で立ちにはやや特異なところがある。それは、人間とは明らかに異なる形状の耳だ。まるで針葉樹の葉を思わせるかの如く、先端が尖った細長い形状をしている。
エルフと呼ばれている者達だ。その起源は定かではないのだが、歴史書に度々その名前が出てくることから、人間達の文明が築かれる頃には存在していたと言える。
人間の三倍から十倍以上にも及ぶ平均寿命と優れた魔術適性を持っているが、それ故に恐れられることも多い。無駄な争いを避けるために独自の集落を作って暮らしている者も多いが、現在は人間との共存を唱える者達も増えてきている。
彼の名は、ルドルフ・シュターム。ラスティート王国の宮廷魔術師を務めており、フロッシュと共に政治の補佐を行っている。
「話は聞かせて頂いております。魔族の出現……これは我々だけの問題ではなくなってきています。他の国々でも同じような事が起きているのですが、なかなか事態を把握できていないところが多いのが現状です」
「我が国では被害があまり報告されていないが、既にクリークス公国は手に落ち、東のクファラ国も危うい状況だと聞く」
呻くような声で、現状を憂えるフロッシュ。
ちなみに、クファラ国は長年ラスティート王国と国境の鉱山の採掘権を巡って幾度となく戦いを繰り広げてきた六大国のひとつである。最近、戦いが小康状態に陥っているのには、何やら国内での動乱が影響しているらしい。
「そこで、あなたには魔族との戦いに備えるべく、各地のドルイドの集落を回っていただきたいのです。本来ならば国を上げて行うべきなのですが、彼らは外界との関わりを絶っている故――そこで、ドルイドの血を引いているというあなたに頼みたいのです」
言いかえると、トラブルを最小限に抑えたいというものだ。
閉鎖的な者達のところに国を上げて人を寄越そうものなら、新たな火種を産みかねない。そのため、少人数で、かつ少しでも関わりのある者を派遣するというのが、ルドルフ達の意図なのだろう。それに、敵は魔族だけではない。現在、エヴァール大陸は乱世であるため、他の国々が混乱に乗じて攻めてくるという可能性もあるのだ。
「下手に国を空けるわけにもいかぬからな……」
「まず向かっていただきたいのが、此処から南東に行った場所にあるイェソドというドルイドの里です。一番近く、ドルイドの中でも比較的丸い性格の者が多いと聞いています」
そう言うと、ルドルフは懐から古びた地図を取り出し、レオンハルトに差し出した。
「ただ、この辺りは国境が近く、治安も悪いと聞いています。気を付けてくださいね」
「はい、お気遣いありがとうございます」
レオンハルトは胸の前に手を置き、ルドルフに敬意を表す。
ルドルフはレオンハルトに歩み寄ると、周りに聞こえないような小さな声で伝え始める。
「……それと、フレーナという女性ですが、何やら解らぬことが多いです。彼女からは魔族に関する情報を教えていただきましたが、我々の味方とは限りません。彼女への用心も怠らないでくださいね。監視と言えば聞こえが悪いですが、よろしくお願いします」
「……はい」
無理もないだろう。何処の馬も骨か知らぬ者を信用して良い筈が無い。フレーナが拒絶されないのは、現状で解らないことが多いためであるからに過ぎない。
どうやら、今の会話はフレーナには聞こえていないらしい。彼女はただ、国の者達の間で行われている話を、特に表情を変えずに見ているだけだ。
「しかし、遅いですね……」
ふと、呆れたように溜息を漏らすルドルフ。
「遅いとは?」
「いや、貴方の同行者として呼んだのですが」
「ど、どどど、同行ならこの私が――」
ビシッと手を上げて割り込んでくるコーネリア。
しかし、ラグナスは呆れたように彼女を制する。
「コーネリア、お前がいなくなったら誰がレオンハルトの隊を指揮するんだ。それに、別の任務があるのを忘れたか」
「……むぅ、申し訳ありません」
本人としてはレオンハルトと共に行動したかったのだろう。コーネリアは不満そうな表情をしつつ、ラグナスの言葉を聞き入れて一歩下がった。
「ところで、シュターム殿。同行者というのはまさかとは思うが……」
その場の流れを微笑ましそうに見ていたフロッシュが、ルドルフに尋ねる。
「ああ、私の娘ですよ。ああ見えてなかなかの――」
と、その時。
「とーまーらーなーいいいいいいいいいいいいいいいいい!」
悲鳴と共に酒場の扉が吹き飛び、一人の少女が空中を滑空しながら飛び込んできた。
その場にいた者は思わず飛び退くが、そのままでは壁に激突してしまう。そう思ったレオンハルトは彼女を止めようとしたが――
「うわっ!?」
その少女を抱きとめる形になったまではよかった。だが、相当の勢いで突っ込んできたこと、そして病み上がりであったことも相俟ってか、バランスを崩して背中から倒れてしまう。
つまり、仰向けになって倒れているレオンハルトの上に、その少女が覆いかぶさっているという状態になっているわけで。
「な、ななななななな!? た、たたた、隊長、な、ななな、何を……」
当り前と言えば当り前だが、顔を真っ赤にして肩を震わせるコーネリア。
「ああ、もう! 貴女という人は……。すみませんね、レオンハルト」
ルドルフは呆れながら、レオンハルトに覆いかぶさっている少女を引きはがした。
