第2話 迎撃
敵の先鋒が姿を現したのは、レオンハルトとコーネリアが配置に付いてから一時間足らずのことであった。速度は然程速くは無いが、砂煙を上げながら、フェルゼスに向けて進軍してくる。
だが、その敵の様子はあまりにも異質であった。
「あれは……ゴブリンとオーク?」
怪訝そうに敵を見つめるコーネリア。彼女の視線の先には、人とかけ離れた姿の異形が存在したためだ。一方は、人間の子供くらいの背丈で、鬼のような顔をしたゴブリン。もう一方は、豚の手足を伸ばし、二足歩行にしたかのような風貌のオークだ。
ゴブリンやオークといった者達は、人里離れた場所で暮らす種族である。どちらも獣人と呼ばれる存在で、人間とはあまり友好的ではない種族だと言われている。時折、徒党を組んで旅人や商人を襲うこともあるのだが、知性があまり高くないために組織だった行動は得意ではない。小規模ならともかく、街ひとつ攻めるため程の数を束ねることは、彼らには難しい筈なのだ。
「信じられません。我が国の軍が、あのような蛮族に後れを取るなど」
「詮索は後だ。とにかく、攻め寄せる敵を倒そう」
両軍が衝突するのに、然程時間はかからなかった。
射撃攻撃により相手の出鼻を挫いた後、両軍は街道の中央で白兵戦を繰り広げ始めた。
「皆、俺に続け!」
レオンハルトは二振りのブロードソードを抜刀し、敵を目掛けて突貫していった。それに応じるかのように、部下達は各々の武器を構えて、彼に続いていく。隊を率いる身分であるが、レオンハルトは先陣を切って戦ってきた。まだ若いが、このように前線で戦うレオンハルトの姿を見た部下達は、自然と彼を信頼するようになっていた。
まず、レオンハルトは戦闘にいたゴブリンに二振りのブロードソードで斬りかかった。ゴブリンは短剣で攻撃を受けとめようとしたが、彼の動きにはついていけずに、なす術なく崩れ落ちた。
次の相手はオークだ。レオンハルトが攻撃を行った後の隙を突いてきたが、彼の動きはあまりにも素早かった。振り上げた棍棒は左手の剣で弾かれ宙を舞い、得物を失ったところを、右手に携えた剣で斬り伏せられた。
(ゴブリンとオークにしては、妙に統率が取れているのが気になるが……)
「はぁぁぁぁぁっ!」
喊声と共に、十体あまりのゴブリンが血飛沫と共に吹き飛んでいった。その方向に目を移すと、コーネリアが得物を振るって鬼神の如く敵を倒していた。
彼女が振るっているのは、その身体に似合わぬ物々しい武器だ。身の丈ほどある両手剣で、刃が揺らめく炎のように波打っている。フランベルジェと呼ばれる剣である。美しい外見とは裏腹に、その歪とも言える刃で斬られれば傷口がズタズタにされ、回復も難しくなるという恐るべき大剣だ。
「ふん、他愛ない。数は多いですが、私達の敵ではありませんね」
戦闘中でありながらも、二人には会話するだけの余裕があった。
「ああ。未だ、先鋒隊と砦が落とされたのが信じられない」
やはり、何か嫌な予感がする。
(これは囮なのだろうか。いや、どちらにしろ、街には本隊が布陣してあるため、奇襲への備えは充分に出来ている筈だが……)
真正面から棍棒を振りおろしてきた三体のオークを、レオンハルトは舞うような動作で斬り伏せた。如何に屈強な身体を持っていようと、急所を突かれればひとたまりもない。オークは下品な断末魔の叫びを上げて、その場に崩れ落ちた。
彼の後方では、コーネリアがフランベルジェを振るい、二体のオークを引き裂いていた。余程の力が乗っていたのか、武器ごと身体を真二つにぶった斬っており、夥しい量の血液が飛び散っている。
二人の奮戦もあってか、兵の士気は高まっていた。数ではやや劣っていたとはいえ、次々と攻め寄せるゴブリンとオークを撃破している。
「隊長。妙ではありませんか?」
コーネリアは懐に入ってきた敵を蹴撃で牽制し、フランベルジェの柄で殴り倒した。
「君も気付いていたか」
「はい。ゴブリンとオークにしては、やや軍の精度が高く統率も取れています」
味方への被害は少ないものの、今まで相手にしてきた獣人達とは違うものだった。装備も整っており、連携も取れているのだ。
(ゴブリンやオークではない、何者かが彼らを統率している……?)
