第12話 イェソド攻防戦
1
具現化された水の弾丸が、オークの顔面に炸裂し、その余波が周囲の者達をも巻き込み、生い茂る木々や地面に叩きつけていく。それだけでは終わらない。魔術の応酬を抜け切ったオークには、上空から矢の雨が降り注ぎ、それを避けた者達には次々と白刃が埋め込まれていく。
然したる相手ではない。人里離れた場所にあるドルイドの集落で暮らす以上、多くの者はある程度の戦闘技術を身につけており、周囲の見回りの際に魔物の襲撃を受けることは珍しくないためだ。今宵の見回りでも、獣人の徒党を発見したために、その駆逐に当たっていたのだ。
だが――
(おかしい。此処は既にイェソドの域内の筈。何故、オーク程度の獣人が入りこめている?)
どうも様子がおかしかった。普段、魔物や獣人達は、ドルイドの域外にいる筈だ。だが、此処のところどういうわけなのか、域内へと入りこまれている。普段は特殊な結界を張っており、勝手を知った者や許可をされた者しか通れない仕組みになっている。当然、魔物や獣人は招かれざる者なのだが――
ロイド・ヴィオル・イェソドはある懸念を抱いていた。
(まさかとは思うが)
「ロイドさん、このまま押し切りましょう」
部下からの声を聞いて、我に帰るロイド。色々と気になることもあったが、今は眼前の敵を斃すだけだ。
「油断は出来ない。第一班はこのまま獣人達に当たれ。第二班は魔術による援護を、第三班、四班は周囲に他に獣人達の徒党がいないか引き続き見回りを。発見次第交戦、殲滅せよ!」
暗い森の中で、ロイドは高らかに声を上げ、自身の率いる者達へと指示を飛ばした。
自らも先陣に立つと、腰からグラディウスを抜刀し、迫りくる敵に備える。部下だけで抑えられるとは思っていたが、やはり数が多くてはそうはいかないようだ。前線をすり抜けてきた獣人達を見据えると、距離を計算しつつロイドは意識を集中した。
「お前達、一旦下がれ!」
「はっ!」
ロイドの声を聞くと、前線で戦っていた者達がその場から飛び退く。これを好機と思わんばかりに、ゴブリンの徒党が一気に雪崩れ込むが――
次の瞬間であった。地面がせり上がり、鋭利な槍となってゴブリン達を次々と貫いていった。便宜上、地脈系統の攻性魔術に分類されるが、能動的な防御に有効に利用できる《アースグレイヴ》という術だ。その名の通り、大地を槍と化して敵を貫くもので、ある程度熟練していなければ扱うことが難しい、中級クラスの魔術だ。
広範囲に展開された《アースグレイヴ》によってゴブリン達は士気を殺がれたのか、ついに逃げ出す者まで現れ始めた。手近にいた者は部下達により斬られ、遠くにいる者は次々と弓によって射抜かれていく。
「ロイドさん、追いますか?」
「いや、深追いはするな。一班と二班は、三、四班に合流して巡回を継続、獣人の徒党及び魔物を発見次第交戦を。念のため、里の方にも兵力を分けておこう」
「ロイドさんは?」
「私は少し、単独で調査をしようと思う。少し、気になることがあるからな。ガイ、指揮はお前に任せる。頼んだぞ」
「はっ! よし、皆。あと一仕事頑張ろう」
ガイと呼ばれた部下はロイドに敬礼をすると、他の自警団員達を纏めてその場から去っていった。
それと入れ違いで、レオンハルトとシアが現れる。二人とも何かに焦燥しているかのようだ。
「シア様、レオンハルト様。ご無事でしたか」
「はい。途中で獣人の襲撃がありましたが、問題なく撃退できました」
「其れは良かった。しかし、この時間帯に一体どちらへ?」
「お散歩してた。レオンには無理言って付き合ってもらった」
この不安定な情勢だ。自分が出歩くのは勿論、本来なら部外者であるレオンハルトと共に里の外域へと出たことを怪しまれると思ったのだろう。レオンハルトが咎められないようにと、シアは適当に機転を利かせた。
「いや、これは……」
「そうでしたか、有難うございます。それより、何やらお急ぎのようですが」
