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セフィール・サーガ  作者: 秋乃麒麟
第3章 真に討つべきは何者なのか
21/25

第18話 魔人の暗躍

 1


 ガレンの街から半時程の場所には洞窟がある。長い年月をかけて形成された地形で、内部は薬草の群生地となっている。陽の光や外気を嫌う植物も多く繁殖しており、生息する魔物も弱いものが多いことから、地元の住民が立ち入ることが多い。また、浅い個所では子供達が秘密基地などを作って遊ぶこともあるため、ガレンの者達の他、駆け出しの冒険者にとっては馴染みの深いスポットである。

 だが、その洞窟は今や物々しい雰囲気に包まれていた。入口には鉄鎖と魔術による結界が張られており、容易に立ち入れないようになっている。数人の武装した兵士も忙しなく動き回っているのが確認できる。

 レオンハルト達は立ち入りの許可が出るまで、入り口付近で休息を取っていた。色々と手続きが必要ということもあるのだが、任務中に勝手に別の仕事を引き受けてしまったことについて、弁明しなければならなかったためだ。

「んー、別にいいんじゃない? とりあえず任務自体は一段落したし」

「レオンに従うから大丈夫」

 リーゼロッテとシアは特に気にした様子はない。それどころか、少しの間ではあるが同行することとなったラフィーナと、すっかり打ち解けている。二人ともあまり外に出たことがなかったのだが、案外人好きな性格なのかもしれない。

 フレーナもまた、何も口を挟んでくる様子はないのだが、何処か品定めをするかのような視線をラフィーナへと向けている。一方、ラフィーナはその視線を気にした様子は無いようで、二人と楽しそうに談笑している。

 立ち入りの許可は、それから暫くして降りた。将軍であるアダンの話を通してあったため、通行の際に簡単な検査をするだけで通ることができた。

 洞窟の中に足を踏み入れると、湿り気を帯びた冷たい空気が身体に纏わりつくかのような感覚に見舞われた。不快感はないが、何処となく落ち着かない。陽の光が届かない故に、そう感じるのかもしれない。

「皆待ってくれ。少し暗いから、明かりをつけよう」

 後衛を務めるレオンハルトが、前方を歩く者たちに呼びかける。まだ浅い個所のために足元は見えるのだが、奥に行けば当然暗くなる。夜目は利く方だが、万全を期すために魔術の明かりをつけることにした。

 意識を集中すること数秒、一行の頭上に小さな光の球が現れる。情報魔術のひとつ、系統は神聖に分類される《フラッシュ》だ。このように暗所での探索に使われ、松明の代わりとして機能する。むしろ、暗所の探索では松明よりも魔術による明かりの方が主流となっている。水脈に当たることの他、引火性のガスが充満していることも考えられるためだ。勿論、魔術による炎ならこの限りではないのだが――

 それはさておき――

 レオンハルトが魔術を唱えたことにより、一行の視界は広く確保された。光に驚いた蝙蝠が甲高い声を上げて飛び立っていくこともあったが、難なくそれを往なしつつ進んでいく。襲い掛かってくる魔物もまた一行の敵ではなく、一行は傷を負うことなく、魔物達は次々と斃されていった。ラフィーナの動きも冴えており、昨晩に飲みすぎて酔いつぶれてしまっていたのが嘘のようだ。

 その中でも驚かされたのは、ラフィーナの戦い方だ。昨晩見かけたときには丸腰だったためにある程度は予想ついたのだが、今のラフィーナは両手にバグナクという武器を装備しており、体術を駆使して敵を撃破している。よく見ると、ブーツにも刃物のようなものが仕込まれているのが解る。

「ラフィーナ、凄い」

 使う武器は別系統であるが、体術と得物を組み合わせた戦い方という面で共通するところのあるシアは、素直に驚嘆した。勿論、彼女の場合も決して弱いわけではない。シアが手数と呪歌による強化に長けているのに対し、ラフィーナは一撃の重さに重きを置いているのだ。

「此処の魔物は弱いからね、アタシの実力はまだまだこんなものじゃないさ。それより、シアもなかなかやるじゃないか。モヤシみたいだと思っていたけど、舞踏系の呪歌を組み合わせて戦うなんて、なかなか出来るモンじゃないよ」

 言って、わしゃわしゃとシアの髪を掻き乱すラフィーナ。なされるがままであったが、シアは特に嫌がることなく、ラフィーナにじゃれている。まるで飼い主に甘える子猫のようだ。

 かなりの場数を踏んでいるのは間違いないだろう。シュトルムラント出身と聞いていたが、もし彼女と戦場で出会うことになったら、苦戦は免れないかもしれない。故郷に思い入れはないと言っていたが、傭兵として生計を立てている以上、次に会う時は敵同士ということは十分に有りうることだ。

 出来れば戦いたくはない相手だ。強さも勿論のことだが、心の何処かしらでこのラフィーナという女性に惹かれるようなものがあった。それが何なのかは解らないのだが、シアに抱いた感情と何処かしら似ているようなものがある。

(いや、今は考えない方がいいな)

 弱い魔物の群れを一掃したところで、レオンハルトは改めて魔術の詠唱を始めた。行方不明となった者たちの捜索のためだ。

「レオン、どう?」

「俺達とクラウツ殿の部隊以外には、気になるものが見られない。確認できるのはこの辺りに生息する原生生物くらいか……」

 そこで、レオンハルト達は行方不明者の特徴を確認しなおした。

 アダンから聞いた情報によると、行方不明になったのは五人で、皆が若い娘だったという。初めは人売りなどの仕業として見ていたのだが、元々この辺りで人身売買をしていた野盗達は首領が斃されたらしく、その活動も見られなくなったらしい。残党もアダンの軍が討伐をしているため、可能性としてはあまり考えられないようだ。

 そして、気になるのはどの娘もそれなりに優れた魔術の才を持っているという情報も気になる。日頃からこの洞窟に出入りしては、薬草を摘んだり、手ごろな魔物を斃したりして過ごしていたようだ。実力はそこそこあるといってもいいだろう。その者達が行方不明となったのだから、何かしら良からぬことがこの洞窟の奥にあると見てもいいだろう。

「……これは最悪の事態も考えた方がいいかもね。でも、解せないね。なんでいきなり、こんなことになってんだ。これに限らず、最近の世界の様子を見るに、どうもおかしいよ」

 不愉快そうな表情を浮かべるラフィーナ。彼女もまた、魔族に関する噂を何度か聞いているらしい。しかし、その実態を見たわけではなく、彼女自身も存在についてはあまり信じていないようだ。

