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セフィール・サーガ  作者: 秋乃麒麟
第2章 秘境にて祈る監視者達
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第7話 邪眼の少女

 1


 王都を経ってから一週間が経過していた。南東部へと向かう街道は整備されているため、馬による移動が可能なのだが、フレーナとリーゼロッテの装備を見る限り、あまり乗馬には向いていない。そのため、徒歩での移動を選択したのだ。

「ねぇねぇ、レオン。あのフレーナって女の人、ちょっと怖くない?」

「確かに、俺も突然のことで戸惑っているよ。でも、あまりそういうことは言わない方がいい」

 目的地との中間地点といったところだろうか。レオンハルト達はラスティート王国領の小さな街ガレンの宿に泊まっていた。

 宿から少し離れた場所の酒場で、レオンハルトとリーゼロッテは簡単な夕食をとっていた。フレーナはこのような下品な場所は嫌いとのことで、ライ麦パンと果実だけを手に取り外へと出て行ってしまったきり戻ってきていない。

 確かに、フレーナの言うことも尤もだろう。野卑な男達が質の悪い酒を煽りながら怒号を上げたり、あるいは誇張された冒険譚を語ったりと、お世辞にも上品な場とはいえない。整った顔立ちで優男とも取れるレオンハルトと、まだ十代半ばの子供にしか見えないリーゼロッテの二人の姿は、とてもではないがこの場には似つかわしくない。

 テーブルの上には、ボリュームのある料理が並べられている。羊のバラ肉のソテーや、野菜炒め、ライ麦パン、ミルクスープなどだ。中央にあるバスケットには、少し萎びた果実が盛られている。どれもラスティート王国では一般的なものである。値段は安く、飛びぬけて美味しいわけではないものの、お腹を満たすには充分すぎる料理である。

「それより、悪いね。あまり良い宿を見つけられなかった上に、このような場所で食事させてしまって」

 自分の場合はまだしも、リーゼロッテにとってはこのような場所はあまり好ましくない。彼女を気遣ってあげられなかった不甲斐なさを、レオンハルトは詫びた。

 王都ではクオリティの高い宿は簡単に見つかるのだが、地方に出るとそれを探すのは難しくなる。あったとしても、国の要人が貸し切りにしたり、あるいは貴族達が別荘代わりに利用することが多いため、満室のことが多いのだ。レオンハルトが貴族の出であることを利用するという手もあるのだが、今回の任務ではあまり素性を公にしてはならないと忠告されている。

「任務上目立つわけにはいかないとはいえ、これだとあまり満足に休めないだろう?」

「ううん、あたしは大丈夫だよ。お城の中での生活は退屈だったし、むしろ新鮮というか、街の人々の生活を見ることが出来て楽しいというか」

 どうやら、リーゼロッテは気にしていないようだ。

 今までの野宿もそうだったが、ずっと城の中で過ごしてきたために、ある意味新鮮だったようだ。初めの三日間は寝られなかったようだが、今ではすっかりと慣れている。意外に順応しやすいタイプなのかもしれない。

「そうか。そう言ってもらえるとこちらも気が楽だよ、リーゼロッテさん」

「もう、あたしのことはリーズでいいのに」

「ごめんごめん、リーズ」

 今までの旅路で指摘されてきたが、あまり付き合いのない人に対して愛称で呼ぶのはどうも慣れない。また、歳下ではあるが、相手はラスティートの宮廷魔術師の娘である。身分も高いのは間違いないだろう。そう考えると、どうも気が引けてしまう。

「レオンって、よくお堅いって言われるでしょ?」

 リーゼロッテは、あまり自分の立場には拘っていないようだ。それは彼女の性格もあるのだろうが、まだ長く生きていない故の未熟さも関係していると言えよう。

「うーん、まあ、言われているような、言われていないような」

 口元に手を当てて考え込むレオンハルト。

 思いなおしてみると、度々ラグナスからは肩の力を抜けと言われてきた。彼の言葉を意識しているのだが、意識をすればするほどそれが難しくなってしまう。莫迦にされることはある。蔑まされることはある。だが、決して毛嫌いされるような性格ではない。レオンハルトはそういう人間だった。

「でも、コーネリアさんのことはネリィって呼んでいるみたいだけど」

「ああ。彼女は士官学校時代からの幼馴染みでね、俺はよく支えて貰ったんだ」

「え? それだけ?」

「それだけというか、信頼できる仲間、いや、友達だろうね」

 本人がこの会話を聞いていたら、顔を真っ赤にしてプルプルと震えていたに違いないだろう。

「ふーん、つまり付き合ってるってわけじゃないのかぁ。これはもしかしたら、レオンはフリーってことなのかな……」

 その時だった。

 グラスの割れる音やら、悲鳴やらが酒場の中に響き渡った。二人が思わず音がした方向に視線を移すと、一人の少女が荒くれ者達に囲まれていた。

 先程まで騒がしかった酒場に、静寂が満ちる。誰もが、その場で起きている自体に気を取られているのだ。

 囲まれているのは、十代半ばから後半、リーズよりやや年上といった年齢であろう少女だ。

 菖蒲の花を思わせるかのような紫色の髪を、ツインテールに結んだ少女だ。背丈は一五〇センチメートル半ば程、無駄のない肉付きで、均整の取れた身体つきである。その身を包んでいるのは、胸元を守る革製の胸当てに、短めのパンツという、動きやすさを重視した軽装だ。そして、額にはまるでそこにある何かを隠すかのように、ヘアバンドのようなものが巻かれている。

