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セフィール・サーガ  作者: 秋乃麒麟
第2章 秘境にて祈る監視者達
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第10話 月光の踊り子

 夜。里の者がすっかり寝静まった頃。レオンハルトはなかなか寝付けずにいたために、ベッドから身を起して窓の外を眺めていた。淡い月光が差し込み、彼の姿を照らしている。青白い光に浮かぶその姿は、何処となく神秘的に見える。

 これからのことを考えるにしても、思うように纏まらない。スケールが大きすぎて、自分に何が出来るのかすらも解らない。いや、解ろうとしていないのかもしれない。あまりにも過酷な現実を突きつけられている故に、それから逃避しようとしているというのもある。それが、ますます彼を悩ませていた。

 突如、各地で暗躍を始めたという魔族。彼の者達との戦いは、過酷なモノになることは容易に考えられる。だが、それの終着点は? そもそも、この世界の事情はどうなっているのか、それすらも解らない。それについて何かを知るであろうフレーナに尋ねても、帰ってくる答えはひとつだ。

 今はまだ、知るべき時ではない――

(く、何も知らずに、この旅を続けていけと言うのか? 俺だけならいい。命令とはいえ同行しているリーズや、平穏を捨て戦う運命を背負わされたシアは?)

 レオンハルトは片手を額に当て、もう片方の手を壁に叩きつけた。空しい音が鳴り響き、鈍い痛みが彼の拳に伝わってくる。

 使命を受け入れているとはいえ、やはり心の奥底には不満や不安が渦巻いていた。正直に言うと、怖いし逃げ出したい。戦乱の中で生きている身だが、そのような感情はある。出来ることなら、戦乱に身を投じつつも、部下や同僚、コーネリア達と過ごしていた時期に戻りたい。つい最近までのことであったが、とうの昔のことのように思える。それがつらい。

「あれは?」

 気分を紛らわせるために窓の外を見ると、一人の少女が集落の外へと出歩いていく様子が見えた。容姿から察すると紛れも無くシアだ。このような時間に何の用があるのだろうか。彼女ほどの腕前ならば問題ないとはいえ、年端もいかぬ少女が暗い森を歩くのは心配であった。

 レオンハルトは立てかけてあった二振りのブロードソードを帯び、外套を羽織ると、シアの後を追うことにした。


 里の外へと出歩いたシアの姿を捉えるのには、然程時間はかからなかった。しかし、暗い獣道を軽い身のこなしで進んでいくのを追いかけるのには少々手を焼いた。《フラッシュ》の魔術を使えばある程度の暗闇を照らすことは出来るのだが、それでは彼女に感付かれてしまう。特にやましい気は無かったのだが、追いかけていることを気取られないよう、レオンハルトは月明かりだけを頼りに彼女の足取りを追った。

 この時間になると、流石に獣人などの襲撃は無かった。夜行性の動物に襲われる懸念もあったが、不思議なことに彼らが襲い掛かることも無い。まるで、シアが進む道は安全が確証されているかのようだ。いや、近い未来を見通すイヴルアイとしての技能、そしてこの辺りの地形に詳しい故に、安全なルートを自ら察知して進んでいるのかもしれない。

(これじゃあ俺が後を付けているのもバレバレか)

 特に、都合の悪いことなど無いのだ。観念したレオンハルトは、視界を確保するために魔術の詠唱を開始しようとしたが――

「駄目、レオン」

「え?」

「《フラッシュ》、唱えちゃ駄目」

 それは、シアの一言によって遮られた。別に無視して詠唱を続けることは出来たのだが。

「あ、ああ。それに、すまない。勝手に後をつけてしまって」

「ううん、平気」

 背を向けたまま歩みを止めず進んでいくシアに困惑を覚えながらも、レオンハルトは彼女の後をつけていった。

 彼女が立ち止まるのには、然程時間はかからなかった。どうやら、彼女が目指していたであろう目的地に着いたらしい。

 そこには、大きな泉が広がっていた。水面は夜風によって静かに揺らいでおり、そこに映された月と星の光が幻想的な雰囲気を作り出している。鬱蒼と茂る大森林の中にこのような場所があったのは意外であった。しかし、シアは一体何のためにこの場所を訪れたのだろうか。疑問に思っていたレオンハルトだが――

「な、何故服を脱ごうとしているんだ?」

 何を血迷ったのか、シアは装備していたジャマダハルと胸当てを外し、その下に来ていた衣装も脱ぎ始めた。

「ん。恥ずかしいから、向こう見てて」

 元々感情表現に乏しいため、恥ずかしがっているようには見えない。気持ち、唇を僅かに尖らせ、目をジトリとさせているあたりが、シアなりの感情表現なのかもしれない。

「ああ、すまない……」

「レオンになら見られてもいいけど、やっぱ駄目」

「いや、こちらも興味があるわけでは……。って、俺は何を言っているんだ」

 通常の若い男女のやり取りとは何処かずれている、というより噛み合っていない二人だった。シアに言われるまま、レオンハルトは茂みに身を隠した。本来ならば此処からこっそりと脱衣を除くのがお約束なのだが、生憎彼はそのような欲望を持ち合わせていなかった。

