第3話 届かない想い
レオンハルトは敵軍を撃破して間もなく、フェルゼスの街へと戻り、戦果を報告した。敵の指揮官は逃したものの、敵軍の出鼻を挫いたことは、フェルゼスに駐屯していた軍の士気を大いに引き上げる結果となった。
だが、クリークス公国が同盟を破棄した意図については、未だ何も解っていない。何度か使者を送っているのだが、誰ひとり帰ってきていないのだ。恐らくはその場で斬られているか、運よく監禁に留まっているかであろう。
「大臣も頭を抱えている。なるべく穏便に済ませたいようだが……」
腕を組んで、考え込むラグナス。彼としても、今回の同盟破棄については気になるところがあるのだろう。
「最低でも、まずは奪われたノルト=フェルゼス砦を取り返さねばならんな。だが、相手の素性が解らなさすぎる。獣人の他にも、何やら隠し持っているとしか思えないが」
「申し訳ありません。私が敵の指揮官を討ち漏らしたばかりに……。それに、今回の私の行動は、指揮官としてあるまじきものでした」
「何、気にするな。お前が先鋒を撃破してくれたおかげで、兵の士気も上がっている。明日には砦の攻略に移れるであろうし、市街戦になることもなかろう」
レオンハルトは申し訳なさそうに、頭を下げる。だが、それを咎めようとはせず、ラグナスは微笑みながら彼の頭に手を置いた。
「時折無茶をするが、お前には不思議と部下がついてくる。それはお前の人柄に惹かれているのだろうな。そういった器も、隊を指揮する者には必要なのだ。俺はお前がそれを持っていると信じ、抜擢したのだからな」
それはまるで、弟子を諭す師のような眼差しだった。
「情報が少ない故に危険かもしれんが、このまま守っていても事態は好転しない。この機に乗じて砦を攻めようと思う。お前の部隊に一任したいが、やってくれるな?」
「はい、この一命に代えても奪還してみせます」
その夜――
先程の雲行きが物語っていたように、しとしとと雨が降り始めた。
見回りをしていた兵士達は、装備や兵糧が濡れぬように布をかぶせ、自らも雨避けの外套を羽織り始めている。
そんな中、レオンハルトは雨宿りもせず、ただ分厚い雲に覆われた空を見上げていた。ただ呆けているわけではなく、砦の攻略をどのように行うかを考えていた。
(やはり、少数精鋭が得策か。撤退することも考えておくと、大人数での行動は好ましくない。全員に転移魔術を付与した呪符を持たせるとして……)
相手の素性が解らない以上、下手に攻め立てても成果は得られないだろう。
(危険だが、正面は彼女に任せるべきか)
頭の中で、戦術を構築していく。つい先程も軍議で説明したが、それが最善のものであるかを再確認する。
ある程度の兵法を学んでいるとはいえ、自分は策略家ではない。編みだした戦法が何処まで通用するかは解らなかったが、レオンハルトはただ只管、味方への被害を抑えながら如何に効率よく敵を斃すかを考えていた。
(とはいえ、先程の魔術師。奴が砦を守っていると考えた方がいいだろう。苦戦は免れないか)
「隊長、こんなところにいたんですか?」
後ろからの声に振り返ると、そこには緑髪の女性、コーネリアが立っていた。
既に彼女の見回りの時間は終わっている筈なのだが、未だ鎧を着ているあたり仕事に対して熱心なのだろう。武装しているとはいえ、雨に濡れる彼女の姿は、何処かしら煽情的に見える。
「ああ、明日の砦攻略について考えていた」
「他にも、何か考えていることがあるんでしょう、レオンは」
突然、愛称で呼ばれたためにレオンハルトは戸惑いを隠せなかったが、これが二人の間での普段の呼び名である。長らく軍に入っていたために忘れかけていたが、それだけ二人は親しい間柄なのだ。
「もう、私にはお見通しなんだから」
腰に手を当てて、身を乗り出してくるコーネリア。この仕草も、士官学校時代と変わっていない。レオンハルトが何か考え事をしていると、フリーの時はいつもこうしてきたのだ。
「ははは……。やっぱり敵わないな、ネリィには」
何処かやりづらそうに、苦笑を浮かべるレオンハルト。
「で、何について考えているの?」
興味深そうに、ただ何処か深刻な表情で、コーネリアは尋ねた。
「先程の戦いで、相手の指揮官と思われる男に遭ったんだ。だが、奴からは恐ろしい程の邪な気を感じた」
「相手の顔は見たの?」
「いや、フードを被っていて解らなかった。声の質からすると、俺達と対して変わらない年齢だと思うが、強力な魔術の使い手だった」
果たして、自分に倒せる相手なのだろうか。不安が脳裏を横切る。
「やっぱり、何かあるのかしら……」
「解らない。単なる勘なのかもしれないし、俺の中に半分流れている、ドルイド……の血がそう告げているのかもしれない」
ドルイド――
この世界セフィールにおいて、人里離れた場所に集落を形成して暮らしている者達だ。強力な予言の力を持っているとして、かつては世界の守護者として称えられていた者達だが、今では見る影もないほどまで凋落している。今日では、ドルイドの伝承などは子供が寝物語程度に聞くものとなってしまっている。
ドルイドが凋落の道を辿ったのは、大陸に戦乱が起こり始めてからだと言われている。誰もが己の利益を追求するようになってから、彼らの言葉に耳を傾けることが無くなっていったのだ。その結果、かつては栄華を誇っていたドルイド信仰はすっかり廃れてしまっている。
