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セフィール・サーガ  作者: 秋乃麒麟
第3章 真に討つべきは何者なのか
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第21話 反撃への一手


 クリークス首都から二時程北へと向かった場所には、ノル=クリークスという小さな村がある。街道から外れているため地図には載っておらず、その存在を知るのは地元民かある程度の修練を積んだ冒険者くらいだ。そのような秘境にある故に重大な秘匿情報があるように見えるが、実態は自給自足の生活を送るだけの寒村である。

 故に、身を潜めやすいという利点があった。反乱に遭い首都を追われたクリークス大公とその親族及び側近達は、ノル=クリークスに落ち延びていた。村民達は初めは何事かと思ったが、彼らは元々大公側の人間であるようで、状況を説明するとすぐに彼らを匿うことにしたのだ。現在は首都奪還のための拠点となっており、散り散りになった大公側の者達が少しずつではあるが集結していた。

「なるほどな。俺の庭で、ヴォルガーのクソ野郎共が好き勝手に暴れているわけか」

 軍議は村の一角にある酒場を利用して行われていた。中央には、軍服の上に胴鎧(キュイラス)を着込んだ大男が佇んでいる。彼がクリークスの大公である、ライン・クリークスだ。しかし、大公というよりも傭兵といった容貌だ。厳つい顔立ちには威厳はあるものの、王族としての高貴さよりも戦士としての荒々しさが浮き出ており、背に担がれている巨大な得物――三日月斧(バルディッシュ)がそれをより助長している。

 ラインの他には彼の側近の他、彼の将であるグスタフとアロイス、そしてラスティートより赴いたコーネリアの姿があった。誰もが何かしらの武装しているため、酒場ではまず有り得ないような物々しい雰囲気が満ちている。そこでは、反乱軍により奪われた首都を如何にして奪還するかが話し合われていた。

「部隊を束ねて正面突破といきたいところだが、下手に乗り込めば戦闘は免れないだろうし、戦闘になれば当然街にも被害が出る」

 ライン曰く、街の構造や敵となる貴族の軍の精度などは知り尽くしているため、戦闘に勝つこと自体は容易いという。しかし、彼としてはなるべく被害を出さずに首都を奪還したいようだ。 出会ったときは粗野そうな人物だと思ったが、しっかりと民のことを考えているのだとコーネリアは思った。

「で、そこで気になるのがアルトレーヴェ殿。あんた達が仕入れてきた情報だ。一週間後だったか、ヴォルガーを初めとする奴らが、西のダグリス王国を攻める。奪還を狙うのはその時だろう。問題は、西のダグリスと俺達クリークスは同盟を結んでいるということだ」

 情報を仕入れた後も何度か調査を重ねたが、ダグリス攻略のための兵力を集めているのは事実のようだ。彼らが出払っている間に街に入る。そうすれば戦闘を最小限に抑え、被害を減らすこともできる。だが、反乱した貴族達が攻め入ろうとしているのは、同盟を結んでいるダグリスである。もし攻め入ればそれは同盟を破棄したものと見なされ、いらぬ戦火を招くこととなる。それ以前にも、貴族の暴走とはいえラスティートとの同盟を破棄しているだけあって、もしそれを繰り返すようであれば周辺の同盟国の信用を失うこととなる。

「使者を送ったところで信用されるかは解らん。だから、ダグリスには俺自らが出向こうと思っている」

「陛下、それはあまりにも危険ではありませぬか?」

 グスタフが心配そうに口をはさむ。

「此処に隠れ続けていては何の進展も無い。ならば、動けるうちに動いた方がいい。それに、流れは既にこちらにあるんだ」

「既に手を打ってあるのですか?」

「まあな。西の街道へと斥候を送ったが封鎖はされていないらしい。この場所の安全も確保できている。そして、何よりもグスタフ、俺の実力は知っているだろう?」

 ラインはそう言うと、豪快に笑って見せた。

「しかし、不安要素も多いですね。アルトレーヴェ殿の話によると、東のナバートとハジャルの動向も気になるところですが……」

 アロイスは口元に手を当てて考え込んだ。彼が言う二国は、先のデール家を初めとする貴族の反乱で、兵力を貸していたとされる国々だ。元々、クリークスとは敵対的な国々であったため、混乱に乗じて攻め込んでくる可能性も充分に考えられる。

「いいや、そっちは暫くは攻めてこないだろう。斥候の情報によると、ナバートとハジャルは、あまり足並みが揃っていないらしい」

 ラインの話によると、ナバート王国とハジャル公国は共にクリークスに対して敵対的ではあるのだが、二国間でも敵対しているという。先の反乱に手を貸したのは、クリークスの貴族達と偶然利害が一致したためなのだろう。しかし、二国は反乱に加担しただけで、その後は自軍を束ねてそれぞれの本土へと引き払っている。