「……近寄らないで」

 少女の両手には、二振りの得物が握られている。刃渡りは然程大きくないが、かなり特殊な形状をしており、拳とは垂直に刃がくるような作りになっている。ジャマダハルという武器で、主に暗殺者や盗賊が好んで使うものだ。

 少女の目の前には、筋骨隆々とした男が一人、大の字になって倒れていた。致命傷までは至っていないが、手足を傷つけられており、蹴りを入れられたのか顎が砕けている。どうやら、先程の音は、この少女が大男を吹き飛ばした時のものらしい。

「てめえこのメスガキ! 調子に乗ってんじゃねえぞコラ!」

 囲んでいた大男のうち三人が、一斉に少女に向かって殴りかかる。体型は二倍以上あり、普通ならば蹴りや拳の一撃で身体を折られていてもおかしくはない。しかし、少女はすぐに男達の動きに反応すると、床を蹴りあげて宙へと舞った。

 男達はすぐに少女を捉えようとするも、彼女のスピードにはついていけなかった。少女は宙で舞いながら男達の顎に蹴りを入れ、囲みを強引に突破すると、そのまま店の外へと駆け抜けていった。

 あまりにも信じられない出来事であったため、その場にいた者達は暫く唖然としたままであった。だが――

「ち、あのイヴルアイのガキをとっとと追うんだ! 奴の邪眼は魔術師共に高く売れる。逃すわけにはいかねえ!」

 大男達の親玉と思われる者が、部下達へと声を上げ、伸された者達を蹴り飛ばして無理矢理立ち上がらせた。男達は命令されるままに、各々の得物を構えて、店の外へと出て行った。

「レオン、今のって……あれ?」

 このまま放っておいていいのだろうか。不安に思ったリーゼロッテがレオンハルトの方へと視線を移そうとしたが、彼は忽然と姿を消していた。

(目立つワケにはいかないって自分で言ってたのに)

 何度か王宮内でレオンハルトの噂は聞いていた。お人好しで、困っている人を放っておけず、自分から厄介事に首を突っ込んでいく。彼があの少女を追いかけたのは、間違いないだろう。

 テーブルの上には、しっかりと食事代が置かれているあたり、意外とマメなのかもしれない。

「うーん、追いかけないとダメだよね、やっぱり」


 冷たい夜風が頬を撫でる。酒場を飛び出してから、どれだけの時間が経過したのだろうか。

(むう、どうしたものか)

 単なる酒場での喧嘩なのだ。自分が首を突っ込むべきではないのは解っていた。

 だが、何故だろうか。厄介事になると、毎回のように自分から首を突っ込んでしまう。

 気になるのは、男達が言っていた「邪眼は高く売れる」という言葉だ。彼らが少女に対し、よからぬことを考えているのは間違いないと言えよう。

「あの少女を追うつもりですか」

 背後からの声に、レオンハルトは思わず振り返る。そこには、自分に使命を託した美女――フレーナが、こちらを見据えるようにして立っていた。

「ああ……」

「やめておきなさい、と言いたいところですが」

 フレーナは無表情のまま、言葉を続ける。

「貴方のことです。止めたところで、追うつもりでしょう」

「…………」

 フレーナの問いに、レオンハルトは無言であった。それは肯定を意味していた。

「構いません。我々には、あの少女を追わなければならない理由もありますから」

「追わなければならない理由?」

「今は未だ話す時ではありません。あの少女の存在は、我々の果たすべき使命に必要なのです」

 いったい、このフレーナという女は何を考えているのだろうか。

 と、その時。

「きゃああああ! とーまーらーなーいいいいいいいいいいいいいいいいい!」

「ああ、そう言えば……」

 遠くから響いてくる声を聞いて、レオンハルトは思いだした。

 つい無我夢中で少女を追い掛けていたために、お代だけ置いてリーゼロッテを酒場に置きっぱなしにしていたことを。声が聞こえた方向に視線を移すと、杖に乗って猛スピードで滑空してくるリーゼロッテの姿があった。

「ようやく来ましたか。《フライト》くらい、使いこなせてほしいものですが……」

 フレーナは突っ込んでくるリーゼロッテを一瞥すると、パチンと指を鳴らした。すると、彼女が二人に激突する寸前のところで止まり、勢いでふわりと空中へと放りだされた。

「わ、ちょっとちょっとぉぉ! いきなり解除しないでってばぁぁぁぁぁ!」

 尤も、レオンハルトが落ちてくる彼女を抱きとめたために、地面に叩きつけられることはなかった。

「ふう、ありがとうレオン。それより、あの子を追うんでしょう?」

「理解が早くて助かります」

 傍から見たらふざけているようにしか見えないリーゼロッテに対し憤りを覚えるわけでもなく、フレーナは淡々と答えた。

「だったら、急いだ方がいいかも。あの子、イヴルアイだから――」

「そうですね。捕らえられたら、ただでは済まないでしょう」

 イヴルアイ。その名を聞いて、レオンハルトは何か突っかかるようなものを覚えた。

(やはり、差別や偏見はなくならないのか)

 複雑な思いを抱いていると、一匹の仔猫がレオンハルトの足元に歩み寄り、身体を擦りつけてきた。

「この仔猫……」



(これが、現実?)

