第17話 流浪の女戦士
イェソドの里を経ったレオンハルト達は、行きに立ち寄った街ガレンに宿を取っていた。その日の夕食を済ませた後、レオンハルトは夜のガレンを出歩いていた。これといった目的があるわけではなく、ただ夜風に当たろうとしただけだ。小さな街ではあるが、路地には露店が立ち並んでいるし、宿屋や酒場の前では客の呼び込みが行われている。
北の方角の山は分厚い雲に覆われている。山脈を越えた先には幾つもの小国家があるのだが、レオンハルトは数日前にイェソドの長から聞いた言葉を思い出した。北の方角で不穏な動きがあるということ。山々を覆う雲は、そんな不安定な情勢を如実に表しているかのように思える。
(ん? あれは南部地方の将軍クラウツ殿では)
部下たちは元気にやっているだろうか。コーネリアに全てを任せてきてしまったが、彼女は怒っていないだろうか。そう思っているところで、レオンハルトは路地裏で二人の男女が何やら言い争っているのを見つけた。
「何があるかは解りません。民間人を生かせるわけにはいきませんよ」
一人は樽のような体型をした中年の男性だ。見たところ、ラスティート王国の鎧を身に着けているのが分かる。背丈も低く、軍人にしてはあまりにも恵まれていない体型のように思える。だが、立派な髭と僅かに尖った耳、体型に比べて大きな手足を見れば、そんな考えは一瞬にして改めさせられる。
ドワーフという種族である。彼らは体型こそ小柄だが、そこには人間よりも遥かに優れた膂力が秘められている。男性は樽のような体型と立派な髭を生やすことが多く、女性の場合は人間の少女と変わりない外見をしている。寿命も人間より長く老いのスピードも緩い為、見た目だけで年齢を判断するのは難しい。余談だが、人間は老いを忌避する傾向にあるが、ドワーフの場合は老いることを誇りとしていることが多い。
ドワーフは全体的に荒々しい者が多いのだが、どういうわけかこの中年男性の場合、妙に腰が低いようだ。女性の剣幕に押されているのか、申し訳なさそうにヘコヘコしながら彼女を諌めようと努力している。
「民間人ってもアタシは傭兵だ! 軍人さんみたいに魔術とかそういうのは使えないけど、そこらの平凡な騎士様よりは強いって自負しているんだぜ? それに、この街には世話になってるからね、少しでも恩を返したいのさ」
もう一人は水色のウルフヘアーの女性だ。鎧の類は身に着けておらず、健康的な褐色肌が夜風に晒されている。見る者が見れば思わず生唾を飲み込んでしまうような格好ではあるが、それ以前に引き締まった肉体と、彼女の堂々たる口調が、そのような淫靡さを打ち消している。端的に表せば、頼りがいのある姐御肌といった感じの女性である。彼女もまた、亜人であるようだ。頭から生えた犬耳と、腰から延びる尻尾を見れば、彼女がワービーストという亜人であることを察するのは容易い。なお、ワービーストの外見は個人によって大きく異なる。彼女の場合は犬の特徴が表れているが、猫や狼、狐、栗鼠、兎などの特徴を持つ者も存在する。
ちなみに、ワービーストもイヴルアイと同じく狩られることが多い。しかし、彼らの場合は獣人と同等に見られることが多い為で、その場で殺されるか、奴隷として扱われ、ある意味殺されるよりも非道な扱いを受けることは珍しくない。
「しかしですね、何も情報がないまま突っ込んで襲われたらどうするんです」
「ハッ、そんなの簡単さ。襲いかかってきた莫迦な奴らをぶちのめすだけさ」
あまり目立つわけにはいかないとはいえ、どうも見過ごせない。自国の者が絡んでいるとなれば尚更だ。ドワーフの男性は話したことは無いが知っている相手のため、レオンハルトは一先ず話を聞くことにした。
「取り込み中失礼いたします、クラウツ将軍」
「おや、貴方は? 私の部隊の者ではないようですが……」