「ダグリスへは今言った通り、俺が出向く。勿論、少人数だが兵と将を連れていく。ファズ、ルーネ。一緒に来てくれるか?」

「はい」

「お供いたします」

 ラインが指名したのは、二人の男女だ。ファズはスピアを持った初老の男性だ。鎧が軽装なのを見ると、速さを生かした戦いを得意としているのかもしれない。一方、ルーネは竪琴を持った女性だ。楽器を持っていることから、呪歌による支援を担当しているのが解る。この二人が、ライン大公と共に西のダグリス王国へと赴くようだ。

「奪還の方はグスタフとアロイス、お前達に任せたい」

「承知致した、必ずや首都を奪還して見せましょうぞ」

「はっ、この一命に代えても」

 グスタフとアロイスは一歩前に出ると、胸に手を置いて敬意を表した。

「さて。どうやって留守の間に忍び込むかだが……。これは俺達王族にしか知られていないんだが、宮殿の地下に通じる道があるんだ」

「陛下、よろしいのですか、そのような情報を」

「ああ、問題ない。正面から突破せずに忍び込むなら、この方法しかない。ただ、長い間使われていない場所だ。魔物共が住みついていてもおかしくない。正攻法なら容易いが、やはり市街戦は避けたい。危険だがやってもらえるか? 勿論、俺の方が済み次第、援軍を向かわせる」

「かしこまりました」

「そして、アルトレーヴェ殿。あんた達ラスティートの協力は有難いが……」

「ええ、存じております」

 六大国のひとつであるラスティートの協力が表向きになれば、中原のパワーバランスに何かしらの影響を及ぼす。それ程名の知れた将ではないが、幾度か周辺諸国と戦ったことがある故、コーネリアの存在を知る者も出てくるだろう。つまり、表立った行動は出来ないということだ。だが――

「あんたには、残りの者とこの村の守備をお願いしたい」

「へ?」

 数日前に他国から来たばかりの人間に、拠点の守備を任せるというのだ。極端な話、他人ともいえる人間にそのような重要な役割を任せるのは、あまりにも無茶と言えるであろう。コーネリアに限らず、その場にいた者は目を丸くした。当然、抗議する者も幾人か出てきた。

「このような何処の馬の骨かも知らぬ小娘と、この村の守備をしろと仰るのですか」

「実はデールめのスパイとして紛れ込んでいるのやもしれませぬぞ!」

(予想していたとはいえ、やっぱり信用はあまりされていないみたいね)

 コーネリアは抗議の声に気を悪くした様子は無く、むしろ当然のことであると受け入れていた。

 ただでさえ反乱が起きたばかりで国家情勢が不安定なのだ。混乱はこのクリークスに限らず、内陸部小国家群の至るところまで広がっている。そのような中で他国からの将が入ってきたとなれば、不信感を抱くのも無理は無い。同盟中であったことまで考えが回らないほど、彼らもまた混乱に翻弄されていたのだ。

「てめーら黙れ。こんな時に疑ってどうする。何もせずにいても、状況は悪くなるだけだ」

 ラインは静かに、しかし威厳のある声でコーネリアに対して不信を抱いていた将達を一喝した。彼らとしても納得のいかないところもあるのだが、行動せずにいるのが現時点では最も愚かな選択肢であることを理解しているのだ。

「それにな、何となくだがこのコーネリアさんからは感じるんだよ。ま、俺の勘って奴だが」

「それは……」

「コーネリアさんよ、あんたには自覚が無いかもしれねえが、あんたには謂わば「英雄としての資質」ってのがある。それは如何なる努力をしようとも、得ることが出来ねえもんだ。天賦の才って奴だな」

「なんと、陛下がそう評価されていたのですか……。アルトレーヴェ殿、今程の御無礼をお許しください」

「あ、いえ……」

 ラインの一喝と彼が口にした「英雄としての資質」という言葉。それを聞いてからか、将兵達の態度が一変した。一体、ラインは何を言っているのだろうか。コーネリアにはそれが理解できなかった。しかし、周りの将兵達にはそれが解っているようだ。

 確かに、自分にはそれなりの力量があり、その辺りの男にも負けないだけの力は持っていると自負している。実際、戦場では何度か一騎討ちを挑まれているが、それを全て打ち負かしてきている。しかし、ラインが口にした「英雄」であるかと言えば、否定せざるを得ない。第一、自分は一人の部将であって、世界を動かすだけの力を持ち合わせているようには思えない。

 そもそも、英雄とは何なのだろうか。コーネリアは一種の疑問を覚えるようになった。

「さて、時間が惜しい。諸君には早速動いて貰いたい。皆、頼んだぞ」

「はっ!」


 一度解散したのちに、コーネリアは共に村を守ることとなった将に、先程ラインが口にした言葉を尋ねることとした。態度を一変させた将、名はアルザと言ったか。

「失礼します。先程のことなのですが――」

「ああ。あれですか。実はですな、我々もよく解っとらんのですよ」

 アルザは何処か申し訳なさそうに、コーネリアの言葉に答えた。その反応は彼女にとって、少し意外だったのだ。先程はラインの眼の前であったためにあのような態度を取っていたのだと思っていたが、今も同じように、ある種の敬意にも似た態度を自分へと向けてくるのが解る。

