第1話 不穏
ラスティート王国・辺境都市フェルゼス――
その日、フェルゼスの町は物々しい雰囲気に包まれていた。
平時ならば、通りで子供達が駆け回り、犬の散歩をする者の姿が見られるのだが、様子が違った。通りは武装した兵士達が歩きまわっており、広場には簡易テントがいくつも建ち並んでいる。
そんな中、一人の男が、各班に指示を出したり、装備の確認をしたりと、熱心に動いていた。
若い男だ。二十代前半といったところだろうか。肩まで伸ばされた、アッシュブラウンの髪。とりわけ美青年というわけではないが、平均以上だと思われる整った顔立ち。特徴的ではないが、何処か温和そうな青年である。
彼の身を包むのは、鎖帷子だ。ところどころが、魔法で軽量加工された板金によって補強されており、機動性と防御力を両立させたものだ。腰のベルトには、二振りのブロードソードが吊るされている。装備品には無駄な装飾は無く、業物といった感じのものではない。ただ、遊び呆けるだけの貴族が持つような見かけ倒しのものではなく、それが実戦で幾度となく血を吸ってきたものであることは、彼の部隊で知らぬ者はいない。
青年の名を、レオンハルト・クリューガーという。ラスティート王国の軍団に所属しており、小規模ではあるが一部隊を率いる立場にある。今年で二十二歳になるレオンハルトだが、彼の年齢で一部隊を率いる程まで出世した例は少ない。
「クリューガー隊長!」
普段からよく耳にする高めの女の声に、レオンハルトは振り返った。
そこには、若い女性が立っていた。レオンハルトと同じく武装しているが、彼と比べると比較的軽装で、胸元や太腿あたりの肌がチラリと露出している。筋力や体力では、女性は男性に劣ってしまう。彼女の装備が軽装なのは、機動性によってカバーするためだろう。ただ、両手剣を背負っていることを見ると、彼女の膂力が優れていることを想像するのは容易い。
初夏の木々の如し新緑の髪はうなじの辺りまでの長さで切られており、南国の海を思わせる青い瞳は、真っ直ぐとレオンハルトへと向けられている。活発さと純真さを絵に描いたかのような出で立ちである。
コーネリア・アルトレーヴェ。レオンハルト率いる隊で、彼の右腕として活躍している副隊長だ。彼女もまた若くして出世した身分のため、かなり異色の部隊と言えるだろう。
レオンハルトとコーネリアは、幼馴染みの関係にある。共に武家の出身で、両家の交流があったということもあるが、士官学校では共に切磋琢磨した仲間である。ちなみに、二人はそれぞれ主席と次席で士官学校を卒業し、今の地位についている。二人がこの地位まで上り詰めたのには、並々ならぬ努力があったからであろう。
「コーネリアか。住民の避難は順調に進んでいるか?」
如何に親しい関係とはいえ、今は任務中である。レオンハルトは慣れ合う様子はなく、コーネリアに対して淡々とした口調で問いかける。ただ、ファーストネームで呼んでいるあたり、まだフレンドリーさが垣間見られるかといったところであろう。
「はい。既にズート=フェルゼス砦まで退去させております」
「そうか、御苦労。それにしても、この街が戦場になるなんてな」
憂いを帯びた表情で、レオンハルトは空を見上げた。空は鈍色の雲で覆われており、今にも崩れ出しそうな天気だ。
此処数年、エヴァール大陸は不安定な情勢が続いている。現在、六大国がお互いに勢力を牽制し合い、各地で戦争が頻発しているのだ。六大国以外でも、いくつもの小さな勢力が各地で興っては滅びを繰り返している。
ラスティート王国は、その六大国の中のひとつである。大陸の中では比較的情勢が落ち着いているのだが、やはり国境付近となれば話は変わってくる。今回も、北東に隣接するクリークス公国が同盟を破棄し、大軍を率いて攻めようとしているという情報が入ったばかりである。
「出来ることなら、市街戦に持ち込みたくは無いが……」
市街戦になれば、街への被害は免れない。住人の避難は終えているとはいえ、レオンハルトとしては美しい街並みに傷がつくのが耐え難かった。
「そのために、私達がいるのでは?」
悩むレオンハルトに対し、コーネリアは優しく微笑んだ。
「すまない。若輩とはいえ、一部隊を率いる身である俺が感傷に浸っていては、兵の士気に関わるか」
未熟であることを自覚しているが、仮にも隊を率いる身だ。感傷に浸っている余裕などない。
「少し気が楽になったよ。君はいつも、俺を励ましてくれるね。ありがとう、これからも俺を支えてくれ、コーネリア」
そう言うと、レオンハルトはコーネリアに温かな笑みを見せた。
「……え、あ、あ?」
目を何度も瞬かせ、言葉を詰まらせるコーネリア。
「え、い、いえ! 私は別にそういう意図で申し上げたワケでは!?」
コーネリアは顔を赤く染めて慌て始めた。先程までの凛とした雰囲気が嘘のようだ。
見る者が見ればすぐに感付くであろうコーネリアの態度だが肝心のレオンハルトはまるで理解していない。他人への気配りは出来るのだが、何処か人とはズレているところがある。彼はそんな人間だった。
「どうした、顔が赤い。もしかして、熱があるのか? このところ仕事続きだったからな。代理を立てるから、無理をせず休んで――」