「ええ、シアが……失礼しました、シアさんが第三の眼で、良からぬことを見たそうなのです」
本来ならば呼び捨てでも構わないのだが、イェソドの重鎮に位置する相手が目の前にいることに気付き、レオンハルトは敬称を付けて言いなおした。しかし、ロイドは特に気を悪くした様子も無く、シアは「別に呼び捨てでもいい」とぼそりと呟いた。
シアは先程自分が予見したという未来を、掻い摘んでロイドに説明した。つい先程までの取り乱した様子は無いようだ。
「やはり、リューイ様か」
苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべるロイド。
「何かあったのでしょうか?」
「私はハルピュイア故、ヴィジョンによる予見能力はありません。ですが、此処のところリューイ様が夜な夜な里を抜け出すことがありまして」
「早く、お父様に報告しないと」
「そうですね」
方針を決めた三人は、一先ず里へと戻ることにした。
道中では、此処最近の情勢についての話題が挙がった。ロイド曰く、イェソド以外の場所でも獣人や魔物の動きが活発になっているのだという。また、衝撃的な話だったのが、ネツァクというドルイドの里が、何者かに乗っ取られていたようだ。幸い、そこに住むドルイド達は散り散りになったものの、多くは無事らしい。
「私達が争っている間、そのような事態に陥っていたとは。何と申せばいいのか……」
レオンハルトもドルイドの出身とはいえ、外界で生まれた身である故、あまりにも情勢を知らな過ぎた。学問として学んではいたが、結局は一人の武人として、魔物よりも人を多く殺めてきている。そんな自分を情けなく思うと同時に、信仰を失いながらも来るべき災厄と陰ながら戦っているロイド達に、申し訳ない気持ちになった。
「お気になさらず。それが、監視者たる我々の役目ですから。それに、貴方も国や民の為に戦っているのでしょう? それを我々が責めることは出来ません」
その時だった。
二人の会話を聞いていたシアが目を見開き、二振りのジャマダハルを抜いて一気に駆け出した。
「シア様!?」
「二人とも、急いで。里、危ない」
背を向けたまま注意を促すシア。レオンハルトとロイドは一瞬呆気に取られるが、すぐに事態を把握し、お互いの顔を見て頷いた。間違いなく、シアのヴィジョンの力によるものだろう。そうなると、先程までの獣人達の挙動がおかしかったことも説明がつく。度々、域内で姿を見られるようなこともあったのだが、結局それは陽動に過ぎなかったに違いない。そして、知性が低い獣人達が組織だった行動をしていること。それは、裏で何者かが手を引いているということだ。
ロイドは己の不明に苛立ちを覚えていた。自警団でありながらも、このままでは里を危険に晒してしまう。シアも同様で、兄であるリューイの挙動ばかりを先見しており、大局を見られていなかった。それでも、必死に感情を抑えて里へと辿る獣道を駆け抜けていく。
「ロイド、レオン。飛んで!」
シアは何者かの気配を察知したのか、地面を蹴ると同時にロイドとレオンハルトに注意を促す。二人は彼女の声に従い、左右に散開した。すると、彼らが立っていた場所の地面が強烈な閃光を発し、そこから水の柱が噴き上げた。
打ち上げた水の余波は木々の枝に直撃し、それらを幾本も圧し折っていった。水の余波がロイドとレオンハルトの身体の一部に当たったが、ダメージは無いとはいえ、それだけでもかなりの水圧があることが解る。
(《スプラッシュ》? いや、下級の術で此処までの威力を出せるのか? ゴブリン程度の獣人では、魔術の詠唱もままならない筈)
獣人達によるものではない。だとすると、別の何者かが介入しているということだ。
そして、その術者は特に隠れるワケでもなく、堂々としているワケでもなく、まるでその場にいるのが当り前であるかのように、獣道の中心に立っていた。
