第14話 闇の力の代償
程なくして、戦いは始まった。戦線に復帰したレオンハルトとシアが前衛に出て、それまで前衛にいた三人は、魔術による援護のために後方に下がった。
異形と化したリューイは、己の身体から伸びる無数の触手を、レオンハルト達に向けて一斉に放っていく。レオンハルトとシアは、前線で次々と触手を刻んでいった。しかし、触手を切断したところで大きな効果は得られず、切断面から新たな触手が現れ、反撃を繰り出してくる。
(どうしたものか)
触手を完全に往なすにはいかず、時折身体に鞭のように打ちつけてくる。鎧を着ているために然したるダメージは無いが、鎧越しに不快な感触が伝わってくるのが解る。
気がかりなのはシアである。未だ回復してから間もないため、全力を出せるかどうかが怪しい。下手に戦闘を長引かせては、身体に関わるだろう。そのため、なるべくシアを消耗させないよう、出来る限りの範囲で、レオンハルトは彼女を庇おうとした。
「レオン、無理しないで」
自分の目の前に立ち、触手の攻撃を受けたレオンハルトにシアは心配そうに声をかける。
「大丈夫だよ。言っただろ、共に戦おうって」
何本もの触手が片腕に巻きつくが、もう片方の手に持っていた剣でそれを全て断ち切る。どす黒い液体を撒き散らしながら、触手は君の悪い動きを見せ、レオンハルトから退いていく。すぐに彼はシアと共に追撃に移り、手頃なところにあった触手を次々と切断していく。
(とはいえ……)
キリが無い。それでも、何もせずにいてはただ触手の餌食になるだけである。焦燥感に苛まれながらも、レオンハルトとシアは、前線で攻撃を引きつけていった。気がかりなのは後衛にいる三人だ。攻撃を引き付けているとはいえ、その全てを往なしきれるわけではないためだ。
鞭のようにしなる動きを見せる触手は、的確に五人を狙ってきている。故に、魔術を使おうとするフレーナ、リーゼロッテ、ロイドの三人は、なかなか術を詠唱するタイミングを掴めずにいた。途切れ途切れに詠唱と中断を繰り返しては、やっとの思いで発動をさせているというのが現状だ。そのため、思うように効果を上げられずにいる。
「クヒャヒャヒャヒャ、ドウシタンダイ? 僕ハマダ本気スラ出シテナインダヨ?」
いくつもの声色が重なったようなリューイの声が響く。どうやら、まだ自我は残っているらしい。しかし、彼は今の状況を楽しんでいるようだ。
「仮初の力で、何を莫迦げたことを。このままでは、本当に貴方は崩壊することになりますよ」
言って、後衛からフレーナが魔術による牽制を行う。構えた大鎌の先から、いくつもの光の球が放たれていく。しかし、決定的な打撃を与えることは出来ず、触手のいくつかを消滅させたにすぎない。
(想像以上に手強い。先程から術の解除を試みていますが……)
至って冷静に振舞ってはいるものの、事実、フレーナは焦っていた。自らの身よりも、他の者の状況が気がかりであった。今この場で彼らを失えば、自らの目的に支障が生じる。それだけは何としても避けなければならないことだ。
「リューイ様! 貴方は何を望んでいるのですか!?」
ロイドは背中の一対の翼を大きく広げ、空中に飛び立った。ハルピュイアなら誰もが、魔術に頼らずに飛行をすることが可能である。むしろ、空中戦こそが彼らの領分と言っても良い。上空は比較的触手の密度が小さく、充分に詠唱の余裕を取ることができた。ロイドは自身を狙う触手を巧みに回避しながら、意識を集中した。
グラディウスを掲げると、ロイドの前方に無数の石飛礫が形成されていく。石の弾丸――《ストーンバレット》という地脈系統の下級攻性魔術だ。威力は低いが、牽制としては優秀な術である。石の弾丸はそのままリューイ――正確にはうねる触手に向けて放たれていった。雨あられのように降り注ぐ石の弾丸を、リューイは避けようともしなかった。石の弾丸は次々と触手に降り注ぎ、当たった個所に風穴を開けていく。