「お初にお目にかかります。私はラグナス・ブラウン将軍麾下にて部隊長を務めているレオンハルト・クリューガーと申します。任務を終え、王都へと帰還する道中に立ち寄ったのですが、どうなさったのですか」
「なんと、あのクリューガー家の……。ブラウン殿も立派な部下を持ったものです。おっと、失礼しました。私は及ばずながらも南部地方で将軍を務めさせて頂いております、アダン・クラウツと申します」
ぺこりと頭を下げるアダン。そこには慇懃無礼な様子はまるで感じられない。この礼儀正しさは、アダンの性格故なのだろう。
「頭を上げてください。私はまだ若輩者なので」
「アタシを差し置いて、さっきから何ゴチャゴチャ話してるんだい?」
ワービーストの女性が不機嫌な顔で割り込んでくる。
「ああ、失礼しました。この近くには洞窟があるのですが、そこで地元の方が奇妙な魔法陣を見つけたとのことです」
言って、アダンはちらりとワービーストの女性を見た。相変わらず彼女は不機嫌そうな顔をしている。その様子から、大体のことをレオンハルトは察することができた。
「その洞窟で、行方不明者が出ているんだよ。出てくる魔物も弱いし、薬草の群生地だからこの街の奴らが入ることが多いんだけどね。だから、アタシが見に行ってやろうと思ってんだ。こう見えても腕に覚えはあるからね」
今までその場になかった筈の魔法陣が表れていた。魔術に詳しい者でなくても、異変が起きているのを察するのは容易いだろう。行方不明者が出ていることに関係しているとみて間違いないだろう。
今は任務を終えて報告のために帰還する途中であり、本来ならば自分が関わることではないのかもしれない。だが、近頃の出来事を考えると、少しでも情報を集めておいた方が、今後の動きに何かしらの役に立つということも考えられる。
いや、それ以前に。得体の知れぬ存在により民間人に被害が出始めているのが問題である。既に調査が始まっているというが、思うような結果を残せていないという。決してアダンの軍が無能というわけではないのだが――
「クラウツ将軍、差し出がましいかもしれませんが、私も調査に赴いてもよろしいでしょうか」
自分一人が加わったところでどれだけの戦力になるかは解らないが――
「差し出がましいなどとんでもないです。是非とも、協力していただきたい。恐らくは、魔族との関連性もあるでしょう。そうですね……。では、この方も調査に加わりたいとのことなので、彼女と共に遊撃という形で調査をお願いできますか?」
つまり、今にも洞窟へと突っ走りそうな彼女の護衛をしてほしいとのことなのだろう。
「ハッ、頼りなさそうな坊やだけど、そこが妥協点ってとこかね」
不満そうな表情を浮かべながらも、女は納得したようだ。
「それでは、私は部隊の再編をしますので、この辺りで失礼させていただきます。調査は明日の朝からになりますが、その時はよろしくお願いします」
アダンはそう一礼すると、その場から去って行った。
「さ、て、と」
ようやく堅苦しい雰囲気から解放された。そんな清々しい表情を浮かべたワービーストの女性はレオンハルトに向き直った。
「自己紹介がまだだったね。早速と行きたいところだが……」
「私は……」
改めて紹介をしようとしたところで、レオンハルトは自分の肩に女性の腕が回されていることに気付く。
「ちょっと付き合いな! 曲がりなりにも、パーティを組むことになったんだからな」
レオンハルトは反論するまもなく、女性に引っ張られていった。そして、彼女に連れられて辿り着いた先にあったのは――
場所は宿を取っていたところとは別の酒場だ。こちらの酒場も喧騒に包まれているが、客を見渡すと武装している者が多い。しかし物々しさはあまり感じられず、誰もが素直に酒を楽しんでいるのが窺える。席は殆んど埋まっていたが、何とか二人分の席は空いていたために、レオンハルトと女性はそこに着くことになった。
