五十一章 ゴーストハウス
アカデミアタウンには、街に住む者なら皆知っている屋敷がある。
その屋敷は街外れにあり、神殿に属する孤児院の隣にあった。
人々は声を潜めてまことしやかにささやく。
あの屋敷は呪われている。変な声が風に乗って聞こえてくる。たまに爆音が響く。奇声が轟く。虹色の煙が煙突から吐き出される、などなど。奇怪なものが大半を占めていたが、極めつけはこれだった。
――誰も、主人の顔を見たことがない。
それは、主人がいつも黒いフードを目深に被っていたからだ。四十代であるはずの奥方はいつも生花を髪に飾り、フリルやレースがたっぷりな、見る者が皆思わず目を背けてしまうピンク色の痛々しいドレスを着ているので有名だったが、誰も主人の顔を知らない。
屋敷からは出ようともせず、たまに客の応対に出てもぼそぼそと空気のかすれる声で喋る始末で、どうやって生計を立てているのかも謎だ。
その為に、謎の主人の正体を人々は勝手に想像した。
曰く、ただの実験好きな狂人。
曰く、悪い魔法使いで、近づいた動物を実験の道具にしてしまう。
曰く、実はあのフードの中は空っぽだ。
などなど。
常識的なものから怪談的なものまで勢ぞろいだ。
そして、人々は理解出来ないせいでその屋敷を不気味がり、いつの頃からかこう呼んだ。
ゴーストハウス、と。
その呼び名は、屋敷の夫婦が引っ越した後でも続いていた。
*
「なんか疲れたね……」
「ああ、すげえな、あの人達」
魔法学校を出て、アカデミアタウンのメインストリートを歩きながら、ぐったりとして言葉を交わす流衣とリド。
学校内ですれ違う生徒達にじろじろと不審物を見るような目で見られたのもあったが、それ以上に疲れたのがスノウリード夫妻のやり取りだ。あんなナチュラルに目の前でいちゃいちゃされたのは初めてだ。精神的に疲れた。気まずくて仕方がない上に、お邪魔虫感満載で疲労度上昇だ。
「二人とも、私はこれで失礼するよ。君達は、ボルド村に戻る前に宿泊先を確認してきなさい。この道を真っ直ぐ行けば町役場があるから、そこで問い合わせればいい。明日の出勤時刻は七時半だから、遅刻しないように。分かったね、二人とも」
「はい! 頑張りますのでよろしくお願いします!」
「ありがとうございました」
それぞれ頭を下げると、セトは歯を見せて豪快な笑みを見せ、すぐさま歩き出す。あまり愛想がいい方ではないが、セトは子ども好きなのか流衣達に親切だ。
明日からの仕事については、校長室への行き帰りで説明して貰った。セトの研究室やリドの仕事場の位置などが主だ。
「思ったより普通な所で良かったな。魔法学校っていうから、もっとこう、えげつなさそうなの想像してた」
魔法使いについてどういう偏見を持っているのか、リドが苦笑気味に言うので、流衣は興味をひかれる。
「えげつないって?」
「ほら、トカゲや蛙がその辺に干してあるとか、でかいキノコが生えてるとか、実験用の魔物の奇声が聞こえる、とかさ」
「お馬鹿ですネ。あなたの想像力は幼児並です」
流衣とリドに聞こえる程度の声で、馬鹿にしたように言うオルクス。リドの眉がぴくりと動くのも厭わず、オルクスは更に続ける。
「貴族の子どもが、行儀見習いを兼ねて、通うような場所ですヨ。北の大山脈みたいな、奇天烈怪異な危険な場所であるわけがないでしょう」
北の大山脈というのは、ルマルディー王国の最北に横たわる大山脈だ。この中のどこかに魔王の出現した洞窟があるんだそうだ。瘴気がたまりやすい場所らしく魔物の強さが半端ない上に、一年を通して雪が積もる大地なのに、生態系が狂っていて、巨大植物が生えてる所もあれば、貴重な薬草や宝石が採れたりもする奇妙な山だ。魔物の最上位に位置する竜の生息地域であるのも有名だ。アルモニカが前に話していた未開の地と肩を並べる危険地帯である。
そんな所に魔王を退治に行かねばならないのだから、勇者というのは大変だ。
そう思ったところで、流衣は自然と今代勇者の川瀬達也が、無事に地球に帰れることを祈った。思うに、こっちの世界の都合で勝手に呼び出され、魔王を封印してこいと仕事を押し付けられるのだから、勇者にはたまったものではないだろう。必ずしも異世界から召喚されるわけではないらしいが、それでも傍迷惑なのには変わりが無い。