「何度モ言ッテルジャナイカ! シアヲ僕ノモノニスルンダ!」
「やめてお兄様っ!」
抗議するために飛びかかろうとしたシアだが、彼女を目掛けて触手が伸びてくる。レオンハルトはその動きを察知し、可能なものは二振りの剣で切り落とし、間に合わないものは己の身で受けた。鈍器で全身を殴られたかのような衝撃が走るが、何とか体勢を崩さぬように持ちこたえる。
「ぐっ……」
「レオン! 無茶しないで!!」
「大丈夫だリーズ! 俺に構わず、詠唱を続けてくれ!」
「わ、解った」
悲痛な叫びを上げるリーズを、何とか諌める。レオンハルトの声で何とか冷静さを取り戻したリーゼロッテは、術の詠唱を続けた。
ロイドの空中からの魔術攻撃と、レオンハルトが囮になったことにより多少の隙が出来たのか、リーゼロッテは上級の術を上手く完成させた。彼女のスタッフの先に、膨大な魔力が集中していく。魔術の完成を察知すると、前衛の二人は即座にその場から飛び退いた。
「いっけぇぇぇぇぇぇッ――!!」
低空に暗雲が立ち込めると、耳を劈くかのような爆音と共に、リューイを中心に雷光が降り注ぐ。紫色の光を帯びた雷電が、次々と撃ちつけ、彼を取り囲むかのように展開していた触手を一瞬にして蒸発させていった。《サンダーストーム》という術だ。雷撃系統でも特に上位の術であり、並大抵の者では詠唱することすら出来ないほどだ。
もし相手が普通の中隊規模の軍であったり、あるいは下級の魔物の群れであったら、今の術で消し炭と化していただろう。しかし、《サンダーストーム》はリューイ――正確には彼の纏っていた触手の大半を消し飛ばしたに過ぎなかった。そして、消し飛ばしたはずの触手は、その傷口から新たな触手を生み出し、ぬめり気を帯びた気味の悪い水音を出しながら、見る見るうちに再生していく。
「はぁ……はぁ……っ、見た目以上にタフだよ、こいつ……」
出来る限りの魔力を込めてぶつけたが、決定打になっていない。リーゼロッテは息を荒げながらも、詠唱後の隙を突いてきた触手を、寸でのところで回避した。攻撃の手を休めるわけにはいかない。呼吸が乱れつつあったが、彼女はすぐに次の詠唱のための準備に入る。だが――
「ヤッテクレルジャナイカ、小娘。今ノハ痛カッタ……。デモ、無駄ダヨ。僕ヲ倒スコトナドデキヤシナイ。フヒャヒャヒャヒャヒャ……」
「っ……」
腹の内から響くような、暗く低い声。リーゼロッテは己の背筋が凍りつくかのような恐怖感を覚えた。それだけではない。全身が鉛のように重い。魔術による疲労ではない。過去に何度も禁断魔術を唱えたことがあったが、それでも倒れるようなことは無かった。
重圧を覚えたのは、リーゼロッテだけではなかった。他の四人も、全身の力が抜けるかのような感覚に見舞われており、動きに精彩を欠き始めていた。
「身体が……? これは一体」
激しい重圧は、空中にいるロイドでさえ感じ取っていた。自分を目掛けて伸びてきた触手を完全に回避するには至らず、翼の端を触手が掠める。ロイドは一瞬バランスを崩すが、何とか持ちこたえて体勢を立て直す。
重圧の正体に気付くのに、然したる時間はかからなかった。何度かリューイと対峙したから解る。彼を中心に、耳障りな旋律が響いてくる。
「これは……呪歌!?」
呪歌。ドルイドの間に伝わる、特定のリズムや旋律を力として具現化させる技術だ。魔術に近しいがそれとは似て非なるもので、こちらは強化や弱体を主としたものが多い。今までのリューイの戦法から察すると、妨害に特化しているのが彼の特徴と言えよう。
「させません」
フレーナはすぐに詠唱に入り、術を完成させた。リューイに向けて、《ディスペルマジック》を放つ。だが――
「ソノ程度デ止メルコトナド、デキナイサ! ヒャヒャヒャヒャ……」