「やあ、三人とも。こんな遅い時間に何しているんだい」
現れたのは、シアと同じ菖蒲色の髪を持つ青年――彼女の兄であるリューイだ。
「お兄様、何をしようとしているの?」
兄を目の前にしても、シアは得物のジャマダハルを依然として構えたままだ。彼女の後方にいるロイドとレオンハルトも、敵対心こそ見せていないが、それぞれの得物を構えたまま様子を窺っている。一方、リューイの方は普段扱う筈のライアーを担いでおり、代わりにレイピアの切っ先を向けてきている。
だが、普段のリューイとは様子が違う。彼からは尋常ではない程の重圧が発せられているのだ。レオンハルトも一度剣を交えた相手であったが、その時とは比べ物にならない程の威圧的な雰囲気を、リューイが纏っていることに気付く。
「何って……。シア、君を悪い人達の手から救おうとしているんだよ」
言って、にこやかに微笑むリューイ。だが、その笑みには何処となく暗い影が宿っており、口元が歪んでいる。
「嘘。ヴィジョンで見た。お兄様が魔族と内通していること」
シアの言葉に一度驚愕とも思える表情を見せるリューイだが、すぐに歪んだ笑みへと戻る。
「そうかそうか。そこのレオンハルトとかいう悪い人に誑かされているんだね」
「いや、俺は――」
「黙れッ、シアを奪おうとするクズが!」
瞬間、レオンハルトは己に襲い掛かる魔力の流れを察知した。
「くぅっ……!」
弁解する間もなく、レオンハルトは防御を余儀なくされた。瞬間的に意識を集中し、己を中心に緩衝の力場を発生させる支援魔術を詠唱する。普段、魔術は補助的な使用に留めている彼にとって瞬間的な詠唱は大きな負担となったため、頭に鈍い痛みが走った。だが、詠唱を止めては直撃を受けることになる。
襲い掛かってきたのは、凝縮した風の弾丸だ。風故に不可視ではあるが、リューイの手から魔術が放たれると同時に周囲の木々がざわめき、その場にいる者の髪と衣服をはためかせた。咄嗟の防御魔術により直撃は免れたが、鎖帷子越しの胴に凄まじい衝撃が走った。支援魔術をもってしても勢いを殺し切れず、転びこそしなかったが、レオンハルトは数メートルに渡って後ずさる。
「レオン……!」
掠れるような声で悲痛な叫びを上げるシアだったが、レオンハルトが然程ダメージを受けていないことを確認し、胸を撫で下ろす。そして、抗議、いや怒りとも思える視線をリューイへと向けた。
「リューイ様、何をなさるのですか!」
客人であるレオンハルトに対し手を上げたリューイに対し、ロイドも驚きを隠せずにいた。
「うるさい! そいつを庇うと言うなら、お前も同じ目に遭ってもらう!」
再び、風の弾丸が襲い掛かる。だが、レオンハルトが先程詠唱した防御呪文が生きており、動きを読むことも容易かったため、回避することが出来た。
「やめて、お兄様」
「ああ、可哀想なシア。でも大丈夫だよ……。すぐに悪い人をやっつけるから」
パチン、と指を鳴らすロイド。すると、シアの身体がまるで糸の切れた操り人形の如く、どさりと地面に倒れ伏した。
「なっ、何を」
「大丈夫だよ。僕がシアを傷つけるワケないじゃないか。少しの間、眠って貰うだけさ。シアは君達に誑かされているようだからね、戦いのときに下手に動かれて巻き込んでしまっては大変だから……」
「何を言っているんだ。別に俺達は――」
「口答えするな!」
口調を荒げると同時に、烈風が巻き起こる。レオンハルトは咄嗟に支援魔術の詠唱を完成させるも、先程よりも威力が高まっており、力場を貫通して力を持った風の弾丸が次々と身体に打ち付けて来た。凄まじい風圧と痛みに顔を歪めながらも、その場から飛ばされまいと何とか踏みとどまる。
その隙に、ロイドは魔術を詠唱していた。躊躇いも有ったが、話が通じる様子は無い。あまり手荒な手段は使いたくなかったが、致し方ないだろう。魔術の完成と同時に、幾つもの石の弾丸が形成され、それがリューイに向かって降り注ぐ。だが、それは全てリューイが持っていたレイピアによって撃ち落とされてしまった。