その時だった。
近くで耳を劈くような爆音が響き、巨大な火柱が上がった。火柱は付近にいた兵士と獣人達を、敵味方問わず巻き込み、吹き飛ばした。直撃を受けた者は消し炭と化し、運よく免れた者も大火傷を負ってのた打ち回っている。
「魔術!?」
コーネリアは思わず驚きの声を上げた。
「巻き込みを防止のための識別法なら、軍の魔術師なら覚えている。それに、ゴブリンやオークにこれ程の術は使えない筈だ。これは一体……」
今までの準備を振りかえる。だが、何一つ間違った覚えは無い。
そうしている間にも、辺りで次々と辺りで火柱が上がり、敵味方を焼き焦がしている。突然の出来事に、先程まで士気が高かった兵達が、動揺し始めている。
「皆怯むな! 今までも、魔術師を相手にしてきたことはあった筈だ!」
戦場に上がった火柱は魔術と呼ばれる力によるものだ。自然界の精霊の力や身体の内に眠る未知の力を介抱することにより、具現化する。こういった魔術は戦局に大きな影響を与えるため、魔術師一人で一般兵士百人の力を持つと言われている。故に、今日の戦争で魔術師は戦略における重要な存在である。
尤も、その魔術は誰もが使えるわけではない。訓練すればある程度の術はこなせるようになるが、生まれ持っての才能に大きく左右されるのだ。また、使える「系統」も生まれつきの才によって変わってくる。つまり、これは極端な話になるが、街で花を売っているような少女が、一個師団を一瞬にして壊滅させてしまうだけの魔術を使いこなせることもあり得るのだ。尤も、軍人でもない限り、魔術の才能に気付かずに一生を終えることが殆どなのだが。
ちなみに、ゴブリンやオークは、魔術の適性が種族として低い。これ程の火柱を起こすのはまず不可能で、使えたとしても街で小火を起こすくらいの火を発生させる程度だ。
(まずい、兵が動揺している。気休め程度にしかならないが……)
恐慌状態までに陥ってはいないが、このままでは被害が拡大するばかりである。それを懸念したレオンハルトは、意識を集中し始めた。
心の中で「言葉」を紡ぐこと数秒、彼の周囲にいた味方が淡い光に包まれた。
レオンハルトが唱えたのは、《アンチマジック》という、魔術に対する耐性をあげるものである。比較的簡単な術ではあるが、かけておけば先程の火柱の直撃を受けても致命傷を免れるだけの耐性は得られるのだ。簡単な術とはいえ、それを一度に多人数に展開できるあたり、彼がそれなりに優れた魔術の使い手であることを示していた。
「気休め程度にしかならないが、先程の魔術にある程度の耐性は得られる。俺が敵の魔術師を叩くまで、辛抱してくれ!」
「あ、ちょっと隊長!?」
コーネリアがオーク達をフランベルジェで一閃した時、既にレオンハルトは敵を斬り伏せながら走りだしていた。
「コーネリア、この辺りの指揮は君に任せる!」
背を向けたまま、コーネリアに向けて叫ぶレオンハルト。
「もう! いざという時に猪武者になるところは、士官学校時代のままなんだから!」
今までもこのようなことが何度かあったのだが、相変わらずのレオンハルトを見てコーネリアは苦笑した。
だが、彼ならやってくれるだろう。後ろ姿を見ながら、コーネリアは周囲の敵の殲滅に専念した。
大体の敵の目星は付いていた。
レオンハルトは防護系の魔術の他、魔力探知のための情報魔術を密かに唱えていたのだ。外部からは解らないものの、彼の脳内には戦場全体の地図が描き上げられている。
被害は受けたものの、戦局は未だこちらが優勢だ。だが、いつまで戦局を維持できるかは解らない。それならば、戦局に影響を与えている魔術師を叩くべき――そう考え、レオンハルトは単騎で敵陣の奥深くへと斬りかかっていった。