ワービーストの女性は早速グラス一杯のエールを頼み、それを一気に飲み干した。そして、すぐに蒸留酒の入ったボトルを数本頼むと、休む間もなくグラスに注いでいる。
「おう、アンタも飲め!」
「あの、明日は朝早いのでは」
そんなに飲んでも大丈夫なのか。支障が出るのではないかと言おうとしたところで、レオンハルトのグラスに蒸留酒が注がれた。元々アルコールには強い方ではあるが、仕事の前日にはあまり飲まないようにしているため、やや不安であった。
「かぁぁぁっ、仕事前の酒は最高だよ!」
(成り行きで来てしまったが……)
何も連絡をせずに来てしまったために、不安もあった。とりあえず、情報魔術を使い、リーゼロッテに今までの旨を伝えておくことにした。尤も、時間的に今はもう寝静まっているかもしれないが、何も伝えないよりはましであろう。
「おう、姐さん。ついに男を見つけたのかい?」
軽く酔った客が女性の肩に手をかけてきた。普通ならば悲鳴を上げるとことなのであろうが、どうやら彼女はそのようなことを気にしない性質らしい。
「ハッ、そんなんじゃないさ。こんな頼りなさそうな坊やなんてゴメンだね。たいしたモノも持ってなさそうだしね。ただの仕事の付き合いだよ、仕事の付き合い」
「ハッハッハ、確かに傭兵にしちゃあ細いし頼りなさそうだな」
「おいおい、あまり言ってやんなよ。アタシの護衛なんだ。気を悪くされて見捨てられでもしたらどうするんだい」
「護衛? 姐さんが護衛する側じゃないのかい?」
「アタシはか弱い乙女だってんだ。そんな護衛だなんて出来るわけねえだろ!」
そう言いつつ、女性は他の客達と大笑いしている。
話を聞く限り、此処は冒険者や傭兵達がよく利用する酒場なのだという。そのためか、自称である者ばかりとはいえ、ある程度の名声がある客が多いようだ。レオンハルトは軍人であるために市井の冒険者についてはあまり詳しくはないが、名前だけは耳にしたことのあるような者の名もちらほらと聞こえてくる。
女性に絡んでいた客はある程度の談笑で満足したのか、ふらついた足取りで自分の机へと戻っていった。一段落したところで、女性はレオンハルトに話し始める。
「もしかして、軍人さんはこういうとこは苦手かい?」
自分とは対照的に静かに飲んでいるレオンハルトに、声をかけるラフィーナ。サバサバとしているようにみえるが、案外気遣いが出来る性格なのだろう。
「いや、別に気にしてはいません」
「ふーん、そうかい」
どうやら自分が身分の高い人間だと思われているらしい。確かに貴族の生まれではあるが、ラスティートでは武家は高い地位にあるわけではない。考えは変わりつつあるが、実よりも名を求める傾向が未だ強く残っているためだ。
軍に関わることの無い者には解らないが、騎士達とは異なり、一般の兵士達はこのように酒場で談笑することは日常茶飯事だ。レオンハルトも騎士ではないため、このような場所の雰囲気には慣れていた。
「さっきは頼りないとか言ってゴメンよ。アタシの名はラフィーナ・ナーゲル。流れの傭兵をやってるけど、今はこの街に滞在しているのさ」
「私はレオンハルト・クリューガーと申します。ナーゲルさん、明日の調査の時は及ばずながらも――」
「あー、そういうお堅いのは無しにしてくれるかい? さっきの態度から察するに、真面目な奴なんだろうけど、どうもアタシみたいな奴には堅苦しくてね。敬語とかは無し、名前もファーストネームで呼んでおくれ。その方がこっちもやり易い」
「で、ではラフィーナ。よろしく頼む」
ワービーストも人間よりも長命な種族故、外見だけで年齢を判断するのは難しい。しかし、雰囲気や様子から見ると、レオンハルトよりも歳上であることは間違いないだろう。少し戸惑いを覚えつつも、レオンハルトは改めて挨拶をした。
「こちらこそよろしくね。それじゃあ、少しの間だけど相棒となったワケだ。レオンハルトだっけか、改めて乾杯といこうじゃないか」