 少女は自分の無知さに、やり場のない感情を抱いていた。

 イェソドの里を発ってから、多くの者の襲撃を受けてきた。魔物や獣人は勿論、自分の種族を狙い撃ちにした魔術師や、その者に雇われた盗賊など挙げていけばキリが無い。

 それは、自分がドルイドの血を引いているためではない。自分はドルイドの役目に誇りを持っているし、蔑まされようと畏れられようと、気にすることは無かった。

 それでも、自分の種族故にこのような災難を招いていることは紛れもない事実だ。里で暮らしていた頃は外敵もなく、平和な日々を過ごせていた。時折、迷い込んだ魔物などがいるくらいで、その程度の相手なら普段から修行をしているため、敵ではなかった。

 だが、イェソドの里にいる時から、自身の種族の特異さは教えられてきた。信じられなかった。現実を自分の眼で確かめたいという思いから里を出たのだが、やはり現実は残酷であった。

 街中では騒ぎを起こせまいと、休息を取るべく宿屋付きの酒場に身を置いていた。宿屋の人にはよくして貰っていたし、希有な視線を送られることはあったものの、一介の冒険者として買い物もできた。しかし、初めは良かったのだが、旅の途中で返り討ちにした盗賊達が自分の情報を聞き出し、徒党を組んで襲い掛かってきたのだ。

 結局、自分に安住の場所などないのだろうか――

 冷たい夜風が頬を撫でる。春とはいえ、夜になれば気温は下がる。しかし、全力で走ってきたために、月明かりに照らされた柔肌にはうっすらと汗が浮かんでいる。

 少女はやりきれない思いを抱きながら、額のバンドを抑えて路地裏へと駆け込んだ。街のはずれにあり、メインストリートからも外れているため、人の姿は見受けられない。街自体の規模も小さいのも関係しているだろう。そこにいるのは少女の他、腹を空かせてゴミを漁っている野良猫ばかりだ。

 野良猫たちは少女の存在に気がつくと、尻尾を立てて彼女のもとへと集まってきた。どの猫も少女に懐いているらしく、可愛らしい鳴き声を上げたり、身体を少女の足に擦りつけたりしている。

「ごはん、もってきた」

 少女はその場にしゃがみ込むと、バックパックから魚の燻製を取り出した。すると、野良猫たちは我先にとその日の夕食である燻製に殺到していく。当然、身体の小さな仔猫はぶられてしまうようなこともあり得るわけで。

「みー……」

「喧嘩しないで。おチビちゃんの分も、ある」

 夕食にありつけずに残念そうにしている仔猫に、少女は細かく裂いた燻製を差し出した。仔猫は嬉しそうに声を上げると、少女の掌に乗っている燻製に被りついた。

 少女は微笑みを浮かべながら、猫達の食事の様子を見ていた。

 そう。彼らこそ、自分の数少ない友達だから――

「にゃお」

「みーみー」

 食事に有りつけて嬉しかったのか、あるいは少女に対する礼なのか、尻尾を立てながら野良猫たちは可愛らしい鳴き声を上げている。

「にゃー、にゃー、にゃー?」

 それに応じるかのように、少女の猫の鳴き真似をする。それはお世辞にも似ているとはいえないが、まるで意思が通じているかのように、野良猫たちもそれに応じている。

「みゃー、みゃー」

「にゃーお」

「うにゃん」

 このように動物達と一緒にいると、現実を忘れることが出来た。

 しかし、少女はそんな幸せな時間から、現実へと引き戻されることとなる。

「フーッ!」

「マーオ!」

 突然、野良猫たちは全身の毛を逆立て始めた。先程までの安らいだような表情もなく、まるで何かを恐れ、あるいは警戒しているように、歯を剥き出しにしているのが解る。

「……?」

 今まで猫に餌やりをしてきたことがあったが、いきなり警戒されたことはなかった。少女はすぐに異変を察知すると、立ち上がって二振りのジャマダハルを抜刀し、振り返った。

「っ……」

 そこには、先程酒場で自分に絡んできたゴロツキ達が、より多くの仲間を連れて佇んでいた。 反対側にも屈強そうな男達が数人待ちかまえており、少女を挟みうちにするかのような形で封鎖している。

「よお、見つけたぜえお嬢ちゃん」

 下卑た笑みを浮かべながら、酒場にいた男のうちの一人がジリジリと寄ってくる。

 強行突破なら容易い。狭い場所での戦いは、里にいた頃に身につけている。だが、この場にいる野良猫たちを放って逃げられるほどの冷酷さを、少女は持ち合わせていなかった。

「おーおー、猫ちゃんのお世話か? 可愛いじゃねえか、なあ」

 背後にいた男のうちの一人が、傍らにいた仔猫の首を掴んで持ち上げた。

「っ!」

 声にならない悲鳴を上げる少女。だが、すぐに平静を取り戻すと、ジャマダハルを納めた。

 相手は猫を盾に、自分を捉えようとしているのだろう。ならば、こちらに抵抗する意思が無いところを見せなければならないと見たのだ。

 勿論、男達がそのまま大人しく自分を捉えるとは思っていない。だから――

「そこ……!」

 一瞬の隙を突くと、少女は懐に隠し持っていた投擲用の短剣――ダークを、猫を捕らえている男の手首目掛けて投げた。ダークは回転しながら、男へと向かっていく。数が多いと舐めていた男に反応できる筈が無く、手首に小振りな刃が深々と突き刺さる。

 短剣といえども、突き刺されば当然痛みは伴う。剥き出しの手首に一撃を受けた男は思わず仔猫を投げ出し、傷口を抑えながらのた打ち回った。解放された仔猫は、他の野良猫と共に、男達が混乱しているのに乗じて何とか逃げ出したようだ。