 情報魔術に引っかからないということは、この場所にいないか、或いはその者の生命反応がないということだ。出来れば考えたくないことだが――

 深部で発見されたという魔法陣の存在についても気になる。それも今回の事件に関わっているという可能性も十分に考えられることだ。

 色々と不可解なことを抱えながらも、一行は洞窟の奥へと進んでいった。そして、歩くこと半時ほどしてからだろうか、広くなっている箇所で、アダンの軍が陣を構えているところに遭遇した。既に話は通っていたために怪しまれることはなく、レオンハルト達の姿を見ると兵士達は敬礼をした。それに対してレオンハルトも敬礼で応じ、他の者も各々の挨拶の仕方でそれに続く。

「おお、レオンハルトさん。如何でした?」

 奥の方からグレートアックスを持った樽のような体型の男性がぴょこぴょこと歩いてきた。

「クラウツ殿。申し訳ありません。道中を探索したものの、芳しい成果はありませんでした」

 申し訳なさそうに頭を下げるレオンハルト。

「いや、そんな頭を上げてください。我々も手をこまねいているわけですから」

 アダンの態度を見ると、やはりドワーフらしさがあまり感じられない。立派な髭を剃ってしまうと、ただの人のよさそうな中年男性にしか見えないだろう。

 アダン達も捜査に難航しているらしく、なかなか成果を得られていないという。ただ、部隊の様子を見るに特に疲弊した様子はない。大規模な捜査ではないとはいえ、このような場面では補給が疎かになりがちなのだが、そういった中でも兵の士気を維持できているあたり、アダンという男は将としての実力を充分に持ち合わせていることが窺える。

「ですが、気になる物を見つけました。地元の方が魔法陣を見たとのことですが、それと思われるものを見つけたのです」

 アダンに案内された場所には、彼が言った通りのものが存在していた。半径十メートル程の円の中には、複雑な紋章と文字が刻まれている。魔力を帯びているのか、時折赤黒い不気味な光の明滅を繰り返しているようだ。アダン達はこの魔法陣の前に陣を張り調査を続けているようだ。

「これですか」

 魔法陣の規模としてはそれなりに大きいものだ。魔術に携わる者ならば決して珍しいものではないのだが、何処となく禍々しい印象を受ける。

「他に何か分かったことはありますか」

「それが……」

 アダンは気まずそうに顔を背けた。しかし、すぐにレオンハルトに向き直り、状況を説明した。

「我が隊でも何名か行方不明となった者がいるのです。皆が若い女性兵士ばかりでして。この陣の調査をしているところで、突然強い光に包まれて姿を消してしまったのです。試しに私を含め他の者がこの陣に触れたのですが、何の反応もなく……」

 魔法陣と行方不明者が関係しているのは間違いない。ひとつの真実が繋がるが、決してそれは良いものではなかった。

「これ、相当ヤバいよ。転移系の術と封印系の術が複雑に組み込まれている。外からは限られた者しか入れないようになっているし、内側からは簡単に脱出できるようなものじゃない。こんな大掛かりな儀式魔術を組めるなんて……」

 リーゼロッテは魔法陣に直接触れないように注意しながら、魔法陣の内容を調べ始めた。そして度々解除や干渉を試みているが、なかなか上手くいかずに弾かれている。フレーナもそれに手を貸すも、結果は同様だ。

「フレーナ、これはまさか」

「いいえ、闇の者の気配は感じられませんね。ですが、裏で手を引いているという可能性は否定できません」

 魔族ではないが、超絶的な魔力で術を組み込んでいることから、相当な術者なのだろう。

「察するには行方不明者はこの中にいるんだろ? 外側からぶっ壊して救うなんてことはできないのかい?」

「ああ、駄目駄目。そんなことしたら、術が変に拗れて余計にややこしくなっちゃうから。それに、ラフィーナにも跳ね返ってくることもあるし、行方不明になった人達に悪影響があるかもしれないから」

 手の骨を鳴らしながら今にも魔法陣に拳を突き立てようとするラフィーナを、リーゼロッテは慌てて制止した。

「じゃあ、どうすりゃいいのさ?」

 喚くように問いかけるラフィーナ。彼女の性格故なのか、この場で何もできずにいるのが気に入らないらしい。可能ならばすぐにでも行動に出たいのだ。今まで彼女がそのように生きてきたように。

「一番確実なのは、術者を斃すことだよ。そうすれば、自然と魔術は解除されるから」

「しかし、術者は何処に……」

 肝心の術者が見当たらなければ、どうしようもない。

 だが、その時――

「悪い人、この中にいる。わたしの能力でちょっと見えた。魔術師が何か企んでいて、そこには女の人が何人か捕まっている」

 シアが魔法陣を見ながら、ぼそりと呟いた。一行は一斉に彼女の方に振り返った。

 イヴルアイの能力だ。少し前にシアの能力には世話になったのだが、今回もまた頼ることになりそうだ。未来は変わりうるもののために絶対とは言い切れないが、この場で何もせずにいるよりは遥かにましだ。一行の中で、答えはほぼ出ていた。

「となると、やっぱり中に入るしかないか」

「ううむ、仕方ありませんね。我々は此処を離れるわけにはいきませんので、お任せしてもよろしいでしょうか」

 アダンはレオンハルト達の方針を認めたようだ。特に咎めるような様子はない。逆に、行方不明となった部下達を救ってほしいと頼んできている。

「では」

 敵地に乗り込むことになるのだ。中では強敵が待ち受けているとみてもおかしくはない。レオンハルトは意を決して魔法陣に足を踏み入れようとしたが、シアとリーゼロッテがそれを静止した。

「あー、待って待って!」

「レオンは此処でお留守番」

「何故だ? 俺達の中で答えは既に出ているんだが」

 いきなり出鼻を挫かれたのが理解できなかった。

「だって、レオン男でしょ? 多分、魔法陣反応しないよ」

「いや、確かにそうだけど、本当なのか?」

 レオンハルトは試しに魔法陣に足を踏み入れたが、何の反応もなかった。魔力が流れてくるといったこともなければ、放出されるといったこともない。どうやら、魔法陣が女性にしか反応しないというのは本当らしい。

 しかし、そうなると本当に不可解だ。何故、わざわざ女性だけを捕らえようとしているのだろうか。前にあったような人身売買や人さらいだけならば、このような大がかりな儀式魔術を完成させなくても可能なはずだ。

(一体何があるというんだ。嫌な予感がする。出来ることなら行かせたくないが)