などと、気遣いは上手いのだが。
「わ、私は平気です! 何ともありません!」
「いやしかし、その様子は……。何か不服なことがあれば、遠慮なく――」
「もう、隊長なんて知らない! 他の隊の様子を見てきます!」
つん、とそっぽを向くと、コーネリアはレオンハルトに背を向けて去っていってしまった。
(うーん、俺は何か怒るようなことを言ってしまったのだろうか)
何処か不機嫌そうに歩いているコーネリアの背中を見て、レオンハルトは首を傾げた。彼女が不機嫌になった理由を、まるで理解していないのだ。
「やれやれ。お前は優秀だが、淡い想いに対しては鈍感過ぎるな」
渋みのあるバリトンの声が、レオンハルトの後方から聞こえてくる。すぐに彼は振り返って声の主を確認すると、その場で敬礼をした。
「ブラウン様!? お見苦しいところをお見せしてしまい申し訳ありません」
今のやりとりを見られていたのは間違いないだろう。レオンハルトは申し訳なさと恥ずかしさで顔を上げることが出来なかった。
「いや、俺は別にお前を咎めたりはしておらんよ」
声の主は、茶髪を角刈りにした壮年の男性だ。厳つく如何にも男らしい顔立ちだが、むさ苦しさよりも頼りがいを感じさせる風貌である。全身を板金鎧で包んでいるが、その上からでも筋骨隆々とした体格を持っていることは想像に容易い。
壮年の男性の名は、ラグナス・ブラウン。フェルゼスに駐屯している軍を総括しており、一部隊を率いる身分であるレオンハルトの上官にあたる。無論、それだけではない。
「かつての師として、思ったことを言ったまでだ」
ラグナスはかつて士官学校で教鞭を執っていたことがあり、レオンハルトもその時に、彼に師事していたのだ。レオンハルトを部隊長として抜擢したのも、このラグナスである。
「は、はあ」
「無駄話はこの辺りにしておこう。これはお前の問題だからな。では、本題に入ろうか」
ラグナスの表情が険しくなる。これから起こるであろう戦いの話題に入るためだ。
「今回の戦についてだ。クリークスが同盟を破棄したことについては解るな?」
「はい。どういった意図があるかは存じませんが」
「まあ、恐らくは狭い版図を広げたいといったところだろう。この乱世、自国の利益のために他国を裏切ることは珍しくないからな」
ラグナスは目を閉じ、溜息をついた。彼もまた、今回の戦いを快く思っていないのだろう。
「しかし、妙ではありませんか? 如何に乱世とはいえ、昨年締結したばかりの同盟を破棄するのは、あまりにもリスクが大きいと思います」
「なるほど、お前も気付いていたか。より条件の良い条約を提示した他国と同盟を結んだということも考えられるが……」
幾度となく戦いに身を投じてきた彼らだが、今起ころうとしている戦いや敵の動向に付いて、妙な違和感を覚えていた。それはハッキリとした根拠のあるものではなく、言わば武人としての勘である。
勘というものは、実に曖昧である。だが、時に勘というものは恐ろしいほど当たることがある。経験を積んできた二人にとっては、実戦経験のない学者が机上で考えた作戦や類推などよりも、自らの勘の方が信用できるのだ。
「だが、我々は既に北の砦を落とされている。兵力も充分にあり、地の利もあったにも関わらずだ」
「計略に陥れられたのでしょうか」
「考えたところで仕方あるまい。それならば、こちらも情報を集めた方が良い」
あくまでも、自分達は街を守るために戦うだけだ。いらぬ詮索をしたところで、戦況が有利になるわけではない。
「偵察部隊を派遣するか――」
ラグナスが言い終えようとした時、街の北の門の方が騒然とした。物見櫓で見張りをしていた兵士が、周囲に異変を知らせている。
「北方より、何者かがこの街を目掛けて攻めてきます!」
「街道に布陣した先鋒をやられたか! 敗走の報告が無いことも気になるが……。いや、今は詮索する時ではない。レオン、お前はすぐに配置につけ」
「はいっ!」
見張りの声を聞くと、ラグナスはすぐに周囲の者へと指示を飛ばし始めた。指示を聞いた者達は、初めは慌てていたがすぐに状況を把握し、冷静かつ迅速に動いている。余程の場数を踏んでいるのだろう。多少の奇襲では動じない程、ラグナスの軍は鍛えられているのだ。
だが、それは戦況が芳しくないことを示していた。北の砦を落とされており、街道の隊も撃破されたのだ。軍への被害は決して小さいとは言えないだろう。
(おかしい。クリークスはそこまで国力は高くない。同盟の破棄が突然のこととはいえ、万が一のための準備は出来ていた筈だ。俺達がこうも簡単に撃ち破られるのは、俄かには信じ難いが……)
その場で考えこもうとしたレオンハルトだが、すぐに己の推測を振り払った。敵はすぐそこまで攻めてきているのだ。詮索などしている暇は無い。
「隊長!」
異変を聞きつけたコーネリアが、レオンハルトのもとへと駆けつけた。先程不機嫌であったコーネリアだが、すっかり普段の調子を取り戻しているようだ。非常時に私情を持ち込まないだけの器は持ち合わせているのだろう。
「俺達の部隊は既に街の外に配置させてある。いくぞ、コーネリア!」
「はい!」