第4話 迫り来る異形
1
既にクリークス軍は砦を守るかのように布陣しており、守りは強固であった。多数の兵士が配置されており、攻略は困難であることを示している。
(まったく、ブラウン将軍も随分と無茶を押しつけてくれるわ。士気が高いうちに奪還したいという気持ちは解るけど)
砦を前にして、コーネリアは深い溜息をついた。
作戦は自分達が敵を引き付けている間に、レオンハルトが少数精鋭を率いて砦の内部を攻略するというものだ。それなりにある戦術ではあるが、敵の素性が解らないために、かなりの危険を伴う。ましてや、自分達は謂わば「囮」である。故に、最も敵の攻撃に曝されるのだ。
しかし、何よりもコーネリアは不安なことがあった。
(レオン、無茶しなければいいけど)
つい先程まで共にいた同僚――幼馴染みのことを想うコーネリア。自分のことよりも、より危険な役目を負ったレオンハルトのことが心配で仕方が無かった。
先日は雨の中、ひたすら剣を打ち合って稽古をした。その時は、モヤモヤとした気持ちを発散することが出来たのだが、再び彼に対する複雑な思いが湧いてきている。
(むぅ、ほんとレオンったら……)
自分なりにアピールしているつもりなのだが、レオンハルトを前にするとどうしても素直に想いを伝えることが出来ない。
(もう、ほんと何なのよぅ。鈍いところは全っ然変わってないし!)
そんなコーネリアの様子を、部下の兵士達は小声で噂し合っていた。
「なぁ、ウチの姐さん、さっきから機嫌悪くないか?」
「まあどうせ、アレだろアレ。ほら、クリューガー隊長って鈍感だから」
「あー、アレか。何と言うか、見ているこっちがヤキモキするというか」
彼らとしては小声で話しているつもりなのだろうが、コーネリアには筒抜けなワケで。つかつかと自分達に向けて歩いてくる彼女の存在に気付いていない。
実のところレオンハルトの隊で二人の関係について知らない者はいない。コーネリアの日頃からのアピールに気付いていないのは、レオンハルトだけである。
「隊長も罪な奴だよなぁ。こんなに可愛い幼馴染みが――ふごっ!?」
兵士の一人の鼻っ柱に、コーネリアの裏拳が炸裂した。
「そこ。私語は慎むように」
ニッコリと微笑みながら――しかし、何処かワザとらしい微笑みで、部下を諭すコーネリア。
「し、失礼しましたぁ……」
「解ればよろしい」
微笑みを浮かべたまま、配置へと戻るコーネリア。
「アルトレーヴェ副隊長、クリークス軍が砦より打って出てきました」
偵察へと向かわせていた兵士がコーネリアの前で敬礼する。
「さて、相手も痺れを切らしたようね。私達はあくまでも囮だけど……」
今は何も余計なことを考えず、自分に与えられた仕事をこなすだけだ。コーネリアは自分にそのように言い聞かせると、心の奥底で渦巻いていた想いが、治まっていった。
「皆、奮闘せよ! クリューガー隊長に任された以上、我々に敗北は許されない!」
得物のフランベルジェを抜刀すると、コーネリアはそれを掲げて部下達を鼓舞した。それに呼応するかのように、彼らもまた鬨を上げて彼女に続いた。
敵であるクリークス軍の先鋒は歩兵を中心とした部隊で、それなりに装備も充実していた。
比較的険しい地帯での戦闘のために、騎兵の姿は見られない。また、魔術への対策も事前に怠っていなかったため、ところどころに魔術が着弾するも、あまり被害は広がっていない。
二人がかりで剣を掲げて飛びかかってきた敵兵を、コーネリアは冷静に対処した。
「甘い!」
敵が懐へと入る前に、フランベルジェを横へと薙ぎ、二人の敵兵の身体を横真っ二つに両断する。上半身が宙を舞い、斬り口からは大量の血液が噴き出し、コーネリアの鎧を汚す。二人の敵兵は空中から、何歩かよろめいた後に崩れ落ちた自らの下半身を見ることとなった。
二つの上半身が地面に叩きつけられたと同時に、一人の兵士がコーネリアの隙を突き、ハルバードを振り回してきた。だが、その得物は空しい音を立てて空を斬る。
「!?」
敵兵がコーネリアの姿を察知した時、自分の胴には歪な刃が埋め込まれていた。コーネリアは敵兵に蹴りを入れてフランベルジェを抜くと、振り向きざまに背後から斬りかかってきた他の三人の敵兵を斬り伏せた。
(意外にぬるい? これ程の兵に私達の軍が負けたなんて、未だに信じ難いわ)
確かに、敵兵の士気はそれなりにあるようだが、そこまで苦戦をするような戦いではなかった。このまま着実に戦線を維持することは、然程難しいことではないだろう。
あまりの奮闘ぶりに敵兵も恐れをなしたのか、コーネリアを狙う者は徐々に減っていった。しかし、一人の敵兵がツヴァイヘンダーを掲げてゆっくりと彼女へと近づいていった。
その動きはあまりにも愚鈍だが、コーネリアの倍はあるであろう体格は、その兵士が持っているであろう凄まじい膂力を物語っている。
「百人斬りのボブとは俺のことだ!」
その体格から想像するに容易い、ずしりとした男の声。
(やっぱり、どの軍にも少しは手応えのありそうな兵はいるものね)
周囲にいた兵を軽く薙ぎ払うと、コーネリアは巨漢の男を見据えた。