「大丈夫だよ、レオン」

「心配されるほどヤワじゃないよ。此処はアタシ達に任せときな。女ばかり捕らえている悪趣味な奴のツラも見たいしね」

 シアとラフィーナは既に覚悟を決めているようだ。レオンハルトとしては引き留めたいのだが、言ったところで止めることはできないだろう。それに、一度乗りかかった船だ。此処で引き揚げてしまっては、調査をしている者達にも申し訳がないし、仲間にも面目が立たない。

「此処はあたし達でなんとかするから、レオンはお留守番ね。万が一のこともあるから、フレーナにも残ってもらった方がいいかな」

「そうですね。私もレオンハルトに話があるので、構いません」

 引き留めると思いきや、フレーナは方針に対して依存はないらしい。まるで、このようになったことを予め知っていたかのようにも見える。

「……解った。だが、これだけは約束してくれ。三人とも、無茶はするなよ」

 シアとリーゼロッテからしたら、普段のレオンハルトに対してそのまま返したい言葉であっただろう。

「言われなくたってそうするさ。アタシは傭兵だ、引き際は弁えているつもりだよ」

 三人が魔法陣に足を踏み入れると、まるで彼女達を待ち受けていたかのように強い光が発せられた。赤黒い光が三人の身体を包み込むと、彼女達の姿はまるでその場に初めから無かったかのように消えていた。

 暫くの間、アダン達は戸惑いを隠しきれずに動けずにいたが、彼はすぐに号令を発すると、各々が任務へと戻っていった。ちょうど人払いがされたところで、フレーナはレオンハルトのもとへと歩み寄ってくる。

「話があるといっていたな」

「はい。あのラフィーナというワービーストの娘についてです。貴方も気付いているでしょう」

 やはり。自分の心の内を感付かれている。

 下手に否定したところで、何も得られないのは解っている。納得のいかないところもあるが、レオンハルトは自分が感じたことをフレーナに伝えることにした。

「ああ。彼女と逢った時、何処か心の内で惹かれる様な何かがあった。シアの時もそうだったが、これはまさか」

「はい。あの娘も貴方と同じく、闇の者と戦う宿命にあります」

 フレーナはそれが当り前であるかのように告げた。そこには一切の感情が籠っていない。

「それは……」

 レオンハルトの言葉を予測したかのように、フレーナはそのまま言葉を続けた。

「我々の中では、世界に関わる者は因子を持つ者と表しています。貴方もその一人であり、リーゼロッテ、シア、そして今程出会ったラフィーナもその一員です。これからあと数人、同じ使命を持つ者と逢うでしょう」

 旅の道中で何度かフレーナにより聞いた話だ。

 自分達が世界を脅かす闇の者との戦いに身を投じ、そして世界の礎となること。その際に、運命を共にする者達と出会うということ。それまではいい。だが、最終的に待ち受けているという答えが何なのかは解らない。

 途方もない話だ。フレーナが如何なる存在なのかは知らないが、自分達には寿命と言うタイムリミットがある。それは種族により異なるが、人間なら長くて百年程ということになる。その限られた時間の中で、脅威を取り除くのが使命だという。

「限られた時の中で、脅威を倒せなかった時はどうなる?」

「それは次の世代へと託されるだけのことです」

「次の世代?」

「よく考えておくことですね。後世への負担を残したくなければ、己の使命を受け入れることです」


 2


 その場所を言葉として表すならば、迷宮や異空間という表現が一番当て嵌まるだろう。

 石畳が敷き詰められたいくつもの細長い道が複雑に入り組んでおり、あるところでは分岐し、あるところでは道が途切れている。また、まるで絵画の空中庭園の如く、足場が宙に浮いているかのように見える。しかし、それのような美しさは無い。そこはどす黒い紫色を帯びた空間に存在しているためだ。見下ろしてみると、深い奈落へと続いており、地面らしきものを確認することはできない。見えるのは、今この場所とどう繋がっているかも解らない、いくつもの細長い道だけだ。足を踏み外したらどうなるのか、想像するだけで身の毛がよだつ。

 一人の女性兵士がその迷宮を駆け抜けていた。傷は負っていないが、鎧のところどころには魔物のものと思われる体液が付着している。その表情には疲労と焦りの他、恐怖や絶望といったものが色濃く表れている。彼女は今、恐慌状態にあった。今にも掻き消されてしまいそうな理性で、何とか自分を保っているという有様だった。

「なんとか……なんとかしなければ……!」

 後方を見ると、何体もの魔物がゆっくりと近づいてくるのが分かる。スケルトンやゾンビーといった不死生物ばかりだ。それなりに場数を踏んできたため、決して苦戦するような相手ではない。

 彼女は魔術の使い手だった。敵との距離が十分にあるのを確認すると、短剣を構えつつ魔術の詠唱に入った。そして、機が熟したところで、己の内に眠る力を開放する。不死生物達の足元から、火柱が次々と上がっていく。爆炎の直撃を受けた彼らは、気味の悪い断末魔の叫びを上げながら、次々とその身体を消し炭へと変化させていった。

「はぁ……はぁ……」

 戦い続けてどれだけの時間が経過したのかは解らない。ただ理解できるのは、おぞましい何かが自分達を狙っているということだけだ。共に調査をしていた者達がどうなったのかも気になるが、今はそれどころではない。

 そして――、その者はゆらりと姿を現した。

「随分と頑張っているじゃない」

 表れたのは一人の美女だった。外見の年齢から察するには、二十代中盤といったところか。非常に扇情的、それも娼婦のような淫靡な出で立ちの女だ。肌の上から直接ローブを纏っているのだがかなり大胆な造りをしており、豊満な二つの果実が零れ落ちそうだ。丈も短く下着も見えてしまっているのだが、別にそれを気にした様子もない。緩いウェーブのかかった藤色の髪は、彼女の危険さを表しているかのようにも見える。

 まさに、毒婦という表現が当てはまるような美女だ。捕らえられたら最後、それこそ身体と心の至る所まで蹂躙されかねないような、そんな雰囲気を纏っているのが解る。

「抵抗する姿もなかなか可愛いんだけど、私もそんなに暇じゃないのよ。そろそろ諦めてくれないかしら?」

「ふざけるな! このような場所に封じ込めて、どういうつもりだ」

 女兵士は声いっぱいに叫んだ。恐怖で声が震えていたのだが、そのようなことを気にするほどの余裕が残されていないほど、彼女は追い詰められていた。そんな彼女を見て、毒婦は気味の悪い笑みを浮かべながら答える。

「私の研究のために協力してもらうだけよ。こう見えても私は魔術師。様々な知識を得たり、力を得たりすることに喜びを感じるの。貴女みたいに一般の兵士には解らないかもしれないけど、研究に重きを置いている魔術師にとっては、それは当たり前のことなの」