 これで、後顧の憂いはなくなった。少女は再びジャマダハルを抜刀し、その場から強行突破すべく男達へと向かっていった。

「てめえ、やりやがったな!」

 仲間がやられたことに腹を立てたのか、男達は一斉に少女に向けて襲い掛かった。先程手首にダークを受けた男を見ると、すっかり戦意を喪失――いや、大量に出血しており、最早助かることは望めない状況だった。殺すつもりは無かったのだが、この場合彼の自業自得であろう。

 一斉に襲い掛かるも、狭い場所のために男達は思うように動けずにいた。少女は己の小柄さと身軽さを利用し、体術を組み合わせながら男達に反撃をしていく。

 手元を狙って武器を叩き落とし、二度と握れぬように殺さぬ程度に両手のジャマダハルで手を斬り刻み、大きく隙を見せた者に対しては顎に向けて蹴りを入れる。これなら、如何に屈強な男といえども、タダでは済まない。

「ぐぉぶぉっ!」

 口から涎と血液を撒き散らしながら、肥満体の男が吹き飛び、近くにいた二人を巻き込んで倒れこむ。数秒遅れて、男の歯が三本ほど、乾いた音を立てて地面に転がり落ちた。

 だが――

「おいてめーら、ガキ一人に何手こずってんだ」

 ゴロツキ達の中でもひときわ屈強そうな男が、指の骨を鳴らしながら現れた。

 野生の肉食獣を思わせるかのような風貌だ。禿頭で顔には深い彫りがあり、まるで板金鎧を連想させるかのような分厚い筋肉の持ち主であった。そこには無数の切り傷や弾痕があり、幾つもの修羅場をくぐり受けてきたことが窺える。

 だが、そこにあるのは歴戦の戦士の顔ではない。弱きものを穢し、痛めつけようとする、ならず者のそれであった。

「へぇ、すいやせんゴルガン様。このガキ、結構つよごぉげ――」

 ヘコヘコと弁明する部下の頭を掴むと、思い切り力を込めた。何かが軋むような音が鳴り、やがて禿頭の男――ゴルガンの指が、部下の頭の中にめり込み始める。

「ご、げげげげ、お、おがじら、ずびば――」

 グシャッ。

 汚らしい水音を立てて、男の頭が熟れたトマトのように潰れる。勢いで押し出された眼球が飛び出て、口からはだらしなく舌が垂れている。

「んだよ、汚れちまったじゃねーか。男の血なんて見てもつまんねーよ」

 まるで汚物に触れてしまったかのように、ゴルガンは露骨に嫌な顔をし、近くにいた部下の服で血と脳漿を拭き取った。

「……そんな、仲間なのに」

「あー? いいんだよ、代わりはいくらだっているからな」

 武器を構えて様子を窺っている少女を見ても、ゴルガンは余裕を持っていた。

 彼は見抜いていたのだ。少女が今、怯えているということ、そして必死に恐怖心を隠そうとしていることを。

 そう。それがたまらなく好きだった。汚れを知らず、必死に強がっている女を怯えさせ、痛めつけ、蹂躙するのがゴルガンの趣味でもあった。

 だから、やることは決まっていた。

「さ、て、と。それじゃー思い切り鳴いてくれ!」

 ゴルガンは拳を振り上げると、少女に向けてはなった。

 速い。だが、動きは単調だ。少女はすぐに拳の軌道を見切ると、体勢を低くしてそれを回避しようとする。

(違う、フェイント!?)

 突然、少女の視界から拳が消える。

「っ――!」

 すんでのところで風圧を察知し、少女は地面を転がるようにして男の一撃を回避した。あと少し反応が遅れていたら、今の一撃を食らっていただろう。

(強い……)

 少女を支配しているのは、恐怖心だった。

 ダメだ。この男は格が違う。自分でも震えているのが解った。

 攻めないと殺られる。少女はそう判断し、得物のジャマダハルを男に向けて突き出した。男が回避したところに追撃をかければ、なんとか切り抜けられる。

 だが――

 ずぶり、と手元に嫌な感触が走る。

「え? あ……」

 ジャマダハルの刃は、ゴルガンの腹部に突き刺さっていた。傷口からはジワリと血がにじみ出し、地面に染みを作りだし始める。だが、彼はまるで堪えていない。腹部に一撃を加えられているというのにだ。

「嘘? なんで?」

「ガキにしちゃー上出来といったところか。生憎だが、この程度の傷は慣れてるんでな」

 ゴルガンが攻撃を回避しないことは想定外であった。

 そして、少女の戸惑いは、ゴルガンに反撃の機会を与えるのには充分すぎるものだった。

「ぁぐっ――」

 鳩尾にこれまでにない凄まじい衝撃が走る。ゴルガンの渾身のひざ蹴りが、少女の腹部を完全に捉えていた。体重は軽く三倍以上はあるであろう男の蹴りを受けたため、少女の身体は宙を舞い、堅い石畳へと叩きつけられた。

 持っていた得物はあらぬ方向へと飛び、辺りに空しい金属音を響かせる。

「あ、がはっ、けほっ……」

 思い切り胃液を吐き出すも、激痛のためか呼吸が出来ない。

 何とか立ち上がろうとするも、ゴルガンがそれを許さなかった。うつ伏せのままもがく少女に対し、追撃を加える。

「っ、ぁっ、ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――」

 悲鳴を上げるにも、声が思うように出なかった。ゴルガンが背中に足を乗せ、少しずつ体重をかけていたためだ。無論、本気になればこのまま少女の身体を踏み抜くことなど朝飯前だろう。