旋律――というより不協和音と言った方が相応しいだろう――が途切れたのはほんの一瞬であり、すぐに呪歌が紡がれていく。それだけでは済まなかった。不協和音が響き渡ると同時に、触手の再生速度が上がる。それから程なくして、膠着気味であった戦局は大きく傾き始めた。
何とか手数で押し裁いていた一行だが、呪歌の影響は無視できないものであった。動きに精彩を欠き始めたことにより、触手の攻撃に対応するのが遅れ始めていた。そして――
「きゃっ、ちょっと!」
「くっ……」
リーゼロッテとフレーナの四肢に触手が巻きついていた。
「今助けます!」
この状況で動けなくなる者が出るのはまずい。ロイドはそう判断すると、遠距離から魔術を詠唱し、触手を消し飛ばそうとした。依然として空中はある程度の余裕があるため、何とか対応することができる。そう思ってのことだった。
だが、次の瞬間、ロイドの身体は地面に叩きつけられていた。全身に走る衝撃。あまりの激痛に、彼は自分の身に何が起きたのか理解できなかった。
「ぐはぁっ……、今のは……何が……」
骨は折れていないが、暫く動けないほどの打撃を受けたロイドは、仰向けのまま呻いた。得物を探ろうとしたが、今ので何処か遠くへ飛ばされてしまったらしい。起き上がろうとする中で、彼はようやく自分の状況を、把握した。
(魔術……か……)
触手の合間を縫って、時折リューイの元から魔術が飛んでくるのが確認できた。自我を殆んど失いながらも魔術の詠唱を出来る辺り、闇の者の力と言うのはどれほど強大なのだろうか。今まで多くの外敵と戦ってきたが、ロイドは未だかつてない戦慄を覚えた。
早く復帰しなければ――だが、残酷にも彼の身体は動かなかった。あまりにも大きなダメージを受けたために身体が思うように動かせないこと、そして、呪歌の力も相まってか、動きをほぼ完全に拘束されていた。
「アノサ、邪魔シナイデクレナイカナ?」
戦闘不能のロイドをあざ笑うかのように吐き捨てると、リューイは触手で拘束したフレーナとリーゼロッテをゆっくりと持ち上げ、宙づりの状態にした。
「何これ……、力が、入らない……」
リーゼロッテはすぐに魔術で対応しようとしたが、呪歌の影響も相まってか詠唱もままならない。どうやら、触手には拘束した者を衰弱させる魔力が含まれているらしい。
「ひあっ! ん、やめ……」
「くっ、あぁっ……!」
本来ならば、このまま絞め殺すか、あるいは地面に叩きつけることが出来るのだろう。だが、圧倒的な力を手に入れたことによる余裕からか――リューイはまるで弄ぶかのように、フレーナとリーゼロッテの身体を幾度も、己の身体の一部となった触手で彼女達の身体を舐めまわしている。
ドロドロとした感触に、リーゼロッテは思わず顔を顰めた。戦いで傷を受けることはあったが、このように嬲られた経験はなかった。全身のぬめりで気が狂いそうだ。このままの状態が続けば、自分はどうなってしまうのだろうか。想像しただけで、身の毛がよだつ。
「や……やだ……」
「リーゼロッテ、気を強く持ちなさい」
一方、フレーナは平静を保っていた。勿論、触手の影響を受けていないわけではない。身体が衰弱していく感覚はあったが、自分のことよりも周囲が気がかりだ。特に、今の状況でレオンハルトを失うわけにはいかない。彼を失うことは、闇の者達との戦いに於いて、大きな支障となる。
恐らく、彼は自身の出生についてもよく解っていないだろう。また、使命を負う者――世界の根幹を知る者の言葉で表せば、因子を持つ者――としての自覚と実力もまだ足りない。事実、今の彼の実力では、下級の闇の者と渡り合える程度だ。下級の者となれば、その辺りを闊歩している魔物と同等の存在だ。尤も、それとは一線を画す存在であることには違いないのだが――それでも、闇の者との戦いに於いては瑣末な存在に過ぎない。