「終わった。いいよ」

「いいよって……水浴びをするんじゃなかったのか?」

「ううん、違う。レオンに、見てほしいの」

 恥じらいは無いようだが、服を脱いでいたということは素っ裸であるワケだ。如何に鈍いレオンハルトといえど、そこまでデリカシーが無いわけではない。しかし、茂みから出ようと迷っているのを察したのか、シアは彼の元に歩み寄り、腕を掴んで引っ張り出した。意外に膂力があったため、レオンハルトはシアに引っ張られるまま、茂みから出ざるを得なかった。

 意外なことに、シアは素っ裸ではなかった。とはいえ、刺激的な格好であるのには間違いない。普段の格好も露出が多いのだが、今のシアは下着の上から薄い衣を羽織っているという格好である。しかし、そこには淫靡さはなく、普段の彼女にある神秘的な様子をより際立たせているかのように見える。

 シアはレオンハルトの前でぺこりと一礼すると、泉へと足を踏み入れていった。思わず止めようとするが、どうやらあまり深い泉ではないらしく、水位はシアの膝下あたりのようだ。

 空を見上げ、一呼吸するシア。それが、宴の始まりであった。

「これは……」

 シアはその場で軽いステップを踏み、舞い始めた。彼女が舞う度に水音が鳴り、飛沫があがる。それを淡い月光と星明かりが照らし、銀色の光を周囲に散らせる。正確なリズムを刻んで紡がれるその舞踏は、楽曲こそないものの見る者を惹きつける何かがあった。

 どんな著名な舞踏家の踊りよりも、美しく、儚げで、それでいて情熱的な舞。知らず知らずのうちに、レオンハルトはシアの舞いに魅了されていた。

 暫くすると、舞踏のリズムが変わった。それまでの舞踏を静とするならば、こちらは動といtったところか。ゆったりとしたリズムから、速いテンポの舞へと、自然な動きで移行する。見る者の心を揺さぶり、闘志を燃え上がらせるかのような動きだ。

 それだけではない。その舞踏に応じ、シアを中心に光り輝く何かが集まっていく。

 その光り輝く何かを目を凝らして見ると、それが精霊や妖精であることが解る。そう。彼女の舞は、魔力的なものをも帯びているのだ。この時、レオンハルトはシアの兄であるリューイのことが脳裏に浮かんだ。彼は確か、楽器の旋律を介する呪歌という技術を使っていた。シアのこの舞踏も、それに通ずるものがあるのだろう。

 だが、今はそのようなことはどうでもいい。

「なるほど、そういうことか……」

 シアはこれを見せたかったのだろう。暗いからこそ、このような淡く小さな光達がより際立ち、美しく幻想的な舞台を作り出している。だが、それらはただの演出に過ぎない。主役はシアであり、月光も、星明かりも、水飛沫も、精霊や妖精達も、この舞台の上では脇役だ。もし、魔術で辺りを照らしていたら、このような幻想的な光景の魅力は半減してしまっていたに違いない。

 シアの舞踏がクライマックスへと突入した。しなやかな四肢が、儚げな白い肌が、淡い光に照らされて映える。普段――といっても共に戦った回数は片手で数える程度だが、彼女の戦い方には、舞踏に通ずるものがあることを、レオンハルトは改めて認識した。しかし、野蛮さはそこにはない。あるのは、可憐で神秘的な踊り子の雰囲気だ。シアが年端もいかぬ少女であるのに、あれだけの戦いが出来るのは、普段からこのように踊っていたからなのかもしれない。

「おしまい」

 最後は静かに着地し、シアはぺこりと頭を下げた。

「とても良かったよ、シア」

 もっといい言葉で賞賛したかったのだが、それ以外に言葉が見つからなかった。それだけ、シアの舞踏が魅力的で美しかったのだ。

「ありがとう。嬉しい」

 フッと笑みを見せるシア。表情の変化が少ないために解りにくいが、確かに彼女は笑っていた。


 シアが着替え終わってから、二人は隣り合って、水際に腰掛けていた。月と星の位置から、日付が既に変わっていることをあらわしていた。だが、不思議と眠気は無い。

 舞踏が終わってから、二人は何気ない会話をしていた。好きな食べ物や好きな物語、趣味や特技など、逢って間もない者同士が話すような内容だ。

 会話が途切れたところで、レオンハルトは思い切ってシアに尋ねてみることにした。本来ならば、フレーナが言うその時まで黙っておくことなのかもしれない。レオンハルト自身もそれを理解していない。むしろ、このまま知らずにいた方が良いということも有り得る。だが、それでも聞かずにはいられなかった。