「随分と調子に乗っているようだな。ここはこの俺様が貴様を止めてやろう。だが、安心しろ女ぁ。命までは奪わん。ただぁし、俺に負けたら慰み者にしてやるぅぅぅ」
(はぁ。レオンもこれくらい積極的ならいいのに……って、いやいやいや。ちょっとこいつは下品すぎるわ)
兜の奥から聞こえてくる下卑た笑いを聞き流し、コーネリアは呆れるようにフランベルジェを突きつけた。一瞬、砦の内部の攻略にかかったレオンハルトのことが脳裏を横切るが、それをすぐに振り払う。
「無駄口叩いている暇があったら、かかってきたら?」
「図に乗るなよ!」
コーネリアの挑発に、ボブと名乗った男は軽々と乗ってきた。どうやら、単純な性格のようだ。
ボブはその己の身の丈ほど――規格外ともいえる大きさのツヴァイヘンダーを構えると、野太い声を上げながら斬りかかってきた。
「ぬおおおおおおおおおおおおっ!!」
かなり気合いが入っている。愚鈍ではあるが、かなりの腕力を持っているのは違いない。直撃を受ければ、人間の身体など挽肉と化してしまうであろう。
だが、コーネリアはボブの攻撃に怖気づくことなく、彼の攻撃に対して備えた。
ガキン、と鈍重な金属音が響く。コーネリアはフランベルジェのヒルトの部分で、敵の刃を受け止めたのだ。
(あら、思ったよりたいしたこと無いわね)
並の剣ならば、今の一撃で粉砕されていただろう。コーネリアの持っている得物は、余程の業物であることが窺える。無論、それだけではない。
「こ、こいつ強ぇぇ……」
女だから力で押せると思ったのだろう。ボブはこのまま押し切ろうと体重を乗せるが、なかなか思うように動かない。
「お生憎様。普段から、そこらの男以上には鍛えているから」
軽く微笑むと、コーネリアは迫ってきたツヴァイヘンダーを押し返し、ボブの腹部に蹴りを加えた。全体重を乗せていたボブはあっけなくバランスを崩し、武器を落とすと後方へとよたよたとよろめいてしまう。
「ぬお、お、お、おわっ!?」
「悪いわね、これも戦争だから」
そう言うと、コーネリアはフランベルジェをボブの鎧の隙間から突きつけた。傷口から血液が溢れだす。そして、蹴りを入れて剣を引き抜くと、そのままボブの身体を横に一閃した。両断されたボブの身体は幾度か痙攣した後に、やがて動かなくなった。
「すげえ! あのデカブツを真っ二つにしちまったよ、ウチの姐さん!」
「いやぁ、やっぱ流石だ! かっけぇよ!」
獅子奮迅とも言えるコーネリアの奮戦ぶりに、周囲の兵士達も感化されていた。彼女ほどの戦いぶりは出来ずとも、誰もが恐れを成すことなく、近くにいる敵兵へとぶつかっていく。
「皆、姐さんに続け! 俺達も手柄を立てるんだ!」
「よっしゃぁ! 頑張ろうぜ皆!」
しかし、その時。辺りに妙な地響きが起こる。
「うん? 何だありゃあ……」
先程コーネリアの噂をしていた二人の兵のうちの一人が、異変に気付く。
「おい、あれは何なんだよ!? 何であんなのが、戦場にいるんだよ!?」
「だー、うっせーな。どうせ昨日の獣人の軍が来たんだろ? あの時は驚いたが、同じ手は二度……」
うんざりとしながら、相棒の兵の方向に振り返る。しかし、そこには先程他愛の無い話をしていた男の姿は無く、粉々に砕けたガラスの破片のようなものが散らばっているだけだった。
「は、はは、嘘だろおい。逃げたんだよな?」
刹那。彼は、背筋が文字通り凍るかのような感覚に見舞われた。振り返ると、そこには次々と動きを止めて、崩れていく兵の姿があったのだ。そして、彼が最期に目にしたのは、蒼白い肌を持つ、筋骨隆々とした『巨人』の姿だった。
「砦陥落の原因はアレか……」
コーネリアもまた、戦場に起きた異変に気付いていた。
(フリームスルスか。厄介なのを出してきたわね、本当に)
近くで暴れ回る巨人の姿を見て、苛立ちを覚えるコーネリア。敵味方関係なく巻き込んでいることを考えると、昨日の魔術師の仕業なのかもしれない。
過去に、辺境の魔物討伐で見たことがある敵だ。兵達も幾度か相手にしたことがあるのだが、戦場に魔物が現れたとなると、やはり動揺を隠せないようだ。
巨人――学術的な分類では、ギガスと呼ばれる種族だ。知能は人間に劣るものの、その体格に見合った膂力を持ち、強力な魔術を操る者も存在する。このギガスは『フリームスルス』と呼ばれる個体で、冷気系統の術を得意としているものだ。
(とはいえ、これ以上戦い続けても、無駄に消耗するだけね。レオンが砦内を攻めるための時間も充分に稼げたし、そろそろ撤退の頃合いかしら)
だが、このまま野放しにしておいては、砦内にいるレオンハルトへと被害が及ぶかもしれない。それに、撤退の間にフリームスルスの攻撃に曝されるとなると、甚大な被害は避けられない。
「姐さん、ありゃ無理ですわ! もう充分に時間は稼げました、そろそろ頃合いかと!」
側近の兵が付近の敵を倒しながら叫ぶ。
彼の傍を、蒼白い光線が通り抜け、近くにいた敵兵に直撃する。光線を受けた敵兵は動かぬ氷像と化した。
「何怖気づいているの。今まで魔物討伐で相手にしたこともあるでしょう、だらしない!」
「そんなこと言っても、敵味方問わず好き放題暴れ回ってんです! あんなの相手にしていたら……」