「うるせーよ、阿呆オウム」
「なっ、誰が阿呆ですか!」
「おめえに決まってんだろ、阿呆オウム」
「キィーッ! クソガキな上に赤猿の分際でっ!」
小声での文句の応酬に、流衣は溜息をつく。
(喧嘩するんなら僕を間に挟まないで欲しいなあ……)
オルクスが左肩に乗っていて、リドが流衣の右側を歩いているせいで、しっかりと巻き込まれる位置にいるのだから困る。ぎゃあぎゃあと悪口を言い合っている二人の隙を見つけ、言葉を滑りこませる。
「それにしても、紹介してくれた家ってどんな所なんだろうね」
リドとオルクスの喧嘩がぴたっと終わる。
「住み心地が良いと、よろしいですネ」
オルクスが言うのに、リドも頷く。
「そうだな。ま、暖を取れて寝床が確保されてりゃ、俺としては十分だが」
「ええー、流石にベッドだけは辛いよ。僕は箪笥や机や椅子もあって、使いやすそうな調理場があって、出来れば風呂があったらもっと良いな」
「風呂なんて、貴族様が使う代物だろ。民家にあるわけがねえ」
リドの返事に、流衣は首を傾げる。
「でも、紹介されてる家ってお屋敷みたいだよね。もしかしたらついてるかもよ?」
「あ、言われてみりゃあそうだな。元が貴族様の屋敷だったとしたら、あるかもしれねえなあ。……ルイってほんとに風呂好きだよな。女みてえ」
付け足された言葉に少しムッとし、流衣は常識の違いを説明する。何故か初対面の人には男女どちらか分からないようで必ずといっていいほど性別を訊かれるが、どう見ても自分は男だと思っている流衣には、女みたいという言葉はコンプレックスを刺激する一言なのだ。
「あのね、そもそも、ここの人達がお風呂に入らなさすぎるんだよ。僕の国じゃ、大部分の人が毎日風呂に入るんだから」
「毎日!? お前の国、どれだけ裕福なんだ? そういや、ルイが平民って割に育ち良さそうなのは国全体が豊かだからってことか?」
リドは仰天し、口早に問うてくる。
「うーん、そうだね、家が無くて路上で生活してる人もいるけど、大半の人は家や集合住宅で暮らしてるし、食べ物がなくて困ることもほとんどないよ」
「飢えがないってのはすげえな。そんな楽園みたいな国があるのか」
「生活は豊かだけど、最近じゃ人の繋がりがなくて苦労する話だとか、心の病気が増えている話をよく聞くよ」
「ふぅん、完璧な国ってのはないもんなんだな……」
複雑そうにうなるリド。
「そうだね、そんな気がする。他の国じゃ戦争の話を聞くし、貧しい国だって勿論あるし。僕の国も六十年前まで戦争してたから、豊かになったのは結構最近なんだけどね。僕が生まれる前くらいに良くなったみたいだから、いまいち分からないけどさ」
毎日風呂に入れるのも、水に恵まれた土地っていうのが大きいかもね。流衣は考えながら、最後にそう付け足しておく。
凍りついている路面で足を滑らせないように気を付けて歩きながら、流衣はリドを見上げる。少し背は伸びたが、リドも身長が伸びているのであまり変わった気がしない。それどころか以前より高く感じる。180cmを越えてそうだ。
「こういう雪国って、平民の人達はどうやって風呂に入るんだろう。水浴びなんてとても出来ないから不思議だな。リドは水浴び以外はどうしてるの?」
「俺か? ボロス爺さんに教えて貰ったやつだと、沸かした湯を盥に入れて水で薄めるんだ。それを桶ですくって使ってたな。ま、冬は一週間から十日に一度ってとこか」
「お爺さんのやり方じゃないとどうなるの?」
「よほどのことがない限り、祝福の月まで風呂に入らない、かな。気になる時は濡らした布を絞って身体を拭くな」
「……そ、そう」
流衣はそろりと視線をずらす。ボロスが清潔好きな人で良かった。濡れた布で身体を拭こうとするだけマシだが。
「みんな、だいたいそんなもんだ。湯を沸かすのだって燃料がかかるんだぞ。日々の生活でいっぱいいっぱいなのに、気を遣ってらんねえよ」
「……そうだね」
流衣は頷きながら、湯を沸かすのが楽だったら皆風呂に入れるのだろうかと考えていた。
(お湯かあ)
湯を沸かす魔法っていうのは存在しないのだろうか?