「ふふ、その程度かい?」
「……リューイ様、貴方本来の力ではありませんね」
「どういうことですか?」
戦うしかないと覚悟を決めたレオンハルトは、二振りのブロードソードを構えリューイを見据えたまま、ロイドに尋ねる。
「リューイ様は攻性魔術をあまり得意としていないのです。剣術もやや里の中でも後れを取っております。その分優れた呪歌の使い手ではあるのですが……」
「私は魔術には詳しくありませんが、何者かによって強化系の術を?」
「恐らく。いや……、それ以上の何かをかけられているのやもしれません」
気になることはあったが、二人に詮索をしている余裕など無かった。すぐに彼らの足元から、巨大な水の柱が上がったためだ。すぐに飛び退いたために直撃は免れたが、余波がダメージとなって身体に撃ちつけてくる。
「はあ……。自警団のお前が余計な見回りをしなければ、もっと順調に事が上手く行ったんだけどね。ロイド、お前は本当に小賢しい奴だよ。今の考察もなかなかのものだ。でも、残念。これは僕の本来の力なんだ!」
一瞬、何が起こったのか解らなかった。
先程までは何とかいなし切れていた筈だ。だが、それを遙かに上回る量の魔力が渦巻き、二人を襲った。防御に回ろうとするもそれすらを凌駕する質量の風の弾丸と水の柱が発生する。防ぐことは敵わず、レオンハルトは風圧により木々に叩きつけられ、ロイドは風の弾丸の直撃を受けて倒れ伏す。すぐに二人は起き上がろうとするが、凄まじい衝撃が身体に残っており、思うように動かなかった。
倒れて呻いている二人を見て、リューイは軽く嘲笑すると、気絶したシアを抱き上げた。
「さてと。此処で殺してもいいんだけど、シアをならず者から救ってくれたという恩もあるみたいだからね……。今は命だけは奪わないであげるよ」
「くっ……、待つんだ……」
レオンハルトは這いつくばりながらリューイを追おうとしたが、烈風により巻き上げられ、再び木に叩きつけられてしまう。
「折角の厚意なんだよ。命は無駄にしない方が良いよ」
そう言い残すと、リューイは周囲に濃霧を発生させ、それに溶け込むかのように去っていった。
「シア……様……」
「申し訳ありません、ロイドさん。謝って済む問題ではないとは解っていますが」
「いえ、こればかりは仕方ありません。一刻も早く、イェソドに報告に戻らねば」
2
イェソドの里は混乱の渦中にあった。それまで小さな異変はあったのだが、突如、魔物と獣人の軍勢が大挙して押し寄せてきたのだ。里に住む者は多くがある程度の戦闘技術を身につけているのだが、やはり多勢に無勢であり、ジリジリと戦線を後退させていかざるを得なかった。
先程のものは陽動だったのだろう。獣人の分際で小賢しい真似をしやがって。ロイドから指揮を預かったガイは、心の中で毒づいた。幸い、今のところ死者は出ていない。だが、負傷者が多い。如何に戦闘技術を身に付けており、熟練していても、数というアドバンテージを得た相手をするのは難しい。大軍をもって少数にあたるのは、集団戦闘では基本的なことだ。
(恐らくは、敵の狙いはセフィラ。あそこを落とされたら、生き残ったところで俺達の負けだ。何としてでも、食い止めないとな)
ちらりと遠くの後方に見える光の柱を見るガイ。
正直なところ、自分も文献で見ただけであり、アレがどういったものなのかは解らない。ただ、ドルイドとして生まれて、代々自分達の誇りであり大切なものであるということを学んできた程度だ。封印云々の話もあるが、それは幹部の者達のみが知る領域だ。だが、そんな得体の知れないものだからと言って捨ておけるものではない。長年暮らしてきたこのドルイドの里を失うわけにはいかないのだ。