 恍惚とした表情を浮かべながら、女魔術師は言葉を続けた。

「魔術の研究の中には、魔物を生み出すものがある……。キマイラのような合成獣や、ガーゴイル、ホムンクルスといった人造生物も魔術により生み出されたものね」

 一口に魔術と聞くと、戦いだけで使うものに思われるが、それは間違いである。むしろ、こういった研究分野の魔術のほうが、魔術師の間では主流といえる。

「そして、魔物の繁殖方法。私達と同じように多くの魔物も雌雄が交わることで子を成すんだけど、異種間の間で子を成すことができるか……。人間と亜人では可能で、所謂ハーフが生まれることがあるけど、魔物にもそれが可能なのか。もし可能ならば、合成獣や人造生物のようなものを生み出す方法が増えるかもしれない」

「何を……何を言っているんだ」

「既にいくつか成功例は出ているのよ。例えばオークを初めとする獣人。彼らは人間や亜人との間で子を成すことができる。尤も、生まれた子供はすぐに殺されてしまうし、運よく逃げ延びたとしても長くは生きられないんだけど……」

 言葉を続けている毒婦のもとに、火球が炸裂する。しかし、それを予測していたかのように毒婦は魔術による障壁を展開した。女兵士より放たれた火球は乾いた音を立てて空しく四散した。

「あらあら、随分なご挨拶ね。まだ説明の途中なのに」

「これ以上お前の好き勝手にさせないっ!」

「随分と威勢が良いけど、貴女もそろそろ限界なんじゃないかしら」

 彼女の言うとおりだ。この迷宮に捕らえられてから戦い続けていたために、魔力はほぼ尽きていた。だが、屈するわけにはいかない。この女をこのままにしておけば、脅威となる。ならば、此処で斃さねば。

 女兵士は恐怖で足を竦ませながらも、短剣を構えて魔術師の女へと突貫していった。女はその様子を呆れたような表情で浮かべると、パチンと指を鳴らした。すると、女兵士の身体は見えない障壁に弾かれ、鞠のように地面に投げ出された。

「私も暇じゃないの。そろそろ終わりにさせてね」

 言うと、魔術師の女の姿はその場から溶けるかのようにして消えていった。

「な、何……、今までのは」

「そう。初歩的な幻影よ。つまり貴女は、私の幻影を相手に威勢を張っていたわけ」

 嘲笑するかのような声だけが聞こえてくる。

「というわけで。ちょっとこの娘を調教してあげないかしら。殺したりしちゃ駄目よ。抵抗できない程度に甚振って、黙らせればいいから」

 女魔術師がそう言うと同時に、石畳の上に複雑な魔法陣が描かれていく。女兵士はすぐにその場から逃げ出そうとしたが、身体が思うように動かなかった。尻餅をついたまま、その場から後ずさるだけで精一杯であった。それだけ、今の彼女は怯えていたのだ。

「い……いや……」

 魔法陣が完成すると、全身にいくつもの触手を持った異形が姿を現した。心臓の鼓動のように全身が脈動しており、気色の悪いゼリー状の身体が水音を立てながら女兵士へと迫っていく。ローパーという魔物だ。魔物としての強さは中程度だが、実のところこの魔物については不明なことが多い。魔術師が使役することが多いことから人造生物のようにも思えるが、自然界でもその姿が目撃されており、軟体生物、水棲生物とも見られることがあり、学者の間でも今もなお議論が交わされている。

 多彩な攻撃方法を持っているのが特徴である。全身の触手を伸ばして獲物を拘束したところで、神経系の毒を注入して弱らせたところを、ゼリー状の身体に取り込んでゆっくりと消化していくのだ。ゼリー状の身体を持つために物理的な力が通用しづらいのが特徴であり、剣で切りかかったところで決定打を与えることは難しい。

 そして――このローパーは規格外の体長を誇っていた。本来ならば人間の大人程の大きさなのだが、このローパーは軽く三メートルを超えている。横幅も大きく、身体の一部が石畳からはみ出ているのが解る。魔術師が召喚したことから、何かしらの強化がされているのだろう。

「ひっ……ぁぁ、ぁぁ……」

 恐怖に顔を歪めながらも、女兵士はそこから動くことが出来なかった。

「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……お願い、帰してよ、此処から出してよ……」

 必死に懇願するも、当然ながら魔物がそれを聞き入れる様子は無い。

 そして――、彼女の生々しい悲鳴が迷宮内に響き渡った。


 その様子を、上空から見下ろす二つの影があった。上空といっても、擬似的に造られた空間故にそのような概念は無いのだが、その二つの影は浮遊しているようにしか見えない。

 一人は、今ほど女兵士の前に幻影を作り出していた女魔術師だ。目先ではローパーによる狂宴が繰り広げられているのだが、それを喜ぶわけでもなく、不快感を露わにするわけでもなく、ただジッと見つめているだけだ。

「うーん、今回もイマイチかしら。なかなか良いサンプルだとは思ったけど、やっぱり一般の兵士や街娘程度じゃあ、たいした精気は得られなさそうね。魔物と交配するにしても、たいしたものは産まれないか……」

 女魔術師はやれやれと肩をすくめた。

「そうかのう? わしにはなかなかの眼福じゃよ。若い娘の泣き叫ぶ声というのは良いものじゃ」

 もうひとつの影は、裾がボロボロになったローブに身を包んだ、小柄な老人だ。相当な歳を取っているのか背筋は海老のように曲がっており、自分の背丈よりも大きな杖を両手で持っている。声もしわがれており、よく聞かなければ何を言っているのか解らないほどだ。

 期待はずれとばかりに嘆息を漏らす女魔術師とは裏腹に、老人は満足そうにしている。顔を窺うことは出来ないが、フードからちらりと見える口元には、厭らしい笑みが浮かんでいる。

「相変わらず悪趣味ね」

 自分のやっていること――捕らえた女性を魔物の研究のために苗床にしているという悪趣味極まりないモノであることは自覚しているのだが、どうもこの老人と同類であるとは思いたくもなかった。

 自分の場合、弱者を虐げることに対して喜びを感じているわけではない。日々研究を続けることで、より強い力や知識を得ていくことが目的だ。今、彼女にとってほしいモノは力と知識。それだけである。