 アルザ曰く、過去にもラインは同じようなことを口にしていたらしい。そして、彼が英雄としての素質があると評価した人間は、クリークス建国以来、世界情勢に何かしら大きな影響を及ぼすような功罪を成し遂げているようだ。

「私にそれ程の力があるとは思えません」

「自分自身でも解らない何か。陛下はそれを見ているのやもしれませんな。本当のところ、よく解らんのです。何が何なのか、実は全く考えていないとか……おっと、今のは陛下には内緒にしておいてください。ただ、陛下が評価した者は、信頼に足るのです。本当に、根拠は無いのですがね。あのグスタフ殿も、陛下に英雄の資質があると評価されたのです」

「そうでしたか……。私には少々肩の荷が重い感じがしますが……」

「あまり深く考えずとも良いと思いますよ」

「解りました。今は目の前の問題に当たらねばなりませんね」

 気になることはいくらでもあるが、村の守備という重大な仕事を任されている。こうしている間にも、敵が襲ってこないという保証はどこにもない。そもそも敵対勢力以外にも、魔物やならず者といった存在は、戦う力の無い村人にとっては充分な脅威となり得る。

 英雄という曖昧なものについて悩んでいては、目先のことも成し遂げられない。コーネリアは自らを一喝する。

「ははは、その通りですな。では、早速村の周囲の警戒に当たりましょう」

「はい。全力であたらせて頂きます」



 クリークス公国・ダグリス王国国境“旧リグル街道”――

 周囲で活動し始めた魔物や獣人達を討伐すべく、ダグリス王国の一軍が国境付近へと赴いていた。魔物襲撃の情報が入ってから一時もせずに、軍の派遣を決めたのだ。獣人の割に統率の執れていた敵だったが迅速なダグリス軍の行動に動揺したことで綻びが生じ、既に流れはダグリス側へと傾いていた。

 知性の低い魔物や獣人の奇襲。色々と気になるところはあったが、まずは目先の問題を片づける。詮索するのはその問題を片づけてからでも遅くは無い。

「うおおおおりゃあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 喚声と共に、大男が手にした巨大な槌を振り回す。戦槌ウォーハンマーの一種だが、その中でも特に大きなサイズであるのが解る。両手で扱うのがやっとのように思えるが、この大男は馬上で軽々と振り回している。

 グシャッ――肉が潰れる音と共に、一体のオークの頭部が文字通り弾け飛んだ。人のものとは違う異質な肉片と脳漿が辺りへと飛び散る。大男はそれをもろに被るが特に気にした様子もなく、隙を付いて槍を突き出してきた別のオークの攻撃を、もう片方の手に持ったカイトシールドで弾くと、すぐに反撃に移り頭部を粉砕する。

「ルード陛下、ご自重ください!」

「はっ、国のヘッドたる俺が後ろに下がっていられるか。六大国程の力が無い俺達は、こうしてトップが前に出て戦わなきゃ周りがついてこないからな」

 ルード・ダグリス。この大男こそが、ダグリス王国の国王である。国王の身でありながらも常に自ら戦場に立ち、身の丈ほどの戦槌を軽々と振り回す様は、周囲の諸国家からは恐れられている。どうやら元々はかなりの規模を誇っていた傭兵団を率いていた男の家系で、その血を受け継いでいるのかもしれない。

 一瞬の隙を突き、小柄なゴブリンがクロスボウを構えてルードへと向けていた。距離が離れていたために彼は気付いていないようだ。ゴブリンはニヤリと下卑た笑みを浮かべ、クロスボウの引き金を引こうとした。

 だが、ゴブリンは引き金を引くことすら敵わず、赤い炎に焼かれて息絶えた。その様子を見て、ルードはようやく自分が狙われていたことに気付く。そして――

「相変わらずだな、ルード。いや、その動きを見る限り、少し衰えたか」

 三日月斧を構えた男が、何処か意地の悪そうな笑みを浮かべて歩み寄ってきた。

「随分なご挨拶じゃないか、ライン。お前も人のこと言えないんじゃないか。普段ならその得物でぶった切るところを、術に頼るなんてな」

「そりゃもう、俺も良い歳だからな。出来ることなら楽をしたいものさ」

 二人はお互いの皮肉をおどけた様に受け流しながら、配下の将兵達と共に残る魔物の討伐を行っていった。戦いはラインの一軍が合流したことで、より一方的なものとなった。国境周辺を徘徊していた魔物達は、彼らの迅速な行動の前に成す術もなく、次々と駆逐されていった。

 魔物の駆逐が一段落したところで、ラインとルードはお互いが得ている情報を交換すべく、簡易な会議を始めた。既にクリークスでの出来事はダグリスも把握していたようで、魔物の被害が出始めたこともあってか、迅速に行動に出ていたようだ。そのため、ダグリス内での被害は最小限に抑えられたようで、領土内の秩序は守られているらしい。