「あー、ゴルガン様?」

「どした」

「こいつ商品なので、あまり傷つけると」

 自分達の目的は、この少女を捕らえて売ることだ。傷をつけると商品価値が下がる。だから、それくらいにしてアジトに持ち替えるべきではないかと、部下の一人が咎めようとするが――

「価値が、下が、が、が、がぁぁっ!?」

 その部下の顔面にゴルガンの指が食い込んだ。

「俺様も楽しみてーんだよ。多少価値が下がろうが、俺様のお楽しみの方が大事に決まってんだろ」

 今回は潰すまでには至らず、満足したところで部下を解放する。それでも、顔面を握られた男には、ゴルガンの指の跡がハッキリと残っていた。

「さて」

「あぁっ……」

 踏みつけるのに飽きたのか、ゴルガンは少女を蹴り飛ばし、壁際へと追いつめた。

「はぁっ……はぁっ……はぁっ…………」

 少女は必死に抗おうとするも、最早どうすることもできなかった。

「今まで何度もイヴルアイ狩りはやってきたが、此処までの上玉は久々だ。目玉をくり抜くと、どんな声で鳴くんだろうなー。勿論、目玉をくり抜く前にやることがあるんだけどな」

 そうだ。この者達は、自分を痛めつけようとしている。いや、それだけではない。

「さぁて、覚悟してもらおうか、イヴルアイのお嬢ちゃん」

 ゴルガンは少女の額に巻かれていたバンドを、強引に引きちぎった。

 すると、そこには刺青のようなものが刻まれており、その中央には人間には有り得ない、三つ目の瞳があった。

(やっぱり……わたしの種族がいけないのかな……)

 男達を見ながら、少女は己の出自のことを呪った。

 イヴルアイ。セフィールに存在する、「亜人」と呼ばれている者達のひとつである。外見的な特徴としては、人間と然程変わらないが、額に第三の眼が存在するというものだ。イヴルアイの瞳には強力な魔力が秘められており、エルフに次ぐ強力な魔術適性を持っている。また、第三の眼には近い将来を見通すというヴィジョンの力も宿っている。

 平均寿命はおよそ三百歳から四百歳程度と言われているが、その寿命をまっとうする者は殆んどいない。それは、額にある第三の眼が関係しているためだ。イヴルアイの第三の眼は強力な魔力を帯びていることから、それを目当てとした魔術師が彼らを狩ることがある。また、種として美しい出で立ちの者が多いために、女性の場合は第三の眼を奪われた後に愛玩用として貴族や豪商などに売り飛ばされることも珍しくない。少女が狙われているのは、こういった背景があった。

 つまり、男達にとって今目の前にあるモノは商品であった。酒場で見つけたが、実に可愛らしい少女だった。娼館に売り飛ばせば、かなりの値段になるのは間違いないと見たのだ。尤も、このゴルガンという男の場合はそれだけには留まらず、ひたすら甚振ることを目的としているようだが。

 男達は、女子供を誘拐しては売り飛ばすという、人道から外れたことをやってのけるような存在だった。戦乱の世というのもあるが、たとえ豊かになったとしてもそういった『負の存在』は決してなくなることが無い。

「っ……や……」

 声にならないような悲鳴を上げ、尻もちをついたまま、後ずさる少女。

 戦うにしても、傷を負っているためか思うように動けない。立ち上がろうとしても、力が入らない。得物も落としてしまっており、多くの修羅場を抜けてきた身とはいえ、此処まで打ちのめされてしまっては、戦えというのが無理な話であった。

「それじゃー早速、此処で一発相手になってもらおうぜ。おい、てめーらガキを抑えとけ」

「へ、へえ!」

 相変わらず下卑た笑みを浮かべたまま、近寄ってくるゴルガン達。

 弱っていた少女に抵抗する術は無く、数人の男達によって拘束されてしまう。

「あがっ!?」

 背後に回り込まれ、猿轡をかまされる少女。

「おっとぉ、悲鳴を上げて助けを呼ぼうと思っても無駄だぜ」

「まあ、呼んだところでイヴルアイを助ける物好きなんざいないだろうけどなあ」

 そうだ。どうせ、助けは来ない。

 こんなことならば、好奇心に任せて里に出るべきじゃなかった。

(お父様、お兄様……。ごめんなさい)

 己の愚かさを呪う少女。最早、彼女には絶望しかなかった。舌を噛んで死ぬにも、猿轡がそれを許さない。

 だが――

 突然、少女の目の前に閃光が走った。イヴルアイである彼女は、それが魔術によるものだとすぐに理解した。まさか――

「あびゃっ!?」

 先程まで余裕を見せていたゴルガンの頭上に、一筋の雷撃が迸った。致命傷までには至っていないものの、全身が麻痺し、うつ伏せの状態でピクピクと痙攣している。

 あまりにも突発的であったために、男達は何が起きたのか理解できずにいた。また、魔術に関する知識を持っている者がいなかったというのもあるだろう。

(今のは《ライトニングボルト》……)

「ふー、良かったぁ! 何とか間に合ったみたいだね」

 快活明朗な声と共に、金髪をポニーテールに結んだ少女が現れる。人間の少女に見えるが、突き出た細い耳と、先程の魔術の威力を見る限り、ただ者ではないのはすぐに解った。

(あの子、エルフ?)