ガイは気合いを入れ直すと、正面から飛びかかってきた数匹のゴブリンを、得物のハンドアックスで薙ぎ払った。ゴブリン達の首が吹き飛び、後方に控えていた別の魔物を巻き込む。そこに追い打ちをかけるかのように、上空から幾筋もの雷電が迸り、魔物の身体を完膚なきまでに粉砕した。
「おいおい……」
連携を意図したわけではなかったのだが、良いタイミングでの追撃だった。誰がやったのか後方に目を向けると、一人のエルフの少女がスタッフを構えて控えているのに気付く。
「えっと、リーゼロッテさんだっけか。ありがとな!」
「ちょっと、前見て前! あたしは大丈夫だから!」
「おっと!」
思わぬ加勢に見惚れていたところに、獣の姿をした魔物が飛びかかってきた。ガイは危うく鋭利な爪を受けるところであったが、リーゼロッテの警告で何とかそれをいなす。そして、魔物の隙が出来たところに、ハンドアックスによる一撃を加える。脳天をかち割られた魔物は、汚らしい液体と肉片を撒き散らしながら、一瞬にして絶命した。
加勢したのは、リーゼロッテだけではないらしい。彼女の隣には、巨大な鎌を持った美女――名はフレーナといったか――が立っており、近くの敵へはその得物で、遠くの敵へは魔術を駆使して次々と撃退している。それだけではなく、魔術を専門としているリーゼロッテの詠唱の隙を突かれないように戦っている。
(闇の者が手を引いているのは間違いありませんね)
自分よりも身の丈の大きなオークが剣を振りおろしてきたが、フレーナはそれをサイズの柄の部分で受け止める。そのままフレーナはオークの剣撃を受け流すと、サイズを横へと薙ぎ払い、彼女を取り囲んでいたオークの一団を一斉に両断した。サイズによる一閃を受けたオーク達は自分達が斬られたことも知らず、両断された上半身を宙に舞わせたまま絶命した。
フレーナは続け様に魔術を詠唱した。狙いは、苦戦している前線の部隊の辺りだった。十体あまりのゴブリンが一人のドルイドに向けて一斉に襲い掛かり、彼が持っていた剣を弾いたところだ。死を覚悟した彼の目の前に黒い靄が発生する。そこから発せられる魔力を察知した彼はすぐさま地面に転がり、その場から距離を取る。すると、間を置かずに黒い靄が脈動を始め、ゴブリン達を包み込んだ。黒い靄はそのまま炸裂し、ゴブリン達の断末魔と共にそこからいくつもの肉片が飛び散った。
(暗黒系統の中級魔術、《ダークバースト》……。使っている武器も結構特殊だし、本当にあのフレーナって人、何者なんだろう?)
フレーナの戦いぶりを見ながらも、リーゼロッテは魔術の手を緩めていない。気になることはあるが、今すべきことは押し寄せる敵の殲滅である。白兵戦は苦手なため、敵との距離を測りつつ、魔術を詠唱していく。電撃が、風刃が、火球が、石弾が、次々とリーゼロッテの持っているスタッフから発せられた。
「わわわ、ちょっと!」
疲れはないが、一瞬の隙が出来たらしい。魔術の合間を潜り、獣の姿をした魔物がリーゼロッテの前に飛び出てきた。彼女はすぐさま魔術を詠唱し、風の刃をぶつけるが、ダメージを少し与えただけで怯んだ様子はない。
(マズッた。もう、なんでこんな時にレオンもシアもいないのかな……)
流石に自分の詠唱速度を以てしても防御は間に合わない。それ以前に、支援魔術に関してはあまり習得していなかった。リーゼロッテは覚悟を決めて、スタッフを前方に構えて防御姿勢を取ることにした。だが、来るはずの衝撃は来ず、爪牙が彼女の身体を捉える寸前のところで、魔物の肉体は体液と脳漿を撒き散らしながら崩れ落ちた。そこには、ハンドアックスが地面に突き刺さっていた。
「大丈夫か!」
声のした方向に視線を向けると、前線で指揮を執っていたガイの姿があった。どうやら、今の攻撃は彼がハンドアックスを投げたものであるらしい。
「ありがとう、おじさん」
「ははは、礼を言うのはこっちの方だ。お客人達のおかげで、魔物の軍勢は押し返せている」
ガイはすぐにハンドアックスを拾い上げ、周囲の様子を見渡した。先程まで劣勢ではあったが、流れは既にこちらにあった。恐れをなして逃げ出そうとする魔物の姿も見受けられる。