「おぬしのやっていることは変わりないと思うがね」

「私は好きでやっているわけじゃないわよ。ただ力が必要なだけ。貴方に協力しているのも、それの近道になるからよ」

「つれない奴じゃ。じゃが、こういう女を屈服させるのもなかなか面白いとは思うのう」

 言って、下卑た笑みを浮かべる老人。

「やるならお相手するわよ?」

 対して女魔術師は、手元に魔力を帯びた闇の球体を浮遊させ、老人を睨みつけた。

「何、冗談じゃ。おぬしと本気でやり合っては、敵わんからのう」

 老人自身も本気で言ったつもりではない。魔力は自分の方が高いため、本気で遣り合えばこの女魔術師を斃すことは出来るだろう。だが、自身もただでは済まない。自分がボロボロになってまで事を構えるほど、愚かではないつもりだ。

「それより、いつまでシュトルムラントの一兵卒に甘んじているつもりかしら? やるなら、とっとと下剋上でもすればいいのに」

「おぬしが思っている程、愚かな人間ばかりではないのじゃよ。下手に目立つ行動をすれば、『ヴァルキュリア』や『グレイプニル』にしょっ引かれてしまう」

「あの死神部隊と猟犬部隊ね。私からしたら、たいしたモノには見えないけど……まあいいわ。シュトルムラントの掌握のために協力することは約束したんだから、早いうちに行動に移してほしいものね。今回みたいに借りを作ったままなのは嫌なのよ」

「何、あと百年以内には済ませるつもりじゃ」

「ふん、途方もない話ね。お婆ちゃんなっちゃうじゃない」

「ふぉっふぉっふぉ、魔力で生きながらえている身で何を言うか」

 老人は高らかに笑った。女魔術師は再び深い嘆息を漏らすと、ローパーによって捕らえた女兵士の様子を見下ろした。

 既に抵抗するだけの力は無くなっているようだ。時折身体をビクビクと痙攣させているのが解る。それを確認すると、女魔術師はパチンと指を鳴らした。すると、ローパーの姿が消え、女兵士も転移魔術によって何処かへと転送させていった。

「さて、と。貴方もいつまでも油を売ってないで、国に戻ったら?」

「そうじゃのう。おぬしはこのまま研究を続けるのかのう?」

「ええ。と言いたいところだけど、どうもまた獲物がかかったようなのよね。でも、今回の獲物はなかなかの上玉みたい」

 フッと満足そうな笑みを浮かべる女魔術師。

「手を貸すか?」

「お断りするわ。これ以上、貴方に借りを作りたくないから」

「ならば、わしは此処で失礼するとしよう。さらばじゃ」

 老人はそう言うと杖を掲げ、その場から転移呪文を使って去っていった。

 元々強固な結界を張り巡らせているのだが、それを弱めずとも出ていける辺り、老人が相当な器量を持つ術師であることを示していた。

(ふん……)

 鼻を鳴らすと、女魔術師はゆっくりと石畳の上に降り立った。

(今回の相手は三人。一筋縄ではいかなそうね。でも、その分私の目的のために大きな力となり得る……)

 答えは決まっている。全力で迎え撃ち、捕らえるだけだ。

(良いサンプルになりそうだわ)

 女は妖艶な笑みを浮かべると、侵入者を如何にして捕らえるかを考え始めた。


 3


 魔法陣より転送された先は、奇妙な空間であった。リーゼロッテ達は戸惑いを覚えるも、リーゼロッテは魔術によって迷宮の構造をすぐに看破することに成功した。

「巧妙に細工された幻影だね。こう石畳の道があるけど……」

 リーゼロッテはそのまま石畳の外へと足を踏み出した。しかし、彼女の身体はその場から落下することなく、その個所と同じ高さを保っている。一見足場がないように見えるのだが、巧妙な情報魔術を組み込むことで、そう見せかけているのだ。

「なんだい、見かけ倒しってわけか。それなら」

「あ、そこは本当に足場無いよ!」

「わわわわ、何なんだいもう!」

 ラフィーナは足を踏み外しそうになったが、何とかその場に留まった。

「うーん、なかなか厄介だけど……。ちょっと干渉してみるね」

 リーゼロッテはスタッフを構えると、石畳の上に垂直に振り下ろした。カツン、という乾いた音とが鳴ると同時に、彼女を中心に小規模な魔法陣が形成されていく。そのまま彼女は詠唱に入った。専門は戦時における攻性魔術だが、当然それ以外の術もある程度ではあるが習得している。

 既に展開されて持続している魔術に対して干渉する術だ。上手くいけば、術の一部を解除することができる。そうすれば、探索も容易になるだろう。

「ひぅっ……あああああああああっ!!」

 詠唱中に全身に電撃が迸るかのような激痛が走る。リーゼロッテは思わず悲鳴を上げるが、それでも怯まずに術の詠唱を続けた。

「リーズ!」

「大丈夫……。防御系の術が組み込んであるのは、想定内だよ……っ……くぅ……あっ……」

「無理するなよ、お嬢ちゃん……」

 シアとラフィーナは心配そうに声をかけるが、それでもリーゼロッテは弱みを見せなかった。やがて術は完成し、彼女の足元に描かれた魔法陣が強く発光する。そして、バチンという衝撃音と、ガラスが砕けるような音が鳴ると共が鳴り響いた。

「はぁ……はぁ……。結構魔力使っちゃったかな……。でも、これでだいたいの幻影は解除できたはずだよ……」

 肩で息をしながらもリーゼロッテはウインクして見せた。彼女の言うとおり、今までその空間全体を包んでいた禍々しい雰囲気がかなり緩和されている。足場を見ても先ほどより広がっており、迷路のように入り組んだ道がハッタリであったことを改めて確認することができた。

 しかし、まるでそれを待ち受けていたかのように、遠くから魔物がじりじりと近づいてきた。見受けられるのは、ゾンビーやスケルトンといった不死生物ばかりだ。どれも下級の存在であるが、彼らは幻影ではなく本物であることが窺えた。不死生物が持つ独特の腐臭を発しており、幻影系の術による魔力も感じられないためだ。

「ちょっと、回復するまでの間、お願いしていいかな……」

 本来ならば容易く一掃できる相手だ。だが、消耗していたリーゼロッテは、大きな魔術を詠唱するためには少しの間休息を必要としていた。

「大丈夫。わたしが、前衛になる」

「あいよ、アタシ達に任せておきな」

 自分が何も出来ずにいるのはもどかしいが、白兵戦が苦手な自分が前線に出たところで、かえって足を引っ張るだけだ。リーゼロッテは引き下がると、迎撃の役目を二人に頼み込む。二人はそれを快諾すると、各々の武器を構えて不死生物達を見据えた。

 数は多いが、たいした相手ではない。それも、二人がかりであれば一人を守りながら戦うだけの余裕は充分にある。シアとラフィーナはリーゼロッテを守るように前に布陣すると、じりじりと迫ってくる不死生物たちを待ち受けた。