「なるほどな、話は聞かせてもらった。得体の知れない奴らの存在の情報なら、俺達も掴んでいる。しかし、お前ともあろうものが革新派に後れを取り、首都まで乗っ取られるとは情けない」

「返す言葉もないな」

 ルードの言葉にラインは情けなさそうに俯く。

 自分の無力さ故に、現状があるのは紛れもない事実である。事前に革新派を潰していれば、このような事態にはなっていなかったかもしれない。

「過ぎてしまったことを悩んでも仕方ないがな。で、お前のことだ。こうしてトップがこんなとこまでやってきたんだ、手を打ってあるんだろうな」

「ああ。どうやら革新派はお前らのとこを攻めるようだ。この前、ラスティートとの同盟を破棄して襲撃したようにな」

 自分が赴いた理由の他、首都奪還の為の手管や、拠点を置いているノル=クリークスの防衛などについて簡単に説明するライン。

「ははあ、なるほど。少数で分散させるのは愚策ではあるが、その状況だと無理もないか。だが、こちらの方はお前が来てくれたのだから、問題はあるまい」

 同盟国でありながらも攻められるという情報を聞かされながらも、ルードは特に気にした様子は無い。

「意外だな。不義にブチ切れて、その戦槌で俺の頭を叩き潰すと思ったが」

 勿論、相手がそのような人間ではないことを解っている。その上で、ラインはルードに対して軽い冗談を告げる。

「おいおい、黙って潰されるタマじゃないだろ、お前は」

 ルードもそれを理解しているのか、ラインに対して冗談で返す。その上で真剣な表情になり、現況をラインへと説明し始めた。

「それに、この状況でそんなことして何になる。お前のところにも得体の知れぬ者がバックについて操っていたのはもう把握しているんだ。お前が望んでこのような結果になったわけではないというのは、俺も理解しているさ」

「お前のところ、にも……? まさか」

「ああ。魔族が現れたのはクリークスだけのことだけじゃない。幸い、俺のとこはまだこの手の魔物だけだが……ディンヴィアやレザンド、カヤでも被害が出ている」

 ルード曰く、現在は中原中北部の小国家群では魔族の影が至る所で目撃されているようだ。

「となると、厄介だな。ただでさえこの混沌とした中原中北部の情勢だ。そこに闇の者が現れたとなると……ルード、お前はどう思う?」

「ああ、お前の思う通りだな、ライン。この状況を利用しようとする勢力が出てくるだろう」

 二人の懸念はこうである。中原中北部――六大国のフェルムジア、ラスティート、クファラの三国に囲まれたこの地域は、幾つもの弱小勢力が互いに力を牽制し合っている状況にある。その上で表立った対立はせず、周囲の大国の力を借りたり、あるいは小国同士が同盟を結んで別の勢力へ対抗したりという状態で、何とかギリギリのところで均衡を保っているのだ。

 だが、此処に闇の者が介入すれば、小国間のパワーバランスは脆くも崩れ去ることとなる。というのも、今までは弱小勢力故に、徒に他国への侵攻などを行えばかえって自国の国力を消耗しかねないとして積極的に行ってこなかったのだ。しかし、魔族が持つ大きな力を利用すれば、他国へと侵攻するだけの余裕も出てくる――そのように考える者が出てくるのは、自然なことだ。

 事実、クリークス内でのクーデターもそのひとつである。他にも、周辺の小国で貴族や王族が暗殺されるといった事件が度々報告されているのも、魔族が絡んでいるとみても間違いないであろう。

「このクソみたいな状況。莫迦みたいに争っている場合ではないんだがな。今こそ、この小国家群で連合を組まねばならんというのに」

 自国はまだ大した被害は受けていない。だが、このまま放置していては何れ魔族の手が忍び寄ってくることは避けられないだろう。それでも、今のままでは後手に回ってしまうのが現実である。

 以前から思うことはあった。いつまでも国同士で争い合っているわけにはいかない。六大国程の国力が無い小国家群が纏まりを欠いていては、待ち受けるのは滅びの道だけである。それを今ほど実感できたことがあるだろうか。ルードはもどかしさを隠せずにいた。

「ご尤もだ。だがな、俺達が纏まったところで世界は動かせやしない」

 ラインはルードの考えに賛同を表しつつも、大局には影響しないと否定する。

「世界を動かせるのは、一握りの英雄だけさ。俺もお前も、この小国家群の王はおろか、六大国のトップでさえも、そんなものを持ち合わせているかどうか聞かれれば、否定せざるを得ないな」

「お、いつものが出たな。つまり、魔族が蔓延るこの世界情勢を解決できるのも、お前の言う英雄とやらか?」

 ラインが時折口にしていた英雄という言葉。ルードもそれをよく耳にしていた。

「実際は良く解らないけどな。そもそも英雄なんてものが曖昧すぎるからな」

「お前なあ……」

 自分でもよく解っていない様子のラインに、ルードは呆れたように肩を竦める。尤も、彼がこのような人間であることを理解しているつもりだ。そして、自分自身も、ある程度ではあるがその世界を動かせる人間には、何かしら異質なモノが眠っているのではないかと考えている。