庭に水遣りする術が、まるでシャワーみたいに杖の先から水が出てくるのだから、やろうと思えば温水シャワーにもなるかもしれない。でもそうすると水を温めるという行為が必要になるわけで、火の魔法を利用して熱を出すしかない。
もしかしたらお湯を出す魔法があるかもしれないから、今度探してみようと流衣は一人頷く。
「ルイ、どこまで行くんだ? 役場はこっちだぞ」
一人つらつらと考え事をしていたら背後から声がかかる。振り返ると、だいぶ後ろにリドが立っていて、怪訝そうな顔をしている。
「あ、ごめん。気付かなかった」
流衣は一言謝ると、地面が凍りついているのも忘れて走り出す。お陰で派手に転んでしまったのは、出来れば秘密にしておいて欲しい。
*
「あの屋敷に、やっと住人が出来るのか! 今日はなんて良い日なんだ! ありがとう、ありがとう! これでもう掃除に出入りしなくて済むっ!!」
屋敷の管理者であるヨーザは、流衣達の訪問を泣いて喜んだ。
正直、五十代にさしかかっている白髪混じりの男に、出会い頭に号泣された流衣達は内心でどん引きだ。
ヨーザは背の低い小男――それでも160cm半ばくらいはある――で、こげ茶色の髪と目をしている。痩せぎすではあるが、黙っていれば品があるおじさんで済んでいたのに、勿体ない。そう、ほんの少し前、流衣達の訪問理由を知るまでは、確かに彼は役場の業務をこなす品の良いおじさんだったのだ。
「ありがとうっ、スノウリード校長ーっ! 金好きな変人などと思っててすみませんでした! あんたもたまには善行をするんだなっ!」
ヒートアップしたヨーザは、アカデミアタウンのある方角を向いて祈るように手を組んで、失礼極まりないことを叫んでいる。しばらく拝み倒していたが、流衣達や周りの職員の生ぬるい視線でハッと我に返った。
「いやあ、すまんすまん。あのゴーストハウスにようやく人が住むかと思うと、嬉しくて、つい、な。よしよし、さっそく案内しよう。こっちだ」
浮き浮きとした様子で外套を着こみ、机の引き出しから鍵束を取り出してポケットに突っ込むと、さあさあと促し始める。
「え? ゴーストハウス?」
ぽつりと流衣は疑問を零すが、ヨーザは全く聞いていない。鼻歌を歌いながら役所を出ていくので、流衣達はとりあえず追いかける。
「……おい、さっきゴーストがどうのと聞こえたのは気のせいか?」
メインストリートに戻ってヨーザの後ろを歩きながら、リドが耐えかねたように小声で問うてくる。
「僕も聞こえた。ゴーストハウスって……」
すっごく嫌な予感がする。
なんで幽霊屋敷?
そんな単語が出てくるのはどうしてなんだ?
ヨーザを問い詰めたいが、ヨーザの機嫌の良い笑顔を見たら訊くに訊けなくなった。
「あれ、案外普通だ……」
そして案内された屋敷は、外観はまともだった。屋敷の上空に灰色の雲が垂れこめていたりとか、窓ガラスに奇妙な影が映るとか、そういったこともない。
ヨーザはにこにこと笑みをたたえながら、門前で左を指差した。
「この屋敷は、この通り街外れにある上、隣が孤児院なので貴族の皆さんは嫌がって購入されなくてね。しかも噂が噂だろう? 買い手がつかなくて困っていたら、スノウリード校長が買って下さってね。なんでも家賃をとって使用人用の下宿にするとか……。ああ、確かに昼間は子ども達が遊んでいて騒がしいが、孤児院の院長様は高潔な方だから心配いらないぞ」
ヨーザはにこやかに付け足すが、問題はそこではない。
「噂って何だ、噂って……」
「知らないよ」
ひそひそと問うてくるリドに、流衣もひそひそと返す。
三メートルの高さはある、植物を象ったアイアンワークが見事な門の鍵を開けると、ヨーザは中に入るように促す。手入れされているのか、門はきしんだ音一つ立てず静かに開いた。
「ここの庭は祝福の月ならちょっとしたものなんだが、この通り雪に埋まっている。それで、こちらが母屋になる。ここから真反対にある裏庭には井戸と畑があるから、覚えておいてくれ」