「シア、君は……」

「ん。解ってる」

 全てを言う前に、シアは察したかのように答えた。だが、その表情には迷いや恐れがあるのが解る。

「正直、怖いよ」

 僅かに顔を歪め、シアはレオンハルトの外套をギュッと掴んだ。

「そうだね……」

 フッと優しげな笑みを浮かべて、レオンハルトはシアの肩を抱き寄せた。

「俺も、これからのことを考えると、不安でいっぱいだよ。何が待ちかまえているのか、何が自分の身に降りかかるのか。もしかしたら、命を落とすようなこともあるかもしれない」

 今まで何度も戦場で戦ってきた。そこでは、いつ殺されてもおかしくない。過去に何度も危機に瀕したことがあるし、この前も瀕死の重傷を負ったばかりだ。いつ死ぬか解らないのが当たり前であり、特にそれを怖いと思ったことは無い。死を恐れていては、今の部隊長としての身分は無かったし、それどころか軍人として生計を立てていくこと自体が不可能だろう。

 だが、今から自分が相手にしようとしているのは、得体の知れない存在だ。人という生き物は、得体の知れない存在に対し、少なからず不安や恐怖を覚える。レオンハルトがこの先相手をすることになるのは、そういった存在だ。

「何の慰めにもならないかもしれないけど……」

 レオンハルトは空を見上げて、一呼吸着いてから口を開いた。

「俺が君を守るよ。だから、共に戦おう」

「レオン……」

「俺だけじゃない。リーズだって、まだ解らないことが多いけどフレーナもいる。それだけじゃない、きっと俺とシア以外にも、来るべき災厄と戦う運命を持つ人がいるかもしれない」

 そこには何の根拠も無かった。だが、シアを少しでも励ましたかった。そして、自分自身の心の底で燻ぶる不安を、少しでも消したかった。

「うん、わたし、解る」

 シアはヘアバンド越しに、自らの第三の目をおさえた。

「これからの旅で、多くの出会いがある。その中に、わたし達と同じ使命を持った人、いるよ」

「どんな人だろう?」

 恐らく、イヴルアイの近い未来を見通す力によるものだろう。レオンハルトはそう遠くないであろう、自分達と同じ使命を持つ者について、尋ねてみたくなった。

「ん、詳しくは解らない。でも、一人はレオンのよく知る人かも?」

「俺のよく知る人?」

 一体、誰のことなのだろうか。部隊長というそれなりに高い身分の立場にいると、多くの人達と関わっている。軍の中ではもちろん、国の要人にも知り合いは多いし、今まで戦場で相手にしてきたような者達もいる。その中から思い当たる人物は――

 と、その時だった。

「っ――!?」

 シアは突然、声にならないような悲痛な呻きを上げた。

「シア!?」

 レオンハルトは驚いてシアを抱き寄せた。何者かが彼女を狙ったのかと思ったが、傷を負った様子は無い。周囲を見渡しても、何の気配も感じられない。高速で魔術を詠唱し、周囲への警戒を強めるも、何も感知されなかった。

(何もいない? では、何故シアは……)

「駄目……。何で? 何でそんなことを……?」

「シア、どうしたんだ。落ち着けるかい?」

 まずは、シアを落ち着かせることだ。よく見ると、彼女が何かに対して怯えているのが解る。 これからの戦いのことを恐れているのかと思ったが、どうも様子がおかしい。

「お兄様……」

「え?」

「駄目、お兄様を止めないと」

 シアの言うお兄様とは、先日里へと向かっている途中で剣を交えた相手、リューイだろう。

 襲撃を受けたのは相手の誤解であったが、一体彼が何をしようとしているのだろうか――

「シア……」

「ん、ごめん……。ビジョンで、見えた」

 どうやら、彼女が取り乱しそうになったのは、近い未来を見たものなのだろう。

「お兄様が、闇の者と何かを企んでる」

「闇の者……」

 旅の途中で何度かフレーナに話は聞いていた。闇の者。来るべき災厄。そう、彼の者の名は、自分達の戦いに深く関わってくる存在、魔族――

(世界の監視者たるドルイドが、魔族と?)

 事態は良からぬ方向へ進みつつあるのかもしれない。

 だが、今は――

「シア、今は一先ず、一度イェソドの里に戻ろう」

 もどかしいが、そうすることしかできないのが現状だ。

「ん……」

 迷いはあるのだろう。だが、シアはレオンハルトの言葉に、力強く頷いた。

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