現在ではドルイドは俗世間との関わりを絶っており、大陸で起こっている戦乱にも干渉していない。また、世間もドルイドを、「何を考えているのか解らない連中」として、忌避する傾向にあるのだ。
「ごめん。人々から見ればドルイドの予言は、その辺りの占い師の言っていることと変わらないだろうし、下手に口にすると変な人だと思われてしまうね」
何処か自嘲的に、物哀しげな笑みを浮かべるレオンハルト。
「レオン……」
レオンハルトは、ドルイドの集落を飛び出した母と当時のクリューガー家の長男であった父の間に生まれた子だ。謂わば、変わり者同士が結ばれた結果である。故に、幼少時は忌避や嘲笑の対象となっていた。
それでも、彼は逆境に耐えつつ現在の地位まで伸し上がったのだ。彼の生まれを蔑む者は少なからずいるものの、各地の戦場で残してきた功績を認めない者はいない。士官学校時代の教官であったラグナスは彼を認めているし、部下達も彼の人柄に惹かれて背くこと無くついてきている。
そして、誰よりもレオンハルトを支えてきたのが、コーネリアだ。
「あの時のことも覚えているよ、ネリィ。あの頃のネリィはとてもお転婆で、俺はよく剣術の稽古に付き合わされては、ボコボコにされて泣いていたっけ」
レオンハルトは少しおどけたように言った。
「ちょっ、ちょっと! それは昔のことでしょう!」
彼の言葉に、コーネリアは顔を赤く染めて抗議する。
(でも、今でも信じられないな。あんな泣き虫で弱虫だったレオンが、こんなに頼れる隊長になるまで登りつめるなんて……)
過去を振り返ると、恥ずかしさもあったが、嬉しさもあった。
ちょっとした好奇心でレオンハルトに話しかけたのだが、此処まで親しくなるとはコーネリアは思ってもいなかったのだ。
「改めて礼を言っておくよ、ネリィ。俺が今ここにいるのは、君のおかげだ。もし、君に出会っていなければ、俺は弱いままだった」
「あ、いや、そ、そ、その、別に私はそんな……」
コーネリアは自分の鼓動が高まっていくのを自覚していた。声も上ずっており、見る者が見れば――というより、あまりにもあからさま過ぎる様子だ。しかし、そんな彼女の様子に気付く様子も無く、レオンハルトは言葉を続ける。
「照れることは無いよ。俺はただ、君に感謝しているだけだからな」
やはりというかなんというか。レオンハルトは自分の言葉がコーネリアを焦られてしまっていることをまるで自覚していない。
一呼吸おいて、レオンハルトは口を開いた。
「その、今から付き合ってほしい」
時間にして、それはほんの数秒だったであろう。二人の間の時が止まったかのように、沈黙が落ちる。聞こえてくるのは、先程から降り続いている雨の音だけだ。
「つ、つ、つ、つきあ……」
頭の中で、レオンハルトの言葉を何度も咀嚼するコーネリア。
再び、二人の間に沈黙が落ちる。そして。
「え? え? えぇぇぇぇぇぇっ!? そ、そんな、れ、れれれ、レオンと、わ、わ、私が、つ、つつつ、つきあ、あ、あ、え、えぇぇぇぇぇぇっ!?」
コーネリアは思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
一方、レオンハルトは彼女が何故これ程まで取り乱しているのか理解できておらず、ただきょとんとした表情を浮かべているだけだ。
「おいおい。何焦っているのか解らないが、いつものことだろう?」
慌てふためくコーネリアを見て、微苦笑を浮かべるレオンハルト。
「はひ?」
「ほら、ちょっと感傷的になってしまっただろ? だから、ちょっと稽古でもして邪念を晴らそうと思ったんだ。今までも、そうしてきただろう」
そう言うと、レオンハルトは近くにあったテントに入ると、練習用に刃を落とした剣を三本持ち出してきた。そのうち一本は、身の丈ほどの大きさのものだ。
「……あ」
此処で、コーネリアは自分が勘違いしていたことに気付いた。彼女の思いは複雑なものであろう。安心と落胆が、彼女の心の中を支配していた。
そうだ。昔から、レオンはこういう奴だった、と。
「もしかして、体調が悪いのか? ならば、無理強いはしないし、休んでおくといい。さっきも少し様子が変だったから――」
何処か不満げなコーネリアを見て心配そうに顔を覗きこもうとするレオンハルト。此処まで無自覚なのも珍しいであろう。
「や、やります! 付き合いますッ!」
ムスッとした表情で、コーネリアは練習用の両手剣をレオンハルトからひったくった。
「解った解った!」
「クリューガー隊長、全力でいきますから!」
(うーん、何を怒ってるんだろう? まあいいか、こう言う時は、何も考えずにぶつかれば、お互いにスッキリするだろう)
不機嫌そうに両手剣を構えるコーネリアをジッと見据えて、レオンハルトは双剣を左右の手に携えた。
(もう、何なのよこの鈍感男は! 私の勘違いだったとはいえ、ああもう!)
コーネリアもまた、先程の恥ずかしさを稽古で吹き飛ばしてやろうと考えていた。
そして――
「いくぞ、コーネリア!」
「こちらも、容赦しませんから!」
二人はほぼ同時に大地を蹴った。