彼もそれなりに経験を積んできているとはいえ、やはり動揺を隠せないようだ。
「ああもう、まだるっこい! テッド、あなたに撤退の指揮は任せる。アレは私が止めるわ」
「はぁ!? いくら姐さんでも無茶ですってば!」
そう言った時、既にコーネリアは巨人フリームスルスへと向けて走っていた。
「ほんと、隊長と似て妙なとこで突っ走るんだからなぁ。よっしゃ、お前ら。あの巨人は姐さんに任せて、俺達は本陣まで退くぞ!」
味方が撤退し始めたのを確認すると、コーネリアは氷の巨人を見据えた。
「さて……」
敵兵も恐れをなしているのか、フリームスルスからは距離を置いている。その殆んどが、撤退していったコーネリアの兵を追撃していくのが窺えた。
「さてと、上級の魔物を相手にする以上、私も本気を出さないと」
コーネリアは恐れることなく、フリームスルスへと近づいていった。今なら背後から彼女に斬りかかることも出来るのだろうが、敵兵はただその様子を見守っているだけだ。彼らもまた、好き放題に暴れ回る巨人を始末してくれる者を探していたのだろう。
(でも、妙なのよね。わざわざ制御もできないような魔物を軍に取り入れるなんて。いえ、考えるのはこのデカブツを斃してからでも遅くはないか)
フリームスルスはコーネリアを察知すると、彼女に向けて魔術を放った。氷の針が次々と形成され、コーネリアと向けて降り注ぐ。初歩的な術ではあるが当たれば怪我は負うし、急所に当たれば致命傷にもなり得る。
コーネリアは冷静だった。雨はかなりの密度で降り注いできたため、回避することは不可能と判断すると、彼女はすぐに意識を集中し、魔術を唱えた。
術の完成は一瞬だった。コーネリアの周囲に、炎で造られた壁が展開される。氷はその壁に阻まれ、高温によって次々と蒸発していった。彼女もある程度の魔術を使いこなすことが出来、火炎系の術を得意としている。
「グオオオオオオオオオオオオオオ!」
魔術が効かないと判断した巨人は、拳を振り上げてコーネリアへと殴りかかった。常人があの攻撃を生身で受ければ、内臓が破裂するどころか、四肢を吹っ飛ばされてもおかしくない。しかし、コーネリアはそれを避けようともせず、フランベルジェを構えたままジッとしている。
フリームスルスの拳はコーネリアに触れることなく、高熱の炎に包まれた。先程から展開していた炎の壁を突破することが出来なかったのだ。
ちなみに、コーネリアが唱えていたのは《ブレイズスパイク》という魔術だ。周囲に炎の壁を展開するこの魔術は、主に能動的防御に使われる。そのため、身体能力に劣る魔術師が自分の身を守るためにこの術を学ぶことも多い。
《ブレイズスパイク》の炎の威力は術者に左右される。本来なら容易く打ち破れてしまうのだが、巨人の攻撃を止めているあたり、コーネリアが如何にこの術に長けているかが解る。
(こっちからも攻めないとね)
コーネリアは巨人が怯んだ隙を突くと、大地を蹴った。炎を受けた腕からはブスブスと燻る音が聞こえ、《ブレイズスパイク》がそれなりにダメージを与えたことを示していた。
「はぁぁぁぁぁっ!」
コーネリアはまず、巨人の足元に向けてフランベルジェを突き刺した。ぞぶり、と肉を引き裂く音が手元に伝わってくる。ちょうど急所を狙ったために、夥しい量の血液が傷口から溢れだしてくる。
しかし、コーネリアはすぐに追撃を断念しなければならなかった。巨人がもう片方の足を振り上げ、彼女を蹴り殺そうとしたためだ。《ブレイズスパイク》を展開しているとはいえ、徐々に炎の壁は弱まっている。故に、突破される可能性も出てくるためだ。彼女は急いでフランベルジェを引き抜くと、地面を転がるようにして巨人のキックを回避した。
「ウオオオオオオオオオオッ!」
雄叫びを上げつつ、フリームスルスはコーネリアへと向けて再び拳を振り下ろした。コーネリアは魔術を唱えつつ攻撃を牽制し、紙一重のところで巨人の拳を回避する。いなしきれなかった魔力を帯びた冷気の風が彼女の頬を撫でるが、怯まずに魔術を詠唱する。
攻撃後の隙を突いて、コーネリアは溜めていた魔力を解放した。彼女の上空に炎が棒状に形成され、やがてそれは槍の形を成していった。
「そこよっ!」
《フレアジャベリン》という、中級クラスの術だ。火炎の槍はコーネリアが手を振り翳すと同時に放たれ、先程傷を付けた場所へと深々と突き刺さる。傷を抉られた痛みからか、巨人は耳を劈くような雄叫びを上げ、地面に崩れ落ちた。
まだ息はあるが、今の一撃でフリームスルスの片足は消し炭と化しており、最早使い物にならなくなっている。巨人はのた打ち回りながら魔術を放っているが、狙いが定まっておらずどれもが明後日の方向へ飛んでいくばかりだ。
「あとは、トドメを刺すだけね」
コーネリアはフランベルジェを掲げ、地面をのた打ち回る巨人の喉元に突き刺した。
「さてと、私も戻る頃合いね」
胸元から《テレポート》の魔術を封じ込めた呪符を取り出そうとしたその時だった。
「っ……!?」
コーネリアは身体全体が圧迫されるかのような感覚に見舞われた。
「ウ……ウオオォォォ……」
(くっ、油断した!)