「ああ」
お互いに改めて紹介を済ませると、二人は手に持ったグラスで乾杯した。
このように知らない相手と飲んだことが今まであっただろうか。部下や同僚達の付き合いで飲むことはあったが、ラフィーナのような相手と飲むことは無かった。自分の身分と言うのもあるが、出生がこのように人と関わるようなことを避けていたからなのかもしれない。勿論、最近になって考えは変わってきているのだが――
そのようなことを考えつつも、レオンハルトはラフィーナとの会話に華を咲かせていた。任務のこともあるために話せることは限られているが、周囲の傭兵や冒険者達が話しているような何気ない会話を続けた。
「ラフィーナはシュトルムラント出身なのか」
「まあね。といっても、今じゃ流れの傭兵だから、国籍なんてのはとうの昔に捨てちまったけどね」
シュトルムラント王国は、中原南部に位置する軍事大国である。国民の軍事に対する意識も非常に強く、異民族への積極攻勢も辞していない。故に、周囲で同国に滅ぼされた、あるいは従属させられた小国は数十にも及んでいる。そういった背景からか、内乱が多く起こっているのだが、それに対しても武力で徹底的に制圧するという手法を取っているらしい。
ラスティートとの関係は、あまり良好ではない。しかし、互いに自国内の平定で侵攻へと手が回らないためか、今のところは二国間で大きな戦争が起きる様な気配はないのだが――
「仮に二国間で戦いになったとしても、別に駆けつけるつもりなんてないさ。特にシュトルムラントに対して思い入れがあるわけでもないからね」
そう言うと、ラフィーナは一瞬何処か悲しそうな表情を浮かべた。しかし、アルコールを一気に煽ると共にその表情は消えて、酒場に入った時からの楽しそうな表情へと戻った。
「勿論、強い奴と戦えたり、それ相応の報酬が貰えるってなら喜んで参戦するけどね。でも、そんなことをするより、魔物とか……例えばドラゴンとかをブッ倒した方が、名声も一気に上がるからね、こうしてあてもなく彷徨ってるわけさ」
魔物……それも龍に分類されるような上位の相手を倒すなど、途方もない話だ。しかし、彼女の様子を見てみると、本気ではあるのだろう。身体を見ても、それなりに傷跡が残っているのが解る。幾度となく戦いの中に身を置いてきたのだろう。
「それより、レオンの話ももっと聞かせてくれよ」
酒が回ってきたのか、ラフィーナの呂律がやや怪しくなってきた。いや、呂律だけではない。顔を真っ赤に染めて、ニヤニヤと笑みを浮かべながら、腕をレオンハルトの肩に回してきた。
「は、はあ」
異性の部下と飲んでいる時にこのようなことはあった。だが、彼女達の場合は簡素な鎧か落ち着いた普段着を着ているために気付かなかったのだが、ラフィーナの場合非常に露出の多い格好をしているわけで。横腹に柔らかいモノがあたる感触があった。
興奮するというわけではないが、流石のレオンハルトも少し居心地が悪かった。というのも、ラフィーナが絡み始めてから、周りの視線がこちらに向けられているのだ。無理もない。傍から見れば、厭らしい行為をしようとしていると思われても仕方がない。
「あの、少し近いんだが……」
「近くにゃい。レオンったらぁ……イケズ……じゃ……」
「ラフィーナ、大丈夫か? 随分飲んでいたが」
「アタシらってぇ、か弱い乙女……男の……」
周囲では、「やっちまえ」だの「持ち帰っちまえ」だの、煽るような声が上がり始めた。傭兵や冒険者とは言え、やはり酔うとその辺りの酔っ払いと変わらないのだろう。このまま放置して帰っても良いのだが、明日の朝から共に行動するようになった相手だ。そういうわけにはいかない。
レオンハルトは深い嘆息を漏らすと、二人分の酒代を支払うと、酔っぱらって寝てしまったラフィーナをおぶって、酒場を後にした。