 結局は、大多数の人間はただ世界の流れに翻弄されるだけなのか。それを理解してしまうと、全てが空しく感じてしまう。それならば全てを諦めるしかないのか。いや――

「悩んでいても始まりはしないな。今後だが、どう動くべきか」

 抗えるところまで抗う。そして、今解決できる問題を解決していく。それが、弱小でありながらも国を統べる立場にある自分達の定めである。

「まずは、お前が提供してくれた情報を元に動くとしよう。まずは、襲撃するという部隊を迎撃するための軍を再編成といったところか。ライン、動員できる兵力は?」

「あまり目立ちたくはなかったんでな。連れてくることが出来たのはこれだけだ」

 ラインは申し訳なさそうに、近くに駐留させている将兵達の方に視線を向ける。

 連れてきたのは、百人ほどの部隊をふたつ。兵力は二百強と言ったところだ。それぞれの部隊を率いるのは、ファズ・フロッティという名の将と、ルーネ・レシスという名の将だ。共に、小国家群ではそれなりに名の知れた将だ。

「お前のとこはどうだ、ルード」

「ああ。兵力自体は問題ない。だが、先程俺達が抱いた不安要素も考えると、こちらの方に割ける兵力は、今連れている四百程度といったところか」

 本拠地であるダグリスへと戻れば、今よりも多い兵力を動員することは可能だ。だが、首都をがら空きにさせるわけにはいかないし、敵は反大公派の者達だけとは限らない。この混乱に乗じて、攻めてくる国が存在してもおかしくはないのだ。

「北のディンヴィアとレザンド、西のカヤへの警戒もしたい。問題は南だな。大国のラスティート……彼の国がどう動きを見せるのか」

 ダグリス王国はクリークス公国と同じく、南方を六大国のひとつであるラスティート王国と隣接している。これと言って敵対はしておらず、此処数十年の間大きな争いは起きていない。だからといって、同盟を結んでいるわけでもない。

 事実、このような関係というのはある意味厄介と言える。全く警戒をしないというわけにはいかず、下手に警戒をして変に兵力を動員させては、それにより相手を刺激し、宣戦布告行為と見られてしまう可能性もあるのだ。もし、ダグリスとラスティートで戦いともなれば、結果は火を見るよりも明らかだ。一方的に蹂躙され、いらぬ血を流すことになるのは、ルード自身が最もよく解っている。

「その点は大丈夫だろう。此処だけの話だが、ラスティートの部将が一人、俺の元に来ている。今は、ノル=クリークスの防衛に当たらせているがな。おっと、あまり公にしないでくれ。味方でもこれを知っている者は限られているんでな」

 名前は伏せたが、秘密裏にラスティートの力を借りているということを告げる。部下でもこの事実を知る者は限られているようだ。

「味方にもあまり知らせていないのは、この小国家群の情勢を考慮してのことか」

「ああ。同盟を結んでいるとはいえ、下手に大国を介入させるといらぬ混乱を招くからな。勿論、同盟云々よりも、魔族関係の調査がメインだがな……」

「まあいい。南のことはお前の言葉を信じるとしようか。とにかく今は、お前のとこの叛逆者の迎撃だな。先程も言ったように兵力は出せないが……」

 そう言いつつも、ルードは辺りを見渡しながら不敵な笑みを浮かべていた。

「新リグル街道……。あの地形ならば、寡兵でも迎撃可能、か」

 ルードの考えを見抜いたかのように、ラインが頷く。

 クリークス公国とダグリス王国は、山岳地帯に築かれた国家だ。故に、周囲の街道は狭い作りになっており、一度に大軍が通れない地形となっている。敵軍の侵攻に備えて、この街道をふさぐように布陣するのがセオリーだろう。勿論、それだけではない。

 二国間を結ぶリグル街道は二つ存在し、ダグリスにて合流するような形となっている。ひとつはクリークス首都から直接西側へと伸び関所へと向かう新リグル街道。もうひとつが、現在はほぼ破棄された状態にある街道で、ラインが通ってきたノル=クリークスとダグリスを結ぶ旧リグル街道だ。

「この旧リグル街道にも部隊を配置したいものだが……」

 敵軍が旧リグル街道より進軍をすることは、ノル=クリークスを落とされたことを意味する。それを防ぐために、幾つかの部隊をノル=クリークスに滞在させているが、最悪の事態も考えておかなければ、有事に思うように動けないだろう。

 首都奪還や革新派の討伐の為、大公派の士気自体は高い。しかし、相手には魔族という得体の知れないバックが存在することも考慮しなければならない。

「珍しく弱気だな。だが、落とされようが落とされまいが、この旧街道は利用したい。実は、一つだけ旧街道と新街道を結ぶ抜け道があるのだ」

「なるほど、そこを利用し、通過する敵の側面を突くというわけか」

「察しが早くて助かる。さて、それでは早速準備に取り掛かるとしようか」


 ラインとルードは情報魔術を駆使しつつ、この場にいる者の他にノル=クリークス、首都ダグリスにいる者達に作戦の概要を伝えた。その結果、部隊は以下のように配置されるようになった。