道連れにしようとしたのだろう。フリームスルスは最期の力を振り絞り、コーネリアの身体を握りつぶそうとしてきた。彼女は抜け出そうとするも、今までの戦いによって体力を消費していたため、思うように力を出せなかった。
「く……あぁ……、この、デカブツ……」
ギリギリと締め付ける力が強くなっていく。このままでは、本当に握りつぶされてしまう。
コーネリアは逃げ出すために、魔術の詠唱をしようとするが、なかなか思うように集中できない。
だが――
「ぬぅおおおおおおおおおおおっ!」
渋い声が響くと同時に、コーネリアは自分の身体が解放されたことに気付く。
視線を移すと、フリームスルスの腕は切り離されており、今の攻撃がトドメとなったのか、事切れていた。
「危ないところだったな、小娘よ。腕は立つようだが、少々油断したようだな」
どうやら、声の主が自分を助けてくれたようだ。
声の主は、見たことのない男だ。髪はそのほとんどが白く染まっており、顔立ちにもしわが目立つ。年齢は七十を超えているだろう。だが、獅子のたてがみを連想させるかのような髪型と、獅子のように険しい顔つきは追いを感じさせない。纏っているのは機動性と防御力を併せ持った鎖帷子で、得物であるハルバードの切っ先には、巨人の体液が付着している。
「あ、その、助かりました……。感謝いたします」
だが、信じられなかった。自分を助けた男性の鎧を見ると、そこにはクリークス公国の紋章が刻まれていたためだ。何故、見殺しにせずにわざわざ敵である自分を助けたのだろうか。
「儂は投降する。詳しいことは、本陣に戻ってから話そう」
俄かには信じ難いが、この男には既に戦意は無いようだ。周囲の生き残った兵士達も、武装を解除している。
何か、とてつもなく嫌な予感がした。
(レオン……)
コーネリアは心の中で、幼馴染みの無事を祈った。
2
ちょうど、コーネリアが砦の外で戦闘をしている頃。レオンハルトは少数精鋭の兵を引き連れて、砦内の攻略に当たっていた。
コーネリアが奮戦しているおかげか、内部への潜入は簡単なものだった。途中で敵兵の襲撃もあったが、難なく切り抜けることが出来た。
だが――
「グオオオオオオオオ!」
眼前から殴りかかってきたオークの攻撃を左手のブロードソードで受け止め、隙が出来たところを右手の剣で急所を突く。喉元に剣を突き刺されたオークは、不気味な呻き声を上げてそのまま事切れた。
(何故、砦の中が獣人や魔物の巣窟になっているんだ?)
砦に潜入してから、人間の敵との戦闘が殆んど起こっていない。襲い掛かってくるのは、ゴブリンやオークといった獣人の他――
「隊長、危ない!」
レオンハルトの背後から襲いかかろうとした黒い影を、傍らにいた女性兵士が斬り伏せる。黒い影は甲高い悲鳴を上げると、その場の空間に溶け込むかのようにして消滅した。
「すまない、ジェシー。助かった」
どうやら、油断していたらしい。得物を構え直し、兵に礼を言うレオンハルト。
「いえ、礼には及びません。ですが、一体これは何なのでしょう」
砦の中にいたのは、魔物ばかりであった。それも、身近な者達ではなく、本来ならばこのような人間が支配するような場所にはまず現れないような者達ばかりなのだ。
「俺も解らない。不死生物に精霊が、何故このようなところに……」
まず、不死生物だ。かつて命を持っていた者達――つまり、本来ならば既に生命が失われていながらも活動をする者達のことである。死体を媒介にしたスケルトンやゾンビ、グールの他、霊体のみの存在であるゴーストなどがこれにあたる。謂わば、仮初の生命体だ。こういった者達は所謂「負」の力を好むために、人間に近しい場所に、それも彼らが生活をしているような場所に突如として現れることはまずない。
そして、精霊だ。こちらは騒音や生活感のある場を嫌うため、こういった砦よりも森林や洞窟、河川などに住むことが多い。魔術に長ける者が多く、物理的な攻撃が効きにくいために難敵とされるが、好戦的な個体は少ない。
(やはり、何者かが使役しているとしか考えられないか……)
考えられる可能性は、それしかなかった。下級の個体に限られるが、どちらも比較的使役しやすい魔物に分類されるのだ。ただ、不安定なためにリスクを伴うという難点もある。
「た、隊長! 前方より、何者かが攻めてきます!」
兵の一人が声を上げて、仲間に異変を伝える。
「そんな、あれは……」
信じ難い光景だった。敵との遭遇は想定していたが、襲い掛かってきたのは――
「我々ラスティートの装備? そんなまさか……」
「陥落したと聞いていたが、どうなってるんだ?」
「く、我々を裏切ってクリークス側につくとは!」
「だが、かつての味方と刃を交えるなど、俺にはできねえよ」
兵士達の間に動揺が広まっていく。無理もないだろう、足並みを揃えて襲い掛かろうとしているのは、かつて自分達と轡を並べた、ラスティート国軍の者達なのだから。恐らくは、砦を守っていた者達や、街道で先鋒を務めていた者達だろう。
(これは……)
レオンハルトは砦があまりにも容易く陥落したと聞いていたので妙だと思っていた。裏切りの可能性も考えていたのだが、今までの戦いを振り返るとその線は信じ難いものだった。確かに、兵が裏切ることは戦いにおいて珍しいケースではない。だが、それは余程の覚悟が無ければできるものではないのだ。
敵をジッと注視するレオンハルト。そして、彼はある異変に気付く。
「待て、あれは」
確かに、ラスティートの紋章をつけているのが解る。他の隊の顔ぶれを把握しているわけではないが、装備などは自分達のモノに近しい。
だが、様子がおかしいのだ。攻め寄せてくるかつての味方を見ると、何か大切なモノが欠落してしまっているかのような、虚ろとも言えるような動きをしている。それだけではない。装備の一部は損傷しており、肌の露出している部分が黒ずんでいたり、あるいは蒼白い色をしており、明らかに人のものではないことが解る。
(そうか。魔術の中には死体を操るモノもあると聞いていたが)
死んで間もない人間の身体に仮初の生命を与えた者達のことを、リビングデッドと呼ぶ。
気に入らないやり方だ。既に事切れた者達を、このように使役することが許されるのだろうか。レオンハルトは激しい怒りと嫌悪感を覚えた。
だが、自分が感情的になっていては、周りの士気へと影響する。今できることは、動揺している味方を鼓舞することと――
「皆、怯むな。彼らはもう、不死生物と化してしまっている。最早、意思を持たなぬ哀れな魔物に過ぎない」
淡々と、静かな声で。レオンハルトは部下達に厳しい現実を伝える。
「……俺達に出来るのは、彼らを斃すことで、この世から解放してやることくらいだ」
そして、自分達に今出来ることを告げた。
斃すことで、彼らが解放されるという保証はない。だが、今やるべきことは、この砦を奪還することである。そのためには、かつての味方――今立ちふさがっている、不死生物とと化してしまった者達を斃すしかないのだ。
「戦いたくない者は無理をしなくていい。俺が、皆の分まで引き受けよう。戦える者は俺に続いてくれ!」
レオンハルトはそう言うと、不死生物の集団に向けて走っていった。部下達も彼に従い、各々の武器を構えて続いていく。
相手は意思を持たぬ者達のため、統率は殆ど執れていなかった。誰もが手当たり次第に、近くにいる兵へと襲い掛かっていくだけだ。故に、レオンハルト達の敵ではなかった。
レオンハルトは、先頭にいた者達を次々と斬っていった。だが、斬る度に血液や肉片ではなく、半ば腐り落ちた肉やら薄気味悪い紫色の体液が飛び散っていく。その様は、彼らが既に人とは異なる者へと変貌してしまったことを、完全に証明していた。
(すまない、俺にはこうすることしかできない)
心の中でそう呟くと、レオンハルトは正面のリビングデッドを袈裟斬りにし、もう片方の得物で隙を突いてきた敵の喉元を突き刺した。二体のリビングデッドはおぞましい声を上げ、醜い肉片と体液を撒き散らしながら崩れ落ちる。
部下達も奮闘しており、迷いはあるものの敵へと当たっている。誰もが現実を受け入れ、また、レオンハルトを信頼しているからだろう。もし、彼に人を引き付けるだけの魅力が無ければ、ただただ立ちすくむか、そのまま逃げだすだけだったに違いない。
だが、奮闘しているものの、無傷というわけにはいかなかった。やはり数が多いために、いなしきれなかった攻撃を受けて斃れていく部下達も何人か見られた。
(ジル、セラ、シュン……。すまない!)