「なるほど、一筋縄ではいかないか」
魔物が散り散りに逃げだしたところで、一人の男が現れる。
金糸のような美麗な髪を持った美青年だ。静かな物腰ではある。だが、彼から発せられているのは、魔物と同じ、いや、それ以上の敵意だ。
「ネツァクは容易く落とせたというが……、内通者がいながらこのザマか。別に急ぐ要件ではないが、あまり捨ておいても後に面倒なことになるからな」
「おい、お前がこの魔物や獣人どもをけしかけたのか?」
「如何にも。もっと順調に進むとは思っていたがな」
言って、青年はガイの後方にいるフレーナとリーゼロッテを一瞥した。
「何の目的があるのか知らないけど……。何でこんなことするのかな?」
幸いなことに死者は出ていない。だが、里の一部は破壊されており、負傷者も出ている。今まで宮中で過ごしてきたために外の世界については書物で見る程度であった。だが、リーゼロッテにとっては、この青年が起こしたであろう惨状は許しがたかった。
その問いに対して青年は表情を変えず、答える。
「他国と争い奪い合う……お前達がやっていることも変わりはしないと思うが」
「それは……」
「エルフの娘よ。甘い考えを捨てねば、神々の制約のもとに朽ちていくだけだ。因子を持つ身であるのならば、今後の身の振り方を考えておくことだ」
「え、どういうことなの? そもそも因子って……」
「随分とお喋りですね、闇の者よ」
戸惑いを隠せずにいるリーゼロッテを守るかのように、フレーナが立ちはだかる。
「ふっ、クリークスの関所以来か、人形よ」
嘲笑する青年に対し、フレーナは無言だ。憤りもしなければ、悲しみもしない。ただ、表情を変えず、武器を構えたまま青年を見据えている。
「あの者は何なんだ、お客人」
「アンブル・リリト・アィーアツブス。闇の者でも、特に力を持つ者の一人です」
ガイの問いかけに、フレーナは淡々と答える。
「なるほどな、だったら此処で倒さないとなぁっ!」
間違いない。この男を放置しておけば、後に大きな禍根となる。そう判断したガイは、ハンドアックスを掲げてアンブルに向けて斬りかかった。だが――
「舐めるな!」
それが魔術であるのに時間は要さなかった。だが、それでも気付くのは遅かった。アンブルの手元から放たれた冷気の塊はガイの腹部に直撃し、そのままガイは後方へと吹き飛ばされ、建造物の壁に叩きつけられた。
(嘘でしょ? 詠唱なしでこんな威力を出せるなんて……)
このアンブルという男は強い。リーゼロッテは確信していた。ある程度ではあるが、魔族に関して学んできた。その存在は一般には伝説の存在となっている。だが、ドルイドや国家の重役になれば話は別だ。
一口に魔族といっても、その強さはピンからキリまであるという。弱い者ならば、その辺りの獣人と然程変わらない。だが、上級の者――人型をした魔族となれば話は別だ。いや、形態以前に、瞬間的に冷気の魔術を炸裂させたところを見れば、只者ではないことは明らかだ。
「あまり手間をかけたくはないが、これも我が主リリス様のため。そこの人形には、ご退場願おうか」
アンブルはそういうと、パチンと指を鳴らした。すると、彼の傍らに巨大な魔法陣が形成されていく。
「この場にいる者達を避難させなさい」
詠唱を止める暇はない。そう判断してフレーナは、復帰してハンドアックスを構えているガイにそう告げた。
「だが……」
「獣人や魔物とはワケが違います。儀式魔術により使役された者は、通常よりも強い力を持っています。それも、上級の闇の者が呼び出す存在、貴方達では敵わないでしょう」
「解った。此処は任せた! 退くぞ皆、手が空いてる奴は、負傷者に肩を貸してやれ!」
ガイ達が撤退していったのを確認すると、フレーナは改めてアンブルを見据える。その間にもリーゼロッテは魔術を詠唱しており、発動ための術式を完成させたところであった。