 彼女の右手には派手な装飾が施された杖が握られており、もう片方には先程の仔猫が抱えられていた。

(誰? わたし、助かった……)

「な、何だてめえらは!」

 頭を倒されて動揺していた男達だが、ようやく状況を察知した。

 想定はしていなかったが、何者かが自分達の妨害に入ったのだ。すぐさま、イヴルアイの少女を人質に取ろうとするが――

「大人数で一人の少女に襲い掛かるなど、感心しないな」

 凛とした青年の声。それと同時に、ゴロツキ達の後頭部に、剣の柄による打撃が入る。その声の主を確認する間もなく、ゴロツキ達はその場で気を失った。

「早いところ片付けよう、リーズ」

「うん、そうだね」

 突然の介入者に対応できる筈もなく、男達は青年とエルフの少女によって、各個撃破されていった。

「何とかなったけど、まさか野良猫たちが俺達を導くなんて」

 青年――レオンハルトは武器を納めて、路地裏の入り口に群がっている野良猫を見据えた。

「この仔猫が助けを求めてたみたい。よく解らないけど……」

 少女――リーゼロッテは抱きかかえている仔猫を撫でながら答えた。仔猫は何度か撫でられるとリーゼロッテのもとから飛び降り、倒れている少女のもとへと向かい、彼女の頬をぺろぺろと舐め始めた。

「おっと、いけない。彼女を解放してあげないと」

 猿轡を外し、俗に言うお姫様抱っこの形で少女を抱きかかえるレオンハルト。先程まで意識はあったようだが、緊張が切れたためか少女は眠っていた。

「あー、いいなあ! あたしもその子みたいに抱かれたいかも」

「今はそういう時ではないだろう。早く彼女の傷を癒してあげないと」

 伸びている男達を見る限り、暫く動けそうにない。

 だが――

 屋根から銀髪の美女が飛び下り、三人の前に降り立った。

「フレーナ、どうしたんだ」

「どうやら、街の自警団が騒ぎを聞きつけてきたようです。早めにこの街を去りましょう」



 あまり目立つワケにはいかないため、一行は街から出て、街道のはずれにある川岸にて身を休めていた。フレーナとリーゼロッテは、疲れを癒すために眠っていた。ちょうど今はレオンハルトが見張り番をしており、火を絶やさぬように小まめに薪をくべている。

 レオンハルトはバックパックから水筒を取り出し、水を一口流し込んだ。見張り番とはいえ、緊張しっぱなしではいざという時にすぐに動けない。適度に周囲を警戒しつつ、適度に休息を取ることにしたのだ。夜に活動する魔物や追い剥ぎの他に、気掛かりなことがもうひとつあったためだ。

(傷は癒したけど、どうしたものか)

 火に薪をくべて、傍らに寝かせている一人の少女の姿を見る。ツインテールに結ばれた、菖蒲の花のような高貴な紫色の髪。美しいがやや病的とも言えるような、色白の肌。剥き出しの四肢は細身ながらも優美な曲線を描いており、年頃の少女の可愛らしさと共に色気を演出している。

 そして――

(イヴルアイ、か……)

 今は額に巻かれたバンドによって隠れて見えないが、その下にある第三の眼。それは、この少女がイヴルアイであることを示していた。強力な魔力と未来視の能力を持つが故に、多くの者に狙われて狩られてきた存在だ。それは今も変わりなく、多くのイヴルアイ達が、こうしている間にも狩られ、殺されている。

「ん……んん……」

 イヴルアイの少女は何度か身を捩り、ゆっくりと目を開けた。

「気がついたみたいだね」

 レオンハルトが声をかけると少女は飛び起き、武器に手をかけようとした。しかし、彼が自分を助けてくれた相手であることを確認すると、すぐに緊張を解く。それでも、警戒は続けているようで、何処か怪しむような視線でレオンハルトの様子を窺っている。

 無理もないだろう。相手が武器や魔術を使う者である以上、自分に危害を加えないとは限らない。このように救うフリをしておきながら、売り飛ばすといった――先程のゴロツキ達と同業なのかもしれないと思ってしまう。それだけ、今まで多くの者達に襲われてきたためだ。

「大丈夫、俺は君に危害を加えるつもりは無いよ」

 少女が警戒しているのに気付いたレオンハルトは、武器を放り出して敵意が無いことを示した。勿論、それだけでは解ってもらえるとはおもっていないのだが――

「助けてくれて、ありがとう」

 よく聞かなければそのまま周囲の風の音にかき消されてしまうような、か細く小さい声で、少女はレオンハルトに対して礼を言った。その様子は何処か恥ずかしそうであり、人見知りしやすい性格なのかもしれない。

「礼には及ばないよ。ところで、君はいったい――」

 イヴルアイはその身を守るために、ひっそりと暮らしていることが多い。冒険者や傭兵として暮らす者も少なからずいるのだが、このような少女が一人で旅をしているのは珍しく、あまりにも危険である。

 何かしら事情があるのかもしれない。あまりプライベートに踏み入れるようなことはしたくなかったが、レオンハルトとしては危険な目に遭わせる方が耐えられなかった。また、フレーナが「この少女が必要である」といったようなことを告げていたのも気になった。

「…………」

 少女は無言のまま、レオンハルトを見据えている。警戒心は解けているようだが、緊張は解けていないのか、なかなか口を開こうとしない。

 気まずい沈黙が辺りに満ちる。焚火の爆ぜる音が三度鳴ったところで、レオンハルトはその沈黙を打ち破るべく、口を開いた。

「あ、えーっとごめん。俺はレオンハルト・クリューガー。良ければ、君の名前を教えてほしい。それと、差し支えが無ければ、何でこのような場所にいるのかも教えてくれないか?」