可能な限り、治癒魔術を周囲へと使っているものの、全員を助けるには至っていない。ある者は不死生物に群がられ、ある者は武器により頭を割られて斃れていく。
「あと少しだ、皆頑張ってくれ!」
斃される者もいたが、士気の高まっているレオンハルト達を、不死生物達は止めることが出来なかった。
そして――
「これで終わりだ!」
最後の一体を、全身を乗せた一撃により斬り倒した。縦真っ二つに斬られた敵は、何度かよろめいた後に体液を垂れ流しながら倒れ伏した。
「隊長、お怪我は!?」
先程レオンハルトの背後の敵を斃した女性兵士が、彼のもとへと走り寄ってくる。
「俺は大丈夫だ。それよりジェシー、皆はどうだ?」
「はい。多少傷を負っている者もいますが、大丈夫です」
女性兵士ジェシーの言葉通り、生き残っている者の中に深手を負っている者はおらず、それなりに息は上がっているものの兵は皆元気だった。
「また、砦内の敵対心を持つ生命反応ですが、残すところあと二つとなりました」
レオンハルトは先程から、ジェシーに索敵の魔術を担当させていた。彼女は特別戦闘力に優れているわけではないが、レオンハルト以上に情報系の魔術に長けているのだ。
「味方の状況は?」
改めて、自分達の状況について確認するレオンハルト。それは今此処に立っている者ではなく、運悪く、あるいは実力が足らずに脱落していった、戦死者のものだった。
「……九人です」
砦内部に攻め入った人数が五十人であったことを考えると、それ程大きな損失ではない。だが、何よりも戦死者を出してしまったことが、レオンハルトとしては申し訳ない気持ちであった。戦争のため、死者が出ることは免れないのだが、これは彼の性格なのだろう。
実際、上官であるラグナスからは、しばしば感傷的になることを咎められている。自分でもそれを直そうと思っているのだが、なかなか上手くいかない。自分に言い聞かせても、どうしても意識してしまうこともあるのだ。
「そうか。この戦いが終わったら、九人を……いや違う」
外で戦っている者達の中にも戦死者はいるだろう。そして――
「俺達が手にかけた彼らも、弔ってやらなければ」
「隊長……」
悲しげな笑みを浮かべるレオンハルトだが、すぐに彼は切り替えた。心の中で思うこともあったが、せめて表面上だけでも取り繕わなければ、隊を率いる者として示しがつかないためだ。
だが――
「安心したまえ。君達もすぐに後を追うことになる」
若々しいが、何処か冷たさを孕んだ声と共にローブを纏った男が現れる。
レオンハルトはこの男に見覚えがあった。そう、先日街道で獣人を統べていた男だ。
「何を言ってやがる! 既にこの砦は――」
「待て、ペーター」
兵の一人が剣を抜き男へ斬りかかろうとしたのを、レオンハルトは手で制する。
「クリークス軍の将とお見受けするが」
レオンハルトは武器を構えたまま、ローブの男へと尋ねる。色々と聞きたいことがあるためだ。
「既に、砦内の者は我々が撃破している。これ以上戦っても無意味だ」
出来ることならば、捕らえて情報を聞き出すのが良い。だが、相手の素性が知れぬ以上、何をしでかすか解らないため、レオンハルト達は警戒を解いていない。
「投降してほしい。これ以上、無駄な血を流さぬためにも」
「フッ、フフフフフ、ハハハハハハハハハハ――!」
「な……」
レオンハルトの言葉を聞くや否や、ローブの男は声を上げて笑い始めた。強がっているのではない。フードにより顔は解らないとはいえ、このような状況にありながらも、その声は自信に満ちていた。
「別に構わぬのだよ。この砦も、兵達も、魔物も、単なる捨て駒に過ぎないのだからな」
「何を……」
こいつは何を言っているんだろう。
「まあいい。くだらない話は此処までだ。私の忠告を聞かなかったことを後悔させてやろう。出でよ、我がしもべよ!」
ローブの男はそう言うと、指をパチンと鳴らした。
すると、男の後方に遭った壁が吹き飛び、巨大なバトルアックスを持った異形が姿を現した。
背丈は成人男性の二倍といったところだろうか。筋骨隆々とした身体の持ち主だ。だが、その肌の色は青白く、顔立ちも人のものとは思えない程醜悪である。
オーグルと呼ばれる魔物だ。知性は低いものの、並はずれた筋力を持っている魔物で、その腕力から繰り出される攻撃は、板金鎧も簡単にひしゃいでしまう。
(まずい。これ以上被害を大きくするわけには……)