(見定めさせて貰いますよ、レオンハルト)
危機的な状況にありながらも、フレーナは落ち着いていた。
「何ダ。神ノ御使イトヤラモ、大シタコトナイジャナイカ。コノ僕ヲ莫迦ニシテクレタナ。ソノ報イヲ受ケテモラウ! エルフノ小娘モ同様ダ! ヨクモ、ヨクモサッキハ痛イ目ニ合ワセテクレタナ……。クヒヒヒヒヒ……クヒャヒャヒャヒャヒャ……」
拘束した二人を見下ろしながら、リューイは気が狂ったかのように哄笑した。
彼は今の状況を楽しんでいた。今まで惨めな思いをしてきた。だが、こうして圧倒的なまでの力を実感している。それがたまらなく快感なのだ。今自分がすべきこと。それはシアを自分のものにすることであるが、それだけでは済まない。闇の者より受けた圧倒的な力を見せつけ、自分より弱き者を甚振り、嬲ること――
今、この場にいるのは闇の者と戦う運命にある者達ではないか。その気高き存在を、これからどうやって穢してやろうか。もし、完膚なきまでに穢しつくしたら、どんな顔をするのだろうか。 そして、彼らを始末した後は、イェソドの里の者達だ。この者たちより簡単に蹂躙できる故に捨て置いているが、その弱き存在を甚振るのも楽しみだ。ああ、想像しただけでイキそうになる。
「クヒャヒャヒャヒャ……今ノ僕ナラ、ナンダッテデキルンダ……!」
耳障りな哄笑と共に、リューイは自身の身体から更に触手を伸ばし、次々と魔術を詠唱した。精密性が無いために、それが一行に当たることは無かったが――いや、彼はわざと攻撃を外していたのだ。自らの楽しみのために。
自覚は無かった。だが、彼は本来の目的を見失っていた。それは、彼の自我が崩壊しつつあることも示していた。
「戯言を。貴方には解りませんか? 自分のしていることが、理に反するということを」
「強ガッテイラレルノモ今ノウチダ……。サッキカラ僕ノ目ノ前デチョコマカト動イテイル奴ラモ、疲レガ見エテキテイルジャナイカ」
「…………」
フレーナ達が後衛で拘束されている間、レオンハルトとシアは何もしていなかったワケではない。リューイの波状攻撃に、苦戦を余儀なくされていたのだ。
二人とも既に満身創痍だ。特に、レオンハルトはシアを庇いながら戦っていたために受けるはずのない攻撃まで受けており、鎧の一部は砕け、頭からは血を流し、両手の感覚も薄れつつあった。
「はぁ……はぁ……」
自分でも息が上がっているのが解る。身体が鉛のように重い。痛みという感覚も麻痺しつつあり、両手に得物を握っているのかすらも解らないほどだ。
「シア、大丈夫か」
「レオン! レオンは、自分の心配を……っ……!」
自分に目掛けて飛んできた風の塊を、シアはその場からステップして回避した。彼女の立っていた場所が大きく抉れ、辺りに土を捲き上げる。
「チョコマカト!」
「あぅっ」
回避するのを予測していたかのように、触手がシアに襲い掛かった。彼女はすぐに対応することができず、四肢を拘束されてしまう。レオンハルトはすぐに助けようとするが、リューイが放った魔術により、弾き飛ばされてしまった。
「がはぁっ!」
地面に叩きつけられながらも、レオンハルトは戦意を失っていなかった。軋む身体に鞭打ち、剣を杖代わりにして何とか立ち上がる。しかし、彼の身体には限界が来ていた。自分でも全身がガタガタと揺れているのが解る。最早、立っているのがやっとという有様である。
実のところ、未だ自分の使命についてはよく解っていない。それでも、やらなければならない。今、何とか動けるのは自分だけだ。此処で斃れれば、共に戦っていた者達もただでは済まないだろう。
(せめて……、呪歌の影響だけでも消えれば……)
依然として、リューイから発せられる不快な旋律は続いていた。このまま聞かされ続けていれば、勝ち目はなくなるだろう。
どうすれば――
「シア様…………」