「…………?」

 少女は銀色の瞳をレオンハルトに見据えたまま、何度か首を傾げ、ようやく自分の名前を名乗った。

「シア・ジブリエリア・イェソド」

 よく聞かなければ聞き逃してしまうような小声だ。しかし、そこには恥じらいは無く、レオンハルトを見て微かに微笑んでいるのが解る。元々、声のボリュームが小さいのだろう。

「シア・ジブリエリア・イェソドさん、だね」

「ん。長いから、シアでいい」

 こうして見てみると、とても可愛らしい。その可愛さはリーゼロッテの天真爛漫、快活明朗といったものとは別で、ミステリアスな雰囲気の可愛らしさだ。口数の少なさと何処か落ち着いた、というより、何を考えているのか窺い知れない様子が、それを助長している。

「それより、名前で思ったんだけど、シア。君は……」

 レオンハルトは少女の名前の中にあったイェソドという言葉を聞き逃さなかった。それは、ドルイドの里の名前でもある。

「ん。わたし、ドルイド。イェソドのドルイド」

 どうやら、シアもまたドルイドであるらしい。それも、ちょうどレオンハルト達が向かおうとしているイェソドの里の者であるという。彼女の力を借りると、ドルイドの集落に向かうのに大きな助けになるかもしれない。

「話は聞かせて頂きました」

「フレーナ……」

 いつの間にか起きていたのか、フレーナは立ち上がってレオンハルトとシアを見据えていた。リーゼロッテはまだ寝ているようで、可愛らしい寝息を立てている。

「シア、貴女はイェソド出身の者だそうですね。貴女の里まで案内して頂けますね」

 フレーナの口調は丁寧であるが、そこには礼儀が感じられない――まるで圧力をかけるかのような冷たさを孕んだ声だった。

「待ってくれ、フレーナ。いきなりそれは」

 自分も頼もうとしていたとはいえ、少し礼儀に欠けるのではないか。それこそ、フレーナのように丁寧であれど感情が籠っていないような声で頼まれれば、シア程の年齢の少女であれば恐縮してしまうかもしれない。レオンハルトはフレーナを諌めようとしたが――

「ん、解った」

 シアは特に気にした様子も無かった。フレーナに対する警戒心もないようだ。

「いいのか、シア」

「大丈夫。これ、ヴィジョンで見たから」

 イヴルアイが持つという、近い未来を見通すという能力。それによると、レオンハルト、フレーナ、リーゼロッテが自分と遭うのは予見されていたらしい。

「わたし、外の世界を見たかった。でも、それは好奇心だけじゃない」

 小声で抑揚はないものの、シアはしっかりとレオンハルトを見据えて言った。

「里を出たのは、レオン。あなたと出会う為でもあった」

「俺と?」

 ふと、何処となく憂えたような表情を見せるシア。

「見て解った。あなたなら、わたしの身を捧げてもいい」

 何か覚悟を決めたかのような表情で、シアは言った。いったい、彼女は何を考えているのだろうか。レオンハルトには、彼女の言葉の意図が解らなかった。だが、彼女も彼女で、セフィールに異変が起こっていることを察知しているのだろう。それだけは推測できた。

「あなた達に協力する。助けて貰った恩もあるから」

「理解が早くて助かります。それより、シア。傷は大丈夫ですか?」

「ん、平気」

「それならば、少し働いて頂きます。レオンハルト、あなたはリーゼロッテを起こしてください」

 そう言うと、フレーナは空を切るかのように右手を振り翳した。

「何を――」

 もう少し休ませるべきだとレオンハルトは抗議しようとしたが、彼はフレーナの言葉に従わざるを得なかった。何者かの気配を近くに察知したためだ。

 フレーナの手元に黒い靄が収束し、細長い棒状のものを形成していく。やがて靄が晴れると、そこには身の丈ほどの大鎌が握られていた。

「リーズ!」

 レオンハルトは二振りのブロードソードを抜刀し、背中を向けたままリーズに声をかけた。

「大丈夫、あたしは起きてるよ!」

 リーゼロッテは既に立ち上がっており、杖を構えて周囲を警戒していた。城の中で暮らしていたとはいえ、一通りの戦闘訓練は受けていたらしく、すぐに敵の気配を感知していた。

「数は多いですが、烏合の衆ですね。すぐに片付けますよ」

 刹那――

 激しい水の音と共にいくつもの飛沫があがり、その者達は姿を現した。

 背丈は人間の子供程といったところか。魚の頭を持っており、そこから人間の身体が生えているといったような風貌だ。肌は青や緑の鱗で覆われており、背中や顔からは魚の鰭が生えている。数は三〇を超えており、次々と河岸に這い上がり、レオンハルト達を取り囲むかのように布陣している。

 サハギンと呼ばれる魔物だ。海や川、湖といった水に関係する場所に棲む魔物で、単体では弱いが集団で襲い掛かることが多い。また、ゴブリンやオーク程の筋力は無いが、種族としての魔術適性は人間と変わりないため、舐めてかかると痛い目に遭う相手でもある。

「生臭いなあ、もう!」

 リーゼロッテは漂う生臭さに顔を顰めながらも、詠唱のために意識を集中した。サハギン達はその隙を突くべく、三体がかりで彼女へと向けて、ショートスピアを構えて突っ込んでいく。しかし、後衛の彼女を守るために、シアが二つのジャマダハルを構えて割って入った。