 不死生物達は二人の敵ではなかった。彼らは粗末な武器で武装していたが動きが鈍く、次々と二人の体術によって倒されていく。再生能力を持っているものも、それすら追いつかない速度で攻撃を受けて、ゾンビーは腐肉を撒き散らし、スケルトンはただの骨屑と化していく。

「おらぁぁぁぁぁぁぁッ――!」

 スケルトンが最後の一体となったところで、その個体の頭部にラフィーナの回し蹴りが炸裂する。回し蹴りがスケルトンの頭部に直撃すると、バキバキと骨が砕ける音と共に何処かへと吹き飛んでいく。頭部を失いつつもフラフラとしていた胴体には、シアのジャマダハルによる斬撃が次々と浴びせられ、それもいくつもの骨片と化した。

 たいしたことのない相手だ。そう思うが、彼女達はすぐに考えを改めなければならなかった。目の前に奇妙な魔法陣が現れ、それが姿を現したからだ。

「こいつが本命かい」

 現れたのは、ゼリー状の体に無数の触手を持った魔物ローパーだ。通常のローパーよりも遥かに大きく、規格外な存在であることを表している。

「ちょっと大変そう」

「はっ、でも今までみたいに殴り飛ばせばいいんだろ!」

 不敵な笑みを浮かべ、ラフィーナはローパーへと殴りかかった。だが――

「なっ、何だいこいつ!」

 手ごたえはある。だが、その身体の特性故に、その衝撃を殆んど吸収されてしまっているのがわかる。シアもジャマダハルによる斬撃を加えるも、それも思ったような成果を得られていない。

 ローパーも当然黙ってはいない。無数の触手を撓らせて、二人に向けてはなってくる。不規則で読みづらい軌道ではあったが、彼女たちは何とかそれを回避した。

「ちぃっ、あんなのに捕まりたくないね!」

「大丈夫だよ。二人とも下がってて!」

 リーゼロッテが後方から声を上げた。先ほどまで肩で息をしていたのだがだいぶ落ち着きを取り戻したようで、スタッフを構えてローパーを見据えている。

 既に詠唱するだけの魔力は戻ってきているようだ。意識を集中して、何かを詠唱しているのが解る。彼女の魔術を察した二人は、すぐにその場から引き下がった。ローパーは己の本能に従い、気味の悪い水音を鳴らしながら、触手をうねらせて距離を詰めてくる。だが、彼女達を捕らえることはおろか、攻撃することさえ適わなかった。それよりも先に、リーゼロッテの魔術が完成したためだ。

 ローパーの上部に暗雲が立ち込め、紫電が刃となって迸った。無数の雷撃は次々とローパーに撃ち付けていく。苦しみという概念があるのかは解らないが、雷撃を受けるたびにのた打ち回るような動きを見せている。

「凄いねぇ……。アタシ達の攻撃があまり通らなかったのに」

 ローパーは物理的な力に対しては強い耐性を持っているのだが、逆に魔術に対する耐性は低いという特徴を持つ。勿論、イレギュラーなものも存在するのだが、どうやらこの個体は規格外なのはその大きさだけのようだ。

 雷撃が止まると、今度はローパーの足元から火柱が上がった。ローパーは高く打ち上げられ、その後びちゃりと汚らしい音を立てて石畳の上に撃ち付けられた。触手をだらしなく垂れ下がり、雷撃と火柱によりゼリー状の身体は殆んどが蒸発してしまったのか、その質量は一割ほどになっていた。そして、とどめと言わんばかりに、再びローパーを火柱が包み込む。それが決定打となったのか、ローパーはそこから動きを止めてしまった。

 だが、それで終わったわけではない。不死生物も、ローパーも、ただの前座に過ぎなかった。

「自慢のペットに随分な仕打ちをしてくれたわね。此処までの個体を生み出すの大変だったのに」

 忌々しげな声と共に、一人の女が現れる。

 一言で言い表せば、美女だ。緩いウェーブのかかった、薄紫色の髪。非常に扇情的な服装をしており、体格からも女の色気が醸し出されている。零れ落ちそうな二つの実と、丈が短いために見えてしまっている下着を特に恥ずかしがっている様子もない。

「わたしの力で見えたの、この人だよ」

 シアはジャマダハルを構えて、目の前の美女をジッと見据えた。

「……イヴルアイにエルフにワービーストかぁ。少しイレギュラーかもしれないけど、母体としてはなかなかの個体ね。見た感じ、精気も強そうだし」

 女は三人を舐めまわすかのように見ながら呟いた。

「ねえ。こんな無茶な魔術を組み込んで、何しようとしているの?」

「何って、研究だけど」

 リーゼロッテの問いに対して、女はただ淡々と答えた。

「てめえなんだろ。街や部隊の女を捕らえてるってのは」

「そうよ。それが何か?」

 特に悪びれた様子もなく、ラフィーナの問いに対しても淡々と答える女。

「何か私を悪者みたいに思っているみたいだけど、私はただ知識と力が欲しいだけ。魔術師として、知識や力を得ようとすることはおかしいことかしら?」

「でも、だからって関係ない人を巻き込むなんて」

「それは誰だってやっていることでしょう? まだ若いから解らないみたいだけど、人は生きているうちに、関係の無い人間を巻き込んでいくものよ。そして、その犠牲の上に自分が存在しているの。私がやっているのもそれと同じこと」

 女は自分のやっていることを悪びれた様子もなく語った。自身が研究しているのは、魔物についての研究だということ。そして、強い魔物を産み出すためにはどうすればいいのか。そのひとつの手段として、魔物の生殖を行っているということ――

 聞いているだけで吐き気がしてくる。リーゼロッテは込み上げてきた胃液をなんとか飲み込み、怒りに満ちた視線を女へと向けた。

「信じられない。確かに魔物の研究という分野はあるよ。でも、あなたのやってることは……」

「粗雑には扱っていないわよ。交わらせる際には、痛みを消して快楽が得られるような薬も投与しているし、今さっき捕らえたばかりの子達にはまだ手出しはしていないわ」

 だが、それは今まで多くの女を魔物の慰み物にしてきたということを示していた。ただ知識と力を得たい。それはこの女にとって、純粋な子供が抱くような夢と同じようなものなのだろう。それでも、普通の思考では至らぬような残虐性も持ち合わせている。