「よく解らないけど、此処で決める!」
(若いとは思っていたが、これ程の魔力を持つか。此処は使役した魔物に任せ、退くべきか)
アンブルを取り囲むかのように、幾筋もの雷光が複雑な形状を形成していく。やがて雷光は下りの形を形成し、一つの檻としてアンブルの身体を捉える。雷光の檻は徐々に収縮し、アンブルの身体を捉えんと迫っていった。また、彼の周囲では大気が渦巻いており、それも不可視の弾丸となって次々と襲いかかった。
眩い光と炸裂音が鳴り響き、その場に砂煙が立ち込めた。強力な魔術を一度に複数発動させたものによる影響だ。
「やった?」
「いいえ、逃げたようですね。ですが、敵の術はまだ生きています」
手加減をせず、複数の魔術を同時に詠唱して発動させたつもりだ。だが、砂煙が晴れた後、その場にあるのはアンブルが残した強大な魔法陣だけだ。周囲を見渡しても、アンブルの姿はおろか、気配すら見られない。
「そんな……」
「来ますよ、リーゼロッテ」
魔法陣が強く発光すると、その者は姿を現した。現れたのは巨大な異形だった。獣の身体からは、犬を思わせるかのような風貌の頭が三つ生えており、鬣は無数の蛇の姿をしている。
「ケルベロス!? あれ程のランクの魔物を従えているなんて……」
ケルベロス――魔獣に分類される上位の魔物だ。普段は人里離れた場所に住んでおり、縄張りに近づいた者を容赦なく襲う獰猛な生物である。戯曲や小説に置いては、異界の門番をする番犬として描かれることが多く、逃げ出そうとする亡者達を襲う捕食する獣として知られている。このケルベロスから取れる素材は上質な装備の素材となることが多い故に、腕に自信のある者が討伐に向かうことがあるのだが、大抵の場合は返り討ちにあい、餌となっているのが現状だ。
ケルベロスは耳を劈くような咆哮を上げると、口元から高熱を帯びたブレスを吐いた。二人はすぐさまその場から飛び退く。ブレスが当たった地面は巨大な力で抉られたかのような跡が残った。
ブレスの合間を掻い潜り、フレーナはサイズによる攻撃を試みる。首を斬りおとさんと高く跳躍するが、ケルベロスはすぐに反応し、彼女を地面に叩きつけようと爪を振りおろした。フレーナはすぐに防御態勢に入り、ケルベロスの爪をサイズで受け止める。だが、重量の違いからか大きく弾かれ、空中で受け身を取り、地面に降り立った。
(想像以上の強化をしてありますか。私はいくらでも替えは利きます。ですが、因子を持つリーゼロッテを失うわけにはいきませんね)
フレーナは忌々しげな表情を見せた。それは、彼女の力を以てしても、この魔物が相当な強さであることを示していた。
(レオンハルトとシアのことも気がかりですが)
リーゼロッテが魔術を詠唱するための時間を稼ぐべく、フレーナは再び前線へと向かった。強敵ではあるが、引き付けるくらいのことならば出来る。距離を上手く測りつつ、フレーナはケルベロスを牽制していった。
その間に、リーゼロッテの魔術の詠唱は完成していた。ケルベロスを取り囲むかのように、紫電の檻――雷撃系統の中級攻性魔術《スパークケージ》が形成される。巨体を持つ故に、迸る雷撃を続け様に受けたケルベロスは身体を何度も捩らせながら呻き声を上げる。だが、決定打にはなっていないようで、檻から解放されると、猛々しい咆哮を上げた。
然したるダメージは無かったものの、それはケルベロスにとっての大きな隙となった。その機を逃さんとばかりに、フレーナはサイズを掲げてケルベロスとの間合いを詰める。そのまま弧を描くようにサイズを振り回し、ケルベロスの首を捉える。
「オォォォォォォォォォォォォォォッ――――」
甲高い悲鳴と共に、ケルベロスの右の頭が宙を舞った。傷口からはどす黒い液体が噴水のように噴き出している。だが、一向にケルベロスの戦意は殺がれていない。攻撃後の隙を突いて、前足をフレーナへと突きつける。彼女は防御態勢に移ろうとするが、振りの大きな一撃の後のために次の行動に移るまでの遅れが生じていた。ケルベロスの拳がフレーナの腹部を捉えるのに、時間はかからなかった。