決して倒せぬ相手ではないものの、オーグルの後ろには魔術師が控えているのだ。対策をしてきたとはいえ、すべての術を防ぎきることはまず不可能だ。
「各員、撤退準備! 《テレポート》の呪符の使用を許可する」
一度建て直し、報告する必要がある。そう判断したレオンハルトは部下達にそう告げるが――
「無駄だ!」
ローブの男が手を翳すと、周囲に強い光が放たれた。その光の影響からか、発動しようとした呪符の効力が封じられている。
(対《テレポート》用の結界か)
《テレポート》を始めとする転移系の魔術は万能であるが、対策もされやすいという欠点もある。特に、戦いに於いては敵軍の侵入を防ぐために結界を張ることは当り前である。そして、逆にこのように敵の撤退を阻むことも可能なのだ。
「逃がさぬよ。君達は皆、此処で死ぬのだからな」
(どうする? このまま背を向けて引き返すのがベストなのは解っている。オーグルからは逃げられるだろう。だが――)
ローブの男が魔術師であることが問題だ。逃げる間に、狙い撃ちにされるのは目に見えている。
それならば――
「皆、俺が此処を止めている間に逃げろ。そして、此処で見たことを全て、ブラウン様に伝えるんだ!」
「ですが隊長! それでは――」
あまりにも無茶だ。如何にレオンハルトが剣術に長けていようと、得体のしれない魔物と素性の知れない魔術師を相手にするのは、あまりにも危険すぎる。ジェシーはそれを咎めようとした。だが、彼女の言葉を遮るように、レオンハルトは続ける。
「冷静になれ! 君達も見てきたから解ると思うが、この戦いはただ事ではない! 何か、何かマズイことがこの世界で起ころうとしている。これは俺の勘に過ぎないのかもしれない。だが、頼む。一人でも多く生き残って、この異変を国へ伝えてくれ!」
冷静になっていないのは、実際自分なのかもしれない。レオンハルトはそう自嘲するが、部下には一人でも多く生き残って欲しかった。
「解りました、ご武運を」
レオンハルトの言葉を聞いたジェシーは、静かに頷く。
「ですが、これだけは約束してください。我々のため、そして何よりもアルトレーヴェ副隊長のためにも生きて帰ることを」
「……約束しよう。必ずあの男を斃し、生きて帰ることを。さあ、皆行くんだ!」
レオンハルトが指示を飛ばすと、部下達は一斉に背を向けて走り出した。
「くっ、逃がさぬと言っている!」
ローブの男はすかさず魔術を詠唱しようするが、レオンハルトはすぐに間合いを詰めていった。
そこをオーグルがバトルアックスを振りおろして止めようとするが、彼の俊敏な動きにはついていけず、切っ先が地面に当たるだけだった。轟音と共に砂埃が舞い、石畳に亀裂が入る。もし直撃を受けようものなら、即死だろう。
想像以上の速さで間合いを詰められたため、男は魔術の詠唱を中断せざるを得なかった。その時、既に部下達の姿はこのフロアからいなくなっており、男の視界から免れていた。
「小癪な! 我がしもべよ、逃げたネズミ共を始末しろ!」
「わがっだ。おで、あいづら、つぶす」
知性が低いとはいえ、最低限の言葉は覚えているようだ。
だが――
地面を蹴る音と共に、オーグルはその場から姿を消していた。
(しまった、速い!?)
信じられなかった。大柄であるため、あまり敏捷性には長けていないと思っていたのだが、想像以上の脚力を持っているようだ。恐らくは、何らかの強化系の魔術を受けているのだろう。
「ふ、一騎討ちというわけか。それもまた一興だな」
男はそう言うと、一振りの剣を取り出し、構えた。魔術の使い手ではあるが、どうやら剣術の心得もあるらしい。
(皆、何とか逃げ切ってくれ)
レオンハルトはジッと男を見据える。
「さあ、私を楽しませてくれ!」
男はそう叫ぶと、剣を構えて地面を蹴った。
3
投降してきた老将の名は、グスタフ・ヴェークといった。
姿を見たことは無かったが、コーネリアは彼の名前に覚えがあった。というのも、このグスタフという人物は、クリークス公国でも有数の猛将であり、各地を転戦して功績を残してきた男のためだ。特に、東方の国々との戦いでは多くの将の首を取ってきたという。
「儂はもう戦う意思は無い。小娘よ、お主の属する軍に色々と伝えたいことがある」
グスタフは得物のハルバードを投げ捨てていた。暗器を持っている様子は無く、丸腰だ。
(これだけの将が私達に投降してくるなんて、一体何なのかしら?)