 ノル=クリークスでは、アルザ・オードという将が街の防衛とノル=クリークス南方に布陣。ラスティートからの魔族調査に赴いたコーネリア・アルトレーヴェは、無名の傭兵としてノル=クリークス北方――クリークスとは中立関係にあたる国々の動向を探ることも兼ね、周囲の魔物の討伐に当たる。ダグリス防衛には、ルード麾下の将ジェイク・エルダーがあたることとなり、魔族の被害に遭った北方と西方の国々に備えることとなった。

 旧リグル街道では、ファズ・フロッティ率いる部隊が防衛の為に布陣、更に抜け道には、呪歌を得意とするルーネ・レシス率いる部隊が伏せられることとなった。主な戦場となる新リグル街道には、ルード・ダグリスとライン・クリークス自らが布陣。国の長である二人が主戦場に立つということで当然反対の声は上がったのだが、この小国家群に於いて国王が前に出ることは、決して珍しいことではないのだ。

 そして、戦いが行われている間に、グスタフ・ヴェークとアロイス・ホルンが少数精鋭の兵を率いて地下より侵入、首都を奪還するという手筈になっている。

 この戦いは、本来ならば歴史書に『ヴォルガー・デールの乱』のうちのひとつ『リグル街道の戦い』とだけ、簡潔に記される程度の小規模なものであろう。だが、事態はラインとルードはおろか、敵方のヴォルガーでさえも予測できない方向へと進みつつあった。



 首都クリークス――

 白亜の宮殿の最上部の部屋に、ヴォルガー・デールは佇んでいた。

 デール家はクリークスの貴族の中でも特に権謀術数に長けた家系だ。王位に就いたことは無いが、幾つもの弱小国が犇めく中原中北部の小国家群に於いて、周辺諸国との外交でクリークスを上手く台頭させてきたのもデール家の手腕によるものが大きい。

 このヴォルガー・デールという男も例外ではない。如何にも老獪という言葉が相応しい男だ。老齢のために皺が目立つが、その眼光からは自身が抱く欲望を容易く感じ取ることが出来る。だが、その老獪な男からは、苛立ちや焦りと言った感情も溢れ出ていた。

 秘密裏に闇の者と取引をし、ラスティート領を急襲。更にクーデターを起こし、大公を追い出すところまでは思うように進んでいた。国内の不安要素は恐怖政治により何とか抑え込んでいる。しかし、ノルト=フェルゼス砦を奪還された辺りからか、事態は自身にとってあまり都合が良くない方向へと傾き始めていた。

 闇の者の力を借りて攻め落とすことは出来たのだが、ラスティート側に手練の将がいたのか、フェルゼス攻めの際の街道における戦闘は大敗。そこで勢いを失ったため、数日でノルト=フェルゼス砦を奪還されてしまう。その際に、砦を守っていた貴族派の将を失い、更に闇の者達との連絡も途絶えている。アロイスやグスタフといった将も、何処かへと去ってしまった。もし彼らが落ち延びていたとすると、厄介だ。大公派の将で、力も決して弱くない。自分の野望の大きな障害となるのは間違いないからだ。

 部屋の扉が激しい音を立てて開かれた。それと同時に、一人の兵士が慌てた様子で部屋の中に駆けてくる。

「デール様、大公派に動きがあったようです。ノル=クリークス南部には既に部隊が布陣されており、迂闊には攻められぬ様子。こちらは数に勝りますが、周囲の魔物の討伐に梃子摺っており被害は拡大中。首都内でも再び大公派が――」

「騒々しい。少し黙らぬか」

「え?」

 ヴォルガーが手を翳すと同時に、兵士の足元に魔法陣が現れる。そして――

「ぐげっ!? が、あががっ……」

 兵士の身体に向けて、岩石で形成された複数の槍が突き出された。突然の出来事に兵士は反応することすら敵わず、鋭利な岩槍に身体を貫かれてしまう。傷口からは夥しい量の血が流れ、何度かもがくが、それも空しく絶命してしまう。

 兵士が死んだのを確認するとヴォルガーは再び術を詠唱し、兵士の亡骸の上から一つの岩を落とした。肉が潰れるような音と共に兵士の身体は四散し、血と臓物の海がその場に形成された。

「クスクス……、報告を聞かなくて良かったのかなあ」

 凄惨な処刑が行われたその場にはそぐわない、可愛らしい少女の声が響く。

「隠れていないで出てきたらどうだ」

「はいはーい。ちょっと待っててね、おじいちゃん」

 ヴォルガーの呼びかけに応えるかのように、一人の少女が現れる。いや、彼女の場合は幼女と言った表現の方が相応しいかもしれない。

 姿形は、十歳にも満たない幼い子供のものだ。まるで人形のような出で立ちで、突き抜けるような白い肌と、淡い桃色の髪。ルビーを思わせるかのような赤い瞳は、爛々と輝いている。そして、その身を包むのはフリルが施された黒を基調とした――所謂ゴシック・ロリータのドレスで、それが人形らしさをより演出しているのが解る。