動けるようになったのか、ロイドがふらつきながら立ち上がる。だが、かなりの傷を負っているようだ。
「今……皆さんの拘束を……」
苦痛に顔を歪めながらも、ロイドは魔術の詠唱を始めた。大きな効果は期待できないが、少しでも貢献することは出来る。拘束された三人を解放することが出来れば、それで充分だ。そうはさせまいとリューイはロイドに向けて魔術を放つ。水の弾丸がロイドに向けて放たれる。最早、彼には避けるだけの力は残されていなかった。
だが、水の弾丸はロイドの目の前で四散し、大幅に力を弱められた水飛沫が僅かにロイドの顔にかかった程度で済んだ。彼を取り囲むかのように、淡い光を放つドーム状の障壁が展開されていた。すぐに障壁は消滅したが、ロイドを魔術から守るには充分なものであった。
「助かりました、有難うございます……」
レオンハルトが前線で戦いながらも、ロイドに向けて支援魔術を放ったのだ。今のレオンハルトには、術の詠唱の余裕すら残されていない筈だ。だが、己の危険を顧みずに、詠唱を行ったのだ。当然、リューイがその隙を見逃すはずが無い。
「くっ……」
回避できないと判断したレオンハルトは、その場で身を固めて魔術に備えた。風が力の塊となって全身に撃ちつける。まるで、鈍器で殴られたかのような衝撃と痛みが、少し遅れて刃物で斬り刻まれるような感覚が襲いかかった。だが、彼は片膝をつきながらも、何とかその場に踏みとどまって耐えきる。
全身の感覚が切れかかっている。かなりの血を流したようで、視界もぼやけつつあった。だが、まだだ。まだ斃れるわけにはいかない。ふらふらとよろめきながらも、レオンハルトは何とか体勢を立て直した。
「まだだ……! いい加減に……止めるんだ……!」
血反吐を吐きながらも、レオンハルトはリューイに向けて言い放った。リューイの身に何が起きているのかは分からない。だが、このままにしておくわけにはいかない。今、目の前で起きていることは異常だ。それだけは解る。だから止めなければならない。それはリューイの身を案じてのことでもあった。
「死ニ損ナイガ……!」
吐き捨てるように言うと、リューイは更に魔術の詠唱を続け、レオンハルトとロイドに向けて触手を伸ばそうとした。だが――
がくん、と自分の身体が揺らぐような感覚。未だかつて感じたことのない違和感が、リューイを襲った。一体、これは何なのだろうか。いや、気のせいに違いない。そう自分に言い聞かせると、攻撃を再開しようとした。しかし、一瞬の戸惑いは、一行に猶予を与えるには充分過ぎるほどであった。
ロイドの前方に、いくつもの剣を象った水晶が形成されていく。リューイはすぐに反撃に移ろうとしたが、間に合わない。水晶の剣は、次々とリューイ――正確には彼の触手に向けて放たれた。狙いが違うではないかと一瞬涼しい顔を見せるリューイであったが、すぐにロイドの意図に気付き、焦りを見せる。
《クラスターブレード》――幾つもの水晶の刃を作り出す、地脈系統の上級魔術だ。威力は勿論のこと、対象を「切断」することに特化した術だ。水晶の強度は術者の魔力に左右され、熟練者が詠唱すれば、金剛石やオリハルコンを切断することも出来るという。ロイドは取り立てて魔力が高いわけではなかったが、しつこくうねる無数の触手を一網打尽にするには充分であった。
妖しい輝きを帯びた水晶が、次々と触手を切断していく。ブツブツと、肉が斬れるような不快な音が絶えず鳴り響く。それは、触手の再生速度をも上回っていた。晶刃の乱舞が止んだ頃には、拘束された三人は解放され、各々が体勢を立て直していた。
「後は任せましたよ、皆さん……」
地脈系統の魔術は得意であったが、此処まで全力で詠唱したのは初めてだった。ロイドはレオンハルト達に願いを託すと、そのまま地面に崩れ落ちた。
「ロイドさん!」
「大丈夫。ロイド、結構頑丈だから」