ただ事ではない。コーネリアは腕を組んだまま、ジッとグスタフを見据える。
「俄かには信じ難いのよ。あなた程の名将が、こうも容易く投降してくるなんて。どういった意図があるのか、今此処で教えて頂けませんか?」
勿論、上官であるラグナスには突き出すつもりだ。その前に、色々と尋ねたいこともある。というのも、投降に偽りがないとすれば、現在砦で戦っているレオンハルトにも知らせなければならない。
「儂が駆け付けた時には、既に此処での戦いはほぼ終わってたのだが」
髪と繋がった髭を弄りながら、唸るグスタフ。どうやら、この戦いには直接関わっていないらしい。砦での異変を聞きつけて、クリークス本国から駆けつけたのだろう。
(うーん、まだ信じられないけど、どうも魔物をけしかけるやり方を見ていると……)
「アルトレーヴェ副隊長っ……!」
「え?」
砦の方角から、一人の女性兵士が駆け付けてきた。どういうわけか、かなり息が上がっている。外傷はないものの、消耗の仕方が尋常ではなかった。いや、一人だけではない。二人、三人と次々と兵士が駆けつけてくるのが解る。
レオンハルトと共に、砦内の攻略に当たっていた者達だ。だが、彼の姿が見当たらない。コーネリアは、背筋が凍りつくかのような感覚に見舞われた。
「ちょっとあなた達! レオ……じゃない、クリューガー隊長は!?」
動揺しているのが自分でも解った。思わず名前で呼びそうになったのを、何とか留める。
「そ、それが……」
女性兵士が事の詳細を告げようとした時、彼女の後方で地鳴りと幾人かの絶叫が響き渡った。
「ぬぅ、これは面倒なことになったな。事実を目の当たりにしたであろうお主の部下が来てくれたから、多少は話しやすくはなった。だが、どうやら悠長に話をしている暇はなさそうだ」
「あ、ちょっと!」
グスタフは立ち上がるや否や、投げ捨てたハルバードを目にも止まらぬ速さで拾い上げた。
やられた。そう考えたコーネリアは、すかさずフランベルジェを抜刀してグスタフの攻撃に備える。しかし、彼はこちらには斬りかかってこず、砦の方をジッと睨みつけている。
そして、『異形』は姿を現した。
蒼白い肌に筋骨隆々とした身体つき。背丈は成人男性の二倍はある。片手には巨大なバトルアックスが握られており、もう片方には――
「ひっ、やめろ! 離せ! 離せこのバケモノ!!」
レオンハルトと共に行動していた兵の一人が掴まっていた。彼は必死に振り解こうとしているが、余程の膂力で握られていること、そして自分が不安定な体勢にいることもあってか、まるで歯が立っていない。
そして――
「あ、ぐ、がが……ごげぇっ――!?」
ぐしゃり。何かが潰れるような音と共に、オーグルの左手から血飛沫が上がった。オーグルは獲物を仕留めたことを確認すると、肉塊と化した兵士を口の中に放り込んだ。
「何よ、あのバケモノ……! レオンは? レオンはどうなの!?」
過去に何度か戦ったことがある魔物ではある。だが、コーネリアは動揺していた。最悪の事態が脳裏を過る。
彼女は思わず取り乱しそうになるが、そこを歴戦の猛将が静かな声で諭した。
「落ち着け、小娘。お主のところの隊長の噂は聞いている。こんなバケモノに後れをとる奴ではなかろう。それより、まずはバケモノを斃すことが先決。怖くて戦えないのならば、下がっているのだ」
無事だという根拠は無い。だが、コーネリアはグスタフの言葉を聞くと、少しではあるが落ち着きを取り戻すことが出来た。
(そうね。レオンならきっと……)
コーネリアは、想い人の無事を自分に言い聞かせる。
「……大丈夫です、私も戦います」
そう。今はアレを斃さなければならない。今出来ることは、立ちはだかる敵を斃すことだけだ。
「あなた達はすぐに報告に戻りなさい」
部下達に背を向けたまま、コーネリアは指示を出す。彼らはそれに従い、敬礼をするとフェルゼスの街へと向けてかけ出した。
(ふむ、冷静さをすぐに取り戻せるか。先程の戦いぶりといい、形だけの小娘だとは思っていたが、なかなかの器を持っておる)
グスタフは興味深そうにコーネリアを一瞥すると、ハルバードを構え直した。
「行くぞ!」
グスタフは大地を蹴ると、オーグルへと向けて走り出した。彼の動きに反応するかのように、オーグルはバトルアックスを振り回し、狙いを定める。そして、バトルアックスをグスタフ目掛けて振り下ろしてきた。
想像以上に速い。避けきれないと判断したグスタフはハルバードを横に構え、防御姿勢を取った。
鈍い金属音が響く。グスタフは険しい表情で、オーグルのバトルアックスを受け止めていた。相当な衝撃があったのか、大柄であるグスタフの身体は、数メートルほど後ずさっており、地面にその後がくっきりと残されている。
「ぬうう、奴め。魔術で強化させておるか!」
グスタフがオーグルの攻撃を受け止めている間、コーネリアは後ろへと回り込んでいた。そして、気合いを込めた一撃をオーグルの左足へと埋め込む。だが、オーグルの皮膚は想像以上に堅く、決定的な一撃を加えることが出来なかった。
オーグルの皮膚に浅い傷を付けるだけに留まったコーネリアは、すぐにその場から飛び退かなければならなかった。今の一撃が、オーグルの注意を自分に引き付けたためだ。
「うが、おんな。おまえ、おいじぞうだ。ぐわせろ」
片言で舌足らずではあるが、オーグルはコーネリアを見ると、自らの口の周りを舌で舐めまわした。
「お断りよ」
オーグルを一蹴すると、コーネリアはバックステップを繰り返しつつ、下級魔術を続けざまに詠唱した。彼女の手元から、小型の火球が次々と放たれていく。《ファイアボール》という術だ。
「あづい! あづい! なにずるぅぅぅ!」
威力の弱い呪文とはいえ、火に当たれば当然熱い。一発のダメージは小さいものの、《ファイアボール》はオーグルの注意を引き付けつつ、上手く足止めをしている。
「ぬぅおおおおおおおおおッ――!」
その間に、グスタフは体勢を立て直していた。ガラ空きとなったオーグルの背後から、ハルバードの斧の部分を力一杯に叩きつける。
ぞぶり、とオーグルの腰の部分に刃が埋め込まれる。コーネリアより膂力に優れているのだろう、彼女がつけた傷よりも、グスタフはより深くダメージを与えることに成功する。だが、致命傷を与えるには至っていない。グスタフはすぐさま、その場から右へと飛び、振り向きざまにバトルアックスを振り回してきたオーグルの一撃を回避する。
「うがああ、ちょうし、のるな、にんげん、ごどぎがぁぁぁぁぁぁ」
痛みに絶叫を上げるオーグル。だが、まだ戦意は失っておらず、手当たり次第にバトルアックスを振り回している。
「ぬうっ――!」
「くっ――!」
コーネリアとグスタフは何とかオーグルの攻撃を各々の武器で防御する。だが、衝撃まではいなすことが出来ずに、押し飛ばされる。何とかバランスを保つも、腕にビリビリと震動が走った。
「オーグルとはいえ、なかなかの相手だ。血が騒ぐ」
にやり、と笑みを浮かべるグスタフ。しかし、あまり余裕がないことはコーネリアにも解った。
「此処まで強化するなんて、何者なの……?」
ふと、砦の内部にいるレオンハルトの顔が一瞬脳裏を過る。
「だが、確実に押している。このまま一気に行くぞ」
オーグルの動きは少しずつではあるが鈍ってきていた。二人の攻撃は致命傷になっていないとはいえ、着実にダメージを重ねている。
勿論、二人もただでは済んでいない。いなしきれなかった衝撃や余波により、体力を削られている。あまり長時間戦うことは出来ないだろう。それに、此処で守りに回っていては、一気に叩き潰される可能性がある。
「ぐぬっ、抜かったか!」
グスタフが思わず呻く。渾身の一撃を放ったのだが、それはオーグルによって防がれてしまう。
ダメージを重ねてきているとはいえ、オーグルはまだ戦意がある。グスタフがバランスを崩したところを見逃さず、バトルアックスを振りおろそうとした。
(間に合って!)