「ねえねえ、何で殺しちゃったの? ちゃんと報告は聞かないと」

 ヴォルガーの行いを咎めるわけでもなく、非難するわけでもなく――幼女はただただクスクスと笑っている。そこには一切の濁りは無く、何も知らない純粋な子供の笑顔だ。だが、彼女が人ならざる者であることを、ヴォルガーは知っていた。

「人如きが抗ったところで、闇の力を手に入れた私には敵わないのだよ。最後に笑うのはこの私だからな。貴様も解っているだろう、人間では闇の者には勝てぬことを」

 そう言って、ヴォルガーは懐から妖しい輝きを放つ小さな石を取りだした。

 この幼女ではなく、アンブルという名の魔族から受け取ったものだ。これを身につけてから、衰えつつあった力を取り戻すことが出来た。特に魔術に関してはそれが顕著で、普段は使うことすらままならなかったようなものまで、まるで呼吸をするかのごとく使えるようになった。

 元々は緩やかな凋落の道を進みつつあったデール家の立て直しという目的だった。だが、これさえあれば立て直しどころか、国を奪うことだって可能だ。現に、クリークス公国を乗っ取ることに成功している。その後には躓きがあったが、自分がこの力を見せつければ、再びこちらに流れを取り戻すことが出来る。

「ふーん、おじいちゃんがそれでいいなら、リュナもそれでいいけど。だって、リュナには難しいことは解らないし。リュナはただ遊べればそれで良いもん」

 自身のことを自分の名で呼んでいる辺り、肉体的だけではなく、幼女――リュナは精神的にもまだ成熟していないのだろう。純粋な子供そのものと言ってもいい。

 リュナはつまらなさそうに、ヴォルガーの言葉を聞き流す。ただ面白いか面白くないか、それが彼女の判断材料なのかもしれない。故に――

「西のダグリス攻めは、お前が指揮を執れ。好きなだけ遊べばいい。既に将には話を通してある」

「面倒くさいなあ。でも、遊べるならいいかな。それじゃあ行ってくるね」

 ワザとらしく欠伸をすると、リュナは部屋の外へと出て行った。その様子を見ながら、ヴォルガーは軽く舌打ちをし、安堵のため息を漏らす。

 そう。ヴォルガーは恐れているのだ。魔族自体を恐れているのではない。このリュナという幼女をだ。

 闇の者と関わるようになってから様々な相手を見てきたが、この幼女の場合、純粋であった。それこそ、何も知らない子供そのものの純粋さだ。だから、恐れているのだ。世間から見れば、闇の者と関わる自分は「悪」である故に、善悪の判断と言えば語弊があるかもしれないが、リュナは何が悪いことなのかを解っていない。つまり、何をやらかすかは解らないのだ。いきなり「つまらない」といった理由でこちらに牙を剥いてくる可能性もある。

 彼女の強大な力は利用したいが、少しでも自分から遠ざけておきたい。それがヴォルガーの本音だった。

(恐れているだと、この私が)

 認めざるを得ない自分が腹立たしかった。ヴォルガーは拳を机に叩きつけた。

「厄介払いといったところか。彼女を怒らせる結果にならねば良いがな……」

 低いながらも澄んだ声と共に、一人の青年がヴォルガーの前に現れる。

 一言で言い表せば美青年だ。だが、彼も人ならざる存在であることを、ヴォルガーは知っていた。名前はアンブル・リリト・アィーアツブスといったか。自分に『クリフォトの輝石』という石を与えた者だ。

「貴様は……」

 力を与えてくれた恩はあるが、それだけで後のことはほぼ放任されていた。それ故に、自分が思うように進んでいない苛立ちもあり、ヴォルガーはアンブルに対してあまり良い感情を抱いていなかった。

「今まで何処をほっつき歩いていた」

「お前ほど暇ではないのでな。我々の計画の為に動いていただけだ」

「好き勝手に動きおって……」

 忌々しげにアンブルを見据えると、ヴォルガーは手元に魔力を集中させようとした。だが、

「やめておけ。お前では私には勝てん。如何に『クリフォトの輝石』の力が強かろうが、結局は仮初の力に過ぎぬ」

「ぬぅ……」

 敵わないことなどは初めから解っていた。人と、人ならざる存在の絶対的な差。これを覆すことなどできはしない。

 結局、自分は矮小な人間に過ぎないのか。いや、違う。今は人としての一線を越えている。今はこの者に勝てないだろうが、何れは打ち勝ってみせようではないか。強大な力を目の前にしても、ヴォルガーの野心は尽きることは無かった。

(ふむ。欲望に満ちた心……素質はあるが……使えんな)