「さて、と。素直に従ってくれれば良いんだけど、そうもいかないみたいね」

「お断りだね。アンタの悪趣味な研究につき合ってる程、落魄れちゃいないよ。痛い目見たくないなら、とっとと術を解きやがれ!」

「折角の母体がいるんだもの。簡単に解除するわけにはいかないわ。でも安心して。殺すようなことはしないから」

 女は妖艶な笑みを浮かべると、胸元から牙のようなものを取りだした。そして、一言何かを呟くと、力一杯に地面へと叩きつける。乾いた音と共に、赤黒い光を放つ魔法陣が高速で描かれていく。それと同時に、辺りの空間が地震を起こしたかのように振動している。リーゼロッテ達はバランスを崩さぬように何とか踏みとどまった。

 そして、それは魔法陣の中央から、まるで地面から植物が生えるかのように姿を現した。

 数は二体だ。人間の骸骨のようにも思える。だが、体格はそれよりも一回り大きく、よく見ると骨格の造りもそれよりも歪で禍々しいものだ。片手には肉厚な刃を持つ片刃の剣――ファルシオンを装備しており、もう片方の手には大型のラウンドシールドを持っている。

 竜牙兵ドラゴン・トゥース――

 その名の通り、ドラゴンの牙から創造された擬似生命体である。分類としては、ゴーレムなどの魔法生物に近しい。魔物としてのレベルも高く、ゴブリンやコボルトを倒せる程度の駆け出しの冒険者では、まず返り討ちに遭うだろう。

 スケルトンなどとは比にならないほどの戦闘力を持ち、耐久力も高い。術者の命にも忠実であり感情を持たないため、戦士としての技量は目を見張るものがある。故に、使い魔としては勿論、戦時の兵力としても優秀な存在だ。最大の欠点は、ドラゴンの牙という素材を使うことから、コストが嵩むということだ。竜牙兵を使役することの出来る魔術師はかなりの財力、地位、名声を持っているということを示している。つまり、今此処で対峙している魔術師は、相当な実力者であることが窺える。

 しかし、そんな女を相手にしても、リーゼロッテ達は特に怯んだ様子もない。既に覚悟を決めているのだ。戦いになることなど、初めから想定していた。今やるべきこと、それはこの女魔術師を斃すことだけだ。

「ウフフ、いつまで強がっていられるのかしらね。抵抗することを選んだのだから、手足の一本や二本は覚悟してもらうわよ」

 女魔術師がパチンと指を鳴らすと、二体の竜牙兵がファルシオンを翳しながら斬りかかってきた。その動きは歴戦の戦士を彷彿させるほど、機敏で鋭いものだ。元々のレベルもさることながら、何かしらの強化の魔術が施されているのだろう。

 術師であるリーゼロッテを守るかのように、シアとラフィーナが分散して二体の竜牙兵に当たる。

「くぅ、強い……」

 シアは腕をクロスさせ、ドラゴン・トゥースが振り下ろしたファルシオンの刃をジャマダハルの柄で受け止める。ビリビリとした衝撃が走るが、耐えられないものではない。足をバネにしてその場から飛び退き、振り下ろし紙一重のところで回避する。

 ラフィーナは足技を組み合わせながら連撃を入れるが、それはドラゴン・トゥースの持つ円盾によって防がれていった。防がれるたびに足に痛みが走ったが、それでも尚、攻撃の手を休めていない。

「いっけえ!」

 前衛の二人が受け止めている間に、リーゼロッテは魔術を完成させていた。雷により形成された槍が、後方で構えている女魔術師に向けて放たれる。しかし、女魔術師はそれを予測していたかのように障壁を展開し、雷撃の槍を受け止める。障壁に阻まれた雷槍はバチバチと音を立てて四散し、その余波を周囲へと散らしていく。

 女魔術師はすぐに反撃に移った。余裕を持った表情で前方に手を翳すと、そこから烈風が吹き荒れた。裂刃となった風は前衛の二人を吹き抜け、後方で控えていたリーゼロッテ目掛けて飛んでいく。彼女はすかさず迎え撃つが完全に勢いを殺ぐには行かず、風の刃の一部が彼女の衣服と肌を斬り裂き、そこから白い肌と傷口が顔を覗かせた。

(この人、魔族? ううん、違う。フレーナの言葉が絶対だとは思わないけど、あの人は闇の者の気配は感じられないって言ってた)

 相手の素性が気になるが、それを気にしている余裕はなさそうだ。リーゼロッテは相手に弱みを見せぬように、次の魔術の詠唱を始めた。

「やっぱりエルフなだけあって、なかなかの使い手ね。でも、私の力にはまだまだ及ばないわ!」

(相当な使い手みたい……。まともにやりあったら、勝てない)

 女魔術師の足元から火柱が上がる。しかし、すぐに彼女はそれを回避し、お返しと言わんばかりにリーゼロッテの足元に火柱を発生させた。

「きゃあっ!」

 すかさず防御に入るが勢いを殺しきることが出来ず、炎の一部がリーゼロッテの肌を焼いていく。

(まだだよ……。何とか耐えて、あたしの魔力……)

 苦痛に顔を歪めながらも、リーゼロッテは反撃に移った。簡単な傷を癒す術なら覚えているが、守りに入ったら力で押されるのは目に見えていた。だから、敢えて傷を癒さずに攻性魔術を詠唱していく。無数の石弾が形成され、それが雨となって竜牙兵と女へと降り注いでいく。石弾は竜牙兵の身体を削り取ったが、女魔術師へと降り注いだものは障壁により阻まれた。

 前衛の二人も気がかりだ。決して弱くは無いことは解っている。しかし、強化を施されたドラゴン・トゥース二体が相手では、苦戦は免れない。戦いが長引けば長引くほど、こちらが不利になるのは目に見えている。

 前衛を援護しながらのため、思うように術を唱えられずにいた。しかし、焦ってはならない。リーゼロッテは自分にそう言い聞かせながら、機を窺った。

 まだだ。まだ、攻める時ではない――

「あぐっ……!」

「ぐぁっ!!」

 ドラゴン・トゥースの力に押されたのか、シアとラフィーナが弾き飛ばされ、地面に転がった。すぐに彼女達は立ち上がるが、相当な消耗をしているようだ。また、完全に攻撃を受けきることは出来ていないようで、肌の一部にはファルシオンによる裂傷が刻まれている。

 勿論、ドラゴン・トゥースもただでは済んでいない。身体の一部が壊れており、攻撃を受け続けた盾は既に半壊している。また、魔術の余波も受けていたためか、焼け焦げたかのような跡も残されている。

 満身創痍とまではいかないが、三人の体力は確実に削られていった。だが――

(まずいわね。相当な力を持っているわ。だからといって、このまま此処で殺してしまっては、私の研究に支障が出る……)