ちょっとした前庭を歩きながらヨーザは言い、鍵束をじゃらじゃら鳴らして母屋の扉を開ける。
「「…………!!」」
流衣とリドは、中を見た瞬間、言葉を漏らすことも出来ず凍りついた。
数秒後、流衣より早く解凍したリドはヨーザに詰め寄る。
「ちょ……っと待て、ヨーザさん! なんすか、これ! 悪趣味にも程があるだろ!」
「わっ、ゴーストハウスなんだから当然じゃないか!」
肩をがっしり掴まれての問いにのけぞりつつ、ヨーザは反論してくる。
リドが思わず冷静さを欠くのも当然だった。
流衣は呆然と室内を見つめ、呟く。
「真っ黒……」
そう。
灰色の煉瓦造りの床はそのままで、天井や壁に張られた壁紙は真っ黒だった。薄暗いから黒く見えるというレベルでは、勿論無い。全部真っ黒だ。玄関口に置いてある靴箱ですら黒く塗装されている。
「だから、さっきからゴーストハウスって何なんだよ!」
リドの問いに、ヨーザは目を丸くする。
「え、知らないのか?」
「ああ」
「校長から聞いてない?」
「おう」
「……あんの校長、たばかったなーっ!」
ヨーザは天井に向かって吠えた。
「珍しく善行をするかと思えば、そういうことか! 説明も何もかも面倒だから、全部私に押し付けたんだな! あの物ぐさ女!」
ただでさえ薄い髪をかきむしらんばかりに悔しがる姿に、リドは身を引きつつなだめる。
「ちょっと、おい、落ち着けよ」
ちらちらとヨーザの頭を気にしながら言う姿に、流衣も息を飲む。このままではヨーザが可哀想だ。なんというか、完全にストレスが原因で禿げる将来がそこまで迫っている気がする。
「そうですよ。落ち着いて下さい。あの、ええと、ストレスがっ、頭がっ」
慌てる余り失礼なことを口走りかけるが、ヨーザには聞こえなかったようだ。
「ああ、すまない。取り乱してしまった。あの女狐にはよく面倒ばっかり押しつけられるせいで……はあああ」
グレース・スノウリードへの言葉がどんどん酷くなっている。まあ、「面倒くさい」で全ての仕事を押し付けてきそうな雰囲気はあったが、そこまで酷いのか。
「それでだな、ゴーストハウスっていうのはだ……」
ヨーザはゴーストハウスにまつわる噂を一つずつかいつまんで教えてくれた。話を聞き終え、流衣は話を要約する。
「つまり、ここに住んでいた魔法使いが変人で、しかも顔を見たことがないからついた名前ってことですか?」
「そうだ。この通り、激烈に悪趣味ではあるが、部屋の中にはおかしな物……はないことはないが、危ないものはない」
きっぱり否定しかけて言葉を濁すヨーザ。
不安をあおるのはやめて欲しいのだが。
『坊ちゃん、この男の言うことは嘘ではありませんよ。屋敷には瘴気の気配は欠片もありませんから』
オルクスがそう言ってくれなかったら、即座に帰ると言っていたかもしれない。
流衣はお化けの類が怖い。何故か? それは、実際にいると知っているからだ。幸運にも見たことはないが、声や音を聞いたことならある。
「と、とにかく。悪趣味なだけだ! 害はない! 住むのをやめるなら、中を見てからにしてくれ!」
ヨーザは折角の住人を逃がすまいと思ったのか、必死に誘ってくる。
「……中を見ようぜ、ルイ。俺、このおっさんが可哀想になってきた」
「うん、そうしよう……」
ぼそりと言うリドに、流衣は頷きを返す。
ここで断ったら、ヨーザへのストレスが更に増えそうな気がした。
*
屋敷は二階建てで、使用人用の部屋や調理場を除けば、全て壁紙と天井は真っ黒だった。
「それで、ここがラスト、奥方の部屋だ」
「「『…………』」」
流衣達はというと、二階西側の一番奥にある部屋の扉を見つめて黙り込む。ローズピンクに塗られている扉。すでに嫌な予感しかしない。
ヨーザは顔を引きつらせる流衣達のことに気付かないふりをして、扉を開けて中に入る。
「暗がりが大好きな御主人と違い、奥方はそれは可愛らしいものが好きだった。例えば、ピンクとかフリルとかレースとか花とか……」
どこか遠い目をして語るヨーザ。