心配そうに声を上げるリーゼロッテに、シアが優しく微笑みかける。
「何ダヨ……。少シ生キ長ラエタトコロデ、何ノ意味ガアルンダ! シア! イイ加減僕ヲ受ケ入レルンダ! サア、一緒ニ行コウシア! 僕ナラ君ヲ――」
「ううん、あなたはもうお兄様じゃない」
「エッ……」
シアが何を言っているのか、リューイには解らなかった。いや、解りたくなかった。否定された。拒絶された。そんなことがあっていいはずが無い。そんな現実は認められない。
「僕ヲ否定スルノカ? 僕ヲ拒絶スルノカ? クヒッ、クヒヒヒヒヒヒ……アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァ――――!!」
鳴り響いていた不協和音が、より一層強さを増す。慟哭とも憤怒とも取れぬ声。それは、リューイの自我が完全に崩壊したことを示していた。重圧が増し、レオンハルト達は思わず膝を突きそうになるが――
「わたしが、止める」
重圧に耐えながらも、シアは二つのジャマハダルを構え、舞うような動作でリューイに向けて斬りかかった。ただ戦っているわけではない。その動作ひとつひとつには、特定のリズムと舞踏が刻まれている。レオンハルトはシアの動きに見覚えがあった。昨晩、彼女が見せてくれた舞踏。彼女の戦いの際の動きをみると、それに通じるものがあった。呪歌でも、演奏や歌唱ではなく、舞踏を介するものがある。無防備になるという欠点を補った者であるが、その分非常に高度な技術を要求されるため、舞踏系の呪歌を扱える者は殆んど存在しないと言われている。しかし、現にシアは、その高度な舞を踊っているのだ。
シアが舞踏を始めてから、それまでの重圧が嘘だったかのように身体が軽くなった。それだけではない。疲れていた身体に戦意が漲ってくる。
「アアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァ!!」
手当たり次第に触手を放つリューイだが、それが一行に届くことは無かった。捉える前に、後衛のリーゼロッテが魔術でそれを撃ち落としているためだ。
「す、凄い。いつもより効き目が違うよ?」
リーゼロッテは驚嘆しつつも意識を集中し、複数の魔術を一度に詠唱していく。雷撃と風刃が同時に幾つも発生し、それぞれがリューイの触手に対応している。
「……レオンハルト、シア。あのドルイドの青年の胸部にある石を砕くのです」
リューイの身体は高い位置にあったが、次の瞬間、彼の下半身から生えていた触手が、眩い先行と共に文字通り消滅した。すぐにリューイはそれを再生しようとするが、レオンハルトは幾度も切り刻み、再生の速度を遅らせた。その間にシアはもがき蠢くリューイの懐に潜り込み、ジャマダハルを掲げた。
「アァァァ……アァァァァァ……!」
「……さようなら、お兄様」
否定もした。拒絶もした。それでも、兄に対する愛は消えたわけではない。
今、自分に出来ることは、とどめを刺して兄を解放してやることだけだ。
「……っ」
目に大粒の涙を浮かべながらも、シアはジャマダハルを兄の胸部にあった『クリフォトの輝石』に突きつけた。ガラスが砕けるような音が鳴り響く。そして――、リューイの身体は、おぞましい音を立てて崩壊を始めた。
「お兄様……何で……」
シアの問いに、答えは無い。既に自我を失い、身体も崩壊しつつあったリューイには、何もすることができなかった。それどころか、その意思すらも持ち合わせていなかった。
リューイの身体が完全に崩壊しきった後も、シアはただ立ち尽くしたままだ。
「シア……」
心配そうに声をかけるリーゼロッテの肩に手を置いて、レオンハルトは首を横に振った。
「暫く、そっとしておいてあげよう……」
勝利はしたものの、何処かしら後味が悪く、物悲しい空気が辺りを包んだ。