防御系の術を唱えるべく、コーネリアは意識を集中した。
頭に鈍い痛みが走る。だが、集中を解けば暴発する可能性があるため、コーネリアは苦痛に耐えながらも意識を繋ぎとめた。
轟ッ――!
オーグルの視界に炎が噴き上がり、燃え盛る壁を形成する。《ブレイズスパイク》の術を応用化したものだ。より高密度の炎を作り出すことにより、オーグルの視界を阻んだのだ。グスタフの姿を見失ったオーグルは、攻撃を中断せざるを得なかった。
「うがあああ、えもの、どごだ? ぐぬぬ、おんな、おまえの、しわざだな」
「今更気付いても遅い……」
不敵な笑みを浮かべるコーネリア。そんな彼女を叩き潰すべく、オーグルはバトルアックスを構え直し、振りおろそうとした。
だが――
「おでの、おの、ない? どこ、いっだ?」
オーグルは自分の身に起きていることを理解できずにいた。
持っている筈の武器が無い。いや、それだけではない。武器だけではなく、武器を持っていた手の感覚が無いのだ。
「見事だ、小娘よ。お主は優れた術師でもあるのだな」
ハルバードを構えて宙へと跳躍していたグスタフが、ニヤリと笑みを浮かべる。
遅れること数秒、空中で弧を描いたバトルアックスとオーグルの腕が地面に落ち、幾度かバウンドした。隙だらけになったところを、グスタフのハルバードによって切断されたのだ。
「まったく、無茶しますね。もし私の《ブレイズスパイク》の解除が遅れていたら、あなたは黒焦げでしたよ?」
コーネリアは呆れつつも、集中を解いていなかった。オーグルが怯んでいるところを突き、地面を強く蹴ると、もう片方の腕に渾身の一撃を加えた。
「う、うおおおおおお、おおおお、おおおおおおおお――」
切断された両腕の斬り口から、夥しい量の体液が噴き出る。如何に魔物といえど、身体を斬られれば苦痛を感じるわけで、オーグルは絶叫とも慟哭とも言えるようなけたたましい声を上げている。
「過去に戦場で炎など、何度も受けておる」
グスタフは哀れなオーグルの急所にハルバードを突き刺した。
「ご、ごががが、あ、おおおおおおお……」
武器を失い、両腕を切断されたオーグルには最早戦う力は残されていなかった。傷口と口から体液を垂れ流した後、オーグルは力なく地面に崩れ落ちた。
「ふむ、何とかなったか。お主がいなければ、少々骨が折れたやもしれん」
「こちらも、あなたがいなければ冷静に戦えなかったでしょう。ありがとうございます」
グスタフに対し、静かに敬礼をするコーネリア。
初めは疑っていたが、どうやら信頼に足る相手のようだ。だからこそ、改めて聞き出さなければならない。今、この場で起こっていること、グスタフが知っていることについてを。
「解っておる。それに、お主の上官も来たようだからな」
グスタフはそう言うと、ハルバードを再び地面に投げ出した。
視線を移すと、髪の毛を角刈りにした壮年の男性――ラグナスが、少数の兵を連れて現れた。
「コーネリアか、これはまた随分と無茶をしたな。だが、よくやった」
半ばあきれるように、そして半ば安心したかのように、ラグナスはコーネリアを労った。
「いえ、私一人の力ではありません。こちらの――」
コーネリアがグスタフを紹介しようとした時、既に彼はラグナスの前で跪いていた。
「お初にお目にかかる、ブラウン殿。我が名はグスタフ・ヴェークと申す」
「貴殿の投降については、部下より話は聞いている、顔を上げてくれヴェーク将軍」
急ぎのこともあってか、グスタフの報告はその場で行われた。
その内容は信じ難いものだった。クリークス公国には得体の知れない連中が現れ、激しい戦闘が起こったらしい。多くの者がその手にかかって命を落としており、クリークスの大公も行方知らずだという。グスタフはそれを知らせるために、単騎でこの場まで来たらしい。
「獣人の軍といい、戦場に現れた魔物といい、そして砦内にいたという不死生物といい、この大陸で良からぬことが起ころうとしているワケか」
ラグナスは腕を組んで唸った。
グスタフの言葉が真実だとすると、既にクリークスは何者かの手に落ちているということだ。信じ難いものの、今までの報告を聞いていると受け入れざるを得ない。
「……レオン」
コーネリアは徐に砦へと向けて歩き出そうとした。だが、ラグナスは彼女の肩を抑えて、それを制する。
「待て、コーネリア。お前の気持ちも解るが、行かせるわけにはいかん」
「ですが!」
「解ってくれ、コーネリア。我々は一度退き、この件について一刻も早く報告せねばならん。それに、奴の隊を纏められるのは、今はお前だけだ」
「くっ」
認めたくない。だが、軍に身を置く立場として、感情に身を任せて動くわけにはいかない。
(生きて帰ってこなかったら、許さないから)