「ほら、ちゃんと挨拶をするのです」
「はーい、お父様!」
そう言うと、少女は満面の笑みを浮かべて、ぺこりとお辞儀をした。
「宮廷魔術師見習いのリーゼロッテ・シュターム、十五歳でーす! よろしくお願いしまーす!」
姓が同じことから、この少女――リーゼロッテがルドルフの娘であるようだ。
エルフ族のため、ルドルフと同じように細長い耳が突き出ており、美麗な金髪は後ろで一つに束ねている。年齢は十代中盤といったところか、顔立ちはとても可愛らしくあどけなさがはっきりと表れている。服装もまた年頃の少女が好みそうなもので、ところどころにフリルがほどこされた、淡いピンク色のワンピースを着ている。
持っている得物は、御伽噺のお姫様が持っているような、派手な装飾の施された杖だ。とても殺傷能力があるようには思えないのだが――
「あ、ああ……」
立ち上がって埃を払いながら、レオンハルトは曖昧な返事をした。
(話には聞いていたけど、未だ子供じゃないか)
「こんな娘ですが、腕は確かな筈です」
「はあ……」
確かに、エルフは魔術の才能に優れている。また、見た目の年齢が若くとも人間以上に長い歳月を過ごしていることも珍しくないのだ。尤も、このリーゼロッテの場合は未だ子供といっても差し支えのない年齢なのだが。
「はっはっは、確かにナリはアレだがなかなかの魔術の才能を持っているからな」
「しかし……」
豪快に笑い飛ばすフロッシュだが、レオンハルトは納得がいかなかった。
「レオンよ、見た目や身分で人を判断するのは良くない。それはお前がその身を持って学んで来た筈だが」
弟子を諭す師のように、ラグナスはレオンハルトの肩に手を置いた。
「いいんじゃないですか? かなり重要な任務とはいえ、隊長は少し肩を張り過ぎですからね」
コーネリアは笑みを浮かべながらそう言った。彼女は無理矢理笑顔を作っていたのだが、鈍感なレオンハルトはまるで気付いてない。
「解りました。何としてでも、リーゼロッテさんはお守りしますので」
「ありがとうございます。エルフとして、このまま箱入りのまま育てるのもなんですからね。リーズには世の中を見て回って欲しいのです」
ルドルフの狙いは、リーゼロッテに見分を広めて貰うことにあるようだ。エルフの多くは排他的な性格をしているのだが、ルドルフとしては娘が世の中を知らずに一生を終えてしまうことを憂えているのだろう。
「そうですね。誰であれ、人は現状に目を向けるべきなのです」
成り行きを黙って見ていたフレーナが、静かに口を開いた。
「お話は済んだようですね。では、準備が整い次第参りましょう。私は門の前で待機しています」
そう言うと周囲に目もくれずに、フレーナは静かに宿の外へと去っていった。
「では、我々は公務に戻りましょう、大臣」
「うむ。女王陛下もお転婆だからな、城の中で暴れていなければいいが」
「レオンハルト、期待していますよ」
「若くて勇敢なのは結構なことだが、決して無茶はしないようにな」
フロッシュとルドルフは、今日の予定を話しつつ宿屋を後にした。
「あ、あたしはちょっとお手洗いに行ってきまーす! レオンハルトさん、これ持ってて!」
「あ、ああ……」
やたらと派手な杖をレオンハルトに預けると、リーゼロッテは猛ダッシュで宿屋の階段を駆け上っていった。
その場に残されたのは、レオンハルトとラグナス、そしてコーネリアだが……
「俺からの頼みは一つだけだ。どんなに無様な恥を曝してでも、生きて帰ってこい。それだけだ」
ラグナスはチラリとコーネリアに視線を移すと、そそくさと立ち上がった。
「さあて、戦いに備えて俺も頑張らないとな!」
ワザとらしく伸びをして、去っていくラグナス。
ついに、その場に残されたのはレオンハルトとコーネリアの二人だけとなった。
暫くの沈黙の後――
「隊長、楽しそうな旅になりそうですね」
作り笑顔を浮かべながら、コーネリアはレオンハルトに言葉をかける。
この時、ようやく彼は気付いた。コーネリアの目が笑っていないことを。しかし、何故なのかは解らないワケで――
「すまないな、また隊を離れることになった」
「ええ、それは構いませんが……。何か間違いがあったら、承知しませんから」
相変わらずの作り笑顔で迫るコーネリア。
「大丈夫だよ。二人は俺が守るし、俺自身も絶対に無事に戻るから」
(もう、そういう間違いじゃないのよ!)
何故、この男は此処まで鈍感なのだろうか。
「だから、俺がいない間、隊のことをよろしく頼むよ、ネリィ。君のことは頼りにしている」
言って、レオンハルトは爽やかな笑顔をコーネリアに見せた。
その笑顔はあまりにも眩しくて――
数秒の間、青い瞳をパチクリとさせるコーネリア。
「え、あ、は、ははははは、はい! ま、ままま、任せてください!」
気がついた頃には、不機嫌な気持ちは何処かへと吹き飛び、恥じらいが込み上げて来ていた。
コーネリアは何とか敬礼をすると、ぎくしゃくとした動きで宿屋の外へと出て行った。
「相変わらず肩の力が入り過ぎだな……」
(うぅ、何でもう、あいつはいつもいつも! 鈍感男! 天然色男! ぶつぶつぶつ……)
自分の持ち場へと戻る途中、コーネリアは心の中でレオンハルトに対する不満を撒き散らしていた。