 優勢ではあるが、女魔術師は焦っていた。

 今の自分の目的は、この娘達を捕らえることだ。殺してしまうわけにはいかない。それ程、この三人の娘は興味深い存在なのだ。だが、想像以上の抵抗を見せており、下手に手を抜いたら逆に押し返される恐れがある。だからといって本気を出してしまえば、肉片ひとつ残さずに消し飛ばしてしまうかもしれない。

 気になることはまだある。あのエルフの少女の魔術だ。大きな力を持っていることは解る。今まで自分に向けて放たれた術は、どれも下級クラスではあるが、威力としては並の魔術師の中級魔術に匹敵している。それでも、全力を出しているかのようには思えない。

(手を抜いている? でも、だとしたら何故)

 長期戦になれば不利なことを承知しているはずだ。前衛の二人がドラゴン・トゥースを引き付けているため、それなりの詠唱時間は取れるはず。

(もっとだよ。もっと魔術を唱えて。もうすぐ……)

 女魔術師がリーゼロッテの思惑を理解できないまま、戦いは続いていた。先の戦いもあってか、魔力の消費が再び負担となってのしかかってきたが、それでもリーゼロッテは怯まずに牽制を続けている。時折、闇の球体や風の刃、火柱が彼女の身体を傷つけていくが、それでも斃れることなく耐えている。

「しっかし、まずいね。このままじゃあジリ貧だ……。シア、大丈夫かい……」

 頬を伝った血をぺろりと舐めるラフィーナ。弱みを見せまいとはしているが、正直、かなり消耗しているのは自分自身がよく解っている。

「はぁ……はぁ……。大丈夫……。リーズが、やってくれる……から……」

 シアも肩で息をしていた。あと数回、竜牙兵の攻撃を受けられるかどうかといったところだろう。舞踏系の呪歌も交えて戦っているため、彼女の負担は見た目以上に大きいものとなっている。それでも、シアは勝利を確信していた。

「信じるしかないね……。今のアタシ達じゃ、こいつらを受けるだけで精一杯だ」

 頼んだよ。ラフィーナはリーゼロッテに軽く目配せすると、斬りかかってきた竜牙兵の懐に入り込み、拳を突き出した。竜牙兵はバランスを崩すが、すぐに体勢を立て直し、再びファルシオンを振り下ろそうとした。だが――

 がくん、と二体の竜牙兵は崩れ落ちそうになった。

「そんなっ!? 一体何が……」

 おかしい。何故だ。何故、いきなりこんなことが起きたのか。

 女魔術師は思わず声を上げた。高位の創造体であり、様々な強化魔術を施していたつもりだ。それが何故。彼女は様々な思考を張り巡らせたが、竜牙兵のその隙は、三人にとっては充分過ぎるものだった。バランスを崩したところに体術の連撃を受け、その追い打ちと言わんばかりに爆炎が竜牙兵を包み込み、とどめとして雷槍が次々と降り注いだ。

 如何に強力な魔物とはいえ、立て続けに攻撃を受ければタダでは済まない。女魔術師は、すかさず配下の竜牙兵二体に対して魔力を送ろうとしたが――

「ば、莫迦な!? 魔力が届いていない?」

 持続的に強化魔術を送り込むことで高い戦闘力を維持していたのだが、いつの間にかそれが断たれていたのだ。治癒術を唱えるにしても、それだけの余裕は女魔術師には残されていなかった。

 魔力の供給を断たれた竜牙兵は、最早敵ではなかった。持ち前の再生力も攻撃の前には追い付かず、やがては再起不能の段階に追い込まれ、その活動を停止した。

「私の竜牙兵がやられるなんて……!」

「良かった、何とかなったね……」

 リーゼロッテはにやりと笑みを浮かべた。

(まさかあの娘……)

 女魔術師はようやく悟った。そして、気付くことが出来なかったことを強く後悔した。

 女魔術師や竜牙兵を狙っていた攻性魔術は、あくまでも囮に過ぎなかったのだ。リーゼロッテが狙っていたのは、魔術の解除。即ち、女魔術師と竜牙兵の間にある魔力の流れへの干渉だった。それを断たれれば、如何に高位の魔物とはいえただではすまない。特に、創造体の場合はその術者の魔力供給が断たれれば、活動することが難しくなる。

(やってくれたわね……)

 すぐに次の個体を呼びだそうと思ったが、数には限りがある。使い勝手の良い魔物ではあるが、無限に呼び出せるような代物ではない。ならば、自分がこのまま戦うか。そんな考えが一瞬頭を過るが、女魔術師はすぐにその考えを改めた。

(いいえ。斃すことは出来る。でも、捕らえるのは今の私では無理ね……)

 多くの魔力をこの空間の維持と魔物の強化へと使っていたということもある。手加減をしながら捕らえることは、あまりにも難しい。尤も、戦う力が無いのは相手も同様だ。かなりの消耗をしているのは明らかだ。強がっているようには見えるが、長くは持たないだろう。それならば――

「……今回は私の負けね。この術は解除するし、捕らえていた娘達も解放してあげる。貴女達も出してあげるわ」

 やれやれと言わんばかりに、女はそう言った。

「勿論、諦めたわけじゃないわよ。私は力と知識を得るためなら、自分の手を汚すことを厭わない。それに、興味深い娘達にもこうして逢えたわけだからね」

「ああ?」

 今にも殴りかかりそうなラフィーナを、シアは無言で制止した。一発殴ることくらいは出来るかもしれないが、自分達も危うい状況にあるのは事実だ。シアの心中を察したラフィーナは、軽く舌打ちしながらもその場に踏みとどまる。

「それじゃあ、失礼するわ。また何処かで逢えることを楽しみにしているわ」

 女魔術師はそう言うと、パチンと指を鳴らした。その場の空間が陽炎のように歪んでいく。

 そして――


 そこには先程までの禍々しい空間ではなく、ごつごつとした岩肌が広がっていた。どうやら、あの異空間から抜け出せたらしい。描かれていた魔法陣もすっかり消えているのが解る。

 リーゼロッテ、シア、ラフィーナの三人以外にも、若い娘達が数人地面に投げ出される形で倒れている。息はあるようだが酷いショックを受けたようで、誰もが怯えたような表情をしていた。恐らくは、彼女たちが行方不明となった女性達だろう。

「なんとか戻ってこれたね」

 正直、実感が無かった。今この場にいるのが自分なのかさえ解らないほど、リーゼロッテは消耗していた。

「早速、報告にいかないと……」

 すぐ近くにあるキャンプだが、今の彼女にとっては遠い距離に思えた。

 聞き覚えのある声。そちらに視線を向けると、レオンハルトが慌てた様子で駆け寄ってくるのが解った。そして、リーゼロッテの意識はそこでふと途切れた。

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