 一方、アンブルはヴォルガーの心を見抜いていた。放置しておけば、この男は自分達に牙を剥く存在になり得るだろう。だが、この場で討つ気などは彼には無かった。

「まあいい。貴様はこの街を守っておれ。私はノル=クリークスを攻め、今こそ大公の息の根を止める」

「……承知した。我らの兵を貸そうか?」

「必要ない。貴様らが居ない間、好き勝手に暴れるような駒など、あっても邪魔なだけだ。それに、今の私ならば単騎でも街を滅ぼすことなど造作もないことだ」

「そうか、好きにするがいい」

 好意を無碍にされたことに腹を立てたわけでもなく、アンブルはただ淡々と答える。

「では、私は街の防衛の為の準備を始めるとしようか」

 そう言うと、アンブルは部屋を後にした。しかし、彼には最早この街のことなど眼中に無かった。ヴォルガーの言葉もただ適当に聞いているだけで、身を削ってまでこの地を守ろうとは思ってもいない。勿論、最低限のことはするつもりであるが――

 アンブルが部屋を出ると、一人の青年が廊下の壁に寄り掛かって、彼を出迎えた。

「うーっす。元気そうじゃん、アンブル君」

 年齢は二十代前半と言ったところか。癖のあるライトブラウンの髪を弄りながら、青年はアンブルのもとへと歩み寄ってくる。

 何処となく軽くチャラチャラとした雰囲気の青年だ。アンブルと同じく、整った顔立ちで容姿端麗ではあるが、落ちついた雰囲気のアンブルとは対照的で、悪く言えばだらしがない。纏っている衣服もワザとらしく着崩しており、身体のあちこちにアクセサリーをぶら下げている。

「マテルか。何故こんなところに」

 アンブルは軽い嘆息を漏らしつつ、青年の名を呼んだ。

「なんか暇だから遊びに来た」

「……マルクト攻めはどうした?」

「んー、いつでも出来るしまだやってない。それよりもシュトルムラントに面白いことがいっぱいあるからさ、暫くはそこで遊ぼうかなと」

「呆れたものだ。いや、それでこそ我が友か……」

 マテルの予想通りの答えに安堵するアンブル。

「最低限の仕事はやってるから大丈夫だよ、うん。多分」

 マテル・ナム・キムラヌート。これが、この青年の名前である。そして――、アンブルと同じく、闇に属する者の中でも特に上位に位置する魔族である。ドルイドの力が弱まり、魔族が暗躍し始めてから、アンブルとは別に行動していたようだ。

 ドルイドの柱のひとつ、マルクトの攻略に赴いていた筈なのだが――、どうやら仕事をほったらかして、遊び歩いていたらしい。一応、本人曰く、六大国のシュトルムラント王国にて色々と情報を集めたり、同国内での動乱を煽動したりといったことはしているようだ。

「いやあ、何も危険を冒して柱を壊さずとも、世界の方を掻き乱して混沌とさせちまった方がいいんじゃないかなーって。そっちの方が時間がかかるけど、楽しめるし」

「お前が思っている程、時間の猶予は無いんだがな……まあ、いい」

 アンブルは適当な様子のマテルを咎めつつも、彼の性質を理解していた。

「で、何か手伝ってほしいことはあるかい?」

「そうだな、あのヴォルガー・デールという男の元で動いてくれ」

「えー、あの弱そうなおっさんと? もう切り捨てる気満々なのに?」

 マテルは不満そうな表情を見せた。先程から部屋の外で二人の会話を盗み聞きしていたのだが、既にアンブルはこの街のことなど眼中にないのは、マテルにも理解できた。アンブルの配下であるリュナが、ダグリス方面へと向かう事実も把握しているが、こちらも単なる余興程度にしか考えていないであろう。

「お前が引導を渡しても構わん。それよりも少し、気になることがあってな……敵方に気になる存在がいる。どんな相手なのかを見てきてもらいたい」

「気になる存在ねえ……」

「恐らくは、因子を持つ存在だ」

 アンブルは神の御使いのもとにいた二刀を扱う青年やエルフの魔術師、イヴルアイのドルイドを思い出していた。直接対峙したのはエルフの娘だけであるが、彼女は間違いなくアンブルが懸念する存在であることは確認できた。

 あの者達と同じく、魔族の脅威となり得る力を秘めた者の気配が感じられた。定かではないのだが、もしその者がいるとすれば、自分達の計画に支障を来す恐れが考えられる。

「おいおい、それって……」

 軽かった様子のマテルも、アンブルの言葉を聞いて真剣な表情を見せる。

「ああ。思った以上に深刻というわけだ」

「解ったよ。で、どうすりゃいいの? 会ったら即ブチ殺す?」

「それも構わんが、こちら側に引き込めれば心強い」

「難しいこと言ってくれちゃって……。まあ、存在するかどうかってのも曖昧なんでしょ? 適当にやってくるよ」

「すまないな」

「何を今更。それじゃ、行ってくる」



「リリス様、必ずこの偽りの神々の世界から解放して見せます……。その暁には……」

 誰もいなくなった廊下で、アンブルは憂いを帯びた表情で呟いた。

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