「特にピンク好きが尋常ではなく、とても痛々し……いや、変わったセンスを発揮していたな。ピンクで統一して少女趣味な感じに内装を整えたり。ほら、天蓋付きベッドだとか、花柄生地の椅子だとか」
「待てよ、可愛いの好きって、あれは何だよ。おかしいだろ!」
箪笥の上に飾られている牛の頭蓋骨を指差すリド。
ヨーザはハハハと笑う。
「よーく見たまえ。角にリボンがついているだろう。可愛いな?」
「どこが可愛いんだ! ったく、主人だけでなく奥さんのセンスも破滅してんだな」
恐ろしそうに腕をさするリド。
角にリボンをつけていたとして、可愛いようには見えない。所詮は牛の頭蓋骨だ。流衣はこんなゲテモノ夫婦の屋敷で働く使用人が可哀想だと思った。ゾッとする程、悪趣味だ。
流衣達はすぐさま部屋を出る。
「開かずの間に決定だな」
「うん、あまりのセンスに涙出てくるから近づきたくない」
頷き合うリドと流衣に、ヨーザはパアアと表情を輝かせる。
「ここに、住んでくれるのか!」
涙を流さんばかりの態度に、身を引きつつ頷く流衣。
「ええ、まあ。確かに悪趣味ですけど、住めないことはないですし……。あ、でも、僕らは仕事が一段落したら出ていきますから」
「それでもいい! 助かるよ! 幾ら掃除していても、人の住まない家は荒れるからな! 管理する手間が省けるだけ恩の字だ! なにより、私が掃除に来ないで済むのがいい!」
最後に本音を叫ぶヨーザ。
確かに、こんな真っ黒な家、一人で掃除するのは怖いだろう。
リドは不思議そうに疑問を口にする。
「でもよ、ヨーザさん。悪趣味だけど、趣味で塗り固められた屋敷を、なんで前の奴らは家具を放置で出ていったんだ?」
「知らんよ、そんなこと。新天地開拓だー! なんて叫んでたから、そういうことなんじゃないか?」
気味が悪そうに身を震わせるヨーザ。
どうやら、どこまでも変人だったらしい。
「何をして稼いでいたかは知らんが、魔法の研究者ではあったようだな。家具は放置しているくせに、書斎の本の大部分は持って越していったようだから。普通は家具を売り払って身軽にしてから出ていくものなのに、余程急いでいたんだろう。勿体ないことをする」
信じられないというように呟くヨーザに、流衣もそうだと思った。売ったお金で引っ越し資金にあてれば出費が減るだろうに、勿体ない。
「まあ、ともかくだ。これが屋敷の鍵だ。これが門、これが母屋、これが裏口。あと、倉庫の鍵もある」
ヨーザは鍵束をリドに渡して一通り説明すると、近くにある店を紹介する。
「内装を変えたいなら、メインストリートにあるアランザ家具店を訪ねるといい。店主は若いが良い仕事をするからな。あとはそうだな、合鍵を作るんなら、時計屋に行け。鍵の複製もしてるから」
そして、言うだけ言うと、これでもう関わらなくて済む! とばかりにすっきりした顔で、ヨーザは屋敷を出ていった。
流衣達はというと、そんなヨーザを見送るなり、屋敷の門の鍵をかけてからボルド村に向かう。宿に置いている荷物を取ってくる為だ。
「なかなか曲者だな、あの校長……」
うなるように呟くリド。流衣はいっそ感心している。
「本当にお金好きなんだね。内装費用は自分達でもてって言ってたし……。なんというか、ケチ?」
「これで家賃とられたらたまらなかったな」
「そうだねえ。とりあえず、リビングだけは内装変えようよ。怖い。あれは怖い」
「賛成。寝起きは使用人部屋を使うことにする」
「いいね、僕もそうする。使用人部屋まで真っ黒じゃなくて良かった……」
互いに話しながら、溜息しか出てこない。
その後、引っ越し先を聞いてきたナゼルが、「ゴーストハウス!? いいなあ! 見たい見たい!」とはしゃいでいたので、やっぱりナゼルの将来のことが不安になった。シフォーネの為にも、呪術的な世界にだけは足を踏み出さないで欲しいと思う。
=蛇足的あとがき=
この話を本編に挟むか悩んで、結局入れました。書きたかったんです。
番外編みたいにしても良かったですけど。
こういうギャグみたいな話書いてると、心がなごみます。
次回から、学校生活に入る予定です。