「させない」

 サハギンが突き出した槍の切っ先をジャマダハルで弾き、バランスが崩れたところを、X字を描くかのように両手を振るう。サハギンにその攻撃を避けられる筈もなく、喉元からザックリと肉を抉られ、体液を撒き散らしながら絶命した。

「ありがとう、助かるよ! えっと……」

「シア。よろしく、リーズ」

 シアはリーゼロッテに振り向いて、にっこりと微笑んだ。

「すまないが、自己紹介は後にしてくれ」

 二人に襲いかかろうとしたサハギンを、レオンハルトは背後に回り込んで背中から横真っ二つに斬り裂く。しかし、サハギン達も黙ってはいない。後方にいたサハギンは魔術を詠唱しており、それをレオンハルト達に向けてはなったのだ。

 魔術を詠唱していたサハギンの周囲に、水の弾が形成されていく。それが十個ほど作られると、サハギンはレオンハルト達に向けて手を振り翳した。すると、水の弾は一斉に彼らに向けて放たれた。

「っつ……、この程度!」

 他の者に当たらぬように、レオンハルトは水の弾丸をその身で受けた。全身を打ちつけたかのような痛みが走るが、この程度の痛みは戦場で経験してきたために然したるものではない。また、鎧に対魔術の加工もしてあるため、大幅にダメージを軽減することが出来た。

 気を強く持つことで魔術に耐え、レオンハルトはすぐに反撃に移る。追撃をかけてきたサハギンに蹴りを加え、鰓の部分にブロードソードを突き刺す。サハギンは苦しそうな表情をし、何度か痙攣した後に倒れ伏した。

「よし、完成! いくよ!」

 お返しと言わんばかりに、リーゼロッテも詠唱していた魔術を完成させる。

 後方で続けて魔術を詠唱しようとしていたサハギン達の頭上に、幾筋もの雷光が次々と降り注いでいく。雷に打たれたサハギン達は、一瞬にして生命活動を止めた。

 《ライトニングボルト》という、雷撃系統の攻撃魔術だ。対象の頭上に疑似的に雷雲を作りだし、その付近にいる者に放射するという術で、初級魔術のひとつである。だが、初級とはいえ威力は術者の魔力に大きく左右される。リーゼロッテは、一度に数回分の《ライトニングボルト》を詠唱し、タイミングを見計らって放出したのだ。

 一〇体近くのサハギンを葬るも、それに満足せずにリーゼロッテは続けて魔術の詠唱に入った。

「滅しなさい」

 フレーナは大鎌を横に薙いで五体のサハギンを一瞬にして葬った。そして、彼女は続けざまに魔術の詠唱に入る。その隙を突こうとサハギンが割り込もうとするが、それはシアによって阻まれてしまう。

(……それなりに場数は踏んでいるようですね)

 フレーナはシアの戦い方を見ながら、表情には出さないものの感心していた。

 シアが使いこなしているジャマダハルという武器は、その構造上故に扱いが難しい。殺傷能力は高いのだが、中途半端な実力で使えば、自分の手を痛めかねないためだ。

(妙に統率が取れているのが気になるが)

 リーゼロッテとフレーナの魔術が炸裂する。魔力の流れを察知したレオンハルトとシアはすぐにその場から離れ、サハギンから距離を置いた。

 周囲に風が渦巻き始め、その場にいる者の衣服と髪を靡かせる。サハギンもすぐにそれに反応しようとするが、遅い。風は既に鋭利な刃となり、彼らへと襲い掛かっていたのだ。魔力により造り出された鎌鼬は、サハギンの身体を休む間も無く切り刻んでいく。《エアリアルカッター》という大気系統の術である。

 それだけではない。《エアリアルカッター》を免れたサハギンには、別の魔術が襲い掛かった。

 サハギンを取りこむかのように、黒い靄が現れる。靄を受けたサハギン達は、何が起こったのか理解できないまま、次々と地面に倒れていく。ただ、どの者も苦しそうな表情をしていた。

「残りは僅かです。レオンハルト」

「ああ、解っている」

 魔術と剣の応酬により、サハギンの数は最後の一体まで減っていた。

 残された一体のサハギンは逃げ出そうとするが、レオンハルトが背後から斬りかかったためにそれも敵わず、気味の悪い断末魔の叫びを上げて倒れ伏した。戦いが終わり周囲を見渡すと、無数のサハギンの死骸が散乱していた。

「ふぅぅ、疲れたぁ……」

「なんとかなった」

 リーゼロッテとシアはお互いに背を預けたまま、その場に座り込んだ。

 辺りに敵の気配が無くなったのを確認すると、レオンハルトはフレーナへと視線を移し、彼女に尋ねた。

「フレーナ――」

「貴方が何を言おうとしているのか、解っています」

 フレーナは手を振り翳して大鎌を何処かへと納め、淡々とした口調で答えた。

「まだ話す時ではありません。何れその時が来れば、貴方は自覚するでしょう。それまではただ、己の使命を果たしなさい」

「…………」

 一体、彼女が何を考えているのか。レオンハルトはフレーナに対し、強い不信感を抱く。

 だが、自分にはどうすることもできない。今はただ、己に課せられた使命を果たすということしかできないのだ。何も解らない以上は――

「少し疲れました。場所を変えて、休みましょう。シア、先程の話は覚えていますね?」

「ん。休んだら、里に案内する。ちょっと大変だけど、みんななら大丈夫だと思う」

 恐らく、イェソドの里に向かえば何かが解るかもしれない。

 押し寄せる不安に苛まれながらも、レオンハルトはフレーナに全てを任せることにした。

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