魔術師はその能力を特化させる傾向にあるため、白兵戦を身につけていないことが多い。また、高度な術になればなるほど詠唱に時間がかかり、無防備な姿を敵に曝すこととなる。故に、大規模な戦いに於いては、後列に配することが常識となっている。
(敵の数はかなり減ってきているようだな)
キリが無いと思っていたが、敵中を突破する際に、擦れ違うゴブリンやオークの数が減ってきていることが解った。ある者はかわし、ある者は斬り伏せ、ある者は蹴り倒し、レオンハルトは只管進んでいった。
刹那。
「くっ!」
魔力の流れを察知し、レオンハルトはすぐにその場から飛び退いた。彼が立っていた場所からは巨大な火柱が噴き上がり、周囲にいたゴブリンとオークを巻き込んだ。
少しでも遅れれば、直撃を受けていただろう。吹き付ける熱風と何かが焦げる匂いに、レオンハルトは思わず顔を歪めた。
(対魔法の装備をしているとはいえ、危なかったな)
「ふむ、今の《フレイムピラー》を避けるか。だいぶ高速で詠唱したつもりだったが」
火柱が治まると、レオンハルトの前にはローブを羽織った一人の男が立っていた。
声質からすると、まだ若いことが解る。だが、顔はフードで覆われており、どのような相手なのか、窺い知ることは出来ない。ただ、男がたった今自分の魔術について告げたこと、そしてレオンハルトが魔力の流れを辿った結果この場に辿り着いたことが、この男が魔術師であることを証明していた。
「なるほど。見たことの無い顔だが、なかなかやるようだな」
(この感じ、獣人ではないが……)
そして、人間でもない。レオンハルトの勘が、そう告げていた。
先程の魔術を避けてから、男からは一切の殺気が感じられない。それがかえって、レオンハルトの警戒心を強めている。
(何者なんだ、この男は……)
「おや、随分と怖い顔をしているな。我が術により、部下を葬られたことに腹を立てているのか?」
「く……!」
戦いがあれば、誰かしらが命を落とす。それは解っていたが、この男の言葉はレオンハルトの神経を逆なでするようなものだった。
今にも斬りかかりたい想いを抑えつつ、レオンハルトは男をジッと睨みつけ、言った。
「あのゴブリンとオークは、あなたが指揮していたのか?」
「如何にも。ただ、この様子を見るとたいした戦力にはならないことが解ったよ」
獣人を束ねているあたり、ただ者ではないのだろう。敵味方を識別することなく魔術を唱えていたのは、初めから彼らを捨て駒としてしか考えていなかったのだろう。
「やはり、君達と戦う前に一戦交えた部隊……、彼らに対してぶつけた駒の方が優秀だったか。その方が、動揺も誘えただろう」
「何を言っている……」
レオンハルトの言葉に対して、男は無言だ。
「同盟の破棄に、どういった意図がある?」
その問いに対しても、男は答えずに笑っているだけだ。
そして――
「さて、勝負はほぼ決まっているようだし、一度下がらせてもらうよ。ひとつ忠告しておこう、命が惜しいのならば、我々の邪魔をしないことだ」
「待て!」
去ろうとするローブの男に向けて、レオンハルトは二振りの剣で斬りかかった。色々と聞きたいことはあったが、今此処で討っておかねば後に禍根を残すだろう。そう判断してのことだ。
だが、ブロードソードの刃が男を捉える前に、男の姿はその場から姿を消した。
(《テレポート》か……。此処まで高速で詠唱出来るとは)
余程の実力者であることは間違いないだろう。
(とにかく、戻って報告しなければ)