空中へとかち上げられるフレーナ。致命傷には至っていないものの、無防備となってしまう。そこに追撃を加えようと、ケルベロスは残る二体の口を大きく開き、ブレスを吐こうとした。
「間に合って……!」
そうはさせない。ケルベロスのブレスを妨害すべく、リーゼロッテは魔術を発動させた。ケルベロスの頭部に、数発の風の弾丸が炸裂する。ブレスを止めることは出来なかったが軌道を逸らすことには成功したようで、フレーナは上手く受け身を取ることで、ブレスの直撃を免れた。
「フレーナ、大丈夫?」
「助かりました。ですが、私のことは構いません。貴方は自分の身を案じてください」
「そんなこといっても……」
フレーナの腹部には痛々しい傷が刻まれていた。事前に防御系の術をかけていたのか深くはないが――
「来ますよ、リーゼロッテ」
「う、うん」
彼女の言う通りかもしれない。自分以外の身を案じるほど、甘い相手ではないようだ。ケルベロスは頭を一つ失いながらも、全く堪えた様子はない。全ての頭を潰すことができれば良いのだが――
初級の術で牽制を続けているのだが、決定打には至らない。魔力のキャパシティは十分に余裕がある。だが、問題は体力だ。それなりの基礎体力はあるとはいえ、ケルベロスを相手にする前にも多くの獣人や魔物を相手にしてきたのだ。リーゼロッテの身体は、疲労を覚え始めていた。
「っ……」
一瞬、気が緩んだらしい。フレーナの牽制を潜りぬけ、ケルベロスが飛びかかってきた。スタッフで防御するも、華奢なリーゼロッテの身体は容易く弾き飛ばされてしまい、彼女の身体は地面へと打ちつけられた。
「や、やだ……冗談でしょ……」
ケルベロスはリーゼロッテを仕留めようとジリジリと間合いを詰めていった。立ち上がろうとするも、ダメージが回復しないこと、そして恐怖心で身体が思うように動かない。
「くっ、させません……」
ケルベロスの動きを止めるべく、フレーナはサイズを掲げて斬りかかった。だが、ケルベロスはその動きをも察知していたのか、前足でフレーナを弾き飛ばす。
やられる――そう思った時だった。
「伏せろおおおおおおおおおおおっ――!」
聞き覚えのある青年の声が響き、ケルベロスがブレスを吐こうとした寸でのところだった。ケルベロスの頭にいくつもの石の飛礫が炸裂し、怯んだところに何者かが割って入った。次の瞬間には、ケルベロスの残っていた二つの頭は宙を舞っており、数秒遅れて汚らしい水音と共に地面に転がった。全ての頭を失ったケルベロスは、よろめいたのちに絶命した。
「良かった、間に合いましたか!」
遠くから自警団長ロイドの声が響く。ケルベロスの頭を捉えた魔術は、彼によるものだ。
そして――
「レオン! もう、何処行ってたの!?」
「ごめん。それより、怪我はないかい?」
レオンハルトは二振りのブロードソードを放り投げると、尻もちをついたままのリーゼロッテに手を差し出した。
「ありがとう。あたしは大丈夫だけど……」
リーゼロッテは不安そうに視線を移した。そこには、致命傷には至っていないものの、膝を突いているフレーナの姿があった。
「フレーナ! 怪我をしているのか?」
「心配いりません……。それより、シアはどうしたのですか?」
「話せば長くなる。とりあえず、今は治療を!」
(く、この感覚は……一体……?)
レオンハルトによる治療を拒否しようとしたところで、フレーナは己の内に渦巻く何かに気付く。
得体の知れない感覚だ。一体、何なのだろうか――
強がったところで仕方がない。フレーナはそう判断すると、レオンハルトの治療を受け入れることにした。
「そうですね、頼みましたよレオンハルト。治療が済んだら、何があったのかを話していただきます」




